とある本に、
「言葉を失う」体験をせよ!
と書いてあった。
「言葉を失う」体験というのは、
「言葉を失う」ほどの感動体験をせよ!
ということではなくて、
「言葉を消す」時間を持つ!
ということ。
つまり、あらゆる「言葉の呪縛」から解き放たれ、
「言葉」そのものから自由になり、
心地よさに「言葉」を忘れた状態になること。
そんな瞬間を「感じる」こと。
そんな時間を積み重ねることで、
脳は本来のバランスを思い出し、
直感力を取り戻すことができる。
と、書いてある。
「言葉を失う」
「言葉を消す」
「言葉を忘れる」
経験というのは、
要は、
「あ~しあわせ♪」
「あ~気持ちいい♪」
としみじみ浸れるものや、
あるいは、
時間を忘れて集中する何か。
それは人それぞれ千差万別。
ある人は瞑想し、
ある人は散歩し、
ある人はクラシック音楽を聴き、
ある人は芸術鑑賞し、
ある人は子供を抱きしめ、
ある人は編み物をし、
ある人は猫をなで、
ある人は料理をし、
ある人は空を眺め、
ある人は風に吹かれ、
ある人は楽器を演奏し、
ある人は草むしりをし、
ある人はマッサージを受け、
ある人は絵を書き、
ある人は掃除をする。
で、私がしたのは「包丁研ぎ」。
「言葉を失う」時間と聞いて、なぜか、
alex@veneziaさんのこの記事
を思い出したから。
思い出したからには、
これが、いま必要な「言葉を失う」体験に違いない!
ということで、研ぎました、包丁2本。
たしかに、
言葉を失いました。
言葉が消えました。
言葉を忘れる。
そんな時間でした。
「無」
を感じる瞬間。
すとんと落ちて、
すーっと吸い込まれて、
ただ消えていく、
そんな感覚。
包丁と一緒に、
まるで自分の存在まで、
磨かれ研ぎ澄まされていくような、
そんな感覚。
とても深いところでの
確信と納得。
これだ。
と感じる。