言葉を失う。 | Laylahの猫足イタリア語

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らいらです。「NHKまいにちイタリア語」でのやり直しイタリア語の学習記録をぺたり♪イタリア語で伝える愛の言葉・愛の表現もどうぞ☆

とある本に、

「言葉を失う」体験をせよ!

と書いてあった。


「言葉を失う」体験というのは、

「言葉を失う」ほどの感動体験をせよ!

ということではなくて、

「言葉を消す」時間を持つ!

ということ。


つまり、あらゆる「言葉の呪縛」から解き放たれ、

「言葉」そのものから自由になり、

心地よさに「言葉」を忘れた状態になること。


そんな瞬間を「感じる」こと。


そんな時間を積み重ねることで、

脳は本来のバランスを思い出し、

直感力を取り戻すことができる。


と、書いてある。



「言葉を失う」

「言葉を消す」

「言葉を忘れる」

経験というのは、

要は、

「あ~しあわせ♪」

「あ~気持ちいい♪」

としみじみ浸れるものや、

あるいは、

時間を忘れて集中する何か。



それは人それぞれ千差万別。



ある人は瞑想し、

ある人は散歩し、

ある人はクラシック音楽を聴き、

ある人は芸術鑑賞し、

ある人は子供を抱きしめ、

ある人は編み物をし、

ある人は猫をなで、

ある人は料理をし、

ある人は空を眺め、

ある人は風に吹かれ、

ある人は楽器を演奏し、

ある人は草むしりをし、

ある人はマッサージを受け、

ある人は絵を書き、

ある人は掃除をする。




で、私がしたのは「包丁研ぎ」。


「言葉を失う」時間と聞いて、なぜか、

alex@veneziaさんのこの記事 を思い出したから。


思い出したからには、

これが、いま必要な「言葉を失う」体験に違いない!


ということで、研ぎました、包丁2本。




たしかに、

言葉を失いました。

言葉が消えました。


言葉を忘れる。

そんな時間でした。



「無」

を感じる瞬間。



すとんと落ちて、

すーっと吸い込まれて、

ただ消えていく、

そんな感覚。



包丁と一緒に、

まるで自分の存在まで、

磨かれ研ぎ澄まされていくような、

そんな感覚。



とても深いところでの

確信と納得。



これだ。



と感じる。