20代。前編 | 奥浜レイラオフィシャルブログ「L→R」powered by Ameba

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さて、わたくし奥浜29歳最後の日です。
作成中のライブレポートがいくつかあるけれど、今日は自分のことを書いておこうと思う。
20代最後という日はもう二度と来ないからね。

出来るだけ率直に、文体も気にせず書こうと思うので人様に読んでもらう文章にならない可能性がありますが、興味のある人だけ読み進めてほしいと思います。
私の20代の話です。


私が芸能事務所に入ったのは確か21歳の誕生日あたりだった。
という事は、来年で10年になる。
それまでは別の仕事をしていて、事務所に入るなんて考えた事はなかった。
漠然とやりたい事が浮かぶ中で、あまり深く考えずに最初の事務所に自分で写真と手紙を送った。
なによりも「やりたいなら早い方がいい。もう二十歳だし若くない。」という考えが私を急かしていた。

私はきっと何者かになりたかったんだと思う。
この時はまだ音楽の仕事をしたいとは思っていなかった。
でもただただ喋る仕事がしたかった。それも出来るだけ広くに伝えられるような。
伝える事柄については、まだ考えていなかった。

初対面の人に「ハーフですか?」と聞かれないくらいまでに自分を知って欲しかった。
そんな浅はかな考えだったかもしれない。実際にいくつかあった動機の一つはそれだったと思う。
若い時は、一日に何度も「ハーフですか?じゃあ英語も話せるよね?」と聞かれるのが苦痛で仕方なかった。
確かに私はハーフの両親のもと日本で生まれたが、両親も日本の、沖縄生まれ沖縄育ち。私も兄弟も神奈川の普通の公立学校に通った。
だから生まれた時からずっと日本人。
なのに、聞かれる度に自分のアイデンティティと戦う事になる。苛立つ。相手は初対面で私のことを知らなくて当然なのに。

人から見られる自分と、自分が知る自分とのギャップを上手く操るのは若い私には難しかった。
聞いてくる相手に嫌悪感を抱いたり、自分は日本人だという証拠を説明したり、「会ってすぐに、答えの分かりきった質問をしてくるなんてつまらない人だ」と、何の悪気もない相手を濁った瞳で見ることもあった。
また、ハーフが好きだと近づいてくる男性を疎んでいた。

もう少しさかのぼって学生時代は、人と違うことでいじめられないようにと友達の前ではピエロになった。
醜いことを進んでやれば、外国人やハーフは高飛車だと思われなくて済む。
それが、まだ今ほどハーフに見慣れていない地元の公立校で浮かない術だと思っていた。
そんな経験から、自分が有名になって生い立ちが世間に知られればもう嫌な質問はされないかもしれない、なんてつまらない身勝手な動機も含まれていた。

もちろん仕事をしている今は、そんな自分本位な気持ちでは務まらないし、たくさんのプロフェッショナルの中で番組や作品を作っていくという事はそんなエゴだけではやっていけない。
スタッフと足並みを揃えて、自分も歯車の一つにならなければ良いものは作れないとよく分かっている。
自分を知ってもらうなんて、この仕事では一番最後におまけで付いてくる事。
今は、10年前の私にそう諭したい気分でいっぱいです。


事務所に入ってから半年くらいで、幸運にも最初のレギュラーの仕事をいただくことが出来た。
日テレの朝の情報番組とNHKの語学講座だった。
どちらもオーディションだったが、特に朝番組の方は受けに来た女の子の人数も多く、その中で私だけファッションも雰囲気も浮いていたので受かるとは全く思っていなかった。
いわゆる女子アナ風スタイルの巻き髪Cancam系女子の中で、その日の私は全身古着だった。
メイクは今より濃かったかもしれない。髪は長く直毛で、前髪は眉で揃えていたような記憶がある。
切りっぱなしの解れたデニムスカートにベロアのリメイクされたブラウス、古着屋で買った正直綺麗とは言えないクタッとしたブーツ。

当時の総合演出のUさんやスタッフの皆さんは面白い方が多く、そんな私を起用してくれた。
もちろんお一人の意向ではないし、他にも推してくださった方もそうでない方もいた、かなり賛否あったらしいというのは後から伺った話。
多分受からないだろうという気持ちが、私を自然体にしていたんだと思う。
肩の力が抜けていたのが良かったのかも。
私が合格するオーディションはいつもそう。力が入りすぎるとだいたいダメ。
余談ですがこれは恋愛においても言えることで、自分が好きになった人にはだいたい片思い。自分を良く見せようとし過ぎちゃうんでしょうね。笑

こんな素人の、得体の知れない女に朝のクリーンな時間のコーナーを任せてくれたこと、無知な私に三年間もアナウンスのいろはを教えてくださったこと、この時のスタッフさんたちや共演者の方々には本当に感謝しています。
この土台が無ければ、きっと今の私はなかった。



(長くなったのでここで一旦割ります。後編に続くーーー!!!)