個人的な、余りに個人的な -5ページ目

アラブイスラム学院へ

昨日は、会社の同期M君達とひょんなことから広尾のアラブイスラム学院 へ。


M君の学生時代のリビア人学友B君が文化交流というか、見学がてらということで、彼を招待。偶々、その話を聞きた自分は興味がわき、彼らに付いていく。


学院内では、

デーツと言うナツメヤシを貰い(断食の時はこれを食べるらしい)、

簡単なアラビア語の教えて貰い(アラビア語って右から書き始めることを初めて知る)、

礼拝の様子を見学し(当たり前だけど、厳かな雰囲気だった)、

コラーンの解説を受ける(アラビア語で話す先生をB君が日本語で通訳、中々、難解)。


最近、わたしの名は「紅」 という本をようやく読み終えたが、イスラム文化は勿論、コラーンからの引用が少なからずあり、正直、よく分からない部分が多かった。

そんなことが直前にあった故、行きたいと思ったのかな。

アラビア、イスラム文化の一面を見ることが出来てよかった。M君に感謝。




デーツ。甘くて美味しいのだが、食べ過ぎて気持ち悪くなった。。




各国の大使館が立ち並ぶ一角に学院はある。ヒルズ、東京タワーとロケーションはかなりのもの。ちらっと写っているのは同期M君とA氏(M君のサッカーだけでなく、文化的な一面も持つことを発見。B君の説法が長引き、後の飲み会の遅刻が確定。さて、結果は、、)

日に日に寒くなってきた。

この季節は好きではない。夏に生まれたせいか、寒いのが本当に苦手で辛い。


朝は寝たくはないのだが、布団から出られず時間が勿体無い。

何枚も服着るのが面倒臭く、洗濯する手間も増える。

窓が開けられず、外の音も聞けないし、空気が淀む。

日が暮れ、暗くなるのが早く、何となく内向的で気分がよくない。

外で散歩や運動も出来ず、そうかと言ってスキー、スノボーは行きたくない。
昔から変ってない。
小さな頃から家でも学校でもストーブの前にへばりついていたし、ズボンを焦がして親に怒られた記憶がある。
今はエアコンだが、イマイチ効きが良くない。


早く暖かくならないかな。自分はこの季節は嫌いなのです。

PS3の熱設計

PS3が発売された。元々、ゲームには興味がないので、テレビで映る行列を呆れて見るばかりだったが、PS3分解の様子が日経BPに載っており、熱設計という観点で現在の業務と関連。


You Tubeで分解の様子が見ることが出来て、面白い。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061112/123441/?ref=ML

かなりデカイFan使っているし、ヒートパイプも張り巡らせている。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061111/123437/
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061111/123438/?ST=d-ce


「…この大口径のファンをゆっくり回すことで,できるだけ静かに放熱しようというのがコンセプトのようだ…」


成る程。Cellからも相当発熱しそう。。しかし、どんな具合で熱設計しているのだろうか。

ソニーのエンジニアともなれば机上計算と解析で相当合わせこんで、あとは実機で確認。ってな感じの一発設計かな?


ゲームはやらないので、会社で買ってくれないかなー

ミラノ

昨日、友人が仕事で当地に滞在すると聞いて、少し懐かしくなった。初めての海外は卒業旅行で行ったイタリアで、降り立った街がミラノだった。
あの時のことを思い出す。


期待感以上に不安な気持ちで、着いて欲しくないと真剣に思った着陸間際(今も一人旅では陸地が見えると結構思う)

空港でバス乗り場を教えてくれた小太りした親切なおばさん(英語が分かるかと聞かれて、YESと言ったが、全く分からず分かったフリして、兎に角、指差した方にだけ歩いた)

ユースホステルで一緒の部屋になったスイス人とエストニア人学生、そしてニューヨークでタクシー運転手をしていたというイタリア人のおっさん(彼等3人楽しく英語で談笑。自分は会話に入れず寝たふりをした)

日本人だらけプラダショップ(何がそんなにいいんやろう。。)

入ろうか迷って何度も前の通りを行き来していたら店員が気づき、「どうぞ」と日本語で声をかえられ、素直に入ったレストラン(やっぱり、あの頃からヘタレやったなー)

街の中心の教会(ドゥオーモって言ったっけ、建築が好きな人は絶対にイタリア)


あの旅行から海外に行く楽しさを覚え、そして何かが自分の中で変った気がする。行く前は色々、心配で煩ったが、行ってよかったといまだに思う。いつか再度、訪れたい。

The world is a fine place

昨日は今シーズン最後の試合。プレーオフ3位決定戦。ラクロス歴10年目で初のナイター試合(結構、緊張。但し、キャッチミスはラインドリルのみ)。
結果は10対9で接戦を制し勝利!前半7-2で楽勝と思いきや3Qに6点取られてひっくり返され、再度4Qで逆転。最後はかなり厳しかった。

兎も角、TALACO、今シーズンファンリーグ3位。最後は勝利で終える。本当によかった!よかった!



The world is a fine place and worth fighting for.(この世は素晴らしい場所、なぜなら戦う価値がある、かな?)


SEVENでモーガン・フリーマンに後ろのフレーズだけは賛成と皮肉られたヘミングウェイの言葉。

性格的に自分も普段はあまりピンと来ない言葉であるが、昨日はやっぱり接戦で勝ったからかな?

傍から見ると決して大した試合でもないし、自分も下手糞だが、個人的には試合して楽しかったし、身体も動いて、その言葉を身近に感じた日だった。この世でラクロスしててよかった。

サイン

ウルトラマンとは少し違うが、自分にも己の体力に限界が来て、身体が辛くなった時にはそれを知らせるサインが出る。それは、胸が圧迫されたように息苦しくなることである。喘息みたいに肺に何かが入ったかのごとく、つかえた感じになる。いつからその症状が出て、それに気づいたかは分からないが、少なくとも院生の頃からは気づいていた。徹夜し続けたり、運動し続けたり、遊び過ぎたり、そんな時には必ずこうなり、逆に言えばこうしかならない。
昨日、久しぶりにそれが出た。


先々週からよく遊んだ。先週も木曜は終電まで飲み、金曜はカラオケでオール、土曜日はそのまま寝ずにゴルフ。そして、ゴルフ場の最寄り駅から飲みに都内に向かう。
我ながらよく続く体力だな、なんて思いながら電車でまどろんでいたが、駅で目が覚めた時に例のサインが出た。史朗君、少々疲れたよ、そんな声が身体から来た。今日は無理しないでおこうと思った。


例のサインを無視したらどうなるだろうか、、
ここ4、5年。風邪という風邪は引いたことがない、だから風邪を引くのかなと思うのだが、何となくそうではない気がする。何かもっと身体によくないことが起きそうだ。このサインは破ってはいけない。反対にサインを破らなければずっと健康でいられる。そんな考えでいる。


自愛下さい。母親からたまにくるメール。この言葉は信じて守ります。少し休息します。

マイアミの彼

彼は大学のラクロス部同期で、卒業後、都内に勤務。自分が神奈川に就職したこともあり、週末よく会い、飲み遊ぶ友達であったが、昨年の8月にマイアミに転勤。毎年10月は会社の大きなカンファレンスがあるとのことで、一昨日、彼は帰って来たのだった。


<13日金曜日>
16時仕事を終了。頼まれたプリペード携帯を買うため、海老名のSOFT BANK Shopに行くが、品切れ。
逸る気持ちを抑え、小田急に乗る。男に会うのにそわそわしている自分に呆れ、女の子にこのぐらいの気持ちを向けていたのなら今頃は幸せだったかな、など車内で下らないタラレバ妄想をする。
渋谷センター街のごった返す人ごみの中、同じく同期Y氏と共にいる彼を発見し、合流。
背が高い上、季節外れのTシャツ1枚、そこからこんもり盛り上がったお腹、かなりアメリカナイズされていることを実感(寒くないんやろうか)。
海老名を馬鹿にされ、渋谷のSOFT BANKに向かうが1店目は品切れ(ほれ見ろ)、2店目は在庫あったが、値段が高いとの理由で結局買わず(なんだそりゃ。じゃぁ、頼むなよ!)
3人で恵比寿に向かい、例の「うの花」でスタート。
その後、神戸の先輩、後輩達が集まって結局、10人以上で飲む(やっぱ、神戸飲みは楽しいなー)
記憶は残ってないが、翌日の試合の為、終電でちゃんと自宅に帰る(いつも不思議)。
彼はY氏の池上寮に泊(今回はタクシー止めてのスローアップはなかったのこと)


<14日土曜日>
早朝起き、二日酔い状態ながら試合会場の葛西に向かう(遠すぎ)。
試合は頑張ったものの、敗北(といいますか、正直、しんどかった)。
荷物があったが、家に帰るのが面倒だったので、渋谷で時間を潰し、夕方再度、恵比寿で彼らと合流。
更に同期のT氏とK氏を加えて、飲み会を行う。
結局、電車がなくなり、T氏を除く4人とも池上のY氏の寮に向かう。
駅前のうどん屋で軽く飲み、その後、4人で寮の風呂に入る(彼のお腹もさることながら、K氏にもかなり驚いた)。
その後、小さな部屋に合宿所みたいにすし詰め状態で寝る(誰のせいか、部屋が蒸し暑かった)。


<15日日曜日>
昼前に全員、起床、とりあえず解散。
彼は兄さん夫妻と上京している母上様と食事をするとのこと(さすいが、親孝行)、でも、夕方、暇らしいから飯でも食おうとのこと(やっぱ、寂しがりや)。

帰宅後、洗濯・掃除を終える。

時間があったので、日記を書いている。



今週末はこんな感じであっという間に過ぎていく。彼が帰国すると皆が集まり、普段会わない先輩やら後輩やらに再会し、本当に特別なものをもたらしてくれる。彼がマイアミに行かなければ、こんなことはなかった。何となくありがとうって気持ちになった、日曜日、これから都内に向かう自分の心境である。

わたしは車

私は車。名はロードスター。これが最後です。まず、今回、私までもがここで話が出来ることに感謝します。何かの本で挙げられたチープ革命やらロングテールなどの言葉を、成る程と少しばかり身近に感じる次第であります。兎も角、前の主人が私の所在を気にしているとお聞きしたので、憚りながらこの度、近況を記させて頂きます。


私は現在、ある夫婦のセカンドカーとして、都内の閑静な住宅街におります。旦那様は、近く40年程働いた会社を退職されるということで、定年後の生活を迎えるにあたり、数ヶ月前、わざわざ座間まで足を運び、私を購入されました。新車でもよかったそうなのですが、元来の質素な性格か、もしくは奥様への遠慮があったのか、ただ、長年スポーツカーを欲しかったらしく、とうとう買われたのでした。周りの方々は当初、この買い物にやや違和感を覚えたようですが、私に言わせますと、これからの余命、人生を楽しむという観点に立てば、素晴らしい選択をされたと思います。奥様も初めこそ、旦那様の行動をおよそ理解できないものとして不満げな様子でしたが、一度、私に乗り、2人で箱根に出かけた際に、屋根を開け、緑の中を走ったことがあったのですが、その軽快さと開放感に大変満足され、以来、街中を走る際にも、屋根を開けようとするものですから、旦那様も少々、恥ずかしく困っており、更に自身もマニュアル免許を取得することを検討しているぐらいお気に入りのようです。勿論、普段は隣に停まっている乗用車に両人ともお乗りになりますから、私は主に週末、走る次第であります。


まぁ、近況はこの程度で、ここでは多少、前の主人の下での生活を言うつもりでしたが、ご存知の通り、あそこでは殆ど動いておらず、例の猫に上を乗られ、あの駐車場で過ごしました。それは決して楽しいことではなかったのですが、仕方がないと納得しております。確かに、あの辺はどこに行くにも我々が溢れ、主人にとっても私にとっても非常に効率が悪いのです。とは言え、主人の最後のドライブは表参道と記憶しております。私は通りを行き交う人々、両脇に植えられた並木、そして煌びやかなブティックに非常に感動致しました。ただ、例の有名な建築家が建てたコンクリートのあの建物ばかりは、無機質な印象を持ち、好きにはなれませんでした。また、ナンバープレートを「相撲」と呼ぶ輩がいて非常に恥ずかしかったのですが、まぁ、今はそうでないので何も言いますまい。


さて、私は車。これまで色々ありましたが、今後はこの都内で、この夫婦の下で過ごしたいと切に願います。旦那様は落ち着いた方で事故の心配もないし、2人は非常に私を気に入っております。


ええ、私は車。おや。お二人が玄関から私の方へ歩いてきます。旅行のようですね。そろそろ、話は終わりにしましょう。今週末は3連休。昨晩までの激しい雨が嘘のように、今日は本当に秋らしく清々しい日です。ドアが開き、エンジンがかかりました。それでは。

わたしは猫

私は猫。ここは何って場所でしたっけ?そう、相武台。この辺りに住んでおります。さて、今回あろうことか、こうやって私、猫が話したいと思ったのは、先日、どこからか風の噂で、私のことを記した人間がいると聞き、どうもその話に納得出来ないところがあったからです。私はその人間を知っております。というのは何週間か前でしょうか、彼を道で見かけたのです。それまでは、はっきり言いましょう、彼を忘れておりました。ところが先日、私が夕食を終え、道の往来を草陰から窺っていると、向こうから、一人浮かない顔してトボトボ、どこか、ぎこちなく歩いて来る人間を見て、はて?どこかで見たかしらと、少しばかり疑問に思ったのですが、成る程、そうです。彼です。相変わらず、働くことが嫌いなのか、仕事が捗らないのか、どこか冴えない風采です。と同時に私はあることを思い出しました。そう、彼は私の大切な寛ぎ場所を奪った人間だったのです。


彼はあの車を自分のものだったと言い張っておりますが、全く間違った思い込みでありまして、彼は確かに運転こそ出来ますが、殆どあの車を乗っておらず、私があの車の屋根にいる時間の方が遥かに長かったのです。彼は、働く日はあれに乗ることはなく、またそうでない日でも、例の変な棒を持って、車に乗ることなく出かけては、夜遅く、何でしたっけ、ミルクではなく、そう、酒というものを飲んでは帰ってきます。一度、彼はそれを口から吐き出し、車の前の植木、そう最近はそこをねぐらにしていますが、そこに撒き散らすものですから、暫く、悪臭が立ち込め、寝ることも出来なかったのです。困ったものです。まぁ、普段はそんな様子ですが、たまに私が心地よく例の車の上で寛いでいる時、突如、駐車場にやってきて乗ろうとするのです。彼の気まぐれさといったら、何なのでしょう。わたくし猫も閉口してしまいます。しかし、これだけは言っておきますが、あの車はあの人間より私と一緒にいる方がよっぽど楽しかったに違いありません。


さて、彼の話からすると、あの車は売ったそうなのですが、あんなに大きな額をしている割には愚鈍です。ようやく車を持っていることが無駄と気づいたのでしょう。どうも、彼は柔軟性に欠け、頑なところがあります。確かにそうです。殆ど乗ってない上、あの車の餌代ときから非常に高くつくそうです。加えて、他の誰を乗せているかというと、そうでもない。たまに誰かを見たりしましたが、いつの間にか彼一人です。私と同様、気まぐれ、どこかふらふらしたところがあります。そんなことで、遅まきながら売ったそうなのですが、確かに正しい判断です。ただ、問題は私の寛ぎ場所がなくなってしまったことです。


まぁ、私は猫。そんなことなど直ぐ忘れてしまうのです。確かに、あの車がなくなった後は暫く、シクシク泣いておりました。しかしながら、そんなこともいつかはすっかり忘れてしまい、別の寛ぎ場所を見つけてしまいました。基本的に、我々には昔のこと、思い出というものは存在しないのです。そんな生き物なのです。


そう、私は猫。何て言ったでしょうか?ああ、相武台。ここは、確かに片田舎かもしれませんし、あまり楽しいところではないかもしれません。でも、私は気ままに、ここら界隈で生きていくのです。

猫と車

先週の月曜日のことである。仕事を終え、社宅のアパートに着く間際、目の前を一匹の見覚えのある猫が横切った。


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およそ、4ヶ月前まで車を持っていた。

マツダのロードスター。屋根を開閉でき、2人乗りでコンパクト。ずっと前から欲しかったから社会人になると直に買ったのだったが、、

一階に駐車場に置いていたのだが、暫くするとある招かざる客が、所有者の断りもせず、その車の屋根の上に居座るようになる。そう、あの猫だ。

開閉式だから、屋根の材質がゴムで出来ており、柔らかいのがいいのだろう、また、一番出口側だから日もよくあたるのであろう。駐車場には何台かの車が停まっていたのだが、こいつは自分の車の上にだけ居座り、気持ちよさそうに寛いでいた。
車に乗ろうとすると、毎回、こいつと対峙する。
憎らしいかな、憎らしいかな。人の車に我が物顔で座っているその態度。こちらが車に近づくと逃げると思いきや全くその気配を見せず、寧ろ顔だけこっちに向けて、「なんだ?」とばかり睨み付ける。

一瞬、その目つきにたじろいでしまうが、気を取り直し、こっちも「どけよ」ってばかりやり返し、更に近づく。
そうすると恨めしそうな顔つきで体を起こし、隣の車の陰に隠れる。それでもまだ、こちらを見ている。
屋根に無数についた足跡を、既に気にするのも飽きた自分は少々、諦めた心持ちで車を動かしていた。


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車を売ってから、結構、時は経った。だが、どこかに行こうと思ったり、駐車場を通りかかる際、ややもすれば僕の車が以前のように停まっている気がする。先週あいつを見てから、より一層、そんな気が起きる。

「どけよ、人の車に」  「俺のくつろぎを邪魔するな」
車を巡る小さな戦いは終わった。自分は車を売り、結果的に愛車を失う。一方、奴も長年の寛ぎ場所をなくした。

結果は、引き分け。


気まぐれなあいつは、どこか別の寛ぎ場所を見つけているのだろうか。
車は座間の中古車屋から誰かの手に渡り、どこか走っているのだろうか。

少しばかり気にはなったが、それを知る術はない。