わたしは車 | 個人的な、余りに個人的な

わたしは車

私は車。名はロードスター。これが最後です。まず、今回、私までもがここで話が出来ることに感謝します。何かの本で挙げられたチープ革命やらロングテールなどの言葉を、成る程と少しばかり身近に感じる次第であります。兎も角、前の主人が私の所在を気にしているとお聞きしたので、憚りながらこの度、近況を記させて頂きます。


私は現在、ある夫婦のセカンドカーとして、都内の閑静な住宅街におります。旦那様は、近く40年程働いた会社を退職されるということで、定年後の生活を迎えるにあたり、数ヶ月前、わざわざ座間まで足を運び、私を購入されました。新車でもよかったそうなのですが、元来の質素な性格か、もしくは奥様への遠慮があったのか、ただ、長年スポーツカーを欲しかったらしく、とうとう買われたのでした。周りの方々は当初、この買い物にやや違和感を覚えたようですが、私に言わせますと、これからの余命、人生を楽しむという観点に立てば、素晴らしい選択をされたと思います。奥様も初めこそ、旦那様の行動をおよそ理解できないものとして不満げな様子でしたが、一度、私に乗り、2人で箱根に出かけた際に、屋根を開け、緑の中を走ったことがあったのですが、その軽快さと開放感に大変満足され、以来、街中を走る際にも、屋根を開けようとするものですから、旦那様も少々、恥ずかしく困っており、更に自身もマニュアル免許を取得することを検討しているぐらいお気に入りのようです。勿論、普段は隣に停まっている乗用車に両人ともお乗りになりますから、私は主に週末、走る次第であります。


まぁ、近況はこの程度で、ここでは多少、前の主人の下での生活を言うつもりでしたが、ご存知の通り、あそこでは殆ど動いておらず、例の猫に上を乗られ、あの駐車場で過ごしました。それは決して楽しいことではなかったのですが、仕方がないと納得しております。確かに、あの辺はどこに行くにも我々が溢れ、主人にとっても私にとっても非常に効率が悪いのです。とは言え、主人の最後のドライブは表参道と記憶しております。私は通りを行き交う人々、両脇に植えられた並木、そして煌びやかなブティックに非常に感動致しました。ただ、例の有名な建築家が建てたコンクリートのあの建物ばかりは、無機質な印象を持ち、好きにはなれませんでした。また、ナンバープレートを「相撲」と呼ぶ輩がいて非常に恥ずかしかったのですが、まぁ、今はそうでないので何も言いますまい。


さて、私は車。これまで色々ありましたが、今後はこの都内で、この夫婦の下で過ごしたいと切に願います。旦那様は落ち着いた方で事故の心配もないし、2人は非常に私を気に入っております。


ええ、私は車。おや。お二人が玄関から私の方へ歩いてきます。旅行のようですね。そろそろ、話は終わりにしましょう。今週末は3連休。昨晩までの激しい雨が嘘のように、今日は本当に秋らしく清々しい日です。ドアが開き、エンジンがかかりました。それでは。