女人成仏だけを 基準にしたとき


釈迦仏法は 宇宙の法則に反抗する教えだった


女性が成仏するために

変成男子 しなければならなかったのは


女性が出産の機能を 宇宙に帰してしかるべきのちという意味である

釈迦は 悟りの中で 

宇宙から解放されない人類の魂を作りたかったのだ


だからこそ 永遠に苦しみの中を輪廻し続ける発想が必要だった


しかし


釈迦のその発想のきっかけは 法華経に在り

法華経は宇宙そのものであるので 女性の子宮という機能を

事さらに称えたはずである

なぜなら 釈尊の出生自体も 

母親の借り腹によって証明されるのであるからだ


人類がもやもやした意識から実態を持つために 

子宮ではぐくまれることは必須であり、

母親によって輪廻を一巡し、己の生を獲得し、

生まれ出でてくることを釈尊は瞑想によって悟る


それにもかかわらず 

変成男子が女人成仏の条件として語られると言うのは

釈尊の肉体が 出産のできない男であったからではなかろうか


ここに 釈迦仏教の決して拭い去れない 


矛盾と宗教の胡散臭さが生まれてしまったのではないだろうか



科学的な統計による寿命に関して

稚拙ではあるが 

出産期の機能についての時間の返還を

女性が受けているのではないかと仮説すると 

平均寿命の差の根拠が強いモノになる


そして 

染色体の構造からその秘密が

染色体の8分の1に秘められていると推察できる


こういった 数式および化学式で

解明するに至らない仮説は疑似科学というのだそうだ


しかし


釈尊が 説いた 女人成仏よりはるかに現実的だし


私は思うのだが 

魂魄の融合に地球がコピーしたものと

宇宙が命として与えた2種があるのではないかとも思えば

思考の方向として安定する


男・女 や 有・無 など2体で対になるのが

因縁の考え方の基礎となっている事を思えばなおさらだ


合離の繰り返しは 

細胞が固体化していく過程で生きている活動として

確認できるものなので、

この合わさる・離れるも2対の動きであるし、


だからこそ 意識にも 

宇宙からの飛来と

地球が湧かせたものの2対があるという仮説に

自信を持ってしまう


釈尊が地球が湧かせた識を輪廻で押しとどめたのなら

法華経は その矛盾を明らかに紐解き、飛来した識をひろめて


地球を取り巻く空気の層のように宇宙の刺激から

輪廻を守る説法の完成を視なければならないのだろうね


釈尊の説法の限界の補完とは。

見る人が見れば宗教改革。


さて。どうやったら 

何千年の矛盾への挑戦を認めてもらえるだろうか