【みんなある】じぶんをまるごと愛する挑戦【カルマ】 | 地上天国を生きるボディへアップデート 喜びで生きるためのレムリア覚醒セッション

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人を変えても、
環境を変えても、
必ずと言っていいほど、
同じような気持ち、同じような結末、
同じように繰り返すことがあるのなら、
それは、カルマです。


カルマとは、課題、
ととればいいと思います。
悪いことの報いでも、
業でもありません。
当時、愛ではない選択をしたときの、
傷ともいえば良いでしょうか。


あなたが生まれてきた時に、
絶対にクリアしたい!と
思って決めてきたことは、
ズルができません。


代わりに人にやってもらうこともできない。


たとえ、見送ってもブーメランの
ように帰ってきて、
必ず向き合う時がきます。


それくらい、じぶんで、
このことをやるぞ!と、
意気込んできているんです。


だったら、目の前に来た時に
やってしまうのがいいよ!というのが
私の考えです。


そして、
それができる環境を、
じぶんで選んで生まれてきます。


私のプロセスで、観てきたからこそ、
それがすごくよくわかります。


そして、カルマ発動の時の特徴は、
激しい感情が伴います。


それこそ、理屈ではない感情が湧き上がり、
なぜか、そうしてしまう。


個人のことがある程度終わると、
もしかしたら、家系のカルマも
取り組む人もいるかもしれません。
私はこの家系のカルマも取り組む組です。


じゃあ、それぞれカルマは違っても、
何をしたいのか?と言えば、
一言で言うと、
どんな自分も愛すること=認めること
なんです。
どんな自分も、には、
ネガティブと言われるものも入ってきます。


私たちは、一人ひとりが大切な存在で、
もともと価値があり、
愛されていると知ることなんです。
そして、傷を超えて、
愛したいじぶんを知ることです。


否定していることを
受け入れることができた時に、
この世界からひとつ、
許せないものがなくなります。


時間がかかることがあるから、
じぶんに素直に正直に、
取り組むのがいいと思います。


例えば、
自分でじぶんのことを
馬鹿にしていたら、
馬鹿にされると、その傷が疼くから腹が立ちます。
でも、自分でじぶんを丁寧に見つめて
尊い存在だと思えていれば、
馬鹿にされたとしても、
ふーーーん。となります。


カルマって、このことをとても強く刺激する、
自分の中の傷です。


でも、この弱い部分、
傷の部分を受け入れて、認めて、
そうなんだよ私、って、
身体から思えれば、
ここから解き放たれる。



あなたが
こだわることはなんですか?



私は、このプロセスで、気がつきました。

今世、私に一番影響している過去世は、
私の家族や、
私の小さい頃からのストーリーに
再現されています。
私に小さい頃からもたらされた言葉は、
『笑顔』と『涙』でした。


カルマとして一番影響する過去世は、
私は非力で、カゴの中の鳥のような立場。
男性から愛玩的に愛された女性であり、
たくさんの女性の中での
大奥的な嫉妬や妬みにより、
子どもを奪われ、自死までしたんです。


だからこそ、正反対をやろうとしてきて、
だから、意志なく言いなりになるような
そういった女性が大嫌いでした。
恋愛や結婚で自分を失くす女性を、
馬鹿にもしてました。
それから、女性同士の嫉妬や競争を隠すための
心にもないことを言い合うような関係も、
大嫌いでした。
じぶんで何もできないような、
経済力がないのもとても嫌いでした。
そして、支配的に権力やチカラで
押さえつけようとする男性もすごく嫌いでした。
(でもこういう人が寄ってくるw)


でもそれは、
そのときの私の傷が癒えてなくて、
それを否定していただけなんです。
そして、馬鹿にしたり否定していたものが、
全部、かつての自分だと知ることになります。



かつての私は、1人の男性を一途に想い、
一番大切にされて子どもを産んだけれど、
嫉妬により恨まれ、その子どもも奪われ、
絶望しました。
男性を愛することは、
苦しみと一緒にあるものだったんですね。
その絶望から、みずから
死を選んでしまった。その罪悪感。
私の弱さ。


これが受け入れられなかった。
馬鹿みたいで。
もう2度と経験したくないと思うし、
私の弱さを否定していたからなんです。


まるでイザナミのように、
死の世界にまで行って、
蛆虫にまみれたように、
暗黒の世界にまみれたようで、
怨念まみれでけがれていると。


でも、
そのかつての私に出会った時、
その苦しみがどこからきたのか丁寧に観ていき、
その苦しみの反対側にある、
真剣で純粋な気持ちを
理解するほどに、当時の私が愛しくなり、
そのときの苦しみ、悲しみ、怒り、
それを解放していくほどに、
認めていくほどに、そこには、
よく言われる愛しかないんだ、
と気がつくんです。


解消するチャンスを、
もう一度チャレンジしてきたんです。


今回は、生き抜き、
自立して、やりたいことをみんなやって
笑おう!とその挑戦に来ました。
ただ、笑うために生まれてきた。


家族の言葉も、そこに起こっていることも、
すべてが理解できる時がきます。


みんなで、ほどいていく
いのちの壮大なストーリーだと。

その時、感謝が溢れ出てくるし、
深い愛を感じることができます。



今、願いはすべて叶っています。

かつての私は、自由になりたかったんです。
生きたかったし、愛し愛されたかった。
私は今、自由です。
家族も、そのことをやるため、
そのプロセスを歩いていくための
協力者だったと、今ならわかるのです。


カルマの昇華は簡単ではありません。
ただ、ワクワクしてても、
そうはなりません。
時には観たくない自分にも対面します。


でも、あなたの、もっと奥深くにある、
ハートの深部にある、
その純粋な想いにまで、
たどり着いて欲しいと思います。




カルマ昇華をしていく体験は、
自分自身をまるごと愛する挑戦であり、
自分史上最高の幸せを体験する挑戦です。

そこに行がなければ
わからない感覚があります。