久しぶりに、岩崎宏美さんの歌を生で聴きたくなった。
「わが永遠の聖母(マドンナ)岩崎宏美」のブログを参照したら、2024年9月7日に東京都江東区のティアラこうとうでコンサートが予定されているという情報をつかんだ。続いてチケットサイトを参照したら、まだ席が若干空いていて、申し込んだ。
このところ歌謡ポップスに対する情熱が、以前よりもかなり下がってきたと自覚している。
人生の残り時間を意識する年齢になり、なおかつ暑さが年々厳しくなる環境下、気力体力財力があるうちに何をどう経験しておきたいかの優先順位を考え、他の分野にリソースを割くようになったこともあるが、蒸し暑い日があまりにも長く続くと、往年の歌謡ポップスはどうしても色あせて聞こえてしまう。あの頃親しんだ歌謡ポップスは涼しさや寒さ、ほんのりした暖かさの記憶と密接に結びついていたからこそ魅力的だったと、改めて気がつく。
午後の強い西日の中、地下鉄住吉駅から公園の北側を歩く。こんなに暑い未来を、これほど早く迎えてしまうとは想像もつかなかった。暑い、暑い…とうめきながら息を引き取る最期が待ち構えているのだろう。
ティアラこうとうの入口は案外狭く、既に大勢の人が並んでいる。開場よりかなり早く着いてしまったので、どこかに座らなければならない。冷房のない屋外は1秒たりともいられない。が、座れる場所がない。階段など通路に腰を下ろすのは憚られる。吹き抜けの地下1階まで降りたらベンチがあり、とりあえず身の置き場を確保した。小ホールで室内楽の演奏があった後のようで、ドレス姿の出演者がお客さんと談笑している。暑いでしょう、と心を寄せたくなる。
ずいぶん長く待った気がする。開場は15分遅れた。ようやく中に入れてもらえると、大きく息をついた。
セットリストはbumimas_shochanさんのブログ記事で詳述されているので、そちらをご参照いただきたい。
最初の曲「始まりの詩、あなたへ」は「能登の花ヨメ」という映画の主題歌として作られたという。
ちょうど1年前、石川県七尾市で「花嫁のれん」の展示館を訪れたことを思い出した。豪華なしつらいののれんが何枚も飾られている一方、往年の花嫁に要求されたふるまいの解説を読むと、「家制度」の厳格なしきたりに絡めとられた若い女性たちのそこはかとない哀しさが漂ってきたことを思い出す。その日は能登町まで足を延ばし、能登空港から飛行機で帰路についた。それからわずか4ヶ月であれほどの悲劇に襲われるとは、まだ思いもしなかった。
続いて、火曜サスペンス劇場主題歌メドレー。一番有名な曲はここではまだ歌えないからと、「家路」から始める。ファンには人気の高い曲が続くが、私はドラマを全く見ていなかったこともあり、あいにく思い入れはそう深くない。
「このあたりの曲は難しくて、もう昔のようには歌えなくなりました。ちゃんとしたものを聞きたい方のために、受付の隣にCDを持ってきております。」
シャンソン2曲に続いて、最初のヒット曲メドレー。
「熱帯魚」「銀河伝説」など、これまであまり耳にする機会のなかったナンバーが取り上げられた。
作詞家の山川恵津子さんがいらしているそうだが、「えっちゃんごめんね、『好きにならずにいられない』入れられなかった。来年の50周年では歌うからね。」前のほうに座っている集団が濃いピンク色のサイリウムを振ると、私が座っている席の脇の大理石の壁に、まるで鏡のように映った。演奏しているベーシストも壁面に映し出される。なかなか絶妙なポジションに当たった。やがて、ライラックカラーの照明が岩崎さんお召しの白いドレスを染め上げる。サイリウムの色もブルーに変わる。♪ブルーの服をバラ色に~という阿久悠さんの詞とは逆方向と、とっさに気づいた。
第1部の最後は、さだまさしさんが書いた作品が続いた。
「いのちの理由」
「虹 ~Singer~」
後者は1993年に、さださんが雪村いづみさんに書き下ろした曲のカバーである。「先に逝った友だちのなつかしい歌」で、美空ひばりさんや江利チエミさんを思い起こさせる趣向。さださんは雪村さんからじっくり話を聞いて、雪村さんが歩んできた人生に寄り添うように作り上げていったのだろう。
第2部もさだまさし作品から始まるが…。歌い終えた後で
「残したい花について、一部歌詞を変更してお届けしました。」
場内爆笑。以前、八神純子さんが歌っているうちに間違いに気づき、演奏を一度止めさせて舞台袖に駆け込み、頭を抱えて歌詞を思い出し、最初から歌い直した場面を見ているだけに、さすがの年季を感じさせられた。
続いて「シアワセノカケラ」、ミュージカルに出た時に森繁久彌さんから、遠回しに太ったと指摘されたという定番の思い出話をはさんで「夢やぶれて」。
後半のメドレーは筒美京平ヒットナンバー。始める前に「私たち」の振り付け指導が入る。「私たち」だけはフルコーラス歌いますと、客席に気合いを入れる。「センチメンタル」も歌う。岩崎さんはステージから客席に降りて、前のほうの通路を一巡しながら歌い続けた。久しぶりに両手フリフリをやると気分がよい。代表曲とは別に「とっておきの1曲」があるというのは強みである。
本編最後は定番の2曲。飯田久彦さん、橋本淳さんもお見えになっていると言及された。「ブルー・シャトウ」「ブルーライトヨコハマ」の橋本先生が今もお元気と聞いて、嬉しくなる。
アンコールは、まず「月見草」。マイクをお腹まで下げて、場内に声を響かせる。後追い客には伝説となっている、マイクを使わずに歌い切るスタイルに、できる限り近づけようとしていた。
この曲にも、一部歌詞の変更が認められた。
♪月見草の丘で ふたりだけの式をあげ
そっとかわすくちぶえ こんなにしあわせ
何だか、怪しい秘密結社の結団式みたい。ミッションは何だろうか?
それとも「振り向けば浅間も見えず、歌かなし佐久の草笛」か。
ビョーッ。
ラストナンバーは「太陽が笑ってる」。この曲は後日「のど自慢」のゲストに出演した際にも披露していた。
気のせいか、岩崎さんは歌い方を以前と少し変えて、高音部の苦しさを上手にかわす技術を身につけているようにも感じられた。プロの一線で50年近く歌い続けるための努力と工夫の一端が垣間見られた気がする。
ティアラこうとうのホール空調は暑すぎず寒すぎず、湿度もほどよく、とても快適な空間だった。往時の印象を思い起こすには最適だった。もうそろそろ、外気もこれくらいになっていてよい時分だが…。
続いて、10月11日に東京都世田谷区の昭和女子大学人見記念講堂で開催された、八神純子さんのコンサート「ヤガ祭り the 6th legends」。
八神さんが毎年10月に開く、「自分が歌いたい曲を歌いたいだけ歌う」コンサートである。全国コンサートツアーの内容をリセットする目印も兼ねているという。毎年ゲストを招いて2曲程度歌ってもらうコーナーを設けている。私は、宮崎美子さんが出演した年に一度拝見した。
この「ヤガ祭り」に岩崎さんを呼んでほしいという要望は、かなり前からそれぞれのファンの間で出されていたらしい。岩崎さんを単なるゲストで招くのではなく、自分の歌もたっぷり歌ってもらう。事実上のジョイントコンサートにする形で、ついに実現した。八神さんのソロは翌日改めて開催される。岩崎さんはこのステージに、長年コンビを組んで活動しているピアニストの国府弘子さんを連れていくと聞いて(同じくbumimas_shochanさんのブログより)、それならばぜひ聴いておきたい!と思い立ち、早速申し込んだ。
よかった。
本当にすばらしかった。
私にとっては、あの「風街レジェンド」(2015年)にも決してひけを取らない、記憶に長く残るであろうステージだった。
三軒茶屋の駅を降りて高速道路下の道を歩いていると、レストランというかバルというか、食事とお酒を出す店頭から八神さんの歌声が聞こえてきた。小さなスピーカーが軒先に取り付けられている。
「さよならの言葉」。
今日は八神さんコンサートなので、終演後一杯いかがですかという手書きの広告ボードが掲出されていた。
盛り上げたいのはよいとしても、八神さんはこの曲に苦い思い出をお持ちのようだし、私は嬉しいけれどここでわざわざかけなくても…と思いつつ、足を止めて最後まで耳を傾けた。Bluetoothの調子がよくないのか数回音が途切れてしまい、やはり怨念がこもっているのかと思いながら、再び歩きはじめた。
この曲については、以前このブログでも八神さんの名前を伏せて詳しく紹介した。これだけ動画サイトで発信する人が増えた世の中。同世代でも若手でも、誰か腕に覚えのある方が「八神さんがもう歌わないのならば、私がカバーします!」と手をあげてくれないかな…と、いつものようにつらつら思いながら、昭和女子大学に着いた。大学構内にあるホールなので、門脇には受付や守衛室があり、「おじゃまします」の雰囲気。人見記念講堂の前には、200人くらいの人が開場を待っていた。
ホールはとても清潔で、心地よい空間。お手洗いまわりのスペースも広々としていた。2階ロビーの隅にはトルストイの家の模型がショーケースに飾られている。申し込みが遅れたので2階席の隅のほうだが、このお二人ならば歌声が聴けたらそれで十分。ステージにはグランドピアノが2台置かれているが、それ以外の楽器の姿は確認できない。途中で運び込まれるのだろうか?と、このときは考えていた。
八神さんのコンサートでは、開演前のお願いご注意アナウンスも八神さんがあらかじめ録音して、開演時間が近づくとそれが流される。八神さんの声が聞こえてくると、客席から拍手が起こった。照明が落とされ、八神さんとピアニストの宮本貴奈さんが登場。宮本さんは初めて拝見する。八神さんはエメラルドグリーンのドレスをお召しで、モカブラウンのショールを合わせている。八神さんのドレスハイヒール姿は珍しい。
一度きりのスペシャルステージなので、セットリストは全て公開する。
オープニングは「ヤガ祭りのテーマ」。ヤガ祭りは常にこの曲から始める。景気づけとともに、ご本人にとっては緊張をほぐす一曲なのだろう。賢いアイデアである。私は一度聴いているので、ファンの方々が手拍子を始めると、すぐに思い出せた。
続いて宮本さんが奏ではじめたイントロは…まさに、あの曲!
「さよならの言葉」
八神さんが歌ってくださっている!生で!確かに!
ただ、ただ、感激だった。
40年以上ずっと、思い出すたびに一度は生で聴いてみたいと思い、でも無理でしょうねと思い直してまた記憶の引き出しにしまう、その繰り返しだった。今夜も全く期待していなかっただけに、まさしく夢心地だった。惜しむらくは、ここまで暑い未来になるまで引き延ばされてしまい、初めて聞いた頃に感じた温かみが遠い記憶になってしまったことだろうか。
八神さんのボーカルは音源よりもコクと深みが感じられ、小野香代子さんが亡きお母さまに捧げて作ったこの曲の真意がまっすぐに伝わってきた。
同時に、「この曲、忘れているわけじゃないのよ。まだ、他の人には渡しませんよ。」と、八神さんからツッコミを入れられたような思いもした。
この曲が聴けただけで、今日ここまでやってきた甲斐があったが、まだまだこれからである。
八神さんあいさつ。「今日はいよいよ岩崎宏美さんをお迎えするということですが、いきなり出ていただくよりも、まず私が数曲歌って場を暖めておくのが、私なりの礼儀と思いました。岩崎宏美さんの前座ということで、お聴きください。」
「New York State of Mind」「月に書いたラブレター」の2曲を披露。その後、岩崎さんと国府さん登場。八神さん曰く「一緒にやろうと決めたら、あれもこれも歌ってほしくなって、メールにたくさん書いて送ってしまいました。」対して岩崎さんは「これだけたくさん覚えなくちゃいけないのと思ったけれど、その後純子ちゃんが譜面に弱い私のために、私のパートを全部歌ったデータを送ってくれたのですよ。」と返す。
「宏美ちゃんは先輩なので、リハーサルの時も『2曲歌ったらここでMCでしょ』と教えてくれるんです。」
「年齢的には、純子ちゃんのほうが先輩のはずですよ。」
確か、1年も離れていないのでは?
八神さんが「今日、初めて岩崎宏美の歌を生で聴くという方、拍手してくださいますか?」と客席にたずねたら、結構大きく響いた。岩崎さんが自分のコンサートで「今日が初めてという方はいらっしゃいますか?」とたずねると、2割前後の人がパラパラと拍手するが、それよりも明らかに多い。
スタッフが一五一会を持ってきて、岩崎さんは楽器を抱える。
「前に野口五郎さんとジョイントコンサートで全国を回った時、『一五一会ならば弾けます』とおそるおそる言ったら、『話にならない』と言われて。でも純子ちゃんは、『何でも、宏美ちゃんの好きなようにやっていいのよ』と言ってくれて。」場内爆笑。野口五郎さんはギターマニアゆえ、相手が悪かったと思うしかない。
一五一会の弾き語りで「ぼくのベストフレンドへ」を披露。お子さんとなかなか会えなかった時期に歌っていた思い出を振り返る。最近は山田直毅さんもあまり一五一会を手にしないので、BEGIN以外にステージで使う人は本当に岩崎さんくらいになってしまったのだろうか。
続いて、国府さんがピアノを弾いているうちにできた曲に岩崎さんが詞をつけたという「大切な人」。岩崎さんも作詞の勘所をつかめるようになっていたと、しみじみ思う。「眠れぬ夜なら、朝をまちぶせしよう」というフレーズはフックが効いていて、さすがと感じた。
前半、第一部の最後は「思秋期」「夢やぶれて」。他の楽器は登場せず、2曲とも国府さんのピアノ演奏のみで歌い上げる。「思秋期」は三木たかしさんのオリジナルアレンジを尊重しつつ、秋のスタンダードナンバー風味を加えた、シンプルで贅沢な演奏だった。
客席の照明が点灯されると、八神さんのアナウンスで♪15分、15分~と歌っている。それを聞いて、私が小学生の頃のテレビで♪4時5分、4時5分~の歌で始まるワイドショー番組が放送されていたと思い出した。50年以上脳の奥底に眠っていた記憶が、不意に顔を出す。これだから、記憶って面白い。
第二部は、かつて八神さんが岩崎良美さんに書いた「Prolouge」からスタート。良美さんは、既にヤガ祭りのゲストに来たらしい。「妹は、純子ちゃんに書いてもらえたことをとても喜んでいて、今でも歌っていますよ。」
八神さんは真紅のドレス、岩崎さんは白いドレスに着替えていた。
「宏美ちゃんとのステージ、やっと実現できたと思ったら、もう第二部を残すだけ…もっと歌っていたいのに。」
第二部の曲は、ほとんどがデュエットで披露された。岩崎さんと八神さんのハーモニーは、良美さんとのコンビの時とはまた違う味わいがある。
八神さんMC「今日はやりたいこといっぱいあって、何をやろうかな?と考えて、私が宏美ちゃんの歌を歌って、宏美ちゃんが私の歌を歌うことにしました。(拍手)何を歌おうかなと思って、『万華鏡』を選びました。」
場内からどよめき。岩崎さん曰く「それは、色っぽい『万華鏡』になりますね。私は、いつも取って付けたように歌っていますから。…夜のヒットスタジオのあれ(オープニングメドレーで、次に登場する人の歌を1フレーズ歌い、その人の近況を紹介するセリフを添える)嫌だったね。」
「そうそう!カンペ見ちゃだめと言われるし。でも、今日は私が自分で選んだのだから。」
八神さんの歌う「万華鏡」は、きちんと八神さんの歌として成立している。三浦徳子さんの作詞だし、一連のヒット曲の中に紛れていても決して不思議ではない。そもそもこの曲のカバーに立候補できるプロの歌手は、多分他にいない。岩崎さんがコーラスパートを添えて、やがて対旋律を歌う構成は豪華のひと言だった。以前、良美さんが自分の歌をあまり出していなかった時期に「万華鏡」のコーラスを手伝い、岩崎さんが喉を痛めると代演も引き受けていたというお話を思い出した。
「最後のコーラスのところ、私が歌うと出てくる女性像が違ってきますね。」
「それはそうですよ。」
「私が歌う女性だと、相手はもう戻ってこないでしょう。でも宏美ちゃんが歌う女性だと、多分戻ってきますね。」
「これだけ、二人の性格が違っているから。私は、そんなこと考えて歌っていませんよ。」
岩崎さんは「出発点(スタートライン)」を披露。ピアノが国府さんから宮本さんに交替する時、二人でハイタッチ。
「新曲を歌わせてくれるなんて…ありがとうございます。」
「次は何をやろうかな…何やってほしい?」
客席からは「メドレー!」「ザ・ピーナッツ!」「聖母たちのララバイ!」という声がかかる。
「聖母たちのララバイは、それで終わってしまうから一番最後に。メドレー行きましょうか。」
「メドレーの曲を選んでいたら、宏美ちゃんのヒット曲のほうが私よりも多いと気がついて(笑)、6曲に絞りました。」
メドレーは
・思い出は美しすぎて
・ロマンス
・すみれ色の涙
・ポーラー・スター
・シンデレラ・ハネムーン
・パープルタウン
いずれの曲もピアノアレンジゆえ、原曲の印象的なイントロがない。国府さんがピアニカでイントロを吹いた「思い出は美しすぎて」以外はすぐにピンと来なかったが、お客さんの手拍子にあわせてリズムを取っているうちに、多分あれかな?と思いつき、その通りになっていく。その一瞬一瞬が愛おしかった。「すみれ色の涙」で二人が1フレーズずつ交互に歌い、サビでハーモニーを重ねる構成は巧みだった。「パープルタウン」は前方のお客さん総立ちで、拳をあげる。私も久しぶりにやったら翌日肩が筋肉痛を起こし、布団から立ち上がるにも往生した。
「もう、最後の曲になってしまいました。」
「えーっ!」
ひときわ長く声を出すお客さんがいて、八神さんが笑う。
「皆さん、もうすわっていいですよ。…前に、ふたりのビッグショーの最後で歌った、あれ歌いましょうよ。」
「Youtubeで見たら、私が一番やせていた頃で。もう、ああいうことはありません。」
本編最後の曲は「聖母たちのララバイ」。この曲も八神さんが絶妙なコーラスをつけていた。曲が終わると、国府さんと宮本さんが再びハイタッチして退場。たちまちアンコールの手拍子が鳴り響く。
「ヤガ祭りでは必ず歌わなければならない曲があるのですけれど、今日はまだ歌っていませんでした。アンコールをいただいたので、歌います。…このお話、私のファンの人はもう何度も聞いていると思うけれど、ちょっと我慢してくださいね。さっき歌った『さよならの言葉』があまり売れなくて、『もう、名古屋に帰る?』と言われたんですよ。まだデビューして5ヶ月なのに。」
「ひどい!私がそこにいたら、『そんなことありません!』と、言った人を叱りますよ。」
「これから先、どうやって音楽をやっていこうかと必死に考えて、誰かに私の曲を歌ってもらうことを思いついて。原宿の歩道橋を降りている時に、宏美ちゃんの声が浮かんできて、曲ができたのです。できたら次に、これをどうやって宏美ちゃんに歌ってもらおうかと考えて…だからこれ、もともと宏美ちゃんの声なのですよ。そのうちに、いい曲だから自分で歌っちゃえ!と思い直しました。」
「いえいえ、私には難しすぎて歌えませんって!」
改めて振り返れば「シンデレラ・ハネムーン」の次に相当する。阿久悠・筒美京平コンビ、阿久悠・三木たかしコンビ楽曲卒業以降、次の一手としては十分「あり」だったとも思うが、当時の岩崎さんスタッフは抒情歌謡路線を優先させたかったのだろう。洋楽テイストにあふれるこの曲では、イメージがガラッと変わってしまう。時期尚早だったとも思える。
ということでアンコール曲は「みずいろの雨」。岩崎さんも1コーラス、堂々とした歌声を聴かせた。
ラストでは国府さんが、ベートーベンピアノコンチェルトばりのアレンジを聴かせた。
終演後は撮影タイム。最後にプロのカメラマンが記念撮影をして、お開きとなった。
今回の公演は、ほとんどピアノのみの演奏で進行した。それでコンサートが成立してしまうのだから、お二人の底力には改めて恐れ入る。本物の”歌手”とはいかなるものか、改めて胸に刻み込まれた。
また、国府さんと宮本さんのピアノアレンジも見事だった。とりわけ八神さんのヒット曲は、大村雅朗さんが作り上げた完璧なアレンジにより喚起させられる印象とセットで記憶されている。つけいる隙の全くない大村サウンドを一旦取り払い、メロディーを裸にして、そこにピアノアレンジをつけて、大村サウンドのテイストをほのかに感じさせつつ新たな魅力を出す。それがいかに難しく、なおかつ緊張を強いられる作業であるか、おぼろげながらも想像がつく。すごいものを聞かせてもらった。
そして「若い頃からの友人を持てる人生は、それだけで幸せである」と、つくづく感じた。「ふたりのビッグショー」の頃は、お子さんもまだ幼く、二人ともいろいろ辛いことがあった時期である。それゆえにやせていたのだろう。
今思えば、ニューヨークで多忙な家庭生活を送っていた八神さんがNHK番組の出演オファーを受けた動機は「宏美ちゃんと一緒ならば」だったのではないか。苦しい時を支え合った友の存在は何物にも代えがたい。その面でも愛情あふれるステージだった。
その時間を共有できたことは、私の記憶を長く飾っていくだろう。