【お知らせ】

過去記事のひとつについて、事実誤認があったため削除しました。

また、岩崎宏美さん(カバー)「早春の港」の記事(2022年1月掲載)を改訂しました。

 

 

日本のフェリー航路では多くの会社でイメージソングを制定しています。運営会社の社歌を兼ねているケースもあります。

Webニュースサイト「乗りものニュース」の記事によれば、フェリーは他の交通機関よりも室内スペースが広いので、すみやかな下船を促すねらいもあるとか。

 

動画サイトでは全国各地の海運会社イメージソング集がアップされています。

1970年代フォークソング風が主流ですが、ムード歌謡あり、演歌あり、軍歌調あり、1980年代ニューミュージック風あり、現代のJ-POP風あり…と、実にバラエティ豊かです。今は廃止されていますが「九越フェリー」(福岡市博多港~新潟県上越市直江津港)など初めて知る航路もありました。

 

メジャーで活躍する作詞作曲家・歌手に依頼する会社もあれば、地元のシンガーソングライターを起用する会社もあります。会社の社長が作った曲もあります。メディア主導のヒットチャートには現れないジャンルです。

 

漫然と聴いていたらいきなり聞き覚えのある歌声が響きました。すぐに南沙織さんとわかります。

照国郵船(現・マリックスライン)のイメージソング「走れクィーンコーラル」。(作詞・作曲:浜口庫之助、編曲:青木望、1972年)

単独でもいくつか音源がアップされていました。

 

 

沖縄へは27年前に飛行機で一度行ったのみで、もちろん乗ったことはありません。それにもかかわらず一聴するだけで何とも言えない懐かしさに包まれてきました。

 

調べたところ、クイーンコーラル(女王の珊瑚)は1972年に建造されたフェリーで、同年7月鹿児島~奄美大島名瀬港~与論島航路に就航、12月には復帰間もない沖縄那覇港まで延長されたといいます。旅客輸送を主眼とした、かなり豪華な作りだったとか。

沖縄復帰は当時の大ニュースで、全国から注目されていました。悲惨な戦争、忍従の占領期を脱して平和な時代を迎えた象徴としてクイーンコーラルはデビューしました。日本人の南国憧憬や、ディスカバージャパンキャンペーン効果による国内旅行ブームも追い風になったでしょう。前年デビューしてアイドル歌謡のパイオニアとなった沖縄出身の南沙織さんのイメージソング起用は、まさにこの人しかいない!という人選でした。

 

作詞作曲の浜口庫之助さんは戦前からポピュラー音楽のキャリアを持ち、1950年代以降は作詞作曲家として多数のヒット曲を世に出しました。CMソングも膨大な数を手掛けています。「走れクィーンコーラル」もそのひとつで、既に大先生となっていたハマクラさんにとっては時流を意識した発注を受けて機械的に作った作品に過ぎないのでしょう。しかし実際に船内放送でかかるようになると、たくさんの乗船客の心に残る曲になりました。今でも「よい曲だった」という感想が動画に数多く寄せられています。

 

実物の船を見ていない、後追いポップスリスナーの耳でこの曲を聴くと南さんのオリジナルソング「ともだち」(作詞:有馬三恵子、作曲:筒美京平、1972年2月)を何となく想起します。

 

 

「走れクィーンコーラル」の動画には当時のシングル盤歌詞カードに掲載された譜面が紹介されています。それを参照すると変ロ長調(B♭キー)で書かれています。一方「ともだち」はCキー(ハ長調)ですが、前者をCキーに移調するとコード進行が似てこないでしょうか。私はコードに詳しくないので無知のさらけ出しかもしれませんが、

 

「ともだち」のAメロ:C→Am→C→Em

サビ:Am→Em→F→Em→Am→Em→Dm7→G7

 

で多分「走れクィーンコーラル」Cキー移調版のサビ前まで弾けるのではないでしょうか。浜口さんは広告代理店からの依頼を受けて、当時の南さんの新曲「ともだち」のイメージを思いついた節が見受けられます。

 

編曲の青木望さんは当時はしだのりひことシューベルツなどフォークソング系の楽曲を多く手掛けていました。ギター一本で成立するフォークのメロディーに金管楽器やドラムスを加えて、明るくほのぼのとしたサウンドに仕上げています。「走れクィーンコーラル」ではイントロに当時は珍しかった琉球音階をはっきりわかる形で加えて、鹿児島から沖縄へ渡ることを強調しています。「ともだち」を意識したと思しきブラスの音が続き、歌が始まる直前に金管楽器を低く響かせて船の汽笛をイメージさせています。AメロからBメロに移る箇所でもやや琉球的な進行のサックス演奏が聞き取れます。

 

南さんの歌は「風かおる」が「かじかおる」のように聞こえます。後年登場した夏川りみさんなども「風」を「かじ」と発音することがありますし、沖縄の人のなまりなのでしょうか。オリジナルソングでは標準語(当時の南さんにとっては英語よりも難しかったかも?)で歌うように指導されていても、この曲は故郷のCMソングなので多少粗削りでも素朴な風合いのほうがよいという判断だったと考えられます。

 

クイーンコーラルは1970年代沖縄観光ブームの頃には活躍しましたが、その後は貨物輸送に対応していない作りが裏目に出て、就航5年で改造されたそうです。また、照国郵船倒産の一因となったとも指摘されています。それをふまえて曲を聴くと、日本に最も夢があった時代を象徴しているかのように思えます。これほど平和で穏やかな時代は、今後数百年はやって来ないかもしれません。

 

現在マリックスラインではクイーンコーラルの後継船が就航していますが、もう放送でこの歌を使っていないみたいです。何だか淋しくなってきます。(船内売店では現在でもCDを販売しているようです。)今なおオンライン予約システムを取り入れず電話予約のみみたいですし、多分私には縁なく終わるでしょう。沖縄観光自体、21世紀に入ると戦争の悲惨さと平和について考えるコンセプトが主流になりました。琉球音階歌謡は2000年前後ブームになりましたが、もうフェリーでアメリカンポップス系の明るい曲を流せる時代ではなくなったのでしょう。

 

この詞に出てくる「南の島」「走れ」「コーラル」(珊瑚)などの言葉で、何か思い出しませんか。

そう、「青い珊瑚礁」(作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、1980年)です。

三浦さんがこの航路を知っていたとも思えませんが、「青い珊瑚礁」は大村雅朗さんのアレンジまで含めて、初期シンシア・ポップスをあか抜けさせた作品という見方も成り立ちそうです。