耳だけ芳一✩︎⡱お話 | ✧︎*。いよいよ快い佳い✧︎*。

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主人公から見ても、悪人から見ても、脇役から見ても全方位よい回文世界を目指すお話


こちらは、先日ブログに書きました
耳なし芳一のお話から
次々と浮かんできたものを繋げて
出来上がったお話です。




 夜な夜な訪ねてくる怨霊に取り憑かれ、平家一門の墓で琵琶を奏でていた盲目の芳一の身体に、私は般若心経の写経を施した。どうしても抜けられない法事のため、彼の側を離れなくてはならないからだった。小僧たちでは太刀打ち出来ない相手。どうにかして芳一の命を守らなくてはならないと考えた苦肉の策だった。

 写経された芳一の姿は怨霊には見えないから、決して声を上げず身動きを取ってはならないと言い置いて、後ろ髪ひかれる思いで寺を後にしたのだ。

 
「和尚さま! 大変でございます、芳一さんが……!」


 早朝帰路につき山門をくぐり抜けると、真っ青な顔で駆け寄って来た小僧たちに、私はこの策が成功しなかったと知った。


「ああ、書き損じがあったとは……すまぬ、芳一。本当にすまぬ……」


 いつもは足音を消して歩く廊下を走り抜け、御仏様がおられる本堂に入ると、芳一は両耳がちぎれ、血だらけの状態で気絶していた。
 出血は止まっているが、これは人の仕業ではない。
 倒れた芳一のすぐ横には、弦の切れた琵琶が真っ二つに折られていて、私は底冷えするような彼らの怒りを見た気がした。
 薬師を呼び手当てをしてもらったが、あまりの痛みからか芳一は丸二日、目を覚さなかった。


「もし。どなたかおられませぬか」


 高熱を出す芳一の看病を自ら買って出て、なんとか白湯で薬を飲ませて厨に向かう途中、玄関から女性の声がした。
 

「はい。どちらさまでしょう」


 汗を拭った桶を抱えて向かうと、尼の姿をした見知らぬ女性が立っていた。


「こちらにおられる琵琶師さまが、たいそう美しい音色で唄われるとの評判を伺いました。宜しければこの、家宝の琵琶を贈らせていただきたいと思い、参じたのでございます」
「ああ……そうでしたか。申し訳ないのですが、今芳一は床に臥せっておりまして、琵琶を奏でることが難しいのです。それに、家宝であるなど、そのような価値あるものを安易に譲ってしまっては……」


 差し出された藍色の風呂敷に包まれたそれを見て、私は女性に謝った。
 一瞬、件の怨霊のように高貴な者を装っているのかと思ってしまったことに対しても。
 そのような方ではない、とすぐに感じられたからだ。


「構いませぬ。わたくしはもう弾けませぬ故、それではこの琵琶も気の毒です。どうか折を見て和尚さまからお渡しいただけませぬか。一日も早くご快復なされますよう、祈っております」
「そうですか。では、お礼のために差し支えがなければお名前は……」

 
 何故か中身を出さないまま風呂敷ごと受け取り訊ねると、女性は眦を下げて柔らかく微笑み、会釈をして去って行った。
 何か事情があるのだろう。深追いはすまいと思う。出家して尼になる女性には、複雑な背景や過去を持つ者もいる。
 手拭いを洗い、桶に新鮮な水を汲んで入れて芳一の元へ戻ると、芳一が目を覚まして起き上がっていた。


「芳一! よかった……! 気がついたか。すまなかったのう、本当にすまなかった」


 芳一に語りかけるが、耳を失っているため反応がない。首を動かし、手を宙に彷徨わせているのは、周りの状況を確かめようと、自分がどこにいるのか不安に思っているからだろう。
 驚かせないよう、そっと肩に手を置く。


「そこにおられるのは和尚さま……でいらっしゃいますか」
「ああ。そうだ、芳一。痛みはないか? 苦しくないか?」


 聞こえていないとわかっていながら矢継ぎ早に問い、額に手を当てる。
 あれほど高かった熱が引いていて、安堵からこちらの緊張が緩んだ。


「和尚さま。頼みがございます。私を、あの場所へ連れて行ってくださいませんか」
「どこへ行こうと言うのだ。お前は先ほどまで生きるか死ぬかと言うようなほど魘されていたのだぞ」
「和尚さま、お願いです。私を、私と琵琶をあの場所へ、私を呼んだ場所へ……」
「あの場所? お前、次は命を奪われるかも知れぬのだぞ! それに」


 お前の琵琶はめちゃくちゃになって弾ける状態ではない、と言いかけて、先ほど受け取った風呂敷き包みを思い出す。
 薬師を呼ばねばと思うのに、手を合掌させて頭を下げる芳一に、私は否と叱ることが出来なかった。
 

「着いたぞ……」


 到着の合図のするために背中をぽんと叩くと、私に礼を言い芳一はその場に座り込んだ。
 平家一門の墓に囲まれた、安徳天皇の墓前に向き合うような形であった。
 

「芳一、身体に障るから、無理をするでないよ。気が済んだら帰ろう……」


 冬の風はただでさえ冷たいから、と促そうとする私を遮るように、芳一は言った。



「私は今、音がわかりません。それゆえ少し調子外れとなりましても、堪忍して見逃してください」


 いくらでもお気の済むまで唄いましょう、と芳一はにこやかに笑って、琵琶の弦を弾いた。そして唄い出したのは、『壇ノ浦の戦い』。怨霊たちが何度もせがんで唄わせた、源氏と平氏の合戦のくだりだった。

 芳一は、喉を震わせ、腹の底から声を出している。弦を弾く撥も強い。それはまるで、深い魂からの訴えのようだった。


「和尚さま、私は……私は自分で、耳の経を消しました。私の身を案じてくださった和尚さまに何と詫びたら良いか言葉が見つかりません。ですが、私の頼りは耳だけ。彼らが何故私に所望したのかを知らねばと思うたのです」


 間奏のところで語られた出来事に、私は言葉を失った。


「なんと……! お前、そんなことをしたら」
「経を書いたままでも声は聞こえました。聞こえたのは、彼らのすすり泣く声であったのです。どうして居らぬ、なぜ消えた、あともう少しであったのにと。私は堪らず、耳を擦りました」


 芳一の懺悔に、静かな怒りが湧いた。
 私が耳に経を施さなかったからこのような目に遭ったのだと悔やんでいたからではない。

 自分の間違いに気づかされたからだ。



「芳一……私は和尚でありながら、方法を誤ったのだな。お前を守る前に、私はこうすべきだったのだ」


 両手を合わせ、私は唱える。
 観音経を……冥福を祈り、供養のため一心に。
 あの世に行けず彷徨い、無念や恨みで苦しんでいる霊たちにしてやれることがあったのだ。

 安徳天皇は、平清盛様の御孫様にあたる。源氏と平氏の熾烈を極めた最期の戦いで平氏が破れ、もはやここまでと尼である祖母の腕に抱かれて壇ノ浦の急流に身を沈めた。
 まだ齢八歳であったというのに。

 家来の者たちの想いは如何ばかりであっただろう。

 芳一はまた唄い続けた。
 私の経と芳一の琵琶の音色が、響く。
 芳一の唄に、涙が溢れ出て止まらなかった。


『……大変申し訳ないことをいたしました。激情に任せて傷つけたとあっては、怨霊と言われても仕方のないことです。ただ、この者らは私を想いこのような愚かなことをしてしまったのです。どうかお赦しくだされ』


 目の前の墓から、童が歩み寄ってくる。白くて淡い光がぼんやりと身体を覆っていた。
 白い着物を纏った男児は、芳一の前まで来ると、両耳の位置に手をかざす。
   目を逸らすことが出来ない。


『母上の琵琶……大好きでした。最期にこの琵琶の音を聴くことが出来て嬉しかった。感謝いたします』
 

 およそ子どもらしくない物言い。達観した表情の子の顔だった。はらはらと頬を伝う涙と笑顔に、心の臓を直接触られたような心地がする。


『さあ、行きまするぞ。共に』


 そして手を離すと、芳一のもがれたはずの両耳が戻っていた。
 辺りから、嗚咽を噛み殺すような声と、慟哭のような複数の泣き声が木霊するように響いた。


『誇りを失ってはならぬ。名誉はここにある。あなた方こそが、私の宝』


 より一層強く泣き声がし、墓の全体から空に向かって大小様々な光が昇り始める。
 私は合掌して経を唱え、芳一もまた、涙しながら唄い続けた。


「ありがとうございます……」


 女性の声がして振り返ると、そこには誰も居なかった。
 雲ひとつない快晴の空から、さあああと細かな軽い雨が降って来る。光の粒がきらめくような、幻のように美しい光景だ。



「和尚さま……耳が、聞こえます」

 
 芳一が小さく言い、最後の弦を弾いた。
 見えないはずの目線を空に向けた芳一はとても晴れやかな顔をしていて、私の胸の重みも消えていくようだった。

 落ち着いて見ればわかる、丁寧な手入れをされた琵琶は、とても平民がお目にかかれるものではない。
 あの女性はおそらく……先ほどのお子、安徳天皇様の……


 芳一が、今度は静かに琵琶を奏でる。
 どこか胸をすくような音に乗せて、いついつまでも冥福を祈ろうと誓った。
 彼らはほんの少しでも慰められただろうか。


「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」


 あの御方と共に、極楽浄土で安らかであるようにと。
 

【耳だけ芳一】


小泉八雲作『耳なし芳一』より
引用させていただきました。


最後までお読みくださり、本当にありがとうございましたクローバー

あのブログの記事から意識が繋がったのか
見えたものについて調べてみると、
だからなのかと思う史実ばかりで

安徳天皇は、平清盛の娘さんのお子さまで
源平の戦いの最後、
逃げられないと悟ったおばあさまに抱かれて
入水されたと知りました。

また、泣きながら書いてしまった…

赤間神宮に、芳一堂と平家一門のお墓があるそうです。

お話を書いたのはもう完全に自己満足ですが
もしも何か…感じていただくことがあれば
本当に感謝いたします。