天国のような地獄で | ✧︎*。いよいよ快い佳い✧︎*。

✧︎*。いよいよ快い佳い✧︎*。

主人公から見ても、悪人から見ても、脇役から見ても全方位よい回文世界を目指すお話


あけましておめでとうございますおねがい
こんなにおめでたい時期にあげる内容ではない、

今回書いた話は、
明るく楽しいものではありません。
でも、私ですから必ずめでたしめでたしです。

読みたくない方もいらっしゃるかもしれないので、ワンクッション挟みました。
でも、出来るだけたくさんの方に
お読みいただきたい…それが本音です。

いいねもコメントもいただけないし
なんなら読者さんは離れていくかも、と
一瞬躊躇しました。

でも、ヒノカグツチや神様の幸せを、と
意図して見えた世界を
書かないことはできませんでした。

全ての方が幸せな一年を過ごしてくださるよう
心から願って……




 白亜の壁が、明るい日差しに眩しい。豪華絢爛だと称しても遜色ないような美しい宮殿に、男はいた。
 南国にいるかのような暖かい風が吹き、小鳥のさえずりまで聴こえて来て、甘いフルーツがたわわに実り、美味い酒にもありつける。
 夜がないため時間の感覚はないが、自堕落ここに極まれり、と怠惰に過ごしても咎められない。

 天国か? と言いたくなる場所だがーー


 ここは、地獄だ。




『あなたは生前、窃盗、傷害、並びに家族への暴力を続け、火事により亡くなりました。よって、地獄に堕ちて罪を償っていただきます』


 目を開けると一人、灰色一色の場所にいた。ぼんやりとしている意識を置いてきぼりにして、仮面をつけマントを着た誰かに、いわゆる裁きを下された。
 ああ、死んだのか。何の感慨も湧かず、無気力にそれだけを思い、日頃の所業を思い返せば当然かと妙に納得していた。 
 血気盛んな若い時であれば拳のひとつも見舞ってやっただろうが、そんな衝動も不思議と起きなかった。


『ああ、わかったよ。どうにでもしてくれ』


 血の池地獄か針地獄か……昔どこかで聞かされたような風景が実際にあるのかはわからないが、まあ、地獄が本当に存在するのならば、痛くて苦しいのだろうな、と、鼻で笑ってしまった。


『閻魔さまに舌でも抜かれるか?』
『いいえ。そのようなことはございませんよ。では、いってらっしゃい』


 そうして送り出されたところが、ここだ。痛くて苦しい血の池も針山もなければ、楽園そのもの。
 来たばかりの時に、一つだけ条件があると説明を受けた。


『ここにある物は好きにして構いません。食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲み、欲しいものは我慢をする必要もありません。嘘をつこうと暴力を振るおうと罪には問われませんが、あなたには制限が一つ設けられています。それは……』



 〝真実を話せない〟


 ……と。
 そんなことは全く苦にならないし、むしろどこまでもこちら側に有利で驚いた。
 罪を償えというからどれほどのことを強いられるのかと思っていたが、快適すぎて笑いが止まらないくらいだ。
 最初は、何か裏があるのかと疑ったが、もうそれならそれで良いかと思う。

 うららかな陽気の下、ゲームや博打などの娯楽を楽しむ場所もあれば、眺望の良い温泉まであり、至れり尽くせり。あまりに地獄が地獄とは思えない、字面との剥離が凄まじいので、天国はどんなところなんだと訊いてみた。
 地獄でこれなのだから、天国はそれはもう想像もつかないほどなのだろうと。

 すると、では観てみますか? と、仮面をつけた誰かが、近くにあった池に転写させた。ちなみに地獄の住人は大勢いるが、職員というのか現場人はみんな仮面をつけている。

「なんだ、これ」
「天国ですよ」

 覗き見た天国は、生前の暮らしと変わらないような世界だった。豪華な建物や調度品もなく、ごちそうではなくごくありふれた、いっそ質素なものばかりだった。

「こんなのが天国なのか?」
「ええ。今日と同じ明日が来て、明日と同じ明後日が来る、その繰り返しです」
「それなら、地獄に堕ちたほうが幸せじゃないか! 馬鹿らしい」

 良い行いをしろ、人には親切にしろ、命を大切にしろ、嘘をつくな……疎ましい押し売りの羅列を思い起こしてウンザリしてくる。
 これを馬鹿正直に守ったところで、人生何も得なんかありゃしない。むしろ、その人の良さにつけ込まれ、利用され、カーストの最下層は踏みつけられてポイだ。
 まあ、あれだ。働きアリはいくらでも替えがきくから、利用するに値しなければ捨ててしまえばいい、クズだとみなされている。
 それでも律儀に生きたところであんな天国しか待っていないんじゃ、本当に報われない。
 まあ、自分は好き勝手に生きて地獄にいるのだから、知ったことじゃないが。


「ムシャクシャする……」


 天国の実態を知り、無性に腹が立った。こんな時はあそこに行くに限る。

 〝憂さ晴らしの村〟だ。

 男が暮らす美しい町と違い、まるで長屋を再現したようなボロ屋が建ち並ぶ。陽も当たらず、冷たくて寒い場所だ。
 初めてここに来た時には驚いたものだ。
 何故なら、この村に住む人々は皆、生前、男が恨み辛みを抱いた、因縁のある人間ばかりだったからだ。


 押し入れに押し込んで、風呂にも入れず食べ物すら与えなかった親戚。
 求める助けを見て見ぬふりをした学校の先生。
 汚い自分を嘲笑い、いじめ抜いた同級生。
 懸命に稼いだ金をピンハネしたアルバイト先の店長。
 裏切って警察に捕まる原因となった仲間。
 

 まだまだいた。
 彼らは皆、穴だらけの汚い着物を着て、満足に食事も出来ず、薄い布団に包まって震え、泣いていた。
 まるで、幼い頃の自分のように。


「お前らみんな、俺をこんな目に遭わせるからだ。ざまあみろ!!」


 開口一番、男は叫んでやった。
 これぞ地獄だよ、そうでなきゃおかしい、そう腹の底で思いながら高笑いをして、彼らの家を更に壊し、嬲った。
 毎日毎日、気の済むまで。まさしく憂さ晴らしだった。

 それでも、男は誰にも咎められることはない。


 憂さ晴らしの村の奥に、ひときわ暗く、お化け屋敷を思い起こさせるような一画がある。
 そこにだけは近づいてはいけない、と言われていた。だが男は興味も持たなかった。この、大嫌いな奴らの惨めな姿を見ているだけで十分だったからだ。

 ところが、今は違う。
 腹の底から、鉛のように重たくて鬱屈とした何かが押し寄せてくる。
 行っては行けない、という場所に足を進めていた。

 ひび割れたガラス戸をカラカラと引くと、まるで中は冷凍庫にいるような冷気が漂っている。
 思わず身体を手で包み、そっと中に入った。藻やカビがはりついた壁、生ゴミのような臭い。

 そのなかに、二つの影があった。
 目に光はなく、痩せこけ、幽霊のような姿になったーー


「………っ」


 数十年前に生き別れた、傍若無人を絵に描いたような呑んだくれの父と、自分を置いて捨てて行った母。
 よほど、あの時代は地獄以上に地獄だった。
 暴言と暴力を浴び続けて身体中はアザだらけになり、学校に行くこともままならなかった。
 
 母が自分を捨てたことは、恨まなかった。あのままあそこにいたら死んでいただろう。自らの幸せを求めたことを責められなかった。だが、もうバラバラに引き裂かれた自分という存在の価値は、あれ以降戻ることはなく、ようやく手にした新しい家族を愛することも出来なかった。
 虐待や不幸の連鎖だとわかったように言われたくなかったし、かわいそうなどと憐憫されることだけは一番我慢ならなかったはずなのに。


「あん、た……あんたは……」


 虚だった瞳がこちらを写すと、二人は弱弱と立ち上がり何かを言おうとしたが、咄嗟に家を飛び出した。
 悔しさも、怒りも、ぶつけることさえ出来ずに。


 帰り道を意識せずにガムシャラに走る。どこまで来たのか、立ち止まったときには、見知らぬ河原に辿り着いていた。


「ここは……どこだ?」


 大小様々な石が積み重ねてある、異様な光景だった。よく見ると、小さな子どもたちがこの石を積んでいる。居るのは子どもばかりで、大人は一人として見当たらない。


「賽の河原です。あそこに居る子どもたちは、様々な事情があって親より先に亡くなった子。徳が足りないゆえに犯した親不孝というその罪を悔いて、ああして父母を想い石を積み上げて徳積みをしようとしているのです」
「罪……? 親不孝?」


 音もなく近づいてきた、ふっくらとした柔和な顔立ちをした誰かに、思わず舌打ちをした。
 子どもにあんな酷い真似をさせるのか、と。


「おや。あなたは誰がどうなろうと構わないのではありませんか」
「ああ、構わない。だが、こんな胸糞悪い場所、あんたらは良しとしているっていうのか」


 足元に転がっていた石を、子どもたちの方角に向かって投げつける。が、バリアのようなものが張られているのか、石が跳ね返って来た。


「あそこに入ることが出来るのは、子どもたちか、私か、管理者の鬼だけです」
「鬼?」
「ええ。ここの管轄は鬼です。私も、良しとは思っていませんよ。幾度も天に昇るよう説得をしました。でも、子どもたちが納得しなければ意味がないのです」


 そうして、ほら、と指をさす先を見ると、大人も泣いて逃げ出したくなるような形相の鬼がやって来て、子どもが積み上げた石を崩し始めた。子どもたちは怯え、泣いている。
 鬼が去るとまた、石を積み出した。
 手足を血だらけにして、必死で。
 しばらく眺めていると、そればかりを繰り返していた。


「鬼になる方法があるのか? 鬼になれたら、あそこに入れるんだな」
「方法はありますよ。でも、鬼になれば物を申すことは出来なくなります。表情も変えられません。それでも良いのですか?」
「いい。だから、鬼にしてくれ」


 どうしてこんな気持ちになるのかわからなかったが、男は躊躇わなかった。
 そして、口をきけない恐ろしい姿に変わった。黒い身体の鬼に。


「一つ積んでは父のため……二つ積んでは母のため……ヒイッ」


 歌いながら石を重ねていく子どもたちのなかに近づいていくと、子どもたちの顔が恐怖に歪んだ。頭を抱えて見ようとしない子ども、逃げる子ども、それでも石を積もうとしている子ども。

 肩に触れようとすると叫ばれる。
 声をかけようとして思い出す。

 話せないこと、今の自分は恐ろしい鬼の顔をしていることを。


「ひ、ひとつ、積んでは父の、ため……」


 止められる術がなく、それでも繰り返そうとする子どもに、苛立ちが頂点に達した。

 
「やめて、やめてよう! やだああ」


 気づくと、鬼になった男は石を蹴り上げていた。腕で倒し、石を川に投げて、めちゃくちゃにしていた。
 子どもたちが泣く。やめてくれと懇願する。
 それでも男は、止められなかった。




 

「鬼たちは……子どもをいじめようとしているわけじゃありません。あなたもそうだったでしょう」

 結局、ただ子どもを脅かすことしか出来ずに引き返すと、地蔵菩薩だと名乗った存在は言った。
 石を崩す以外方法がないのだと、あそこに入ってみて身を以てわかった。
 それでも、子どもはまた挫けずに石を積み、手足が切れてもやり続ける。


「けれど、それじゃ想いは伝わらない。本当にそれしかないのでしょうか。石を崩して、あの子たちの心を傷つけるしか、やり方はないのでしょうか」


 男は鬼の姿のまま、賽の河原を眺める。
 川の水面に映る自分の顔は、変わり果てたようで、元からこんな顔だったのではないだろうかと、ぼんやりと思う。

 苦しみを誰かのせいにして、世を儚んで、結局弱者を踏みつけた。
 感謝や愛なんて捨てて、腹立ち紛れのまま街ゆく人を巻き添えにしてしまおうか、と思ったことは何度だってある。

 自分は、天国よりも天国のような地獄にいて、あの、罪もない子どもたちはあそこで、詫び続けるのだ。


 これだから、神なんていない。
 いたらこんな惨たらしい真似がまかり通るわけがない。
 
 男は、拳に力をこめて再度河原に入る。
 子どもたちは今、地蔵菩薩がまとめて河原のほとりに連れて行った。
 わずかな時間だけは、地蔵菩薩が彼らの手足の傷を治せるのだと言う。

 男は他の鬼たちを集め、河原にある石を手にした。





「みんな……見てごらんなさい」


 地蔵菩薩は、子どもたちを率いて、河原を見下ろせる丘に登った。
 広い河原にあったはずの石は、一つ残らず無くなっている。
 そして、見つけた。


「あなたたちは何も悪くない。ここでこうしていることを望んでいないと、鬼さんが教えてくれましたよ」


 たくさんの石で描かれた、子どもの顔。父の顔。母の顔。三つの笑顔……


「私と一緒にいきましょう? 大丈夫。あなたたちが上がることは、大切な人を救うことになるから。暖かい場所で守られていると知れば、安心する家族がたくさんいるのですよ」


 うわああ、と、あちこちから上がる泣き声を聴いて、地蔵菩薩は子どもたちを抱きしめた。
 よく頑張りました、よく耐えました、と言って。

 そうして、みんなで手を繋ぎ、賽の河原に架かった光の橋を渡って行く。


「鬼さんも、一緒に行こ」


 そっと手を取られたが、男はふるふると頭を振り、静かに手を離して背中を押した。
 男以外の鬼は、橋を渡っている。
 その顔は、鬼には見えなかった。
 石で作った微笑みによく似て………






「……戻って来てくれたの……」


 憂さ晴らしの村の奥にある、あの冷たい家に入ると、老婆に成り果てた母が力なく笑った。
 歯もない父がこちらに向かって、骨と皮だけの腕を伸ばしてくる。
 賽の河原から出ると、鬼から元の姿に戻っていた。
 男は、両親と対峙している。



「何か……俺に言うことはないのか。謝ろうと思わないのか!!」


 全力で怒鳴る。目の裏が真っ赤に染まったようだった。


「どう償っても取り返しはつかないだろう。お前に、自分が何をしたか、覚えている」
「……謝れ、ないの。私たちの地獄での掟で、謝罪の言葉を奪われてしまって」


 謝りたい、謝りたいのに、言えない、と母が泣いた。
 謝れないことで罪を知れと言うのだろう、と、父も静かに涙をこぼした。


「ふざけるなよ……謝れないってなんだよ……俺は、俺は! ずっとあんたらのことを引きずったまま、このままいろっていうのか!!」


 地獄ですから、と、冷めたトーンの声がどこからか木霊した。
 


「ふざけるな! ふざけるな!! ふざけるなあああっ!! 許さないからな、許さない! お前らみたいな親のせいで、俺は!」


 物を飛ばして壁やドアを壊す。こんなことがあって良いのか。

 誰をどんなに殴っても、憂さなんて晴れなかった。
 満たされなかった。

 美味い飯や酒を口にしようが、味わったことがないフカフカのベッドで眠ろうが、ちっとも幸せじゃなかった。



 ーー天国は、今日と同じ明日が来て、明日と同じ明後日が来る、その繰り返し。
 豪華でもなんでもない場所で、ケンカをしながら、行き違いがありながら、それでも笑い合って、互いを認め合って暮らす。

 羨ましいに決まっているじゃないか。
 それが欲しいよ。
 そこに行きたいよ。

 何がいけなかった。
 何が足りなかった。
 努力? 運? 

 どうすれば愛してもらえたんだろう。
 どうしたら信じられたんだろう。
 
 熱くて寒くて、優しくて厳しくて、ままならなくて、それでも幸せな世界に生きたかったよ。



「俺は……何のために……生まれて来なければよかったんだ。どうして産んだりしたんだよ。どうして産んだのに捨てたんだよ……」


 地獄だ。
 ここは、紛れもなく地獄だ。
 痛い目にも遭わなければ舌も引っこ抜かれていないが、痛くて苦しくて、肝心な言葉ひとつ止められる。


「……ありがとう」


 温度の感じられない手が、頭に触れた。


「ありがとう……そう思った、これは嘘じゃない。信じてもらえないかもしれないが、本当だよ……」
「ええ、ええ。ありがとう……お腹に向かって何度も言ったわ」


 謝れないから、謝ることが許されないならば、自分達が伝えたいことはもうこれしかない、と、両親は言った。


「ばかじゃないのか……全部台無しになって、もう、取り返しがつかないのに……」


 罵詈雑言の限りを吐き尽くした。
 

『あなたには制限が一つ設けられています。それは、真実を話せないことです』

 
 許してやるものか、と。
 お前らのせいだ、と。



『もしも、この掟を破られた場合は、消滅します。良いですね』


 消滅する、何がだろう。記憶か。可能性か。それとも魂みたいなものか。
 口にしてきた言葉は、本心だったはずだ。
 消えなかったのはどうしてだろう。




「父さん、母さん。ごめんな」


 
 賽の河原の子どものように、自分もずっと思っていたのだ。
 親不孝をしてごめんなさい、と。



「掟を破られましたので、あなたには消滅していただきます」


 無機質な仮面をした管理者に、言い渡された。
 構わない。
 悔いは無い。


 ありがとう、と言ってもらえたから。
 ごめん、と伝えられたから。


 賽の河原の子どもたちが、天国で幸せになれているといいなぁ……
 次に生まれ変わるならば、愛情の溢れる家族に大切に育てられて欲しい。


 薄れていく意識で、柄にもなく、まるで善人のようなことを願ってしまった。
 



❇︎





「パパ! パパ……!」


 全身を襲う激痛と、揺さぶられる感触に目を開ける。白い天井と、ぼやけた顔が見える。


「あなた、あなた!」
「パパ、生きてるよ、ママ……!」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が二つ。愛想をつかしていなくなったはずの妻と、六歳になる息子だった。 


「荷物を取りに行ったら、隣の部屋の火事に巻き込まれて……あなたが、私たちを助けようとして…!」

 しがみつくように泣きじゃくる妻の説明に、何となく思い出した。
 タバコを買いに出て戻ったら、ゴウゴウと火がアパートから上がっていて。部屋に妻と息子が帰っているようだと下の階の人間に教えられ、制止を振り払い、飛び込んだ。
 息子を抱えて意識を失いかけている妻を必死で外に出し、数少ないアルバムと、渡せるかどうかわからないランドセルを手にしたところで昏倒したのだ。

 
「どうして? あなたは、私たちが邪魔だったんでしょう? いらなかったんでしょう…?」

 
 地獄で見た両親に突きつけた質問が返って来た。そんなことあるわけがない、と言いたいのに出てこない。
 戒めがまだ続いているのか。



「ありが、と、あ、ありがとう。ありがとう……」


 両親が繰り返した言葉を、ただそれだけを、何度も何度も絞り出す。
 焼けた喉の痛みで上手く形にならないが、口にかけられた酸素マスクを外し、ただ言い続けた。






「赦さないことより、赦されない方がきついんだな……」


 退院してまず探し出した墓は、雑草が生え放題でそれは酷い状態だった。苔が生え、墓石は欠け、戒名もわからないほど……あの村で見た家のように。
 それはそうだろう。もう何十年と誰も墓参りなんてしていないのだから。
 リハビリでようやく歩けるようになった足を動かして、ゆっくりと掃除をした。
 手拭いを水に浸して、そっと墓石を磨き、線香に火をつけた。


「おじいちゃんとおばあちゃんがいるのよ」
「そっか……じいじ、ばあば、これどうぞ」


 遠い記憶の彼方で、二人が好きだったショートケーキが入った箱の蓋を開けて供える。
 幻想かもしれないが、誕生日を祝った三角の小さなショートケーキ。
 苺を食べさせてくれた想い出を、今も覚えている。


「赦すよ、父さん、母さん。俺は、俺も赦されたい。だから……」



 ありがとう、小さく口にして手を合わせた。


 どうか、あの寒くて冷たい地獄になどいませんように。
 次にあの世で会える日が来るならば、あの、何でもないありふれた景色の天国で会えますように……

 
 
 【天国のような地獄で】





最後までお読みくださり
本当に本当にありがとうございました!