ayumi hamasaki MUSIC for LIFE ~return~
2021年6月27日(日)昼公演 舞浜アンフィシアター
浜崎あゆみのライブに行ってきました。
あゆが有観客ライブをするのは 491日ぶりだという。二日間で 3公演。運良く二日目の昼公演のチケットをとることができたので行ってきました。
コロナ禍の中、最初にライブに行くのは誰になるだろうと思っていたけれど、それがまさかの AJICO になって、その二週間後のあゆでした。
「あゆに会える」それだけで嬉しくて、あゆは今どんな髪型をしているんだろうとか、そんなことを思っていました。
20年ぶりの復活、その間個々の活動もまったくと言っていいほど追ってなかった AJICO とあゆを比べるのも無理があるけど、AJICO とあゆでぜんぜん違うと思った。
それは「コロナ禍において」なのだろうか。
最初に観たこともあるかも知れないが、AJICO のライブは、嬉しくて楽しくて、まるでコロナなどないかのようだった。
ライブが出来ない状況が続いて、やっとライブが出来る。みんなの前で歌える。目の前で聴ける。嬉しい! そういう喜びに満ちたライブになると私は思っていただろうか。そんなライブが観たいと思っていただろうか。もちろん思っていたに違いない。しかし、なぜだか開演前に「暗い曲が聴きたいなぁ」とそっと独り言のように友達につぶやいていたことを思い出す。
あゆはちゃんと傷ついていたし、弱っているような気さえした。まるでコロナなどないかのような AJICO に対して、コロナの壁、マスクの壁を感じたのはあゆの方だった。でも、それがリアルだなぁと思った。
そりゃ私だって、喜びに満ちたあゆが見たい。笑顔が見たい。でも、コロナはあるし、マスクはあるんだもの。それをなかったことには出来ない。ダメージを受けたよね、あゆも私も。そうだ、ここからはじめよう。
このライブは TA限定、つまりファンクラブ限定で行われた。もしかしたら、ここだけに見せてくれた表情や姿もあったのかも知れない。
それにしてもシリアス。ここまでシリアスじゃなくてもいいじゃんよってくらいシリアス。選曲が。
夏も近いってのに、いわゆる夏曲と言われてるような曲、一曲もやらなかった。夏に夏曲をやるのが大好きなあのあゆがだよ? 開演前にずっとあゆの夏曲がかかってたんだけど、ぜんぜん違うじゃないか!
でも、そうか、「MUSIC for LIFE」か。
夏に夏曲をやるという大好きなことを差し置いてでも、伝えなければいけない、伝えたいことがあったんだ。
そして、コロナのことは抜きにして、あゆの新しいスタイル。
それは、ストリングス、ホーン、クワイアと歌うスタイルだ。私はもともとロックバンドが好きだし、ギター、ベース、ドラムで歌うあゆが大好きだけど、今あゆが追求したいスタイルはこれなんだと受け止めることができた。
2018年の大晦日以降、ギターの野村義男をはじめとしたバンドとはライブしていないと思うけど(昨年の FNS歌謡祭でひさびさにバンドと歌った!「オヒアの木」を!)、長年、ギター、ベース、ドラムで歌うあゆに親しんできたから、当然最初はさみしさや戸惑い、残念な気持ちがなかったといったら嘘になる。しかし、この日はそれを受け止めることができた。
で、この新しいスタイルでさっそく「課題」を感じた。例えば、あれだけのコーラスと歌うのだから、当然ボーカルにもパワーが求められる。そして、そういった課題をあゆがひしひしと感じているのが伝わってきた。(もしかしたら、だから私は受け止めることができたのだろうか)
序盤の怒濤のロックナンバー、確かに攻めてるなと思った。あゆの気合いも気迫も感じた。しかし、その攻めや気迫にあゆが追いついていたかと聞かれれば、そうは言えないとも思った。セットリストを見て攻めてる!って思う人もいるかも知れないけど、ライブはセットリストだけで決まるものではない。どう歌うかだ。そんな大事なことも思い出させてくれた。
けれど、そんなことを言いながらも、私はあゆのパワーに圧倒されていたのではないか? なぜならずっとあれから、強い余韻が残っている。
課題は感じた。でも、それを感じることができたこと。あゆがそれを感じているのを感じられたこと。
しかし、こんなことをいちいち考えて、私はどうして浜崎あゆみのライブに来てるのだろう。
それは、、、
「あゆの歌が聴きたいからだ!」
そんな自分の思いを強く感じた。
コロナがどうとか今の世の中がどうとか、やっと開催できたライブであるとか、いろいろあるけれど、そういうことばかりじゃなく、あゆはちゃんと「個人的」なことも歌っていた。私にはそれが嬉しかった。といっても、何が個人的で何が社会的なのかなんてわからず、どれも個人的であり社会的でもあると思うのだけれど…。
思えば、最近私はあゆに「本音を聴かせてくれよ」と思っていたかも知れない。そんなもどかしさを浜崎あゆみに感じていたかも知れないと気づいたのだ。
「浜崎あゆみ」であろうとしなくてもいいから、もっと本音を聴かせてくれ。それがどんなものでもいいから。ごめん、私も「浜崎あゆみ」言い過ぎたよ、みたいな。
例えば、新曲「23rd Monster」にしたって、曲もかっこいいし、新しさも感じたけど(私はヒップホップを感じました)、あゆが浜崎あゆみのコピーをしなくてもいい、みたいな。
(でもこれは宮本浩次もぶち当たる壁というか、最近の歌詞は似たり寄ったりというファンの声もあるんですよ。まぁ、これはちょっと話がズレる気もするけれど)
たまたま読み返した谷岡雅樹氏によるコラム(18年前!)の「浜崎よ、自分の徹底的なわがままに帰ればいいじゃないか」を今再び思い出すことになるなんて。
けれど、この日歌われた意外な一曲、「(miss)understood」。
“君は一体何が欲しいの
君は一体何を願うの
君は一体どこを目指すの
そしてそこへは誰と向かうの”
こちらに突き刺すようで、それはまるで自分自身にも突き刺すように。
こんな歌を書いた人だよ、浜崎あゆみって。
だから大丈夫だ。
そう思わせる歌唱だった。
胸に響いた。
ライブ後に、あるあゆファンの方と感想をネットで話してて、これまでは「今のあゆが浜崎あゆみとしての活動をどう見据えてるのか」的なことを感じることはあっても、「今、何を思って歌ってるのか」を肌で感じることはあまりなかった気がすると。でも、今回のライブは、今までに感じたことのないようなリアル、「今この瞬間に歌ってるあゆの心境」を瞬時に感じたと。そうその方は言っていた。
私はそれを聞いてハッとした。ああ、確かに、そうかも、と。
一言で言えば、必死だった。
こんな必死なあゆ、はじめてみた。
この一言に尽きるかも知れない。
そしてそれは私も必死だったのだ。
もちろん、今までだってあゆは必死だった。でも、今回の必死さは……。
「今この瞬間の気持ち」が伝わってこないなんて、そんな悲しいことあるかって思う。でも、それだってあゆの戦い方だったし、あゆが描いたストーリーやトリックにだって「今の気持ち」があるからこそ描けるのであって、それだって「今の気持ち」だし、今までだってそれが伝わってきたことはあった。けれど、どうしてもストーリーやトリックが優先されてしまうというか、そういうところはあったかも知れない。今のあゆが浜崎あゆみをどう見据えているか。それもいいけれど、それは後ででもいいから、今は今歌ってるこの瞬間を!みたいな。
けれど今回は、それをはみ出したところに、あゆの揺れ動く感情が、本当に「今歌っている」感情があったような気がする。だからこそ、その方も言っていたが「未完成」に感じたと。でも私は未完成なライブが大好きだ。
なんだ。もっと今歌いたいことを今そのまま歌えばいいんじゃないか。それが音楽じゃん。
そんな風にあゆが感じてくれていたら嬉しい。いや、私がそう感じたのかも知れない。
ここから浜崎あゆみの新しいステージがはじまる。いよいよやっと本音で語り合える時が来たのかも知れない。
て、もちろん今までだって、本音で語り合う瞬間あったんですけどね。
それにしても私は、一曲一曲にマジでビビっていた。嘘がないっつうか、こんな曲の前に嘘はつけないっつうか。だからもし、あゆが本音を隠したり見ないフリをする時が来ても、この曲たちに見抜かれるのでしょうね。
あゆ「現在(いま)のこんな未来を君は想像していただろうか?」
わたし「してませーん!」
あゆ「現在(いま)のこんな未来を君は望んでいただろうか?」
わたし「望んでませーん!」
って私、いちいち一曲一曲に呼応し、感極まってたよ。あゆの曲は本当にやばい!
(上記の曲は「Mirrorcle World」です。なんかこう書くとふざけてるようだけど)
でも、あゆを今も好きなことは、あゆのライブに行くことは、想像していたし、望んでいたよ。
そして、先ほどあゆの新しいスタイルについて書きましたが、ギターやベースやドラムについては録音なわけですよね。でも、改めて、あゆの曲のドラムのかっこよさにシビれたんですよ。そういうわけで、前回のブログ「玉田豊夢について」もよろしくお願いします。
最新の浜崎あゆみです。
そして! ここからも大事な話をするので聞いて欲しいんですけど、たまたまこれを見たんです。
https://youtu.be/V6Aro19VwvA
小説『M 愛すべき人がいて』が出たとき、ファンの中でもいろいろな意見や反応がありました。「これ、あゆは出したくなかったんじゃないか」とか「あゆはあまり乗り気じゃなかったんじゃないか」とか。かくいう私もそんなこと思ってました。それは自分がそう思いたいって気持ちの表れだったとも思います。
でも、松浦さんが言うには、「出したいって ayu が言うから」なわけですよね。
いやぁ、私たちは、いや、私は、浜崎あゆみの怖さをまだまだわかっていないのかも知れない。
それがあゆの思い描いた形になったかどうかはわからないけれども、松浦さんいわく、あゆが映画『アリー/ スター誕生』を見たことがキッカケだったと。ただ私もあの映画を観て、あゆのことと重ならないわけがなかったです。だって、耳のこととか出てくるし。アルコールのことは松浦さん、、、おっと止めておこう(笑)。あゆがこの映画を観たことも知っていたし、それに私もぐっときてた。ここにも書いたけどね。
でも、あゆはなんて言ったと松浦さんは言ってますか?
もちろん、あゆが言ったことを松浦さんが語ってるわけで本人から聞いたわけではないし、まぁお酒も入っていたかも知れません。が、
「こんなのより私たちの方が面白いじゃん」
これですよこれ!!
あゆのこういう本音がもっともっと聞きたい!!
かつて、宮本浩次はニルヴァーナに対して「俺たちの方が先にやってる」と言った。
だからあゆも、レディー・ガガ? テイラー・スウィフト? ビリー・アイリッシュ? 私の方が先にやってる!
と思ったっていいわけだし、いやむしろそれ当然だと思うし、そう思ってて欲しいんですよ私は!
そんな自分の気持ちに気づきました。
もちろんレディー・ガガの映画を観て泣いたあゆも本当です。ニルヴァーナを大好きと言った宮本浩次も本当です。
でも、「こんなのより私たちの方が面白いじゃん」、これも真実なのです。
そして私は、そんなあゆの本音をもっともっと聴きたい。
そんな自分の本音に気づきました。
あゆ、そういう本音を隠さないでいいんだよ~!
って、音楽やステージ上ではちっとも隠してないんだけどね。