自問自答の末結論した。 ~M 愛すべき人がいて~ | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

前回貼った kenzeeさんのブログ記事は 2012年に書かれたものだ。
それによると、浜崎あゆみは、大した隠し事もないのに、すごい隠し事があるかのように(それを告白するように表現することで)思わせて売れたと。それを「告白という制度」として、浜崎あゆみにはその疑いがあると。

しかし、浜崎あゆみには本当に隠し事があったのではないかと。
ただ私は、浜崎あゆみは「告白という制度」を使いながらも「本物の告白」でもあると思っているけれども、いやはや、音楽ってすごいなぁって思いを強くするばかりだった。


さて、前回の記事でドラマ『M 愛すべき人がいて』がフォロワーズのようにならなくて良かったと書いたけど、ならば、これが良いのかと問われれば、素晴らしいとは思わねえな私は、良いとは言えねえなあ私は、君はどうだ? と、ガストロンジャーみたいな口ぶりになってしまうけれども、そう答えざるをえないのがおおいに不本意だ。もっと力強い生活をこの手に!

だから前回はちょっと強がって書いちゃったよね。そうじゃなきゃやってられなかったとも言えるけど。

そういうわけで、
マイ・コメディアン ~ドラマ『M 愛すべき人がいて』の第1話を見て~
浜崎あゆみの清潔感を語りたい
M 愛すべき人がいて ~わたしの自問自答~
と書いてきたけれど、ここらで自問自答の末結論したいと!


ドラマ『M 愛すべき人がいて』を穏やかな気持ちで見ているあゆファンってほとんどいないと思うのよ。ドラマだけじゃなく、周辺のこともね。いや、ファンじゃなくても、あまり穏やかではない、良い気持ちではないかも知れないとも。

だけど、あゆが原因のことひとつもなくない? って思っちゃったんだよ。
それなのに私は時間を費やして何やってんだろ…って思っちゃったんだよ。

あゆが伝えてくれたのは、小説『M 愛すべき人がいて』の最後に書いてあった短い文章のみ。

だったら、それで良いし、それがすべてじゃない?

あゆが伝えてくれたのは、「自分の身を滅ぼすほど、ひとりの男性を愛しました」ということであり、それが誰かということではなく、ひとりの人を愛したということ、「愛するということ」だったのではないか。

そしてそれは、題名にもなってる「M」という曲だってそうではないか?

それは、「愛するということはこういうことだよ」と答えを提示するものではなく、「愛するということ」を求め探していくような。(なんか Shape of love ~愛の不確かさと確かな想い~ の記事を思い出しちゃったよ)

だから、ドラマ『M 愛すべき人がいて』にその志があるかどうかはわからないけれども、浜崎あゆみの音楽には常にその志が宿っているんじゃないかなぁって思った。

だから祈っているよ。
ドラマ『M 愛すべき人がいて』について私がブログに書くのはこれが最後であるように。

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ふと、あゆが映画『アリー/ スター誕生』を観て泣いたと言っていたことを思い出した。アルコールのこと、耳のこと、、、

この映画について、こんな見方もあったんだ!という記事を見つけた。

レディー・ガガ主演『アリー/ スター誕生』は「ポップ蔑視」なのか?
https://www.cinra.net/column/201812-astarisborn

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広瀬香美さんが「M」を歌って下さった! 解説も歌も素晴らしい。
(スピッツ「優しいあの子」、星野源「恋」、菅田将暉「さよならエレジー」、浜崎あゆみ「M」の中からアンケートで「M」が選ばれたのだ)


「M」を歌い終えての話。あゆの話ももちろん、そのあとの話も。


やばい。さっき貼った Shape of love ~愛の不確かさと確かな想い~ の記事、広瀬香美さん出てくるじゃん。