行ってきました、エレカシ新春ライブ 2019。
今朝は書きたいことがあり過ぎる!と思っていたのに、今はなんか、言葉が出てこないのです。
これはあれです、細胞の筋肉痛です。
新春ライブは明日(18日)もあります。私は明日は行けない予定でした。チケットが取れなかったから。
でも、追加でチケットが取れた! なので、明日も行きます。
明日は WOWOW生中継もあります。その前の『ノンフィクションW』もあわせて見てみてください。
https://www.wowow.co.jp/detail/114420/001
だから明日が終わってから書けばいいじゃないかと思われるかも知れませんが、今日のうちに書いておきたいのです。この胸のうちを。間違いでも。整理できないままでも。
エレファントカシマシ 新春ライブ 2019
2019年1月16日(水) 日本武道館
エレカシの熱心なファンでもない限り、ここ数日、エレカシファンは何を騒いでいるんだろうと思うかも知れない。そんな騒ぎさえ、多くの人は知らないのだろう。何を騒いでいるのかというと、エレカシのボーカルでありソングライターである宮本浩次が「ソロを始動させる」と言ったからだ。それでも、ソロ?やればいいじゃないか、そんなことで何を大げさに騒いでいるんだ、と、人は思うかも知れない。実際そういう活動をしてる人はいっぱいいるのだから。
でもやっぱり、エレファントカシマシは違うのだ。
宮本浩次がソロをやる。
それが一大事件であること。
わからない人はきっとこれからわかるだろう。
宮本浩次。
凄い。
とんでもないよこれは。
なんなんだあれは!
そして、世間はまだまだ宮本浩次の才能に気付いていない!
なんてことだ!
私はそのことに気付いてしまった。
「日本に桑田佳祐とかさ、凄い歌手とか作曲家とか音楽家いるでしょ? それより宮本浩次の方が凄いんだから!」と終演後に熱く友達に語る私はさぞかし鬱陶しかっただろう。
もう何、スティーヴィー・ワンダーくらいじゃない? よくわからないけど。
でもまだ世間は気付いていないんだからね。これからが大変だよ!
久しぶりに聴いた曲もあって、久しぶりだから新鮮だったのもあったと思うけど、これぞエレカシ!っていうバンドサウンドよりも、バンドサウンドじゃない曲の方がぐっときてしまった。
エレカシ胎動記の連載を読んでくれてる人はわかってくれてると思うけど、バンドサウンド至上主義のこの私が!
ミヤジは、ミヤジは、私のバンド幻想さえも解放しちゃうのだろうか。
ただ良かったとか凄かったでは言い尽くせない、不思議な感情。
確かに何かが終わった。
けれど、明らかに何かが始まっている。
とんでもないことになる!
でも、わからない。ロッキングオンジャパン 2月号のインタビューを読んでいたから、そう感じてしまうのもあるのだろうか。ミヤジはそれがわかるようにあえて今回ばかりはあのインタビューを先に世に出してくれたのだろうか。
昨日は確かにエレファントカシマシの一つの終わりを感じた。
私は、私たちの大好きなエレファントカシマシはもう終わってしまったんだと思った。
二階席後方立見まで埋まった人人人。
ミヤジはここにいるすべての人を突き放しても、次の一歩を踏み出すんだと思った。
「余技は終わった」
宮本のこの言葉をかみしめてる。
MC もほぼなく、髪の毛をぐしゃぐしゃにする宮本もいなかった。
俺たちの、俺たちの宮本じゃなかった。
今エレカシ胎動記の連載を書いてるから思ったのか、エレカシ胎動記の最初、「ガストロンジャー」で掲げた “ロック” の看板を遂におろした。って思った。
じゃあ何、エレカシは終わったの?
そうか?
「ソロは、むしろ歓迎してるだろうね、内心。『よかった、ちょっと休ませてくれるか』ってとこだと思う」
だなんて宮本はメンバーのことを言っていたけれど、宮本ソロがとんでもなかったらどうするの? エレカシのハードル上がらない?
ソロとバンドを分けるのは、なんかちょっともったいないんじゃないかなぁ~なんて小声で思っていた。でも昨日のライブを見て、分けなきゃもったいないんじゃないの?だなんて思い始めている。
わかんないよ。わかんない。
旅立ち。
終わりは始まり。
旅立ちが最大かつ渾身の愛のメッセージになること、私はきっと教えられる。