『Just the beginning -20-』 | ラフラフ日記

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ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2016-2017 A 『Just the beginning -20-』
2016年12月30日(金)31日(土) 国立代々木競技場第一体育館


30日と 31日、あゆのカウントダウンライブに行ってきました。



浜崎あゆみが多くのファンと共に、忘れがたい歴史を刻んできた"聖地・代々木体育館"。
アリーナツアーに続き、今年で17年目となる恒例のカウントダウン・ライヴも、来年から予定されている改修工事に伴い、その歩みに、ひとつのピリオドを刻むことに―――。
(オフィシャルサイトより)


MADE IN JAPANツアーとも TAツアーとも違うライブだった。
王道のセットリストになると言っていた通りのセットリストだったと思うが、最新アルバム『M(A)DE IN JAPAN』からは一曲もなく、『sixxxxxx』からもなく、その前の『A ONE』からもメドレー内の「The Show Must Go On」のみで、最近の曲はほぼなしの構成。今の浜崎あゆみが作るツアー、マニアックな曲もやる TAツアー、そして、このカウントダウンライブと、セットリストが違うのだから違うライブになるのは当たり前なのだけど、今回のカウントダウンライブは、あゆが曲を選び作るというよりも、浜崎あゆみが刻んできた歴史に導かれるような、そんなライブだった。

これまでのセットリストは自分(あゆ)で決めることが多かったけど、今回はスタッフやメンバーに意見を聞いたというから、そのへんも影響してるのだろう。ファン投票によってセットリストを決めた 2013年の A BEST LIVE とも違う、浜崎あゆみを俯瞰するような、ある意味、あゆが「浜崎あゆみ」に委ねてみたような、そんな風にも感じた。

王道のセットリストといったって、「A Song for ××」もないし「SEASONS」もない。パーソナルな歌をぶつけるというよりも、浜崎あゆみの歴史をここに刻む!というようなライブだったかも。

私はいつも現在進行形のあゆを見てきたから、最初はとまどった。MADE IN JAPANツアーともあまりにも違っていたし。けれど、いつも見てるから普段はどうしても新曲やレアな曲に気をとられがちなんだけど、今回、いつもやってる “ど定番” の曲や何度も聴いてきたはずの曲に感動してしまった。

「Boys & Girls」とかすごいよ、今さらながらに。あの大地から沸き上がる太古のリズム、地響きのような、生きる喜びは何なのか!

ガラスのような氷山のような、繊細そうでいて、透き通るように冷たく、鋭く尖っていて、からの、大きなうねり、「NEVER EVER」。

「talkin' 2 myself」「Mirrorcle World」……もうイントロから怒涛のようにかっこいいのは何なの。

もうね、『OKコンピューター』『キッドA』『アムニージアック』のレディヘッドの荒波をしっかり渡ったのは浜崎あゆみなんじゃないか!っていうね。

そして、「Voyage」という大海。いやぁ、海だわ。女は海だわ。ジュディ・オングだわ。

「Fly high」のアレンジがなんだかロックになってた。

しかし、MADE IN JAPANツアー、TAツアー、カウントダウンライブと、同じ年にこれだけ違うライブができることが驚異的だし、それができるのは、それだけ曲を書いて世に出してきたからなんだよね。たくさん出せば良いってわけじゃないけど、ずっと常に世に問い続けてきた人は強いし、そういう人にしか描けない景色があるって思い知らされた。

もちろん、曲がたくさんあるからといってこういうことができるわけじゃない。浜崎あゆみの、浜崎あゆみ一座の、“ライブ力” だよなぁ。

カウントダウンライブは今年で 17年目ってことだけど、17年目ってやっぱりすごいよねぇ。
私がはじめてカウントダウンライブに行ったのは 2005-2006年でそれから毎年行ってるから、私も 12年目になるのか。そんなになるのか。
私がはじめてあゆのライブに行ったのもここ「代々木体育館」だった。2004年のライブで、ギャルばっかりだったらどうしようとか思いながら、でもそんなことはないはずだと心のどこかで思いながら、会場に入ったら、 ROSSO が表紙のロッキングオンジャパンを持った男の人がいたりして。私は確か、レディオヘッドの翌週に浜崎あゆみのライブで、当日買った Syrup16g の CD を持ちながらあゆのライブに行ったんだった。

あゆのライブって、アイドルのコンサートみたいに団扇とか作って来る人、ロックのライブみたいに盛り上がる人、静かに聴き入り見入る人、コスプレして来る人、クラブの DJイベントみたいに踊る人、いろんな人がいる。誰かの付き添いで来たらしき人、浜崎あゆみってどんななんだろうって興味本位で来たらしき人もいる。他にこんな空間あるかなと考えてみたら、自分が行く中ではポール・マッカートニーくらいか。

私はね、例えばなんだけど……フランク・オーシャンとかチャンス・ザ・ラッパーとか D.A.N. とか、「本当に?」って思っちゃうところがあるんだよ。それは自分に対しても。

けれど、浜崎あゆみのライブに来てる人は、「選ばされてる」んじゃなくて「選んで」来てるって感じがするの。それは自分がってことかも知れないけどね。

いや、あゆに関してだって、いろいろな側面で「選ばされてる」と思うよ。
けど、浜崎あゆみに関しては「選ばされてる」んじゃなくて「選んでる」って実感できるというか。ライブに来てる人も、楽しんでる人もイマイチって人も「自分で決めてる」感じがするというか。決めることが許されてるというか。

でね、これは永遠の命題でもあるわけよ。「選んでる」のか「選ばされてる」のかっていうのは。

「選ばされる」より「選んでる」方が偉いとか正しいとか言いたいわけじゃない。どっちかはっきりさせたいわけじゃない。

ただ、その命題。
だから、その命題を感じさせてくれる「talkin' 2 myself」なのが浜崎あゆみってことだね。

「talkin' 2 myself」でカウントダウンだよ? すごくない?

ライブでこの曲のここでこの動きするとかも、そういうの苦手とか嫌悪感を抱く人いるけど、そんなのとっくのとうに乗り越えてるよ、浜崎あゆみは。やる人もやらない人もいる。撮影OKにしたって、撮る人も撮らない人もいる。みんな、自分で自分の楽しみ方を見つけてるよ。



1曲目は「kanariya」。これまでライブで歌ったことなかった曲だよ。それなのに、会場が暗くて、スクリーン映像もなく、あゆはフライングをしたので、あれ?あゆ?と思ってるうちに終わってしまった感がある。いつも 1曲目、というかあゆの登場シーンは、「あゆ登場!」って感じなのに、あの静かなはじまり方。緊張感。

アルバム『LOVEppears』(1999年)で、これからもこの歌声が届く様にと歌う「Who...」のあとに、シークレットトラックとして入っていた、声を押し殺した「kanariya」。
それがこのライブでは、「kanariya」ではじまり、「Who...」で終わった。今回は MC がなかったけど、「Who...」を歌う前あゆは、「~~だから私は歌っているんだなって」と語った。理由を探していたカナリヤが理由を見つけたのかな、なんて。

前に一度リンクを貼ったけれど、今再びこれを読むと感慨深い。

万里小路譲『うたびとたちの苦悩と祝祭』
https://ameblo.jp/jm55mk172019/entry-12514084105.html

押し殺した声をもういちど押し殺して現出せしめた反抗は今...

この「kanariya」を、昨年芸能界に起こったことに重ねてる人がいた。SMAP の解散、成宮寛貴の引退。そしてもちろん、宇多田ヒカルの復活。あゆなりのメッセージがあったのか偶然か。でも、あゆって、芸能界の渦中にいながら、それを俯瞰しているようなところもあるというか、流行の中にいながら、それを見ているようでもあり。浜崎あゆみこそ流行の側かと思っていたけれど、前に Mステのときにも書いたように、「港」のようでもあるなって。



私、「M」の長ーーーいヴェールをはじめて見たとき(2003年のライブ写真)、笑っちゃったんだよ。そんで思ったの。この人は「笑い」も狙ってるのかって。それで好きになったようなところもあるんだよ。でもね、あれは長くなきゃいけなかったんだよ。わかったよ! わかったよあゆ! 理由なく始まりは訪れ、終わりはきっと理由を持つんだよ!

アンコールのメドレー、凄かった。あれは一大絵巻だ。その長ーーーい巻物を使って、あの広ーーーい代々木体育館を本当に隅から隅まであゆが周るのよ。アリーナ席の真ん中に作られた横長のステージ、スタンド席にあるサブステージ、クレーン、アリーナ後方を一周するトロッコを駆使して、本当に隅から隅まで。その間、テンションを保ち続けられる曲が揃っていることも凄い。そして、あゆが反対側を周っている間に、ダンサーがクレーンに乗ったりもする。前までだったら、クレーンにあゆ以外の人が乗るなんて考えられなかったよ。でも、今ならそれも成立する。今の一座だから。

代々木体育館を、思い出の詰まった歌を歌いながら、それを共有するファン、今ここにいるお客さんを隅から隅まで周り、同時に、代々木体育館も隅から隅まで味わい尽くし、感謝とか思い出とか歴史とか、とにかく凄まじいメドレーだった! 一大絵巻!

浜崎あゆみ“聖地”ライブにピリオド 号泣で「最後のステージ作れたことに感謝」<セットリスト>
https://mdpr.jp/music/1651247

いろいろ語ってきたけど、30日と 31日にお会いした方、他にも今まであゆのライブ会場でお会いした方、誰もがみんなすごーーーく幸せな顔をしていた。好きな歌手のライブに来てるんだからそりゃ当たり前なんだけど、それでも、こんな幸せあふれる場所ってそんなない。それが浜崎あゆみというアーティストを何より表してる。




後日、靖子ちゃん(大森靖子)もあゆのカウントダウンライブに行っていたことを知った!
縷縷夢兎(るるむう)の東佳苗さんと一緒に行き、女王蜂のアヴちゃんとばったり会ったんだとか!
それらはご本人のツイッターで知ることができるけど、アヴちゃんから名言でました!

「私たちはみんな、心にあゆを宿している」

靖子ちゃんは「あゆはずっとあゆでいてくれる。大好き」と。
そして、年が明けてからも、「あゆがあまりにもあゆだったから」と年末から続いてる気持ちをツイートしてくれた。

「私はずっとピヨりながらも生きてる限り死ぬ気で超歌手やる」

靖子ちゃんをこんな気持ちにさせるあゆって。
でも、「あゆはあゆでいてくれる」ってどういうことなんだろう。
他の歌手だってそうなんじゃないの?とも思うし、成長してないみたいにも聞こえる。

靖子ちゃん曰く、「人生賭けて歌に責任持ってくれる歌手」

人生なんて賭けなくったっていいんだよ。みんな勝手に好きになって、勝手に去っていったりするんだから。人生賭けてるから好きだなんて、言えないよ。

音楽と作者(歌手)は切り離されるべきだとか、ときどき聞く。でもさ、その境界線は誰が引く? 音楽って、そんなに都合の良いものなのかな。

浜崎あゆみはきっと、そんな小さいところで音楽をやっていない。音楽至上主義か人間至上主義かなんてところでやっていない。

そっか靖子ちゃん、歌手じゃなくて超歌手なのか?


【思い出写真】



カウントダウンライブ開催中の 12/29~12/31 の三日間、期間限定でオープンした ayuカフェ。
普段は普通のカフェみたい。今度行ってみようかな。



店内には、あゆの写真がいっぱい飾ってあって、幸せすぎる空間でした。
ただし、店内で飲食するには二時間くらい前から整理券をゲットしなければならず、テイクアウトでも待つくらい混んでました。そういや、ライブ会場でのグッズも超並んだなぁ。



フィナンシェとドリンク。知ってた? 「Aマーク」って、あゆのイニシャルの「H」と「A」を組み合わせたものなんだよ!



はじめて年越そばを食べてみた。オリジナル箸&箸置きチャームはしまって、持参した割り箸で。



フォトスポット。31日のライブ終了後には、ここがお正月の絵柄に変わってました。すごい!

ayuカフェの店員さんも、そば屋さんも、フォトスポットを組み立てたスタッフさんも、本当にありがとうございます!