MADE IN JAPANツアーにおけるデヴィッド・ボウイ | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

TAツアーのスペシャルサイトに掲載されている記事内で、MADE IN JAPANツアーの記事で触れたものの書かれなかった “裏テーマ” のことが書かれていた。(ライターはどちらも釣谷高子さん)

TAツアーin東京3Daysレポ

(ちなみに、MADE IN JAPANツアーの記事はこちら→ 【ayu全国ツアーの裏側②】ステージの大きな進化&ツアーの裏テーマについて

私は、言霊ってあると思うし、あまりショッキングな言葉であゆのことを語るのは好きじゃない。とはいえ、好きゆえに、過剰にドラマチックに語ってしまいがちなのだけど。でも、その過剰さに自分が溺れてしまっては意味がない。

だから、釣谷さんの記事に触発されたのもあるけど、私の中にも MADE IN JAPANツアーを見て点滅したワードがあったけれど、それはあまり言いたくない。ただそれは、『M(A)DE IN JAPAN』について書いた「浜崎あゆみ物語の終焉と始まり」にも込めたつもりだし、自分のこの感想にも込めたつもり。

“私が MADE IN JAPANツアーで感じたのは、花神輿の「FLOWER」からはじまるのが、まるで “葬列” みたいでもあるってことだったんだ。でもそれは悲しいことじゃなくて、逞しい “蘇生” の歌でもあったんだ。花は散りゆき、再び咲かせる。ねぇ、浜崎あゆみってすごいんだよ!”

そして、釣谷さんの記事を読んで、すぐにこの記事を思い出した。(ライターは山崎洋一郎さん)

デヴィッド・ボウイの本当のラストメッセージはどこにあるのか

どちらにも共通して出てくるワード、“遺書”。

そういえば、MADE IN JAPANツアーの開演前にかかっていたのはずっとデヴィッド・ボウイだったね!!
(参照→ MADE IN JAPAN in 仙台

でも私は、“遺書” というワードがここでつながった!と言いたいのではないし、「ここにそんな意図があったんじゃない?」と言いたいのではない。むしろ逆で、私が言いたいことはこの山崎さんの「デヴィッド・ボウイの本当の~」に全部書かれていると言っても過言ではないし、釣谷さんが書いてることもそこにつながっていると思ってる。
(開演前にかかってたのも『★』ではないし、私はもっと単純に、デヴィッド・ボウイがかかって嬉しいってことだったしね)

今回のあゆのライブや作品にはこんな意図があるんじゃないか。
まるで “謎解き” のように私たちは考える。

けれど、その多くが、「いつもそうじゃないか」というものばかりだ。
デヴィッド・ボウイ同様、あゆがそのようなアルバムでありライブの作り方を「しなかった」ことはこれまで一度もないのである。

まるで “遺書” のようだ。確かにそうだったかも知れない。
けれど、「真夜中のサーカス」だって、「POWER of MUSIC」だって、『A ONE』だって、『MY STORY』だって、『I am...』だって、『Duty』だって……そう言おうと思えば言えるライブであり作品ばかりじゃないか。

“語るべきことはそういうドラマなのだろうか”

きっと前から感じていたことだけど、今回のことで強く響いた。

語るべきことは、そうした “ドラマ” でも “謎解き” でもない。
そうしたドラマ性で特別視することが、本質や物語を歪めてしまうことを私も恐れる。

釣谷さんもそれが言いたかったから(それが見えたから)書いたと思うんだよ。
大事なのはそこじゃないと。

テーマも謎解きもいい。
けれど、目の前の音楽を、表現を、目一杯感じよう、楽しもう。

今回の TAツアーでそんなことを感じたから。

「正解があるわけではないから謎解きではなく、一種の創造的行為である。
わたしにとって、テキストは一つのメッセージを伝える手段ではなく、次々と新しい映像を生成させるための建築物のようなものであるから、それに必要な空間と時間が舞台の上で与えらえるのは好ましい。」
(多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』より)


これを読んだとき、すっと自分の中に入ってきた。
浜崎あゆみを語るとき、ショッキングな言葉で煽ったり、ドラマチックに酔いそうになったり、謎解きに興じるのを見かけるたびに(もちろん私もそういうときがある)引っかかっていたものがほどけた気がした。

浜崎あゆみの表現は、正解があるわけではないから謎解きではなく、一種の創造的行為である。

テーマのためのテーマではない。だから、あゆはテーマだとか謎解きだとかがすごいからすごいんじゃなくて、その先ですごいんだぞと。そういうことであります。

私ね、アルバム『M(A)DE IN JAPAN』の、「Survivor」「You are the only one」ときて「TODAY」というのがすごーーーく好き。
というか、今その良さがわかったかも知れない。

MADE IN JAPANツアーで、「TODAY」が本編に入らずに、アンコールで歌われたのがよーーーくわかる。「TODAY」はさ、その先なんだよ。
その “裏テーマ” というものがあるとして、その先なんだよ。

確かに、“裏テーマ” はあったかも知れない。本編最後の曲「You are the only one」で終わっていれば、MADE IN JAPANツアーはその “裏テーマ” で語ることで終わってしまうライブだったかも知れない。けれど、大事なのはそこじゃない。その先なんだ。


9月30日からはじまった TAツアー。10月26日の名古屋公演が、あゆの体調不良のため中止になってしまった。10月25日の公演後、医師の診察を受けた結果、急性気管支炎、急性咽喉頭炎と診断されたとのこと。10月20日、東京公演三日目のときに声がかすれていたのはそのためだったのかな。

浜崎あゆみ、体調不良で本日(10月26日)の名古屋公演中止
http://natalie.mu/music/news/206896

いつでも全力で歌うあゆが好き。でも、“破滅の美学” なんてものは持ってない人だと私は信じてるんだよ。

エレカシ宮本さんが左耳の聴力障害でライブ活動を休止したときのインタビュー(そのことが発表された日が10月2日だったんだよ!)、もうこれ全部あゆに捧げたいくらいなので、そこで語ってくれた言葉を書いておきたい。

「元気な時は、正岡子規とかって最高なんですけどね……。(滝沢)馬琴は目が見えないのに『(南総里見)八犬伝』を完成させたとか、ベートーヴェンは耳が聞こえないのに第九を完成させたとか、そういう話、20~30代の頃は良かったんです。ところがね、自分が半分耳が聞こえない時に、正岡子規の<ま>の字――これ嫌みで言ってるんでも何でもなくって――それだけでダメでね。シャルル・ボードレールが46歳でお母さんに抱かれて死んだ話とか、もう冗談じゃない感じになっちゃって。だから長寿の人の話とかを、むさぼるように読んだね。もうね、<耳の不自由なロックンローラー>とかそんなのどうでもよくて、ただの町のオヤジでもいいから、耳が聞こえるようになりたいって、やっぱり思ったの。だから、電車の中でパン食ってる人が、ぜんぜん道徳的じゃなくても輝いて見えたんだよね」

「俺ね、永井荷風って本当に立派だと思うの。骨っぽいっていうか、すごい貫き通し方をしてる。俺はその正反対だよね。情けないよ、みんなに野音で心配してもらってさ。だから、そんな死に様に憧れてるだけのことなんです。俺はもうさ、『先生、助けてください! 耳を治してください!』って言ってたわけだから(笑)。正直、今はこうして元気に生きてるわけだから、死に様はもうどうでもいいと思ってますね。荷風とは真逆の弱虫だし」

「音楽に、生き様そのものが出ますよね。僕なんか当たり前だけどたくさん嘘もついてきてるし、自分自身を騙そうとしたこともたくさんあるわけで。誰でもあることだけど、僕はずいぶん騙し切れない自分に苦しんでるし、それがやっぱり死に様に出るんだろうなぁって思う。永井荷風みたいな立派な人を見てるとつくづく思います。俺なんか、弱さを全開にして、いつもそれを上手にバランス取りながら生きていくってことに汲々としてますから。でも、それを絶望的だとはぜんぜん思わない。そういうもんだと思うから、<死に様がかっこいい人がかっこいい>みたいな歌も歌うわけで」

(『Rolling Stone 日本版』 2012年12月号より)


命を燃やし尽くすように、いつでも全力で、全身全霊で歌う宮本さんが私も大好きで、でもそんな宮本さんから、

「今はこうして元気に生きてるわけだから、死に様はもうどうでもいい」

って言葉が聞けたときの嬉しさったらないよ。
(命を燃やし尽くすようにって言ったって、命を燃やし尽くすことが目的じゃないんだからさ)

<耳の不自由なロックンローラー>とかさ、壮絶な最期とかさ、そういうのどうでもいいんだよ、勘弁してくれよって話なんだよ。

<耳の不自由なロックンローラー>より<ただの町のオヤジ>がいいし、だからこそ輝くの。

“生きてる幸せ忘れたか”
(エレファントカシマシ「花男」 1988年)


それと、衝撃だったのが、「たくさん嘘もついてきてるし、自分自身を騙そうとしたこともたくさんある」という言葉。

宮本さんの歌にも、あゆの歌にも、その歌に強く惹かれる人は、その歌に「嘘がない」と言う。私もそう思う。
けどそれは、宮本さんが、あゆが、「嘘をついたことがないから」ではないんだよな。「自分に嘘をついたことがないから」でもない。

あゆが TAツアー初日で語った言葉をネットで読んだんだけど、あゆだって「自分自身を騙そうとしたこと」があるわけだよ。私だってあるよ。今もあるよ、常にあるよ。
けど、騙し切れないから苦しむわけだよ。宮本さんが言った、「騙し切れない自分に苦しんでる」という言葉。

嘘をつかないからじゃない。嘘だってつく。当たり前に。
それでも、「騙し切れない自分に苦しんでる」から、だから私は、宮本さんに、あゆに、強く惹かれてしまうのだろうなぁ。

永井荷風は立派だけど、自分は正反対、情けない、弱虫だと宮本さんは言う。けれど、だからこそ、<かっこいい死に様であり生き様>が歌えるんだよ。

<耳が不自由なロックンローラー>より、<ただの町のオヤジ>。

宮本さんもあゆも、そうだと思うし、そうあって欲しい。

あゆにとって「TODAY」は、そんな歌だと思ってるんだよね!!

このインタビューはこう締めくくられる。

「やっぱり疲れた時には休んだほうがいいんだよね。“クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-” っていう曲で、俺、<疲れた時には孤独になれ>って歌ってるんですよ。自分と身体は大事にしたほうがいい。その代わり、休んだらもう1回ちゃんと、しっかりやり直せばいい。僕もそうしようと思いました、今回初めて(笑)。今は休んでね、また良い曲書いて、歌って、コンサートでみんなに会えればと思ってます」

そして先ほど、こんなお知らせが。

10月31日(月)「TA LIMITED LIVE TOUR 2016」松山公演開催のお知らせ
http://avex.jp/ayu/news/detail.php?id=1042301

「人生は短い」それも真実だけど、「人生は長い」それもまた真実だよ。