今日はモーニング娘。'20のまーちゃんこと佐藤優樹ちゃんのお誕生日~
20歳になったばかりと思っていたらもう21歳に。
今朝のまーブロ見ました?
なんていい子なんだろう。
優しくて、いい子。
本当に。
今年はこんな状況だからバースデーイベントもできなくて本当に残念。
振替公演ができることを心の底から願ってます。
それはさておき、まーちゃんほど「語りたくなる」けど「語らせてくれない」子もいない。
まーちゃんに関してアレコレ思ったり考えたりすることは山ほどあるのに、いざそれを言葉にしようとすると「いや、本当にそうか?」「見誤っているのでは?」と思ってしまう。
ぼんやりとそこにあるのはわかるけど、じっと目を凝らして見ようとすると見えなくなるような気もする。
本人はこう言われるのイヤかもしれないけど、奇跡みたいな子ですよね。
人間みなそれぞれ違うのは当然として、それでも他に類を見ない存在だなぁといまだに思います。
こんな子がモーニング娘。になって9年も活動してくれていることもまた奇跡のよう。
いま我々は奇跡を目にしてるんですよ。
この時代に、モーニング娘。及びハロープロジェクトを応援しているすべての人々は。
ステージでの留まるところを知らない成長と魅力は当然として、普段のぶっ飛んだ言動や子供のような振る舞いもまた素晴らしい。
中にはそういうところにイラッとくるヲタクもいるんでしょうが、それはたぶん小さい子供にイラッとする母親に近い感情なんじゃないか、とこないだ考えました。
まーちゃんのその手の言動って、良くも悪くも子供のそれなんですよね。
喜びや不安を素直に表に出したり、時に嘘をついたりズル賢かったりもする。
普通の人間が歳をとるにつれて失くしていく(または隠していく)そういった感性を、まーちゃんはいまだにありのままで持ち続けている。それはやろうと思ってできることではなく、だから奇跡のようだと思うわけです。大人と子供がひとりの人間のなかで共存している。「大人:子供」が「5:5」なんじゃなく、どちらも「10」で存在している。これは驚異的なことです。
であるからこそ、時々核心をつくようなことを言ってみんなをハッとさせることがある。
これは大人の論理や経験からではなく、子供の素直な感性から出たものだろう、とわたくしは勝手に思ってます。
大人になればなるほど見えなくなっていくものを、まーちゃんは見ることができている。
それでいて最近は大学に行ったりなんかして、大人の理論や経験も積み重ねていってるから末恐ろしいです。
どうかその過程で子供の感性を失くさないでほしいなと願いつつ。
とか、こういう風になんか語りたくなってしまうのがまーちゃんの魅力なんですが、誕生日にそんなしょうもないことを書くのはこれくらいにしておきましょう。
もう全部可愛い。全部好き。
あの子のすべてを肯定してやる。
最近はそんな心地です。
この世で一番気の毒な人って、まーちゃんのことを好きになれない人なんじゃないかな。
もったいないよねぇ。
こんな子、もう二度と現れないよきっと。
佐藤優樹という奇跡を、どうかこれからも末永く……。
というわけでまーちゃんおめでとう
本気でまーのこと語ろうと思ったら原稿用紙500枚くらい書ける。
中身の良し悪しはともかく。
(おたおめ更新では「今日の一冊」はお休みします)