昨日は愛知県の名古屋市公会堂で娘。ライヴがありましたけど、ここでやるのってライバルサバイバル以来だったんですね~。



http://gree.jp/michishige_sayumi/blog/entry/665868356



思い出すと、ちょっぴり切ない……。



自分、名古屋には行ってませんが、一つのツアーに3回足を運んだのはこのときが最初で最後だなぁ。(松戸とJCBホールと横アリ行った)



最近は、行けても2回。

もっと行きたい気持ちはやまやまだけど、お金と時間がそれを許しちゃくれないw



ライサバのときは、あの8人を目に焼き付けようと必死でしたから。

(今ほど忙しくなかったというのもある)





ともあれ、常に形を変えて進化していくのがモーニング娘。ですよ。



今のメンバー構成だって儚いものですから、一瞬たりとも目が離せません。



「いま」は常に今しかないのでね。



あと何年かして、今のこの11人を思い出して懐かしむ日がくるのでしょう。



モーニング娘。って、まさに人生のような存在。






ところで、ハロメンともちょいちょい仕事で絡みのある芸人、古坂大魔王さんがブログで娘。を褒めてくれてます。



http://ameblo.jp/k-daimaou/entry-11511753579.html



古坂大魔王は、前々から(さゆリーダー辺りから?)Twitterで娘。の楽曲を褒めてくれていてありがたいですねぇ。



娘。だけでなく他のアイドルなんかも結構聴いてらっしゃるようですが、むしろそういう人がここまで娘。を褒めてくれるってのが嬉しいじゃないですか。






思ったのが、モーニング娘。は一度大ブレイクしたアイドルで、その頃を知る(そして今を知らない)人にとってはやっぱり「モー娘。=あの頃」なのでしょう。



モー娘。といえば日本の未来はWow Wow×2で、モー娘。といえば超超超良い感じで。



それらはもはや人々の「思い出」として記憶されているものだし、まぁ仕方ないといえば仕方ない。



モーニング娘。のことだけではなく、それと同時に「自分の人生(の思い出)」まで想起されるわけで、得てして思い出というものは美化され、堅牢に守られるものですし。



それを覆すというのは、あまりにも難しい。



世間がいつまで経ってもラブマだ恋レボだと認識してしまうのは、客観的に見れば無理もないことなのかもしれません。



ファンでない人々にとっては、「モー娘。=社会現象だったあの頃」であってほしいのです。



いまさら「思い出の中のモー娘。」を改変することなど、面倒だし、何より「したくない」と無意識に思ってしまうのではないでしょうか。



「今のモーニング娘。」を知らない人は、「過去のモーニング娘。」を変えたくない。そのままでいてほしい。

過去は過去のままでいてほしい、ということ。



そういった不遇をかこってきたのがちょうどプラチナ期のあの頃で、まるで世間のそんな無意識的抑圧に後押しされるかのように露出が減っていきました。

「君タチのことは、大流行したあの頃の姿で記憶させてくれ」と言われてるかのように。



しかしそんな時期も今は昔。



一回りして、世間も昔ほど「過去のモー娘。」に固執しなくなり、新たな世代(過去の娘。をあまり知らない世代)が出てきたのも大きいでしょう。



モーニング娘。自体も(プラチナ期からでさえ)メンバーが8割近く入れ替わり、もはや(パッと見)過去の面影はないに等しい。



簡単にいえば、先入観がなくなってきつつある状態。



知名度のあるメンバーがどんどん卒業していくという不安はあるものの、先入観を排除して新鮮な目で見られるというメリットもあるわけです。



最近のモーニング娘。が「キテる」と言われるのも、こういったことが要因の一つになってるんでしょうね。



もちろん、プラチナ期の頃から培ってきたパフォーマンスレベルの高さがあってこそですが。





何が言いたいかといえば、今は黄金期以来の「好奇」だということです。



めちゃくちゃ広い目で見るとするなら、今こそが「モーニング娘。第二章」の始まりと言っても過言ではない!(かもしれない)




長く続けるということは、かくも立派で有益で素晴らしいことなのです。



言うなれば、モーニング娘。は「世間のどうしようもない飽きっぽさ」に勝利したということですよ。



まさに不死鳥。



不死鳥の振り付けが取り入れられた『Help me!!』でオリコン1位に返り咲いたというのは、まさにこの世の必然だったのです!






なんてことを思った月曜の昼下がり。