アミノ酸などから生命が誕生した時、永遠に生き続ける生命が居たって良かった訳ですが、なぜだか死んで次世代に受け継がなければならない事になっています。

 

なぜそうなっているのかと言うと、この宇宙ではその方が良いからです。ミジンコの様に生まれて年月を追うごとに魚からネズミになって猿になって人間になった方が、誕生してからの記憶を長く備えているので便利なはずですが、なぜか死んで一度全てリセットする事になり、不思議な事にそれで生命と言うものは絶滅せずに人間まで進化しているので、その方式の方が正しいと言う事になります。

 

「私がミジンコ状態だった数十億年前の海のお話をしましょう。」「魚の頃は苦労しましたが身体が猿になってからは非常に生きるのが楽でした。」等と語る人間がいても良いのですが、それは有り得ません。

 

なぜこの様になるのかは、私の推測としては生命・知性と言うのは自分を悔い改める事がないからなのだと思います。

 

昔の独裁者がまだ生存していたらゾっとしますが、その時代ごとの生命に対し生き方が一度設定されてしまうと直す事ができなく、その時代では正しかったがゆえに新時代において対応できなく、それがマクロ的には生命滅亡への道となるゆえに、あらかじめ生命には死がプログラムされているのではないかと思うのです。

 

どう考えても海で生まれた何十億年前からの記憶が一個体に備わっていた方が強力に思われる訳ですが、一個体で記憶できるのは人間で言えば平均寿命の約80年間までなのです。このたった80年だけ生きて次世代に遺伝子を受け継ぐだけで生命は継続できてしまうので不思議です。

 

これを考えると、生きている間に学ぶ事などは生命にとってそれ程に重要ではないのかもしれないのが理解できます。そして昔に学んだ事をいつまでも重要だと錯覚し、悔い改めずに新しい知識を入れられないからこそ、生命はやがて死ぬ様にプログラムされているのではないでしょうか。

 

それを考えると、悔い改めてその時代ごとの知恵を学ぼうとし続ける事を年世代にも渡って継続する事で生命内プログラムは「ああ。生命という物は時代ごとに新しく学ぶ機能を有したんだな」と判断し、永遠に生き続ける事を許される・・・つまり永久生存機能が授けられるのかもしれません。ニヤリ晴れ

最近私は腰の調子も良くなってきたので城東から隅田川を超えビジネス街に遊びに行く事も多くなってきまして、久しぶりに都心の摩天楼を眺める事になったのですが、同じ東京でもかなり風景が違うなと思うと同時にそこで久しぶりに感じた点としましては、サラリーマンの異様な幼児性でした。

 

川向こうと呼ばれる城東地区は下町ですので若者もカジュアルな服装なのですが、ビジネス街はスーツの人も多く、しかしながら中身は同じな為にスーツの分だけ余計に幼児性が感じられるのでした。

 

普通はスーツを着ると中身もシャキっとしようと思う訳ですが、サラリーマンと言う安定した地位にある為、ある意味での匿名性に自分が包まれている為か恥知らずな言動も多く耳に届いてきます。もちろん若い人だけではなく中年以降のサラリーマンも同種の人に囲まれ、さらに安定した地位にいる為か年をとっていてもお酒が入って子供みたいになっています。

 

私は結構、週末の夜のサラリーマンはヤンキーよりも怖く思っていて、日頃の鬱憤を晴らすが如く酒を飲んで街を徘徊しており、さらにその風貌は大人っぽく見えても、やっている事は集団でたむろをしているヤンキーと一緒で者によっては非常にたちが悪い場合もあります。

 

さらにヤンキーよりも知的水準は高い為にプライドも高く、変な部分で切れる性質もあるのです。

 

・・・とまあシャキっとした格好をしているがゆえに、逆にその中身とのギャップに違和感を感じてしまった訳ですが、富と言うのは心の善悪に関わらず単に集まる所に集まる性質もあるので、やはりより都心に向かった方がゴージャスで便利な遊び、施設の使用ができるので、今後の私の目標ではなるべく城東地区から隅田川の西へ行こうかなと思った次第でございます。グラサン飛び出すハート