こんにちは。

 

FXは、トレーダーの性格に合わせて、いくらでも戦術・戦略があるので(ビジネスも、そうかもしれませんが)、それまで上手く行かなかった人も、そもそも戦略を変えれば結果が変わる場合もあるかもしれません。戦術とはミクロで戦略はマクロです。

 

ここで言う戦略とは、そもそもスキャル・デイトレード・スイング・長期、それぞれの舞台を変えて、他の舞台に移ると言うことです。会社とかが急がしければスキャルは難しいかもしれません。でもスマホでもFXできますので、わかりません。戦術とはインジケーター等のことです。

 

たとえば私は一分以内とかでも決済する超短期売買なので、スイングや長期トレーダーになったら負けると思います。私が経済指標発表時間の把握以外、ファンダメンタルズは必要ないと思ってるのは超短期売買トレーダーだからです。ファンダメンタルズを自分で分析しているだけで、おじいちゃんになってしまいそうです。自分で分析するよりも分析している人の文を読みます。ただしアナリストも競馬予想屋さんと同じ様な場合もあります。笑

 

FXを始める場合、AからZまで覚える必要がありますが、スタイルが定まってからは、半分以上の、ほとんどの知識が無駄になります。しかしAからZまで、どこが自分に合うのか分からないので、始めはAからZまで覚える必要があります。(例えば最終的にはA・F・Gの要素が必要だったとか、D・J・Lだったとか、Hだけで大丈夫だったとか)

 

 

 

私は一目均衡表とMACDは全く使えないと思っています。とあるスキャル系の本で「MACDはホームレス製造機」と書いてあり爆笑してしまいました。一目はスキャルで使う物ではないと思います。

 

全てのインジケーターは、連続した過去の値(チャート)に対するモノサシでしかありません。物をセンチで計っているのか寸で計っているのかの違いに近いです。間接的に未来は予想できますが、直接的にではありません。

 

よって、今見ているボードの価格だけで取引できたら凄いですが、人の頭脳だけでは過去の値動きが記憶できない為にローソク足チャートがあります。
したがってある意味、チャートと言うのが、すでにそれだけでインジケーターの一種なのです。

 

次から次へインジケーターを変えてしまうのは、相場にまつわる宗教みたいな物にハマってしまっている可能性があります。どこかに必勝の魔法が存在すると思ってしまっています。

 

かなり難しいですが、あえてシンプルにローソク足だけで売買したい場合は酒田五法の技を使います。私は酒田五法も習得していますが、複数のインジケーター(現時点では公開できませんが)を使っています。

 

サイクル理論は、始めは訳わかりませんが、他の全ての系統のインジケーターの考え方から独立した相場判断方法なので、習得する必要があるかもしれません。

 

チャートを自分の目で見て判断するのは酒田五法とサイクル理論などで、これは機械に頼れる可能性が低いと思います。頼れても自分の目で見たほうが早いです。

 

お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ

「人体の物理モデルが上手く再現された驚きのゲーム!」


こんにちは。
私は xbox one を持っているのですが、Xboxではエレクトロニックアーツのあらゆるゲームが月額で出来ると言うのがあるのですが、エレクトロニックアーツはミリタリーゲームではバトルフィールドシリーズを出していたり、サッカーやバスケットボールアイスホッケーなどのゲームを出しているアメリカの会社です。

 

さて、それをきっかけにして最近私は、総合格闘技の ufc 2と いうゲームにはまっています。私はスポーツゲームや格闘技ゲームは、ほとんどやらないのですが、最近このゲームに、はまってしまいました。

なぜならばこのゲームは、最先端の技術を活かしたゲームだからです。


エレクトロニックアーツは、様々なスポーツのゲームを発売しているので、モーションキャプチャーによって実際の人間の動きのデータを、たくさん持っていると言われているそうです。
ですからミリタリーゲームのバトルフィールドでも、兵士のリアルな動き方とかが、そう言ったスポーツゲームの開発などで得たモーションキャプチャーの技術で、リアルに再現されています。

さてこの ufc 2。前作の ufc もできる状態なんですが、まだちょっとやってないので、すぐでもやるので、あればこの ufc の2の方をお勧めですね。

 

昔の格闘技ゲームを含めスポーツゲームでの人間の動きは、あらかじめプログラムされた通りの決まった動きしかできませんでした。

だから突然キャラクターが立っている時に、唐突にタイムスリップしたかの様に、体の動きが変わって、いきなりプロレスで言えば、ブレンバスターの入る状態になったり、いかにも「ゲーム的」な不自然な動きでした。

 

しかしこの ufc 2では、繊細なモーションキャプチャーに加えて、それと共に、実際の人間の体の物理法則に基づいた動きをするので、すごいリアルです。
物理エンジンが生かされているのです。

 

例えば、相手がハイキックをした時に、相手の軸足になっているもう片方の足に、自分のキックが当たってしまった場合、昔のゲームであれば、何事もないように、すり抜けて、そのまま、あらかじめプログラムされた通りの動きになりますけれども、このゲームの場合は、本当に物理の法則に基づいているので、実際に軸足に足が当たり、相手が転んでしまうんです。

もちろん、相手が転倒してしまえば、相手は実際に人間が立ち上がる時の動作に基づいて、立ち上がるので、非常にリアルな再現になっております。

 

人間の体は、人形とは違うので、腕は後ろには曲がりませんし、関節によって曲がりやすいところと曲がりにくい場所があって、そう言ったところが、人体構造物理エンジンとして再現されています。

しかし、あまりにもこの人体構造の物理エンジンが凄すぎるので、通信対戦の場合はバグが起こって不自然な人間の動きになったりすることも多く、非常に面白いです。

 

そういった動画が、主に海外のユーザーで youtube であげられているので、見ると面白いです。
後は前作の ufc と比べてグラフィックが良くなっていると思います。

遠くから見ると実写と思う間違えるくらいのレベルです。
ゲームの画面に慣れてしまうと、実写の ufc の映像見てても、「あれ?これゲームかな?それとも実写?」思ってしまうぐらいのレベルです。

 

そして私は、プロレスが好きなのですが、総合格闘技はあまり見ません。昔、桜庭クレイジーハンターだった時代には、ビデオで見た時があるのですが基本的にはプロレスが好きです。
ここで思ったのは、このゲームをやった時に総合格闘技は非常に面白いと思ったことです。

 

私はプロレスが好きなのですが、プロレスのゲームは、つまらないのであまりやりません。でもやはり総合格闘技の場合になると、ルールによって人間の動きが制限されているので、逆にそこにゲーム性が生まれて、プロレスのゲームより総合格闘技のゲームの方が面白いんだなと思いました。

逆に人間の体に物理エンジンを生かしたゲームがあったとしても、プロレスの場合だと人間の体の動きの範囲が広すぎて、なかなかゲームとして再現するのは難しいんじゃないかと思っています。

しかしプロレスのゲームも最近あるので、やってないのでわからないんですが、これも結構ビジュアルだけ見てもかなりリアルです。

 

このゲームをやることにより、私は最近総合格闘技の試合の youtube での動画を沢山見てしまったのです。

これはある意味では、ゲームと言うものを通じて、新しい趣味趣向が増えてしまったと言う良い例でもあるかもしれません。
で、肝心のこの ufc2 のソフトなんですけども、プレステの方でも出ているらしいんですけれども、英語版ですから、私はインターネットでゲームのやり方を日本語で説明しているブログさんがあったので、それを見ながらやりました。

 

 

 

 

 

ここで思うのは、やはりもっと効率の良い方法で英語の勉強しないといけないなと思ったことです。

しかしゲームの場合だと、専門用語がたくさん出てきますので勉強しきれない部分があります。例えば私は日本では発売されていない sf ホラーの dead space というゲームをやっていたのですが、それは1ステージクリアするごとに日本語版訳されているホームページを見てストーリーを後追いする様な形でゲームをやっていました。

sf ホラーになりますと、宇宙の航空や技術に関する専門用語がたくさん出てくるので、普通の英語の勉強ではカバーしきれませんが、それでもやはり知ってる単語が多くなればなるほどゲームの世界観とか、やり方は把握しやすくなります。


あと家庭用ゲーム機に関わらずパソコンのゲームでも、ゲーム分野は世界に広がっていますので面白いゲームは、すごくたくさんあるんですね。

ただゲームは、やはり日本のゲームも面白いんですが、欧米 の方が最近は盛り上がってきてると思うのですが、日本語に訳されているものが少ないのでやはり英語の必要性が非常に感じられます。

日本だけのゲームじゃなくて英語のゲームができるとなると、かなり選択肢は広がるので良いですよね。
日本のゲームは主にスーパーファミコンの時代まではよかったんですけれども、最近日本のゲームが駄目になってきていると言うニュースを近年よく見られるんですけれども。

 

私はそんなに駄目になってきてるとは思わないですが、やはり圧倒的に英語圏のゲームの方が数は多いですし、表現されている演出も規制がなかったりして、すごい面白い体験ができるゲームが多いと思ってますね。

 

一般的にはゲームの制作費が映画を作るのと同じぐらいかかってしまうので、欧米の方が有利だって言う一般論がありますよね。あと映画の技術が、そのままゲームに転用できるので、やはりハリウッドのアメリカが強いと思います。

 

xbox にはプレステで発売される様な日本初のゲームは少ないのですが、ただ私は外国初のゲームをやっていつも思うんですが、やはり舞台が外国 の場合、感情移入ができない場合がありまして、それに引き換え日本のゲームは例えば新宿が登場したり、実際の街が登場するので、そこは羨ましいなと思っています。

 

以上お読み頂き誠に有難うございました。

動画は、先ほどにも述べた ufc 2の面白い映像です。江嶋ゆきひろ

 

 

 

こんにちは。

 

私のアメブロでは、さまざまなテーマで記事を配信しているので

ゲームユーザーの方々にとっては、

ゲームに関する記事とその他の記事が混同しているのですが、

この度アメブロのトップページからアメブロ内の記事テーマ「ゲーム制作日記」に

直接リンクできる様にしました。

 

また当方ラストゲームメーカー公式サイト内の「プロフィール」からも

直接アメブロ内の「ゲーム制作日記」にリンクできる様にしました。

 

以上、宜しくお願い致します。

 

 

記事テーマ「ゲーム制作日記」


https://ameblo.jp/lastgamemaker/theme-10078226867.html

 

 

 

ラストゲームメーカー公式サイト

 

 

こんにちは。今、実験的に持ってるメールアドレスなんですけれども、解除しても、どんどん送られてくるメールマガジンがありまして、解除申請のボタンを押すことによって、逆に「そのメールアドレスが生きてる」という判定がされてしまって、どんどんといろんなメルマガライターから送られてくるんですけども、だんだん気持ち悪くなってきまして、そのメールアドレスは破棄しようと思っているんです。

 

特に見下しているわけでも傲慢であるわけでもないんですけども、やはり「一流」「二流」「三流」ってありますよね。

これらのメールマガジンは主に「情報弱者」と言われる方々に対して送られるマーケティングなわけです。

 

しかし何をもって情報弱者と言うのかは、ちょっとわかりませんけれども、「情報、情報」と言っても、色々なジャンルや分野があるわけであって、人には得意分野と不得意分野があるので誰もが分野によっては情報「強者」である場合もありますし情報「弱者」てある場合もあるんですね。

 

私は昨年秋頃から、オンライン、オフライン問わずの、詐欺、悪徳商法やマーケティング心理学についての方をちょっと読んでいるので、かなりの「マーケティング免疫耐性」はあるとは思うんですけども、自分の自身判定は他者でないとできないので、あえて判定させていただくならば「江嶋は1.5流レベルのマーケティングレベルであれば引っかかる」という感じであり、私自身そういった消費者です。

 

さすがに「一流のレベルのマーケティング」になると「自分自身がマーケティングされてる」ということも気づかないレベルだと思いますので・・・それでも二流でも引っかからないかな、と思ってるんです。

だからその間の「1.5流」ということです。しかし一流のマーケティングであれば内容はもはや本物でしょう。

 

例えばどこのSNSでも偽りの女性アカウントがあって出会いサイトに誘導されていますけども、そこでそういう仕事やっている男の従業員の方ですけれども「調子に乗ってる男性からは、どんどんお金を絞るとる」らしいんですね。

 

最近、私は堀江貴文さんの本で「闇金ウシジマくん」という漫画について書かれてたので、その漫画をちょっと読んでるんですが、(マンガワンと言うスマホアプリで無料で読めます)この精神は、その登場人物のウシジマ君と同じような感じですね。

例えば私は fx に関しては三流ではないと断言できますけれども(それはもう2012年から fx をやってると言う事で客観的に見てもそれは信じて頂けると思います)
 

特に今、普通に本屋さんとか見て fx の本を見たとしても、私から見たら、かなり初心者向けと言うか、 fx はハイリスクハイリターンだ、みたいな、表面的なことしか書かれてないわけですね。

 

しかし、私もかつては、そういったものを見て fx というものを始めたから初心者向けの情報があったり、情報弱者向けのマーケティングがあるというのは自然的なんですね。

 

でも私は、あらゆる分野において、早く皆さんは三流から抜け出してもらいたいと思ってるんです。いつまでも三流のままでいると資本主義ならではの罰がどこかしらからやってきて、加えられると思うんです。

 

例えば「一流・二流・三流」って言う言葉を心の中で思ったとしますね。その時に、そんなに心の中では深く考えないので、漠然と世の中に存在する一流の人が100人に、二流が100人に三流100人って潜在的にイメージすると思うんですよ。(人によりますが)

しかし、そうではなくて、あらゆる分野においては、人の層はピラミッド型を形成してますので、例えばですが、一流の人が100人いれば、二流の人が1000人いて三流の人が1万人いるわけですね。

 

それで二流から一流になるのは難しいかもしれませんけれども、三流から抜け出すのは非常に簡単な事なんですが、少し勉強すれば良いだけですから。しかし、ほとんどの人は、その分野についての勉強を、何もしないということになってるので、世の中のあらゆる分野は三流の人が多いというわけです。

 

例えば sns とかの書き込みとか見てても、やっぱり勉強してない人とかってわかりますからね。

結局いつまでも三流のままと言うのは、その分野について興味がないから勉強する気がないと言うことですね。

 

例えば「fx はギャンブルだ」という言葉を言う人は、そもそも fx をやる気がないし fx が興味がないから、そういう事を言ってるだけなんですね。それ以上でもないしそれ以下でもないし、これらを述べて、そのお話は、はい終わり、と言うだけになってしまいます。

fx はギャンブルではあるんですけども、その言葉からは fx の興味のなさが感じられるわけです。私は fx はギャンブルじゃなくて経済活動だと思っていますけれども、それは私がFXに詳しいからそう思えるし、実際にそうなわけです。いろいろな説明が、ここでは書ききれないほど説明し、論じることも可能なわけです。

 

例えば「海外移住して fx やったら破綻しトラブルになった」というニュースを見てみたら、どうやら人にお金を借りてやったから破産したということであって、それ別に 「fx じゃなくても、他の投資でもなんだって同じだろう」って思うんですけども、だけど、その、こういった「欠陥のある記事」に対しては、何もわからない人が見たら fx は怖いと思ってしまうんですね。後、「銀行員が勝手にお客さんから借りた(預かった)お金で fx したら失敗したから自殺した」というのもありますけども、それ fx が悪いんじゃなくて、そもそもその人が、お客さんから借りてるお金で fx やってること自体が異常ですから fx が悪いとかじゃなくて、その人が悪いだけなんですよ。

 

そういう記事を見たときに、「どこの部分が悪いか?」という本質を考えてその記事を見れば、その記事が欠陥記事だってことは分かるんですけども、つまり fx に関しての知識が何もないと、こう言う記事を見ると怖いと言う風になってしまうんですね。そしてリスクどうたらの話になります。

(もちろん私は、適正もあるのでfx はお勧めもしますけどもお勧めはしませんと言うスタイルでいます。)

 

逆に私が、他の分野のビジネスについて、あれこれ言った場合は、その分野のビジネスについて興味がないと言うことです。そして詳しくなく、その道に入ったことがないと言うことだけです。

 

しかしその分野のトップクラスにいる人からすれば、いろんなことは知っていると思いますね。

話は戻りますが、だから少しでも勉強すれば三流から抜け出すなんてことは非常に簡単だと思うんです。
三流から抜け出すことが、どれだけ大切なことかというのはですね。「少し勉強するだけで膨大な人数のライバルが減る」わけですね。

 

先ほども言いましたように一流の人が100人二流の1000人に三流の人が1万人いるとしたら(実際はその人数の格差は極端ですが)その1万人の人たちを抜けるわけですから。そこから初めてのスタートがあるわけです

 

本当にその分野に興味があるのならば三流レベルから抜け出すのなんか余裕なんですね。
それだけで一気に1万人を出し抜けるわけですね。

例えば 「fx の勝ってる人は10人に1人だとか20人に1人で、後は全部負けてる」だとか言ってますけれども私はあまり、と言うか、ほぼ、それを信じていません。実際そうだとしても私は fx をやりますし。

まずその「母数」が「どこから来てるのか?」と言うことなんですね。
例えば私は日本の fx の取引業者の口座を10個以上持ってるんですね。これは詳しく書くと説明が長くなるんですけども、初心者の頃に色々な取引業者を試したかったからそれだけ持っているんですけども。

 

その業者の口座数のデータから見てみれば、私みたいな人はたくさんいると思うので、口座数から見た fx の勝者と言うのは10人に1人ぐらいにはなってくると思います。

 

FXの世界と言うのはインサイダーが有利だって言う話を聞いても、それもあんまり信じてはいません。昔はそうだったかもしれませんけれども、今は98年から外為法が変わって個人のパソコンでできますからそもそも相場の動きがどうなってるかは分からないわけですね。それにジョージソロスとかの歴史的、投資家になる気もないですし、生まれも時代も環境も人種も違うからなれません。

 

ヘッジファンドだって全てが勝つわけじゃなくて潰れるファンドもあるわけですから。ファンドが仕掛けるストップ狩りだって100%成功するわけじゃないらしいですよ。逆にストップ狩りと同じ方向に乗ってけば、おこぼれが、もらえます。そんな莫大な機関投資家レベルの利益は必要ないんです。個人で家で、やってるだけですから。

 

 

 

 

だからこのようにして「自分の興味のある分野」であればリスクだと思っているものもリスクだと思わなく、どんどん乱入するが如く乗り込んでいきますし、結局、興味がないと、その分野のことを否定的に言って、手放してしまうだけの話なんですね。それだけの話であり、現象であり、心理であり、行動原理です。

私はたまたま fx をやってるから今 fx の話をしましたけれども、これ、どんな分野でも同じです。

つまり、すべての分野のビジネスは否定できないと言うことですね。

 

だから今、自身が三流であれば、少し勉強して「2.5流」にでもなれば「一万人を出し抜けるわけ」(ただし、少し上の二流なら、もっと確実。でもこの話の場合での2.5流の場合は5000人くらい出し抜ける)ですし、そこで道が見えてくるわけですね。新しい「視点」と「物差し」を持てる様になって、その分野における分析結果が変わってきて、判断が変わって、印象が変わってくるわけですね。それだけの話ですね。

 

だから私は、騙されたと思ったって言うのは、その三流の人が、そもそも勉強していないから、そんなことになってしまうんだって、それはどちらかと言うと同情はできないんです。

 

例えば、私が自分のライフスタイルの中で、あらゆるものに興味を持って、始めたいと思ったけども、始めなかったというものは、たくさんあるんです。だからそういった分野から見てみれば私は三流に入るわけですね。 三流の人たちと言うのは、あらゆる分野で90%はいるわけです。
だからほとんどの人たちが三流と言うのは普通の話ではあるんですね。
 

しかし少し勉強することによって同じ三流の一万人のを出し抜いて二流になることができるんです。だからちょっと勉強するだけで良いのに何もしてないわけです。

だから結局、情報と言うか知識が必要ですね。何かおかしいと思ったら調べる、勉強すると言うのが、非常に大事になってくると思います。

 

まだまだ世の中には、インターネットに繋いでない人もいますし、インターネットで出来る仕事がある、ということさえも知らない人たちがいますので、まだまだ世の中には相当、三流の人たちがいるわけですね。

 

そういったなか、今この文章を読んでいる方達もそうなんですけども、この文章読んでる人たちは、ビジネスとかやってる人達が多いと思うので二流以上の人達だとは思うんですけども、もしも自分の知らない分野でリスクがありそうだと言う場合には、調べてみれば、すぐその分野の背景が分かると思います。

 

以上お読み頂き誠に有難うございました。江嶋ゆきひろ

自動代替テキストはありません。

 

 

こんにちは。最近アマゾンの書籍のランキング(それはジャンル分けなしのもの)ですが、それを見てみますと、あらゆるジャンルの本が乗っていますが、ビジネスや哲学などの、人間の役に立つ書籍が、トップに入っていることもあるのですが、その中には、どうでもいいよな、例えばアイドルの本だったり、いかにも一般大衆が読む様な、好む様な、本がランキングに載っていたりすることがあります。

 

そこで私は思ったことがありました。私たちは主に資本主義の社会に生きているので、ビジネスや金融、そして歴史のことなどを学んだ方が幸せになれるんじゃないか?そして儲かるんじゃないか?と思うのですが、別にそうでもないんだなと思ったのです。

 

例えばビジネスマンだったらどうでもいいよな、おもちゃに関する書籍がトップになってたとします。そうなりますと、そういった、おもちゃの業界というものがきちんとあって、それはきちんと社会としてヒエラルキーを持っていて、上にいる人は儲かっていて幸せなんだなということです。その人生の面白さは、堅苦しいビジネスなんかよりも相当、上にあると思います。

 

 

 

しかしそういった業界は、儲かりにくかったり競争率が高かったりするので、上に行くのは大変なんですが、ずっとやってれば、そこそこ生きていけるのではないかと思います。

ここでわかるのは、学んだからといって幸せになれるわけではない、と言うことです。

 

例えば、私たちは資本主義に関わる色々なことを学んでいます。しかしその元と言うのは先人たちの教えです。私達よりも先に生きた人達が編み出した「技」、というのを、私たちが見て知るだけにすぎないのです。

 

しかし、私達の体は、そもそも霊長類であり、チンパンジーがちょっと頭が良くなっただけの

存在であります。人間という存在をどう定義したとしても、そしてどうイメージしたいと思ったとしても、これは科学的にも動物学的にも、進化論的にも、きちんと立証されている客観的事実です。基本的には食べて寝るだけで生きて行くことが可能です。

 

 

 

 

そして先人の残した学びには「押し付け要素」のものも入っています。押し付け度数が「0%」の学びはありません。何か学びであれば、その人から多少なりとも押し付けを受けなければならないのです。

 

つまり書籍を読んだときに、その著者からの学びは大いにあるのですが、100%無条件で教えてくれるわけではなく、その「押し付け要素」さえも全て受け入れた時のみ100%覚えることができるのです。

 

役に立つ「人生の技」を先人から学んだとしても、その「押し付け要素」に耐えられなければ幸せにはなれません。その「押し付け要素」を受け入れるメリットがその「技」にあるのか?と言うことです。

 

その「技」の凄さが、その「押し付け要素」よりも上にあれば、我々にとってメリットがあります。しかしその「技」の凄さと「押し付け要素」が「同等のもの」か「下」に位置するものであれば我々は幸せにはなれません。その「押し付け」を受け入れることが逆にデメリットになってしまうからです。その押し付けの違和感は、脳から脊髄を伝わってストレス信号を全身に発信して、やがて体を壊してしまいます。そうすれば元も子もありません。
とても難しい命令をされて判断がおかしくなり、狂ってしまったロボットの様になってしまいます。

 

つまり「押し付け要素」を受け入れても、それでもその「技」が欲しいと言う時だけ、私たちは、その学びを学ぶことによって幸せになります。無理やりでは幸せの獲得は無理なのです。

例えば「自分自身を、もっと強くしたい」と言う要望があり先人に質問したとします。

その答えとして先人が「自分自身を強くしたいのならば、街中のチンピラにケンカを売ってください」と答えたとします。笑

 

これはもはや「押し付け」です。しかし質問者が、この「押し付け」に対して「自分自身を強くするため」に仕方がないと思えば、この押し付けは「技」を覚えるために仕方がないということになり、「技の習得のメリット」は「押し付けのデメリット」を越える結果となり、やがて彼は、それを実践することになるでしょう。

 

しかし、ほとんどの正常な頭脳を持つ人は、こんなことは実践できないと思うでしょう。なぜならばそれは、この「自分自身を強くする」という「技」を習得するために、この「押し付け」と言うのが、あまりにもデメリットだと感じているからです。

 

以上、これは分かりやすく書いたために冗談の様な極端な話になりますが、技を習得することと「習得するためのプロセスとしての押し付け」というのは、どの書籍の文体上にも、ほぼ必ず存在する要素です。

 

したがってその「押し付け要素」が、自分自身のキャラに適合するのか?と言うのが重要になってきます。今回の問題の解決方法は、まさにこれを考えるということです。

その「押し付け要素」の種類が、自分の心の底から受けられる時のみ幸せになれるのです。そうではない場合、違和感を感じ、不幸せになってしまいます。


そして、そもそも、その技を本当に活かせるのか?と言うギャンブル的な要素もあります。

このギャンブル的な要素を認めた上で、さらにその「押し付けデメリット」を上回る「メリット」が、その技にあれば、その技を習得する意味はあります。

 

そして現代社会では、そもそも生きるためのインフラは全て揃っています。

したがってアマゾンの書籍に、どうでもいいよな本がランキングに載っていたとしても、おかしくありません。そう言う本だけでも生きていけるのです。そう言った世界に浸って生きることも可能だからです、

 

「平和ボケ」は、ある意味ではとても良いことかもしれません。
平和ボケがダメだと言うのであれば、自衛隊で一般人でも参加できる「予備自衛官補」にでも入れば良いのに、誰もしません。


平和ボケをなくすために、何をすれば良いのか考えたところで何かできるわけでもありませんし、北朝鮮に行ってその両手でミサイルを物理的に抱えて止めることなどできません。

結局、何も考えていても国家と自衛隊に安全面はお任せと言うことになってしまいます。

従って安全面も含めて、私たちの日頃、生きるためのインフラは、もうすでに全て揃っているので、これらを学んでもこれ以上幸せになることはできないという状況が、時には起こるのです。

 

そしてもう一つ、学んでも幸せになれない理由は、いくら私たちが学んでも、本来私たちは学ぶ様な存在ではないし、学びを実践するほど優れた存在ではないからです。それは先ほども述べた進化論から考えてです。

 

社訓の様なものを見ていると、いかに私たちが本来それの逆を持っている生物だと言うことを認識することができます。

私たちが本能的に持っている衝動は社会では「悪」と呼ばれています。
本来、善良であるならば社訓の様なものはいりません。
本来、善良でないからこそ社訓の様なものを理想として永久に追い求めているのです。

しかし全ての「善」に沿って生きることが優秀なチンパンジー、すなわち我々にとって健康的で必要なことでしょうか。

 

 

 

こんなことを話していると、私は何か悪への導きでも唱えているかの様に思われてしまうかもしれません。しかしそういうことではありません。

ここでの「悪」は例えば社会のマナーを守らない、というレベルのものだと考えていただいて構いません。犯罪に走るとかそういうことではありません。

 

現代社会では余剰(必要量を越えた余り)に存在する知恵というものがたくさんあり、もしかしたら我々はそれを吸収しようと躍起、つまりムキになっているのではないかと思うことさえもあるのです。

 

私がここで唱える「この世の中には余剰な知恵が存在する」というのは間違いではないかもしれません。

つまり「知恵」の需要と供給のバランスが崩れているのです。
もうすでに、人々への知恵の供給は十分にされているのに、知恵の消費者(知恵ユーザー)は「まだまだ足りない」と思っているのです。
 

もうすでに、自身が学ぶことによって幸せになるための技は、すぐそばにあるのに、「まだ足りない」と思って遠くを見て何かを探している人たちが、たくさんいます。(灯台下暗し)

ビール一杯で満足なものを、「もっと満足感が欲しい」からと、わざわざ何杯も無理やりに、胃の中に入る限界量まで飲もうという行動原理と同じです。

 

資本主義社会は、例えば食べるものの1/3が廃棄されると言うほど、富が余る社会を形成しています。それに対して共産主義の場合は、足りているものだけ供給しようとするので、何かあった場合には破滅します。資本主義では、常に物が余ってるために、何かあっても大丈夫なのです。しかし、それと同じように資本主義社会だからこそ「余計にあまる知恵」というのも存在するのではないかと私は考えています。

 

資本主義社会では、ありとあらゆるものが回転し、繰り返し、そこからあらゆるものと価値が生まれる余剰社会です。したがって、そこからあらゆる知恵も生まれてくるのですが、果たしてそれは自分自身に必要なのかどうか?・・・それは不明です。

 

幸せになれない人々は、まさにそういった「余計に余る知恵」というものに、ところ構わずに・・・自分の適性を考えてそれが適合するのかどうか?も考えずに、お腹を満たしたいが為に手を出してしまっているのです。余計な知恵で、どんどん肥えて行きます。

 

したがって、この「余計に余る知恵」というものが存在することと、それを見極められる視点を持つことが必要になります。

 

以上、お読み頂き誠に有難うございました。江嶋ゆきひろ