こんにちは。フレンドの方から承認申請ありがとうございます。とメッセージをいただくことがあるんですが、それに対してのお返事をしてたんですが、原因不明で私の8月までのメッセージが「 ブロックされているコンテンツまたは危険がコンテンツが含まれているため、このメッセージは削除されました。」と表示されて見れない状態になっていると思います。

 

これは原因不明なんですが、たぶん2行ぐらいの短いメッセージで、いつもお返事をしているので多分それが同じようなに文章を送ってると、スパム扱いになって自動的に、そうなっちゃってるのかなとか思ったんですけども原因は不明です。

 

facebook のそのアルゴリズムで、スパム判定を自動でしているんであれば、毎日の様に海外から水着姿の写真の女性の名前3文字でくる、アダルトサイトへの誘導スパムみたいなフレンド登録来るんですけども、そういうのも自動スパム判定できないのかなとか思うんですけども。

 

それ以外にも、自分自身がインターネットライフを送る上で、色々な不都合と言うか、インターネットのシステム上の間違えと言うかですね。私の方で、これは間違ってますか、とか、色々ちょっとお伝えしたいことがあるんですけども、それ、いちいち言ってると、ちょっと面倒くさいので、直接聞かれるわけじゃないんで、ほうっておこうかと思いまして。例えば、いろいろゲームの問題点とかも、弁明したい部分とか色々あるんですけども、もうそれを色々話していると、これまた面倒くさいと言うことになってしまいます笑

 

やはり、何も考えない人間が一番良い、と言う事で、世の中の矛盾に対しても、それは仕方がないということで、放っておいた方が良いですね。

 

もう。一部が「そう思うのならば」そうでいいじゃないかと。

 

腰椎分離症からくる腰の痛みはちょっと引いてきたんで、今月の中旬ぐらいから、ちょっと色々表に出て遊べると思うんで、それまでずっと結構家にいがちだったので、書き込み中毒だったんですけども、もうそろそろインターネットの世界からお別れの時も来るんじゃないかと思います。

 

書き込み中毒さえ治れば、後は、インターネット活動の方は、ほったらかしにできるので、やはり文章を情報を配信してですね、1時間半かかってしまうというのは、ちょっと毎日考えると、ちょっと時間かかるんで、かといって短い文章を毎日投稿するというのも、私のスタイルで言うと、ちょっと自分では考えられないので。文書の最終確認は一回で終わらします。

どうなるのか分かりませんが、表に出たら、表に出たで、インスタグラムで写真投稿するとは思うんですけれども。

 

まずは、復活、第一弾、としてカラオケ映像をお送りするかもしれませんね。

今後は、価値のある配信と言うよりも、、まだそれまでは価値のある話だったかどうか分かりませんが、ちょっと気を抜いて投稿できるばいいと思います。

 

この、とりあえず制作途中のゲームが5個以上ありますんで、10個はないんですけれども、それをとにかくちょっと形にして配信する作業しないと駄目ですね。

 

サンクコストということで考えれば、途中で制作を破棄して終わらせてもいいんですけども、まあかなり面白い作品が途中まで出来ているのもあるんで、 実は東京逃亡者を作った rpg ツクール2000の方は、かなり前にパソコンからアンインストールして rpg ツクール2000のダウンロード版が、どこか行ってしまってですね。

 

 

 

また買わなきゃいけないと思うんですけども。ツクール m v の方もアンインストールしてるんですけども、これは ディスク版を買ったのであるんですけども、またインストールし直さないと駄目ですね。

以上お読み頂き誠に有難うございました。江嶋ゆきひろ

 

先ほど書いた文章で「ゲームの宣伝をしなければいけない」と書いたので、今回は久しぶりにゲームについて書きたいと思います。なお今回の書き込みより「音声入力で書いています」と言う文章を省こうと思い、これを告知します。理由は文章の冒頭から安っぽく思われるんじゃないかと思ったからです。結局キーボードでタイプしていても文字のうちミスはあると思いますし。

今回は、今年の春頃に完成し発表された「マヨカの犬散歩」についてです。このゲームが生まれた背景を語りたいと思います。
 

ブラウザーでできるサイトにも投稿しましたが、そこでの感想に「シナリオが短かった」や「東京逃亡者のイメージと全く違った」と言うのがありました。

東京逃亡者ではシナリオの、しつこさ、と言うのが一つの異質なスタイルになっていて、特徴にもなっているので、(「田原の佃煮」や「喜多川新平の過去」の件(くだり)など)今回は、とても、シナリオを短くしたのですが、今回思った以上に、ラストゲームメーカー発のゲームに対してシナリオ面に期待してくれてる人が、いたんだなと思いました。


そしてもう一つ、前作の東京逃亡者と違う雰囲気になってしまったというのは、そもそも今回から私、江嶋がゲームの制作を全面的に担当するようになったからです。

元々は、ラストゲームメーカーは通称「精神的にきてる作者」を発掘することによって、東京逃亡者の原作を決めてもらって、私が rpg ツクールでプログラムを打ち、そして音楽を担当しました。

今回の「マヨカの犬散歩」の音楽は、完全にピアノ音楽をつけました。それは東京逃亡者では、ピアノの音色はエレガントさを出してしまうので、一切つけないということで決めていたので、全くその逆をいきたかったからです。

東京逃亡者を作ってる過程で、どんどんとダークな闇のパワーが、私の実際の日常生活にも侵食してくる恐れがあるために、この作品の制作活動からの早めの脱却が求められていました。そして「きてる作者」の方が、完全に我々から姿を消した後に、私、江嶋は次の作品をどうするか考えていたのです。

そこで、この作品に登場していたキャラ、喜多川マヨカを主人公にすることをかなり前から私は計画していたのです。東京逃亡者では、ただの幼女としての、脇役にも満たないレベルの登場キャラでした。


「東京逃亡者」の呪いが去った後、私、江嶋自身によって・・・完全に私、江嶋によって、この「喜多川マヨカ」と言う人物は生まれたのです。これはある意味、「きてる作者」からのインスピレーションに一切に頼らずに、私が起こす「アンチ東京逃亡者」の姿勢でもあったかもしれません。

この喜多川マヨカを、これからどうするのか?ということに関して、これは私のこれからの一つの使命でもあると思っております。

これから、この小さなラストゲームメーカーが「何か」を育てていくためには、毎日毎日、何かに水をやらなければいけません。その水をやる対象が、この「マヨカ」なのです。

さて「マヨカの犬散歩」。もともとこのゲームはスマホでもできるゲームにしようとしていました。そのための十字コントローラーも(プログラムの中には隠れていますが)大きく表示されるふうにもなっています。

馬から逃亡するというシステムは初期に完成していたのですが、物語の部分で非常に苦労しました。後半の物語の部分は一気に作ったという記憶があります。なかば、いやいやな気分、そして、めんどくさい気持ちでで作った感じです。しかし私にとっては、この、いやいやで、時間がない。という気持ちが、より心を集中させて、一気に物語を書き上げることのパワーになることがあるのです。

ゲームを作り始める前に、ゲームの制作の企画を紙やメモなどで書いたりすることはありません。東京逃亡者の頃でもそうでしたが「行き当たりばったり」のところが結構あるのです。

女性のキャラが犬を散歩すると言うのが大前提としてありました。犬を散歩するという、「ほのぼのゲーム」かと思いきや、「全然違う」と言う風にしたかったのです。

そして物語の後半に出てくる「アキヒデ」ですが、これは私が以前から作ろうと思っていて、未だに何も作られていない制作開始時期未定のジャンプアクションゲームである「空間上昇者」の主人公です。 

これははっきり言って東京逃亡者を、ものすごく考察するレベルのマニアックな人ではないと、わからないと思うんですが、彼は「東京逃亡者」で異界に残していた日記を書いていた人物です。

このようにして、このゲームを単品やっただけでは、一体何のことだか分からないと言う様な演出があります。非常に一人よがりなのです。

しかしです。

例えばプロレスの原点は何か知ってますでしょうか?プロレスの原点は、実のところ、よくわかっていません。アントニオ猪木が言うのでは古代のコロシアムだとか、或いは大仁田厚に言わせればプロレスの原点はサーカスのショーから始まっている、と言います。

 



そこで私は思うのです。フリーゲームの原点は一体何かと?この意見は人によって様々だと思います。私はひとつ、作者が自由に作った不謹慎ゲームにフリーゲームの原点はあると思っているのです。これぞまさに不謹慎でありますが、私はそこまで行かなくても、別にフリーゲームを作るのは独りよがりでいいと思っているのです。

さて、このようにして、「マヨカの犬散歩」の誕生の原点として、東京逃亡者があるがゆえに、このゲームだけでは非常にストーリーがよく分からなくなっています。

よく考えてみれば、私はなぜ、そもそもフリーゲーム界隈に参入してきたのか、よくわからない部分があるのです。40歳前に体の調子が、おかしくなってきたから、そんなに労力のかからない作業である(しかし実際はものすごい疲れる)ゲーム制作に突き進んだと言う部分もあります。

そして、最近、わかったことであるのですが、フリーのホラーゲームでは、非常に若い人たちが活躍しています。とある人気有名作品では、10代の女の子が作っているというのがあるのです。私はこれに驚きました。私は最近のインターネットエンターテイメントのことを何も知らなかったので、びっくりしたのです。

そこで思いました。「これは敵うわけがない」と。どうやっても10代の方、そして20代前後の新鮮なセンスに勝てるわけがないのですこの私が。

さて、話は変わりましたが東京逃亡者を見てみましょう。イナゴの佃煮である「田原の佃煮」などというものが重要アイテムとして出てきたりして、もう全然違うのです。

このゲームをやるプレイヤーの方々は、ゲームしながら、ものすごい険しい顔をしながら製作者が作っている、という光景が浮かび上がるのではないかと思います。どういうゲームを作って良いのか分からないのでヤケクソになって作っている製作者の顔が思い浮かぶかもしれません。

普段、働きもせずに何もやってないくせに、ここで一発を当てて競馬で大儲けしてやろう、という汗水を垂らした、おっちゃんの様な感じです。それと同じような顔がこのゲームをやっていると浮かび上がるかもしれません。

 

 

 


・・・実際にそうだったのです。

このゲームを制作している時に、私はマウスを動かす期間が多かったために、右腕の下の部分がカサカサになってきたのです。従来の生活では、そんなことはなかったのですが、スキンケアクリームが、いつも以上に消費されたのを覚えています。これによって私自身、様々なスキンケアクリームを買ってスキンケアクリームに少し詳しくなってしまったのです。

東京逃亡者を製作している10ヶ月間は、とてもしんどいものでした。「きてる作者」からのインスピレーションによって、「付け加え、付け加え」で、何のために、こんなことをしているのか、わからないのに、どんどんと物語が大きくなってくるだけなのです。

12月31日から翌年の1月1日に日替わりするカウントダウンの時に、おじいちゃんキャラの動きの再確認をしていたのを今でも覚えています。

もしかしたら私は、こんなことをせずに他の事をやっていたかもしれないのです。他の事をやっていたならば、このようなゲームも発表しなかった。インターネットによって不特定多数の人に、このゲームの発表者であるということ公にしてしまったという、これはひとつの人生における傷でもあるかもしれません。

この、しんどかった苦労体験を、何とか1ミリでも後の人生に役に立てたいという気持ちで、なんとか「ラストゲームメーカー」を廃止せずに、次の作品であるものを発表した。それが「マヨカの犬散歩」なのです。

「マヨカの犬散歩」で見て頂きたいのは、やはりこのタイトルとオープニングのピアノの音楽です。

あの「東京逃亡者」で繰り広げられた、ろくでもなく泥と沼の砂の匂いが漂ってくる様な、洞窟を中心とした世界観の中で、あらゆる癖のあるキャラクターがお送りした、あれこれの物語が全て過ぎ去って行き、そしてその頃は幼児だったマヨカか、なぜか22歳になって現代社会である我々の住んでいる東京都の台東区に現れた。(しかし都知事の名前が違うので、少し違う世界かもしれません)

その理由は誰にも分かりません。そのようにしてしまった私、江嶋自身も、これからどうなるか、分かっていないのです。

今のところ、このマヨカ・シリーズは長期的な構想期間を必要とする3部作、という予定でいますが、まだ細かい部分は決まっていません。しかし、だからこその・・・それゆえならではの・・・この切なげな音楽。 

東京逃亡者で完全に100%疲れ切ってしまった私自身の一面が、このようにして「マヨカの犬散歩」と言うゲームとして具現化されてしまったのかも知りません。

私は、もしかしたら、無意識の中で、架空の宇宙からやってくる、私の心を癒すヒロインを求めていたのかもしれません。だからこそ、私のすぐ近くに住む東京都台東区に喜多川マヨカをこの物語の中に降臨させたのかもしれません。

以上、お読み頂き誠に有難うございました。江嶋ゆきひろ

 

 

「マヨカの犬散歩」(「ふりーむ」より)

マヨカの犬散歩 ゲーム画面2
狂った馬からマヨカ22歳が犬連れて逃げる東京都台東区
https://www.freem.ne.jp/win/game/14246

 

こんにちは。音声入力で書いています。
昨日書いた文章はですね、だいたい30分前後でかけてるとは思うんですが、私が情報を配信をする上での一番初めの作業は、 google ドキュメントを開くことなんですね。そこから考えて、最終的な工程を終えるまでに1時間半ぐらい昨日かかってしまったんですね。なぜそんなにかかったのかと言いますと、文章が出来上がった後に、まず句読点を手動で入れますね。

 

その後に行間を入れまして、そして一番初めに facebook に乗っけてからアメブロにのっけます。そして文章の確認をして、わずかに修正したりするので、それをゆっくりやってると1時間半ぐらいたってしまうんですね。本格的にシステム化して、私もバリバリのビジネスマンみたいな感じで、すばやくやれば1時間以内で終わると思うんですけれども、ゆっくりやっていますし、文章を書く、つまり話をしているのも、すぐに話が思いつくわけではないので、やはり30分以上は、ちょっとかかってしまいますね。

 

 

 

 

Google の音声入力の精度は、もはや90%以上ありまして、100%はさすがに行かなくても、95%くらいですかね。ただ、でてくる印象としては、ひらがなが多いといった感じです。

私が情報配信を始めたのは2013年の11月頃。この頃はゲームを作り始めようと思っていた時で、ゲーム制作を始めた時です。そして後に出すゲームの宣伝をするためにインターネットでの活動を行いました。その時期に私がよく見ていた情報起業家の方のホームページとかが、今、全部終わっている場合があるんです。つまりもうやめてしまったという感じです。

 

その頃に、その人は「あなたは今は人生充実していますか?」などと疑問系でブログで聞いておきながら、じゃあ「お宅様は一体どうなんだ?」と言いたい気持ちですね、今は。

 

ここで私は、インターネットを使う上で、第三の法則を教えたいと思います。それは「鏡効果」です。まあ、先日お伝えした理論も、まだ体系化されていないので、この「鏡効果」は、また後ほどお伝えしたいと思います。この鏡効果を分かりやすく言うと、「言っている本人に鏡を照らし合わせてみて、本当にその人の言ってることが本当なのかどうか?」を調べるという手法です。要するに、言ってることと、やってることが同じなのか?ということです。

 

なぜ私が、情報配信を続けていられるのかというのは、一つは私自身が「書き込み中毒」だからです。「今後とも情報交換をしたい」と言っていただける方も非常に多く、ありがたいと思っているのですが、私としては自分自身、「私ごとき」と思っているので、私の配信するものは「情報」と言うよりも、私自身が書いてる「日記」と言うだけの意識です。

 

そして私は過去アマゾンのレビューを50個ぐらいしていました。映画や本が好きなので、それのレビューをよくしていたのです。しかしそれだと amazon に無償でレビューを書くと言うボランティア活動にしか過ぎないので、自分のブログを作って書きたいことを書き始めたのです。私の一連の発言を見ていると amazon を否定しているかの様には思いますが 、amazon 自体は否定はしていないのですが、 amazon のレビューについては書きたい人だけ書けばいいと思います。


しかしなぜ、あれほどまでに時間をかけて書いているのか、よくはわかりません。 amazon でもしレビューを書きたいのであれば、1行で十分です。そして書くこと自体が時間の無駄になりますので、書かなくても別にいいんです。後、私は政治活動デモなどに批判的な発言をしているのですが、別にそういう方々はいたって良いと思うんです。

 

ただ一番大事なのは、世の中で、あらゆる人たちがいるなかで、どうやって、どうでもいいようなことに関心を持たずに、ひたすらずに自分の銀行口座にお金を増やしていくのか、或いは自分の幸せを追求する、ということに対して「一点集中」することです。

 

政治活動デモをしなければ、そういう人たちがいなければ、政治は良くなれませんし、色々な社会面について問題があるならば、それについて声を上げる人たちがいなければ、世の中は良くなりません。だから私は、そういうことは批判はしないのですが、そういう事は、やりたい人だけがやればいいと思っています。そしてそういう人達に、おまかせをしたいと思ってます。

 

しかし基本的には、そういった活動に対しての「労働対価」が、得られないのであれば、私は、そういうことは、めんどくさいので絶対にしません。

 

さて私が、情報が配信を続けていられる、もう二つ目の理由ですが、これは明らかにですが、ゲームを作っているからです。ゲームを作るための宣伝として情報配信を続けています。しかし日頃から何か金儲け的な話ばっかりをしているようで、なぜそれが「ラストゲームメーカー」なのか?と言いますと、この名前にはカモフラージュの意味もあるのです。

 

ターゲッティングから考えた時には、全然駄目なんですけれども「ゲーム」と言う名前が付いているだけで、金儲け的なことは考えてないキャラ、だということを演出しているのです。

そして私とか、やっているのが fx のスキャルピングなので、これはゲーマーとしての能力があった方が有利なのですが、そういった意味で fx の情報配信と、ゲームの情報配信をして、それの融合を目指しています。しかし fx の情報配信に関しては fx そのものの情報というより、fx をやっている人達が何を考えてるのか?ということを、私が自称代表として、ここで喋ってるというような感じになってると思います。

 

すなわち私が情報配信を続けてられると言うのは、一つは私が書き込み中毒であるということと、ゲームを作っているから、それの宣伝をしなければいけないということです。

過去に情報配信をしていて、すでにブログが長期放置で、そのままになってしまって、死んでしまっている人は、結局は自分の器を客観的に見ずに、お金の事しか考えていなかったということです。しかも人を出し抜いて。

 

よく色々「ネットビジネスを始めてみたけども儲かりませんでした。」という話を聞きましたが、「いやいやいや、そうではないですよ。」と。

やめたのは、いいですけども「あなたが間違ったメンターを選んできて、間違った手法で、間違った宣伝方法で、どれだけの人達のインターネット上での時間を奪って来たんですか?」ということなんですよ。あなたは被害者かもしれませんけれども、あなたが加害者として被害を与えられた人もいるんです。あなたも加害者の一員です。

 

自分自身が、儲からなかったというのは、それはあるかもしれませんけど、もう一つ注目しなければいけないのは、そしてもう一つ自分自身、振り返なければいけないのは、自分がやってきてきた三流マーケティング(或いは自分自身に才能がなかった)で、どれだけの人が迷惑がかかってきたのか?ということなんですよ。

 

そこの部分に対しては本人は、絶対、何も考えてないと思うんですよ。だから私はそのことに対して、別に罰したいという気持ちはないんですが、そのことを少し考えてもらいたいということなんですね 。

 

だから、私は再現性のない情報を販売する業者と、それを買う人は「お互い様」だと思っています。例えば、私はこのページで、自分で fx をやっていると、プロフィールで書いているのに「仕事は何をやっているんですか?」とメッセージを送ってくる人がいます。(つまり、コピペであり、違和感が物凄い漂っているので、一発で、おかしいとわかります。)

「(何をやっているか?は)私のページを見てください」と、お返事をするのも、めんどくさいので、完全に無視をしていますが。こういう方々が、結局、迷惑な三流マーケティングをやってしまっているんです。そして、そういう人達に限って、儲からないと言って、詐欺だ詐欺だ、と最終的には騒ぐわけです、しかし「いやいやいや。そうじゃないでょう。」と。そして「あなたも、その詐欺に加担して、儲からなかったかもしれないけれども、色々、人の時間を奪うようなことをやってきたでしょう」と、言うことですね。

 

だから、ネット投資もそうですけれども、ネットビジネスにしても、マルチレベルマーケティングにしても、そうですけれども、もっと俯瞰的に見て、「木を見ず森を見る」ような感じでやらないと、「お金を払っただけで元が取れて、うまくいくだろう」なんてことは、ないんですね。私は以上にあげた活動などについて、別に何も批判しているわけではないんです。人それぞれのキャラ・気質・性格・ステータスにあった利益獲得活動方法と言うのは、あると思います。何かを自分で始める上では、そういう事も考えないといけませんよ、と言うことを、今回は話させていただきました。例えば私が、この先 FXで破産したとしてもFXの悪口は言いません。 FXの世界と言うのを分かっていてやっていたことですから。

 

以上、読み頂き誠に有難うございました。江嶋ゆきひろ

 

こんにちは音声入力で書いています。今、書籍である「サピエンス全史」の上巻の方を半分読み終えました。ここで思ったのはですね。この季節になると特に自然においての事故が多いですけれども、私は基本的に海や山は危ないと思っていて、結構そういうような発言をしているんですけれども、基本的に私たちは動物ではホモサピエンスという動物ではあるんですけど、このホモサピエンスの体の構造から考えて、やはり労働、つまり仕事というのは体に負担をかけているわけです。

 

これは頭脳労働にせよ肉体労働にせよ体に負担がかかるということです。何にしようと労働というのは、したくないことの反復運動が、短時間にしても長時間にしても繰り返されるというわけですから、最終的には腰に来たりして、或いは首に来たりしたり、体に悪かったりするのです。つまりホモサピエンスと言う動物は、他の動物と一緒で、反復運動に弱いと言う事です。例えば朝、会社に行って取引先に営業行って会社に帰って来るって言うのも、長時間ではありますが、一つのサイクルであり反復運動です。

 

具体的な数字は間違っているかもしれませんけども、だいたい普通の猿がいて、それがアウストラロピテクスになって、それが700万年前だとします。そこから300万年前になるとホモ属(我々サピエンスは、この一種)が生まれて、そして20万年前にホモエレクトスから我々ホモサピエンスになりました。そしてこのホモサピエンスは、ずっとアフリカで暮らしていたんですけど、3万年前から一気に世界中に広がることになりますね。

 

そして一番初めの二足歩行と言われているアウストラロピテクスからアフリカで暮らしていたホモサピエンスまでは、ずっと狩猟採集の生活をしていたわけです。まあこれは食いつなぐのは大変だったかもしれませんけれども、お腹が減った時にだけ果物食べたりとか、そこらへんにいる獣を捕まえたとか、そういう生活だったと思います。

 

つまり今で言うところの、遊びや冒険に近いものだった。そして我々、現代人にとって労働の原点とは、いったい何かというと、ホモサピエンスが農耕民族になった約1万年前後からですね。この農耕と言うのが労働の原点です。つまりそれまで自然の中、歩き回っていてから、突然にして定住地をもって反復運動を繰り返すという生活になったわけです。

 

 

 

 

つまりこの反復運動というのは、地球レベルの長い時間をかけて「猿からアウストラロピテクスになって、そしてホモサピエンスになった」って言う「体の作り上げられ方」から考えて、非常にストレスのかかる営みなわけです。もちろん現代社会の方が医療が進んでいるので死亡率は少ないんですけれども、「ホモサピエンス」という動物の骨格や体の構造を考えた時に、本来はホモサピエンスと言うのは自然の中を歩き回っていた動物ですから、それが突然、穀物を育てるために農耕をして「反復運動」をしちゃったもんですから、腰を痛めたりだとか、そういうことになるわけです。

 

1日1日を毎日同じことをするのであれば、短期でも長期でもあっても、それは反復運動です。だから私は海や山は人が整備されていないところで事故ったりした時に、責任の所在がどこにもないので、不利になるのであまりお勧めはしなかったんですけども。まあ普通に表に出て自然的な遊びをするのは、非常に良いことだと思います。

 

とにかく労働という営みはホモサピエンスという動物の体にとっては、本来は非常にストレスがかかるわけです。例えばホモサピエンスとチンパンジーが違うと言っても、やはりチンパンジーに同じ反復運動をさせたら暴れると思うんですね。ストレスが溜まって、そこのところ、ホモサピエンスは理性が優れているために我慢をしてしまう。

 

本当はチンパンジーと、そんなに変わらないのかもしれないのだが、、、そして体の行動もチンパンジーと似てるのだけれども、理性があるために反復運動をしてしまう。慣れてしまうというわけです。

 

この200万年前から、アウストラロピテクスというものが生まれて、労働の歴史と言うのは、わずか一万年というわけですね。ということは、我々は、そもそも労働には向いていない体を持っているという事。そういうことになります。

 

 

 

わずか一万年で労働に耐えられるような体になったとは思えないのです。一万年では、動物の体は進化しないということです。それよりもこの200万年の中で進化したということを考えるのが必要で、それを考えれば、やはり酒やタバコも、そして現代社会の、すべてのものが体にいいとは思えないのです。

 

つまり神様(人が創造したものでなく、より宇宙的なもの)は、私たちを、そのようにするための体の構造にしてないというわけです。それでは、どうすれば良いのかというと、やはり安全なところを選びながら、なるべく表に出て遊ぶのがいいということになります。

 

そして無理をして、あらゆる「心地の良くない反復運動」をしない、ということです。イメージすると、極端にはなりますが動物園にいるチンパンジーのように、やりたくない時は寝ていて、やりたい時は思いっきり暴れて遊ぶ、と言う感じです。それが一番、体に健康的なライフスタイルということになるのです。


もちろん、それだと、ただの「動物人間」になってしまいますから駄目なんですけれども、
人間(サピエンス)というのは理性を持った動物ですから、なるべく理性を捨てることを心がける。それは反社会的な行為なのかもしれませんけれども、本来のホモサピエンスの体の構造上で考えた場合には、それが非常に健康的だと言う事です。


こう言ったことを、どれだけ社会に迷惑をかけないで、折り合いをつけながらやって行くのか、と言うバランスを考えるのが必要です。

 

反復運動が得意なのは機械やロボットだけです。 我々は反復運動するように作られてないということです。

 

つまり、理性がありすぎる人は理性を捨ててみるということです。

以上、お読み頂き誠に有難うございました。江嶋ゆきひろ

「カルマや、原因と結果の法則はウソ。」「人は誰でもマゾヒスティックな自己ストーリーを心に抱えている。 ~今回、私、江嶋ゆきひろが、既存の成功法則を踏まえながらも挑戦的かつ野心的な、未体系化の新しい「真・成功法則」を開発し覚書として記述!」 

こんにちは音声入力で書いています。今回私はまだ体系化されてはおりませんが新しい法則理論を生み出しましたので自分自身の覚書としてここに記述したいと思います。全てのかたがお読みになる必要は全くございません。

これはまだ体系化されていませんので誰かに押し付けるようなものではありませんし、あくまでも自分自身の覚書として書くもので、よってご興味のある方だけ目をちらっと通していただければと言う気持ちでおります。

過去、私は自分自身で新しい成功法則を開発しましたが、もしそれをご覧になりたい方は私のアメブロで 或いはgoogle から 「ゆきひろ独自開発の「I'm(アイム)理論」と検索してみてください。少し面白い事が書いてあると思います。従って私が新しく発見した理論は今回2個目ということになります。 

 

【新理論】LGMゆきひろ独自開発の「I'm(アイム)理論」
https://ameblo.jp/lastgamemaker/entry-12120470637.html

私は先日もお伝えした様に腰椎分離すべり症ですが、それも含めて今までの私の人生を振り返ってみたのです。すなわち、なぜこのようになってしまったのか?と言うのは自分の人生の中に、腰椎分離すべり症になるような原因があったからなのです。これはほぼ半分わかっていますが、長年私は頭脳労働ではなく、どちらかと言うと肉体労働についていたから長年にわたって腰に負担がかかり腰の疲労骨折を起こし、そうになってしまったのです。

原因と結果の法則を考えた場合に以上のことが証明できるのです。

よって私は過去を振り返り、後悔の念に駆られていたり反省したりしていました。今の自分を作っているのは過去の自分が選んだきた結果、とよく言われます。

こういった、既に体系化された成功法則を考えた時に、その体系化された「言葉」、それをミクロ的に見てみるのか?マクロ的に実践してみるのか?或いはを疑い深く外側から見てみるのか?・・・それらによって、これらの成功法則の意味と言うのは変わってきます。意味が変わってくると、その成功法則をどのように実践しするのか?どのように考えて行くのか?ということに、「違い」が起きてきます。

その「違い」と言うのが、まさに、つまり私たちがよく思う「本を読んだのに、なぜ成功しないのか?」ということの原因なのです。

つまり成功法則というものはあっても、使い方や意味合いが違っていると成功に導かれないのです。

例えば、これはどういうことかというと、例えば市販されている「道具」というものがあったとします。その市販されている道具と言うのは、その道具を作った業者が購入者に対して、このように使ってもらいたい、と言う前提の上で販売されています。

もちろんその道具の販売された意図通りに道具を使うことによって、目的は達成することが可能になります。例えばドライバーを買うことによってネジを締めることができた。トンカチを買うことによって釘を打つことができた、など。

しかしその道具の販売された意図通りに使うだけでなく、もっと色々な方法で、変わった方法で使って、目的を達成できる場合もありますよね。それは製造販売者からは禁止されていることでありますけれども。お婆ちゃんの知恵袋の様な感じで、もともと家にある道具を変わった使い方をして目的を達成するということがありますよね。

今回私が言うことは、すでに体系化されている成功法則を変わった見方で考えて自分自身に新しい成功をもたらすという方法です。

さて私が前述した原因と結果の法則。因果律。カルマ。でありますが。さてカルマと言うのは仏教用語でもあるので、これに私自身オリジナルの発想で手を加えると言うのはどうなのか、と思うかたもいらっしゃるとは思いますが、それは今回ご理解頂きたいところであります。

私は先日多くの時間、自分自身の人生を振り返って反省をし、そして後悔の念に駆られていたのですが、色々と考えた挙句「果たして、こんなんでいいんだろうか?」と思ったのです。

カルマは本当に存在するのだろうか?と思い始めたのです。そして仮に存在するとしたら私たちは、それを予測することができるのかと?

そして、これまで有史以来で多くの人間たちが生きてきて死んできましたが、その短い人生と言う時間の中で、あらゆる賢人たちが成功法則というものを導き出して、記述し後世に残してきました。

しかし私は思ったのです。果たして古代の人や中世の人、そして近代の人は、今のようなインターネットが地球上を網羅し支配する世界が来ることを予想していたのか?ということです。つまり体系化された成功法則は今の時代に通用する部分もあるだろうし、もちろん通用しないということもあるんじゃないかと。

例えば100年前の人たちが描いた100年後の世界と言うのは、100年前に生きる人たちの世界観の延長でしか描かれていないので、非常にレトロチックな未来が描かれています。例えば蒸気機関の時代に生きた人たちが思い描く未来というのは、蒸気機関がより発展した世界です。そこには日常生活の中に、たくさんの細いパイプが走っていて部屋中、蒸気に溢れてるという感じです。

つまり蒸気機関の時代の人たちは、原子力の発見と利用というものを全く知らないが故に、こういった間違った未来を描いてしまったのです。

これと同じように、果たして過去に成功体験を導き出した人は、現在のインターネットと、そしてこれから訪れるのであろう人工知能の世界を知っていただろうか?ということなのです。断言します。知れる訳ないのです。

人間というのは、もともとは動物よりは頭は良いのですが、言葉で会話できることによって、或いは文字を書くことによって、集合体として個人の知識と個人の知識が共有できるがゆえに、人類全体として頭が良いです。そこまで人間が頭が良くないと言うのは、魔女狩りの時代があったり、望遠鏡が発見されて月を見てみたら神様がいなかった、と言って捕まってしまった、というエピソードを聞けばわかると思います。

つまり、過去に導きされた一般的な体系化された成功法則も、今風にアレンジすることができるということです。なぜその様に私は考えるのかと言うと、最終的に自分にとって、より良い結果が欲しいからです。ここで私が、過去の成功法則を間違ったもの、という風にしてしまっても、最終的には、結果として自分に良い結果が得られればそれで良いのです。

さてここまで長くなりました。前述したように私は反省と後悔をしていたのですが、突然と思ったのです。ある書籍を思い出しました。「7つの習慣」という本です。

 

 


私は、この本を5年以上前に買って分厚い本だったので半分ぐらいしか読んでいないのですが、そこに書いていた「ある事」がありました。そこには「自分自身でストーリーを作ってはいけない」という事が書いてありました。

例えば、人は誰でも自分自身で自分のストーリーを持っています。それは自分というものが、どうやって生まれてきたのかを知っているからです。

自分のストーリーとは、いったいどういうものでしょうか。

それは例えば「私は、昔、こうだったから、今こういう自分なんだ。そしていま、自分が、こうだから、未来はきっと、こうだろう」というようなものです。

このようにして、つまり自分のことをわかったかのように、ストーリー付けをして自分の未来を勝手に決定してしまうのです。

これは非常に自分にとってマゾヒスティックです。だけど果たして人間というものが本当に、ある程度未来を予測できるほど頭の良い動物なのでしょうか?ましてや私たちは凡人です。

かつて私はこの facebook とアメブロに「モンティ・ホール問題」というものをかきました。これについては過去の私の facebook やアメブロから検索してみてください。

これはプロの数学者でも間違えたという問題で、世界一 iq の高い人が本当の答えを導き出したという問題です。しかしその iq の高い人は、問題に対する答えを導き出すために即答ではなく時間を取っています。つまりこの人でさえも、即座に答えろと言ったら間違える可能性のあった問題です。つまりモンティホール問題から考えられるように、人間というのは間違いを犯す。そして宇宙の本質を、簡単に謎解き明かすことはできないという事なのです。

もっと大きく考えてみると、宇宙の物理法則を、まだ判明できた訳でないので、未来に何が起こるのか分からないです。前述した蒸気機関の時代の人たちのように、自分の経験してきた目線でしか答えを導き出すことができません。

これ以上話が長くなるので、なるべく簡潔に記述できるようにします。

つまり原因と結果の法則、そしてカルマは嘘だということです。これらは「関係ない」と言うことです。それは確かに今の自分を作っているのは、過去に何らかの原因があったからです。
しかし過去に戻ってみて、それをコントロールできたでしょうか?人間と言うのは時間を一方向にしか動けない存在でありますから、タイムマシンでも発明しない限り過去を治すことはできないのです。諦めるしかないのです。

「原因と結果の法則を考えた場合、より良い未来を勝ち取るために、今、そのための原因を入れなければならない。」それは確かな話です。

しかし前述したように、人間には二つの欠点があります。一つは前述したモンティ・ホール問題のように未来を予測ことはできないことです。そしてもう一つは、人間と言うのは自分自身で自分の中にストーリーを意識せずに作っているということです。

ここで分かるのは、自分自身で自分のストーリーを作ろうと思ってるのに、原因と結果の法則を考えた場合、そこでの「結果」と言うのは、自分の想像し得る範囲のものでしかないのです。

もっとわかりやすく話しましょう。例えば「私は将来10億円を得るために、今10億円を得るための活動を始める」というものがあったとしましょう。

しかしご存じの様に「10億円を得るために、今10億円を得るための活動を始めた」からといって、10億円を得られる約束が必ずされるわけではありません。分からないことです。もちろんマイナスになることもあるかもしれません。

前述したことは結局は「原因と結果の法則」に基づいた自分自身のストーリー付け加えです。

でも私は思うのです。10億円を得るために、今、10億円のための活動を始めたことの結果、10億円どころではなく100億円になってしまった、と言うのがあっても良いのではないでしょうか。

つまりインターネットが網羅し支配し、そして金融までも、その上に乗っかってしまっている時代では、何が起こるのかわからないのです。

私は、どうせ、わからない結果が訪れるのであれば、突拍子もないような発想で、そして精神異常者だと思われても良いくらい、「物語として起承転結の、つじつまが明らかに合わないぐらいの結果」を心に思った方が良いのです。

もうそこには、カルマだとか、原因と結果の法則だとか、そんなメカニズムは必要ありません。そもそも宇宙の全ての法則を分かったわけではないのですから。どうせ未来はわからないのだから、関係ない、ということです。

心の中のアナーキスト(無政府主義者)にならないといけません。

私が今回記述しているテーマとしてのカルマ、そして原因と結果の法則は、ある意味では私たちの心に潜む「体制・権力」のようなものです。私たちの心のなかを支配しているものが、こういったものです。

「常識を打ち破る」と言うのも「成功法則」でありますが、それらを謳っている成功法則自身もまた、多くの人に知られた「常識」ではありませんか?だったら何が本当の「自分ならでは」の真の成功法則なのか?

過去に導き出された多くの成功法則は、疑われずに長年にわたって使用し続けられます。それによって、これらの成功法則は私達にとっては、ある意味では心の中の体制や権力のようなものになります。だから私は心の中のアナーキストにならなければならないと今、話しているのです。

無政府主義と言うより無思想主義。

思想がありすぎるがゆえに、色々考えすぎてしまって何も出来ない、そして自分自身に対してマゾヒスティックになってしまう。


カルマや、原因と結果の法則を、正統派として真正面から考えながら、自分自身のストーリーをマゾスティックに書き上げることは非常に危険です。 自分自身のストーリーを描いたからと言ったって、結果は誰にもわからないのです。どうせわからないのであれば、突拍子もなく予測できないほどの「上」を考えた方が良いのです。

なぜ、今時代における「結果」が、わからないのか?それは先ほども前述したインターネットと人工知能というものがあるからです。これらのテクノロジーの登場の予測は、昔の人達はできなかったでしょう。

先ほども記述したように、人間と言うのは魔女狩りをしたり、月に神様がいると思ってたくらいの、そのレベルの知的存在です。何も私は、自惚れているわけではありません。昔の人たちが、今、私のように、訳わからない「マイク」というものの前で喋ってるだけで、自動的に訳の分からない「画面」の前に文字が映し出されるという未来が来ることも知らなかったと思います。そして、わずかの時間で、地球の裏側に行けるという未来が来ることも知らなかったと思います。



今、2017年で生きる私たちが、人類の中で最も最先端に生きる人間達たちです。今の時代のことは、今の時代に生きる私たちにしか分かりません、よって成功法則を自分なりにアレンジし、自分で発明したって別にいいんです。とにかく原因と結果の法則はあるかもしれませんけれども、結果などと言うのは誰も分からない。

カルマや因果律は正真正銘の法則です。それは疑いの余地はありません。しかし今の時代には、これらに対して、いろいろな見方ができるのです。一つの「道具」に対して、いろいろな見方が、そして使用方法があるのです。私は今、それを話しているのです。

すなわち、巷に言われている成功法則の言葉を100%を受け取ってはいけません。そのようなことは罪だと思う人がいるかもしれません。「江嶋ゆきひろは、先人が導き出した賢者の答えを否定するのか?」と。しかし私は自分にとって良い結果が得られるのであれば、その成功法則までも捻じ曲げて、自分なりにアレンジして考えて、自分なりの新しい理論を見つけだしたいと思うのです。

過去のことは、過去に生きた人たちが体系化して土台を作り上げましたが、これからのことは、これからを生きる私たちにしかわからないのです。過去に生きてきた人が今、天国から舞い降りてきて私たちにメッセージを与えてくれるとでも言うのでしょうか?

そんな甘ったらしい手助けをしてくれるとは思えないのです。「自分たちの時代のことは自分たちで、よく考えろ」と天国で言っているのではないでしょうか。


それは確かに、今の自分があるのは原因があったからです。しかし過去の自分には、その原因を見つけることもできませんでしたし、これからもタイムマシンが発明されない限り直すこともできません。これからもそうでしょう。

それならば、もうカルマだとか原因と結果などと言う「ストーリー付けするための土台的な思想」に対してアナーキズムにならないとならないのです。

今回記述したことは、まだ体系化されていないので今後、体系化して「なになに理論」と言う名前を考えて命名します。

以上お読み頂き誠に有難うございました。江嶋ゆきひろ