目覚めの言葉 「まず自分が離陸する」

そもそもバラマキと言う言葉が汚らしく悪口でしかないのです。
(ツイッターで大物経営者が現金プレゼントの件)

さて、私は大衆紙のゴシップに興味する人にはなりたくないのですが、
しかし古今東西、こう行った物は、労働庶民の日頃の鬱憤を晴らさせ、
気がつかれずに搾取を継続する為の餌でありまして、
そう言った意味では世の中には必要な物だと思われるのです。

 


もしもセレブが落ちる事なく上手く行ったままですと、
労働庶民の気持ちが晴れず暴動と言う事になります。

実際のセレブの生活状況がどうであろうと、
ニュースを作る人は、何か世の中が盛り上がってないなと思ったら
計画的に、セレブや誰かが大成功しているニュースを流して労働庶民を興奮させます。

これで仕事もバリバリする様になり経済活性化へと向かうのですが、
セレブが成功しすぎると今度は着いて行けなくなり、庶民は面白くなくなってきます。

そこで「セレブが落ちた」ニュースを流して、ざまあ見ろと思わせておき、
ストレスを発散させ過酷な労働環境に耐えさせて搾取を継続成功させるのです。

これは景気の状態によってお金を刷ってお金を流通させ、
流通しすぎると逆にインフレになって良くないので金融引き締めを行う日銀みたいな物でして、お金も庶民の感情のコントロール・バランスも全て、上が行っているのです。

それを考えると、国の戦略的な感情操作の策にハマる多くの庶民の方が

普通である事は理解できます。

例えばネットが無かった頃にはテレビにおける毒舌芸人ビートたけし氏などが
庶民に共感される様な世の中風刺を行っていましたが、その精神はネットによって分散し
素人プロ問わず、幾多もの人々に受け継がれました。

的を得ている有識者の批判論もある事は確かですが
そう言った批判体勢が他所から見て格好良く粋に感じるのか
勘違いした多くの無知な者がネットでボヤいているのも現状です。

そこには説得性のある理論じみた物は一切なく、
単に「好きか嫌いか」だけじゃないのかと思える物もあり
「私はこれは嫌いだ」と素直に言えば良いものの、
なにか、そこだけは何か小細工でもしなけばと言う気持ちになったのか、

なにかの理由でも取ってつけて正論の様にしてしまっている物も多数ございます。

いずれにしても「正論」や「正義」と言う物は人の数だけ存在するのであり、
それだけでは全く力を持たない物ですが、
会った事もない人物の名を挙げて批判する事などは、
本来かなり失礼で危険な行為であり、
なにか面識でもあって個人的な恨みでもあったのかと思うくらいなのです。

「そのネット上の他人の出来事が、今と明日のあなたに一体どんな影響を及ぼすのでしょうか?」

ネット空間だからと洒落になると思う人もいれば、洒落にならないと思う人も
同じくらい存在すると言う事をどうやらこの方々は知らない様なのです。

世間には本音と建前があり、大人になればそれを知って使い分けるもので、
時には、そうでなくても人にお世辞を言って喜ばせるのが社会人間と言うものであって、
しかし彼らは、何の恐れも恥じらいもなく自分の思った事を何でも言ってしまうのです。

だれも「よく言ってくれた」等とは思っていません。
コメントを書いたサイトのPVが数アクセス増えて、サイトの広告収入が少し増えるだけです。
それに気がつかない人が大勢いる為にサイト運営は儲かるのです。

そう言った意味では自身が庶民の分際でロックミュージシャンや評論家だと思っている、
ある意味、非常に悪い意味で「夢を持ちすぎ」です。
 

まず自分のやる事をやって足元も見ながら、
自分の事を考えて自分の生活や思考の有り方こそを評論をするのが第一歩です。

私がネットを始めたのはパソコン通信の時代であり
その頃は実名(実際にプロバイダーに契約している名前)が、

そのまま書き込み記入者として掲載されてた時代でしたが、それから20年。

振り返ってみれば世の中は変わったなと思ったのです。
当時はインターネットはパソコン通信と違って世界中に繋がるから危険と言う認識が一般的でしたが、現代において今一度、極端かもしれませんが、それくらいの緊張感を持っても良いのではないかと思う次第です。

時間は太陽の下、お金持ちにも貧乏人にも、王様にも奴隷にも唯一平等に与えられています。時間だけは平等です。

モヤモヤを抱いているならば、
まず自分の事に集中し、離陸して地面を見下ろせる様になる事が先ではないでしょうか?

今回の記事で何かを得てくれたなら非常に幸いと思います。

お読み頂き誠にありがとうございました。江嶋ゆきひろ

お金を持ってると寄付しろと言われ、出せばバラ撒きだと言われる。



こんにちは江嶋です。
有名経営者の方がツイッターで抽選で現金をくれるキャンペーンを開催し
非常に話題になっていますが、こう言う時に必ず挙がるのはバラ撒きだと言う声です。

沢山の人が、やっているので当選確率は少なそうですし、
こう言った上からの富の還元は個人的にはドンドンやれば良いと思ってますし
欲しい方は速攻で応募すれば良いのですが、
お金持ちは何をやっても必ず、やにやらどうたらと言われます(笑)

誰も傷つく訳でもないのに、単に不快だと言うだけで、
そもそも人の事をまるで自分の事の様に怒りだす訳です。

 

 

 


政府がたまにやる給付金でも似た様な事が起こりますが、
個人的には日頃から税徴収しているから
お金を出せるのなら、一円でもどんどん世の中にお金を配布すれば良いのです。

こう言った時に、もっと違う使い方があるのではないか?とか
公共事業に使え等の声もありますが、
そもそも庶民に、そんな難しい事はわかりません。

恐らく素直な気持ちでこの様なキャンペーンをやって頂けると思うのですが、
一部の庶民は必ず懐疑的な目で見るのです。
素直さが足りないのです。

こんなインターネットの時代に日頃誰もかれもが訳の分からない事を書いている中

こういう時だけプライドも下品も何もないのです。
庶民をやっているのならば、こう言う時は素直に貰っておけば良いのです。

こう言う時に批判者の声に耳を傾けてはなりません。
彼らは根拠の無い口だけで何も生み出さないし、
ただ単に自分のブライドが大事だと豪語するだけです。

彼らにとっては、いつも大切なのは自分のプライドだけです。
そのプライドの基準は自分だけの物であり
それゆえ他人には理解できないし基準が曖昧です。

結局「プライド」って言ったって、それあなた自身の感情ではないですか?
そう。彼らはプライドを理由にして何もしない。

本当に困った時、どうにかしなければならない時、
本当に欲しい物を掴みとりたい時にプライドだけでは何もなりません。
大切なのはプライドではなく行動です。

これではまるで文明が低い古い村の長老の様です。
そんな終わった村の長老の言う事を聞いてあなた自身も自滅するのでしょうか。
今すぐにそんな心の中にある「古い村」は捨てるのです。

時代のゲーム・チェンジャー&変革者の出現は必然的であり止められないのです。


お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ

 

全ての事象は「枝分かれ」する。事象と諸事象。

さて現代社会では、太古から古代、そして昭和までの様に衣食住に困る事はないので、
人々は時間を持て余し、自分自身の好きな様に生き、好きな物を吸収しています。

猿人が石器を編み出した時点で、狩猟が楽になり食肉の捌きに時間が掛からなくなり、
やがて世界の支配者になるのは約束された様なものでした。

 

 


しかし現在、人々の心に引き締めも無くなってしまった為に、
自分の目の前には視覚として認知できない「道」を上手く進めないでいます。

話は長くなるので本題に入りましょう。
そう、このブログは未来の自分へ書くものだから簡単で良いのです。

もしもあなたが一つの事柄に首を突っ込むのであれば、

その事柄は枝分かれするので
多くの時間消費浪費は覚悟する様にしなければなりません。

一つの問題は枝分かれし、十の問題となります。

その十はさらに枝分かれをし
結果的には細かくみると百の問題となるのです。

多くの現代人に時間が足りないのは、一番はじめの問題に首を突っ込むからです。
 

「首を突っ込む」と言うのはラフは言い方ですが、

これは自分の知った事象に対して問題提起したり興味を持ったり、

問題解決したりしようとしたり、あるいは楽しんでみたいと思ったりする事です。

その事象を自分で「体験済み」「解決済み」にするまでには、

枝分かれした幾多の諸問題に目を通さないとならないのです。
 

簡単に例えると車を買った時に、ガソリン代と税金も掛かると言うのと一緒で、
表面的に見える部分の裏に、幾多もの経費がかかる訳です。

現代社会は事象を作り出す人間と、巻き込まれる人間に分かれています。

 

支配者側、もしくは一般社会的に言えば

商業マーケット側が事象を作り出し巻き込ませる側です。

冷静に見ればどうでも良い事を掘り出し、時にはイタズラに問題提起し

世間を感情の渦に巻き込むのです。
 

善悪を問わずに、これは精神世界でもある現代社会に

「無」から生まれた「有」を提供している訳でもありますから、
それは常日頃話題や娯楽に飢えている大衆にとっては、楽しく飛びつく「話題」でもあります。

よって現代に生きる私たちは、一つの事象の裏に沢山の諸事象があるのを見極めて、
思考のアンテナをそれに向けるべきか向けないべきなのかを、
まず一番はじめに客観的に自分の思考のあり方を観察しながら問わなければなりません。

一つの事象を脳に入れるには、

裏に潜む幾多のオマケで付いてくる諸事象の存在をも覚悟する必要があるのです。

お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ
 

 

 

あけましておめでとうございます。
ラストゲームメーカー江嶋です。

昨年は2月ごろを最後に当ブログの更新を無期限停止とさせて頂きましたが、
昨年の暮れ頃より、当ブログがどうなっているのか様子を見ました。

昨年は自身のフェイスブックやツイッターのアカウント、

各サービスのアカウントを削除したのですが、
その最もたる理由は時間の消費でした。

まあSNSは確実にメリットが無い訳ではないので「浪費」ではなく「消費」としておきます。

 

 


事実、一つのウェブサービスにアカウントを所有する事によって
各ウェブサービス会社が大衆に対し繰り広げる「ワールド」(世界)にハマってしまったら
その、もの凄い「ワールド」に溶け込んでしまい、そこで人生を過ごしてしまいます。

つまり時間消費するわけです。

さて本アメブロも終了したと言うのも、
投稿した記事数に対して圧倒的にお金にならなかったと言うのも正直ございます。

しかし昨年の暮れに、少し自分の過去記事を見た所、参考になる部分があり、
過去の自分の思考は、今とは少し違うものの、
まるで過去の自分からメッセージを受けたかの様に為になったのです。

そもそも本ブログは、世間や他人に向けて発表する意図の多いものでしたが、
本ブログを見て一番役になったのは、何を隠そう、この私自身だったのです。

ブログを継続更新していた時期から多彩な話題で、的を得てながらも
いささか面白ワールドで展開された文を投稿してきましたが、

これらは世間に向けて配信したものの、
それは未来の自分に向けてのメッセージだったのかもしれません。

そう言った訳で新年を向かえ、一つ記事を書いてみようと思ったのです。

現状まだ良く知らないのですが、
アメブロも宣伝広告の方が一部OKになったと言うのを聞いたのもあります。

もしも当ブログをご覧の方がいましたら本年も宜しくお願いします。

江嶋ゆきひろ

【船が沈んでも世界はある】「生き抜くために」~生存指導書より

 

こんにちは江嶋ゆきひろです。

今日は少し日常生活とは離れた感覚で書く記事となります。

私は山や海には、あまり行かないのですが、
自然の脅威をテーマにしたノンフィクション漂流記を
過去に何冊か読み、そこに登場してきた「生存指導書」の
一番はじめのページに書かれている事に深く感銘を受けたので
ここに掲載します。

この書物は専門業者で販売されていると言う事なので
機会があったら読んで見たいとも思うのですが、

なお生存指導書とは海事局監修の書物であり
救命イカダの中に入っている救命道具、救難品の一つであり

漂流時に生き延びる術が書いてあると言う事です。

まさに、この書を開ける時と言うのは
船が沈没し、救命イカダで大海を漂流することとなる、
そう言った人生で究極の時なのです。

~ そして私達も人生と言う名の果てしない大海を毎日、漂流しているのかもしれません・・・。

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以下、「生き抜くために」~生存指導書より




”生きぬくために”

”望みを捨てるな、救助は必ずやってくる。”

遭難、漂流と人生最悪の極限であるが、強い精神力で3日間は生きのびよう。

あとは何10日間でも生きられる。

海は不毛の砂漠ではない。

食料の魚、プランクトンもある。

また、魚肉の50~80%は真水である。

船が沈んでも世界はある。

何も恐れることはない。

過去の遭難の犠牲者は海のために死んだのではない。

恐怖のために死んだのである。

飢えや渇きによって死ぬには長期間かかる。

最後の一秒まで生きのびる努力をしよう。

死を急ぐ理由は何もない。家族が待っている。
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以上、お読み頂き誠にありがとうございました。江嶋ゆきひろ