こんにちは江嶋です。ここ数ヶ月連日の投稿活動となりましたが2/10(土)早朝に、強いめまいを起こした為に、(今は直りました。)完全回復するまで、今後少しインターネット投稿活動の方を控えたいと思います。

 

現状リアルブースト(始めたばかりなので)など強化したい所だけ更新します。なお以前少し書いていたブログの移転の件ですが、新しくブログを開設しました。こちらアメブロからリンクされてます。アメブロの方は今後、長期的に、ゆるやかに記事更新終了しますが、残してはおきます。

 

ありがとうございました。江嶋ゆきひろ

 

新しいブログはこちらです。

http://lastgamemaker.b.dlsite.net/

 

 

【脱・人生完全保障思考】日本=第二のイギリスになる予感。

こんにち江嶋ゆきひろです。

うちの親がゴールデンタイムのTVを見ている為、音が私の耳に入ってくるのですが、昔はゴールデンではバカげたギャグ番組が許されていましたが、今では教養的な要素を含めた番組に取り変わっている事が多いです。

(これは近年、90年代に極端なギャク方向だったタレントのダウンタウンが通用しなく、彼らが教養的な番組の制作出演にも進出した事からもわかります。)

しかしながら、これらの番組を見ていると非常に「世界に対して日本は優れている」、もしくは「世界に対抗できる技術を持ってる」的な雰囲気であり、そしてそれを紹介する番組内容になっています。
例えば日本の伝統芸を学ぶ外国人のドキュメントをやったります。

これは何か私個人的には近年、日本があらゆる面で弱くなり、それを隠すかの様に民意が「現実の状況」に対して冷めない様に、あるいは錯乱しない様に感情操作している様に思えてしまうのです。

日本に関わらず特定の企業や個人は、どこの国でも優れているのであり、それがまるで日本人全体が優れている様な演出をして、現状の日本人が現実に対して、これ以上の自尊心を失わない様に放映していると思えてしまうのです。
例えば以上、こう言った見方もできるのです。


日本の工芸や産業が優れているのは、もちろんですが、これからは情報と金融です。
産業時代へ世界を突入させて黄金期を迎えたイギリスですが、成熟して過去に思いふけって、後退してしまった様に、日本も戦後産業時代の、優れた手作業や自動生産機械の過去の技術に、ふけってしまい後退してしまう予感さえ感じさせました。

産業では、もう中国やアジア諸国には経費的にも量的にも戦略的にも対抗しようがありません。安い、人多い、狡猾的(戦略的)である。と言う理由からです。

物一つを作らせるのには、日本人の100%を目指す心は必要ですが、数多くの物に欠陥品があっても、そのリスクを相殺する程に多く生産し、かつ戦略的に利益を得ようとする(例えばコピー等)姿は敵いません。

かつて日本の産業品も欧米の物真似で、低品質だと言われた時代もあったそうですが、中国には、それに加え、一流ブランド商品を精巧に模造しようと言う戦略心と技術があります。どちらが良い悪いと言う問題を書いている訳ではありませんが、

どうやっても物一つを100%で作ろうと言う日本は、今後、数と狡猾さで対抗できません。
現実的に、中国産を無しにして私達の生活が成り立つでしょうか?
余程のお金持ちでなければ、自分の家のある生活必需品などの裏をご覧ください。
「MADE IN CHINA」と書いている物が一つも家の中に無いなんて事は無いはずです。

こういった現実があり、それに対しての身構えが無ければ、単に過去の日本の黄金貴の栄光に、ふけっているだけで、イギリスの様になってしまいます。

また日本の社会保障を充実させ過ぎようと言う動きも、過去のイギリスが犯した誤りに通じる物があります。それは国民を、生まれた時から死ぬまで面倒みるよ的な、「ゆりかご政策」です。

これは人間が生まれて赤子で、ゆりかごの中にいる時から墓場まで国が面倒を見ると言う政策ですが、もちろん財政を圧迫し、方向転換せざると得ませんでした。

いつの時代でも平和や完全人生保障は人間にとって理想だと思います。
しかし、よく考えてみれば人間と言う物は、神様や地球から見れば、勝手に猿から進化して、自然から逃れ、また自然のド真ん中の森林を伐採をし、街を作って住んでいる動物です。

そう言った存在が、永世に渡り完全人生保障を受けたいと言うのも壮大な空想話でもあり、人間界の中でも、完全人生保障が在り得ると言うならば過保護すぎて、競争がなくなります。

今から36年後、「2050年には老人一人に対して若者1.2人分の治めた年金が必要なそうですが、2050年どうなっているでしょう。その頃、私は80歳です。

80歳の私が年金システム上では、どこかの若者一人に支えてもらう事になるのでしょう。
どう考えても、これは破綻するでしょう。

 

 



私達の世代はオイルショック時代に生まれた、ベビーブームの時期で人の数が非常に多いです。
その2050年の時に、どれだけの数の若者がいるか不明ですが、今の国内の出生率を考えても明らかに日本人の若者は少なくなります。

これを考えた時、若い時に働いたからと言って、その遥か下の世代に私の面倒を見てもらおうなんて、考えていません。
しかし現状の日本では産業時代に活躍した大人たちが将来に、年金頼りに完全人生保障の様な物を受けようとしているのがバレバレなのです。

将来的に完全保障されるなんて世の中はありません。
利益が出るのに元本保証があると人間の口だけが言っている様なものです。

さて例えば、年金資金を自分で使って海外に女と共に逃亡してたなんて事件がありましたが、この様にして人間の本性を考えた時に、貯められた資金が将来的に私達に完全返還されると言う保障は、どこにもないのです。

まさに今後は一人一人のファイナンシャル・サバイバル・テクニックと情報サバイバル・テクニックが、求められてくるのではないかと思う今日この頃であるのです。

お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ

 

【ブログ・SNS等で記事を書き続ければ人格が構成され、生きた物になります。】

こんにちは江嶋ゆきひろです。

よくブログやSNSを開設し運営(執筆継続)する事自体が困難だと言う方々もおられる様です。
さて、そんな中で私も結構記事を書き続けてられる方なのかもしれません。

その原動力、理由として、以前は「世の中に伝えたい物があり、それを実行したい」と言う趣向の文章を書いたと思いますが、実は、それ以上に、かなり記事投稿の継続のコツとして自己陶酔的な物があるのです。

実は世の中に伝えたいメッセージがあると言うよりも自分自身が精神法則などの本を読み、それの影響を
受けてしまって、私自身がまるで、思考に関する伝道師やメッセンジャーになったかの様に自己陶酔をし、とてもハイテンションな気分で執筆しているのです。

私自身が、まるで古代や中世の哲学者になったかの様な気分でいるのです。

しかしそのテンション。それは結構、大切な事だと思われます。
とにかく、難しい事を考えるよりも1日も早くSNSやブログと言う物を「生きた物」にする必要があります。

SNSやブログを開設しても、「最新記事」が、かなり昔の物ならば生きていないブログとなります。

しかしなんらかの手法として放置型の物も時には良いと思いますが、私は結局、そちらの実力はないので、新しい記事を書くことによってSNSやブログを生きた物にしたいと思っています。

そしてある一つの話題を書いたと思い、そのキーワードに乗って特定の読者さまが数人増えたと思ったら

次の日には、全く違う話題を書いて、別のキーワードに乗って特定の読者さまが数人増えております。

しかしながら結局の所、一人の人間の中から生まれる文章と言うのは、さまざまなテイストの物があり
結局、「一人の人間」と言うのは特定の一つの言葉で言い表せない物なのです。

唯一、固定し確定している物があるとすれば個人の名前、その文字のみです。

さてブランドのコアの部分を追求していくと、一つの言葉で言い表せなくなります。

 


例えば「アントニオ猪木」と言うブランドがあったとします。そこに固定され確定している物は「アントニオ猪木」と言う言葉、文字です。

しかし「アントニオ猪木」が「一体何者か?」と言うのを一つの言葉で言い表せる人はいませんし、そう言う物ではありません。

アントニオ猪木を言葉で言い表せれば「燃える闘魂」と言うのが一番有名でありますが、それだけではアントニオ猪木の真の姿を言い表すことはできません。

猪木は「燃える闘魂」であり「新日本プロレスの創設者」であり、「格闘技団体の会長」であり「キラー猪木」であり「政治家」であり

そして「モハメッド・アリのライバル」であり「ジャイアント馬場のライバル」であり「格闘王」であり「永久機関を作ろうとした経営者」であり「ブラジル出身の野生児」であり「力道山の弟子」であり・・・。

その様にして「アントニオ猪木」と言うブランドのコアの中からさまざまな物が出てくるのです。究極の核の部分は一つの言葉で言い表せません。

したがって、ご自身が他人に、どう見られているか?と言うのも他人それぞれによって違います。

SNSやブログと言うのは書けば書くほど、記事の話題が多様性あふれる物になり、多様になればなる程、しかし書いている人の人格が、やがて構成されてきて、何となく「どんな人なのか?」が、だいたいわかってくるのではないでしょうか。

SNS・ブログは何も、特定ジャンルに話題をしぼったインターネット辞典を作っている訳ではありません。ゆらゆらとした心を持つ、人間と言う物が書いています。

結局、いろいろ書けばターゲッティング的に、訳はわからなくなりますが、なんとなくブログの中に、そんな不確定要素が沢山含まれた人間らしい人格が生まれる、と私は考えています。

以上により、SNSやブログ開設と運営にあたり、難しく捉えて書けなくなってしまうならば、思い切り、先に何かと書いてしまうのが良いと思われます。

以上、お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ

 

【世の構造を知るのは非常に重要です。】

こんばんわ江嶋ゆきひろです。

当記事をお読みの方々はビジネス志向の強い、言わばリテラシーのある方々だと思いますので知っている方々も多いと思いますが、今回は基本的な話になるかと思います。

しかし今回いろいろな方、主に初めて当ページをご覧の方も居るかと思いますので書きたいと思います。


今回のテーマは「世の中の構造を知るのは非常に重要」と言う事でお話を書いて行きたいと思いますが、まずテーマが、これだと漠然としていますね。

世の中の構造と行っても「どこの部分の構造を知るのか?」と感じると思います。

そこで「一番自分が簡単に楽になれる方法」を知ると言うことで、そこの部分の「構造」は主に金融と商売についての事になると思います。


私が初めて完全無知だった頃から本格的に知識を得る第一歩であり、きっかけになったのはロバートキヨサキ氏の本「金持ち父さん貧乏父さん」でした。

 


この本は日本で2000年後期に発行されましたが私は、ある深夜テレビのコマーシャルでロバートキヨサキ氏の音声商材を見て(買いませんでしたが)その存在を知り上記の本を読んだのが2005年後期でした。

それからかなり時間が経ちましたが、それを切欠に複利の仕組み等と怖さを知り、100万近くの借金返済の行動に移りました。

いろいろ司法書士の先生にお願いして過払い金請求をしたりして上手く進めて言ったのですね。


2005年と言うのは遅かったと思い、もっと早く知識を吸収できれば良かったと思いました。実はこれは「知識」と言う事はもちろんの事、

それよりも「思想」と言う部分もあって、この思想が無いと借金をしたままダラダラとしていると生涯にかけて利息を搾取されていくと言う、その現実に気がつかないまま生活することになるのですね。


私の場合は毎月何も考えずに二万とか三万の返済をしても、いつまでたっても返済できず、それに麻痺して、その返済が毎月の当たり前の経費の様な物だと思っていました。

一年に何回か「おや、なんかいつもお金払ってるぞ。」

・・・と思いながら、特に緊張感も無く、また通常の生活と気分に戻って行くのでした。

むしろ消費者金融から借りているお金を自分の物かもしれないとさえ思っていました。(爆)

当然の事ながら、この借りたお金は自分で自由に使ってますけど実は他人のお金なんですね。

非常に不思議なのですが消費者金融を利用していると、こう言う風に、いつの間にか頭脳が麻痺してしまうのです。

たまに消費者金融の女性の方から電話がかかって来て

「最近どうですか?今、キャンペーンをやってまして~」

みたいになると、平然と理由もなく数万円借りてしまうと言う・・・そんな、とんでもない状態でした。

何かもう「いつか必ず返さなければならない他人のお金を借りている」と言う実感が無く「ある程度、交渉すれば比較的簡単に入ってくる自分のお金」とさえ、思っていたかもしれません。これはとんでも無い事です。(爆)


心の中でいつか何とかなるだろう、とか、あまり深く考えようとはしなかったのです。考えるのが面倒になってしまうからです。


・・・と言うことで長くなりましたが、この前述した本の発売が日本でも2000年ですから、いかにこの国にファイナンシャルの教育が出来てなかったのかは、今思うとビックリしますね。


実は以上の様な事。

これは覚えるのは簡単な事なのですが、一部の金融の知識を習った学生しか知らない訳ですから、それ以外の分野に興味を持って人生をスタートし、生き進めた人達にとっては一生気がつかない可能性もあるのです。

しかしむしろこれは知識と言うよりも思想や、もともとの個人的な性格や生活習慣にもよる物もあると思うので、気がついても頭が変わるまでは行動に移さない可能性があります。

むしろ私がそのタイプだったんじゃないかと思います。

・・・いや・・・「思う」と言うよりも「絶対そう」でした。

さて話は、ここまで長くなってしまいました。

したがって、まずどの構造を知るのが大切かと言うと1つ目は「消費者金融とか複利の仕組み」ですね。

世の中全体に複利の力が働いているので、普通にしていて頑張っている気分になっているだけでは、この複利的なパワーによる貧乏バリアから抜け出せないのですね。頭を使って変える必要があります。

それと2つ目は「買い物」についてですね。これは以前、いつかの記事で私がマーケティングに関する本を読んだ感想として述べましたが

「マーケティング」と言う超科学的で日々進化して行く手法を用いて、商売のプロ達が必死になって実践していっていると言う事で、私達はその手法に則って、物を買ったりしているのですね。

分りやすく言えば衝動買いなんかも、見事にその手法に則っているのです。

したがって私達がその手法を学ぶ事でそれを「防御」する事が可能になりますし、今度は私達が逆の立場になって物を売り有利に人生を進めて行くことができると思います。

買い物を押さえてお金を保ち、それを「投資」と言う自分の武器にし、そしてそれを複利の力や商売・マーケティングの知識を活かして増やして行く。そして贅沢品は、ここから余った物で買う。

この考え方を基本にして自分の頭脳と生活を段々と変えて行く。

それが経済弱者から抜け出す第一歩だと思います。

以上、お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ

 

【人の思想は無限ですが肉体は有限なのです】

こんにちは江嶋ゆきひろです。

かつてあの橋本真也選手が残念ながら40歳で亡くなり、そして三沢選手も40代で亡くなってしまいましたが、その方々はプロレスラーと言う激烈なる生き方だから、致し方ない部分もあったかもしれませんが、

さて私も4年前に40代に突入して、やはり思うところがあり、人間や特にプロレスラーの「思想面」と「肉体面」を考えたときに、やはり人間と言うのは思想面の方が肉体面を超越してしまうのだなと思いました。

単に「頑張る」と言っても、やはり私達の脳は、主にタンパク質で構成された「身体」と言う物の上に乗っかって機能している物なので、やはりこのタンパク質で構成されている身体の耐久性と言う物には限界があります。無限でなく有限なのです。

人間の「思想」は「無限」ですが、「肉体」は「有限」なのです。

私が最も理想的な人間の活動形態として考えているのは、人生の時間を延ばす活動をする事です。すなわち延命活動です。

例えば欲しい物を買った時に、長持ちすれば良いな、と思いますね。しかし人間と言うのは、自分を単なる「物質」として捉えた場合に、その「物質」を長持ちさせようとか大切にしようとかしないのです。

だから極端に言うと、私が想像する理想の社会は、今、注目されている再生医療の為に全人類が一体となってその実現に向けて活動する社会なのです。

人が生まれた時に、ある一つの細胞が、人間を構成する指や神経や肉や髪の毛、臓器など、あらゆる種類の細胞に変化して、人間の身体全体が作られますが、

それを思う様に操作する事ができるのが再生医療です。この技術が発展するとやがて人工臓器が必要なくなります。

だから人が、この世に生を受けた途端に、まず土台を築き上げるために、自己修復で延命できる技術が必要とされるのです。

例えばこれは、RPGゲームで旅に出るのに、時間は超かかりますが、無限数の回復薬草を持ってから、旅に出るのに似ています。(笑)

しかし世の中と言うのは、誰も彼も同じ物に興味を持っている訳ではありません。それぞれの自分が興味を持った分野で活躍します。

建設的ではありませんが、例えば戦争に携わると言う事さえも、一つの分野で活動すると言うことなのです。

そして皆が一方面だけに注目して活動したら、だれが食べ物を作ったり水道を持ってくるのだ?と言うことになります。

だから食べ物を育てたり作ったり、水道工事屋さんが必要なのです。

しかし、それでも私はこの再生医療は、かなり凄いのではないかと考えています。

例えばこれが実用化され低価格になれば、まるで歯を治す様に、腰痛を起しやすく劣化した私の腰椎椎間板に水分を与える所の話ではなく、人体臓器培養用の豚の体内で、私のDNAを用いて培養された全く新しい腰椎椎間板が完成させて、それを新しく私の腰にパチっと(笑)はめ込むことができて、私の腰が完全復活したりするのです。まあこれは百年後の話かもしれませんが。

人体を構成している全ての部位がです。。全ての部位が新しく培養できるならば、もうSF漫画です。

私は、こういった超絶なる新世界の到来には賛成なのですが、やはり現代的には論理的な問題もある。

 


さて「アナザヘブン」と言う邦画ホラーがあるのですが、そこでは連続殺人事件が起こるのですが、実は犯人は超未来からやってきた、目に見えない「人間」だったのです。

これは一体どういう事かと言うと、この超未来からの人間は目に見えない、まるで幽霊の様なエネルギー体だったのです。

それと主人公である刑事が会話をするのですが、その超人間は、例えば今から数億年とか数十億年後の未来の人間の姿であり、すでに肉体を持っておらず、恐らく宇宙の平穏と同化しすぎて平和すぎて、毎日に退屈だったそうです。

ですから、欲望などが渦巻く原始的な人間達が住む、この現代社会にやってきて、そう言った事件を自分で起して楽しんでいたのです。

この超未来からやってきたエネルギー体、すなわち未来人間は、「この現代社会ほど、面白い物は無い」と言うのですね。

それに対して、主人公の刑事が「この、ろくでもない汚れた人間社会の、どこが面白いんだ?!」と言うのです。

これから考えると、進化しすぎると言うのも、それは人にとっては、快楽と言う意味での幸せを与えうるものでは無いのではないかと思ってしまいました。

やはり例えば「警視庁24時」みたいな警察の活動をお伝えするテレビ番組が、たまーに、ありますが、
番組冒頭で「欲望渦巻くこの東京で・・・」(笑)みたいなナレーションでワクワクを演出しているではないですか。

結局は、人は、そう言った原始的な部分から進化しないのではないかと思ってしまったのです。

結局、類人猿もしくは古代人の時代からやってきた様なライフスタイルの延長線上でしか楽しむ事ができない。

本当に映画「2001年宇宙の旅」の結末の様に、人間が宇宙人の様に、人間を超越した新レベルの「新人間」(あるいは神)になってしまうと、人間界での悩みが、何もかもが解決されてしまって、楽しみがなくなるのかなと思いました。

お読み頂きありがとうございした。江嶋ゆきひろ