全ての事象は「枝分かれ」する。事象と諸事象。
さて現代社会では、太古から古代、そして昭和までの様に衣食住に困る事はないので、
人々は時間を持て余し、自分自身の好きな様に生き、好きな物を吸収しています。
猿人が石器を編み出した時点で、狩猟が楽になり食肉の捌きに時間が掛からなくなり、
やがて世界の支配者になるのは約束された様なものでした。
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しかし現在、人々の心に引き締めも無くなってしまった為に、
自分の目の前には視覚として認知できない「道」を上手く進めないでいます。
話は長くなるので本題に入りましょう。
そう、このブログは未来の自分へ書くものだから簡単で良いのです。
もしもあなたが一つの事柄に首を突っ込むのであれば、
その事柄は枝分かれするので
多くの時間消費浪費は覚悟する様にしなければなりません。
一つの問題は枝分かれし、十の問題となります。
その十はさらに枝分かれをし
結果的には細かくみると百の問題となるのです。
多くの現代人に時間が足りないのは、一番はじめの問題に首を突っ込むからです。
「首を突っ込む」と言うのはラフは言い方ですが、
これは自分の知った事象に対して問題提起したり興味を持ったり、
問題解決したりしようとしたり、あるいは楽しんでみたいと思ったりする事です。
その事象を自分で「体験済み」「解決済み」にするまでには、
枝分かれした幾多の諸問題に目を通さないとならないのです。
簡単に例えると車を買った時に、ガソリン代と税金も掛かると言うのと一緒で、
表面的に見える部分の裏に、幾多もの経費がかかる訳です。
現代社会は事象を作り出す人間と、巻き込まれる人間に分かれています。
支配者側、もしくは一般社会的に言えば
商業マーケット側が事象を作り出し巻き込ませる側です。
冷静に見ればどうでも良い事を掘り出し、時にはイタズラに問題提起し
世間を感情の渦に巻き込むのです。
善悪を問わずに、これは精神世界でもある現代社会に
「無」から生まれた「有」を提供している訳でもありますから、
それは常日頃話題や娯楽に飢えている大衆にとっては、楽しく飛びつく「話題」でもあります。
よって現代に生きる私たちは、一つの事象の裏に沢山の諸事象があるのを見極めて、
思考のアンテナをそれに向けるべきか向けないべきなのかを、
まず一番はじめに客観的に自分の思考のあり方を観察しながら問わなければなりません。
一つの事象を脳に入れるには、
裏に潜む幾多のオマケで付いてくる諸事象の存在をも覚悟する必要があるのです。
お読み頂きありがとうございました。江嶋ゆきひろ
