遅まきながらラスアス2クリア。
10段階評価だと、ゲーム性9.5、シナリオ7って所でしょうか。
もうちょい武器改造やスキルにビルド性があれば、ゲーム性は文句無く10でした。
まぁ、ああいうストーリー性が強くライトゲーマーも多くやるゲームで不可逆的なビルドシステムを組むと、事故ったプレイヤーからクソゲー非難される恐れがあるので、大作としては甘い作りにするしかないというのは分かりますが。
以下完全なネタバレ。
さて、巷でポリコレ云々と非難轟々のラスアス2な訳ですが、上の通り、私の評価は中々に高いです。
というか、このゲームでポリコレ要素はほとんど無いです。
エリーがレズなのは百合は尊いみたいな日本的サブカルに乗っかったあざとさ(ゲイは出てこないし)と、若い女の子のラブシーンを入れたいけど男女だと子供の人権保護団体(アメリカとか)に抗議されるからレズならLGBT団体から擁護されて安全だよねという老獪な戦略でしょう。
ユダヤ教もちらっと出てくるけどほんの味付け程度だし、女キャラも男女平等に顔面割られるわぶっ殺されるわ、子供も普通に蜂の巣にされるわで、これでポリコレとか言うのは流石に無理があり過ぎです。
恐らく、ポリコレポリコレ言ってるのはポリコレという言葉を初めて見て使ってみたいキッズか、何も考えず他人の記事を見て連呼している者が大半だったでしょうが、しかし、ポリコレと言われる下地は確かにありました。
それはシナリオがあまりにまずかったという事です。
シナリオのまずさがポリコレという糾弾の単語に置き換わってしまったのです。
ポリコレと言われるのは主にラストのアビーが見逃されるという事に対してな訳ですが、あの場面、エリーがとどめを刺さなかった事自体は納得出来る展開です。
もしあの場にアビーしかいなかったら殺していたと思いますが、レブとのやり取りを見ていたため、最後はジョエルの優しさ、愛情の記憶が想起され鬼になり切れなかったと。
アビーは姉弟を助ける事で(ジョエルを殺した後も続いていた悪夢が、姉弟を助けた後は父親に会える夢に変わっている)、エリーはアビーを許す事で、互いに復讐と憎しみから解放されたというのがラストの解釈でしょう。
アビーが生き残ったのは別に女性の権利団体に忖度して~とかではありません。
上の通り、ゲーム中女キャラも殺されてますし、もっと言うと妊婦すら普通に殺されます。
ここ5年位のアメリカの大作ゲーム(ほぼ全てやってるはず)では女性が残虐に殺されるシーンはほとんど見ないし、子供が残虐に殺されるシーンは記憶している限り0だったはずです。
製作の大元が日本(ソニー)なのでアメリカの事情にあまり左右されないのでしょうが・・・。
ではポリコレと言われる下地、シナリオのまずさとは何なのか?
結論から言ってしまうと、それはジョエルの死に明確な理由が無かったからでしょう。
ジョエルはラスアス1の主人公であり、ラスアス1ではエリーとの絆など多くの体験をプレイヤーと共有してきたプレイヤーの分身のような存在です。
それを、2でいきなり出てきたぽっと出のアビーに惨殺されてしまう。
当然1をやっていたプレイヤーは憤りアビーをぶっ殺そうとするも、何故かアビーの仲間との物語や内面描写などが始まり、むしろエリーが悪役のような展開になっていく。
しかも、ジョエルに関しては殺害だけではなく、折角助けたエリーに非難されているという、1でのプレイヤーの体験の悉くを否定し、活躍も全く無いという酷過ぎる扱い。
そりゃ1をやったプレイヤーが怒るのも無理は無いというものでしょう。
その挙句アビーが許される訳なので、これはポリコレじゃないか?・・・ポリコレだ!ポリコレだ!と少々的外れの意見が神輿のように担がれてしまった訳です。
まぁ、恐らくはエリーを主人公にするというのが大元にあり、ジョエルが付いていたら強過ぎて緊張感が無いし、親(のようなもの)付きで冒険もないだろうという事で、ジョエルをどうやってエリーと分けるかを考える上で死という設定が上がったのではないかと思いますが、ラスアス1という作品の影響力をあまりにも安易に切り捨て過ぎましたね。
1は伝説的な売上と評価を誇った作品な訳で、当然2をやるプレイヤーの多くは1をプレイしている事は予測出来たはずです。
そして、1をプレイしたプレイヤーの多くがジョエルやエリー、そのストーリーに肯定的でした。
全世界にいる1700万を超えるプレイヤーの感情を真っ向から否定するシナリオを書けば、反感を買うのは当たり前です。
そこが実に残念でした。
これは完全にメインストーリーを書いた者(もしくは者達)の失敗でしょう。
とはいえ、ジョエルやエリーの扱いやストーリーの大筋以外の部分、つまり、アクションやFPSとしてのゲーム性、レベルデザイン(特にエリーとアビー、尺を稼ぐため二人を同じテクスチャを用いたレベルを行き来させたが、同じと全く感じさせないデザインは見事としか言いようがない)、ロードを感じさせない作り(恐らくムービー中に読み込ませていたり、レベルを不可逆的なドアや障害物等で細かく区切ってデータをなるべく小さくしている)、息を付かせぬ最後まで全く飽きが来ない展開、映像・SE・音楽の美しさなどは、素晴らしい出来でした。
次作は是非とももう少し胸のすく展開で出して欲しい。
エリー自体はかわいく、またタフな女性主人公として(恐らく意識しているであろう)ララ・クロフトのような存在になれる可能性があります。
それにしても、上記で列挙した部分は、アメリカ製ゲームの大作、例えばCoDやFarCry、Fallout等にも引けを取らないばかりか一歩上回っている感があります。(まぁ、製作会社はアメリカなのだが)
また、マシンパワーの必要なPCゲーと比べ、たった数万のPS4でこれ程のゲームが出来てしまう事は驚異としか言いようがない。
数多の洋ゲーをやってきて、改めて和ゲーに思う事は、とにかく作り込みが細かいこと。
恐らく給与面で日本の方が安いため、それだけ人件費を掛けて作り込めるのではないかと思われます。
なので、Steamなどで同じ単価のゲームを買った時、和ゲーの方が圧倒的にボリュームが多い。
やっとと言った感はありますが、日本のゲーム会社も英語圏を意識したゲームを作れるようになってきて、モンハンやダクソ、sekiroなど、海外でのヒットを連発しつつあります。
洋ゲーの方はゲームの骨子や枠組みだけ作って投げっ放しとか、手間のかかる部分は作らない(モーションキャプチャ、CV、レベルデザインなど)とか、どうしても利益第一で粗い作品が多いです。
最近は大手の大作でもその傾向があります。
そこに来て和ゲーの躍進が続いているので、このまま行くと英語圏でも日本のゲームが席捲する日が来るかもしれません。