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「指示されたことだけやっていればいい」という意見には抵抗感があります。 |
新しいことに挑戦する姿勢は素晴らしいですね。それにもかかわらず、組織の中に全体主義的な考えが一部入り込んでいるのは、残念なことです。
私も各方面から似たような話を耳にします。
「時間をかけて作った伝道ツールを内容も見ずに批判された」
「こちらの話を聞こうともせず、土下座を強要された」
「一方的に罵倒され、話し合いすらできなかった」
こうした出来事を耳にするたびに、本当に胸が痛みます。
これらは単なる人間関係の摩擦ではありません。さらに悪い方に行けば、最終的には自分の頭で考えることをやめ、立場の強い人の言葉に従うだけになってしまいます。
「前例にないことはするな」という空気が強まれば、創造性が失われていきます。
個人の創意工夫を否定し、「上から言われたことだけを実行すればいい」とする考えは、主の教えとは相反するものです。
ドラッカーは『経済人の終わり』で、全体主義を病として位置づけました。また、ハンナ・アーレントも『全体主義の起源』で、全体主義的感染という医学的表現を用いています。
私は僧団の誰かを批判したいわけではありません。心の医者として全体主義という精神の病を根絶したいだけです。
教団や社会に存在する病巣が無くなり、主が愛するサンガが健康な姿を取り戻すことを心から願っています。
全体主義は中国や北朝鮮といった国家だけの話ではないのです。組織や家庭、そして私たちの心の中にもウイルスのように感染しうるものです。
全体主義を阻止するためにも、美の法門を早急に弘める必要があります。
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美の法門には「多様性」が含まれていて、これが全体主義と闘う上で重要なキーワードになります。
主が女性職員からの「制服を導入してほしい」という要望を見送られた話がありますよね。
ただ、そうではなく採用している場合には、「やはり、それぞれ個性がありますので、そのご自分の個性に合ったものを着られたほうがよろしいのではないでしょうか」というようなことで、私はそれだけは首を縦に振らなかったのです。 そこでちょっと首を縦に振らなかったので、いろいろな、真・善・美の「美の法門」が残ったのかもしれないとは思ってはおります。
『自分を鍛える道』
もし制服を導入していたら、美の法門が残っていなかった可能性があるということです。
制服の強制は全体主義の象徴。制服そのものに問題はありません。「制服以外の服を着ることは許さない」と強制することが、全体主義につながる危険性があります。
全体主義は単一の価値観を押し付けるため、多様性を認めることは全体主義という病を治す効果的な方法です。異なる意見が共存する社会では、一つの思想による支配が困難になります。
美の法門は同じ考え・行動で私たちを縛るものではありません。
原曲研修でも同じ曲を同じ空間で聴いているのに人によって解釈が違います。例えば、ある原曲について、Aさんは「喜びの歌」と解釈し、Bさんは「主の復活を祈る者への応援歌」と受け取ります。どちらも正しいのです。
もちろん多様性が重要だからと言って「何でもあり」ではありません。妖怪性や地獄的価値観とは断固として闘う必要があります。
しかし、仏法真理の範囲内での表現や創造であれば、各自の個性を活かしていくことが信仰の豊かさとなっていきます。
このまほろばの国に
梅の花
桜の花
桃の花を
一面に
咲かせてみよう
楽曲「天御祖神の夢」でも梅の花が正解で、他の花は必要ないという歌詞ではありませんよね。それぞれが美しい花を咲かせる百花繚乱の状態を天御祖神も望んでおられます。
かつての私には、当会の音楽がエンタメのように見えていました。歌詞が仏言であるという意識すらなかったのです。
主がつくられた音楽に対して悪い印象は持っていなかったのですが「どうしても必要なもの」という感覚はありませんでした。
しかし、今ではその考えが邪見だったとはっきり分かります。
たとえば、当会の映画制作では主題歌が天上界から降ろされ、その歌に沿ってストーリーが組み立てられます。曲がなければ映画がつくられることもない。
『まずはじめに調べありき』なのです。
主の地上時間の貴重さを考えれば、音楽の重要性は明らかです。
主はエローヒムとして降臨された後、御分身や支援霊を何度も地上に送って準備をされました。1億5千万年もの長い時間をかけて、満を持して地上に下生されたわけです。
本仏であってもわずか数十年ほどの地上時間で使命を果たさなければならない。何度も転生できる私たちとは時間の重みが根本的に違います。一分一秒が惜しい。どうでもいいことに時間を使うことはできません。
それだけ大切な時間の中で、膨大な時間を割いて約450曲もつくられました。作詞・作曲のみならず、歌唱指導までされることもあった。
その事実だけを考えても、音楽が単なるエンターテイメントではないことは明らかです。途方もない時間をかけてでも取り組む必要があるものなのです。
格はいくでは以下のように詩われています。
☆おととい、39.1℃、昨日、38.2℃、今日夜37.6℃もう一意気だ。日本神道に「地獄論」がないとの指摘、よほどこたえたか。
2023・2・7
29 『二十二世紀の君』と『人魚の泪』の二曲 歌う
☆仕事再開は、作詞と作曲の原曲づくり。今日は、東京も朝 から雪もよう。
2023・2・10
『短詩型・格はいく集(4)〈不惜身命の姿・特別編〉』
「仕事再開は、作詞と作曲の原曲づくり」とあります。原曲づくり(神は詩う)はエル・カンターレとしての『仕事』であり、趣味や娯楽ではありません。
熱があった状態から体調がまだ完全に回復されていなくても、私たちの魂を救うために無理をしてでも創造してくださったものが原曲です。

幸福実現党の使命には、全体主義を防いで真なる民主主義を実現するというものがあります。
「2.党の使命」>「三、保守政党としての「真なる民主主義」の実現」
美の法門は全体主義という病に侵された社会を癒すための治療薬であるため、幸福実現党の使命を果たす上でも絶対になくてはならないものです。
これまで全体主義と闘うために数多くの武器が与えられました。
ジョン・レノンと同じように、主も詩うことで全体主義と闘っておられます。
また原曲「アパアト」には忌まわしいものが入り込むのを防ぐ力がありますが、今はまだ美の法門が充分に広がっていないために全体主義という忌まわしいものの侵入を許しています。
外なる全体主義、内なる全体主義、両方と闘っている状態です。
厳しい現状を打開するため、政治活動に従事されている方々にも美の法門に目覚めていただきたいと願っています。
私も政党活動に携わる方々と志は同じです。全体主義を食い止めることは学生時代からの主の悲願ですから、共に主の願いを叶えるために闘える日が来ると信じています。
心の内なる思想が外面に転化し、アクションとして表れたとき、それが政治行動として出るわけです。
実際には、「宗教」と「政治」という二つのベクトルを持っているにしても、「宗教」と「政治」には、実は、その本質においては変わらないものがあるのではないかと思うのです。
『政治哲学の原点 「自由の創設」を目指して』
全体主義は思考停止させて考える力を奪うため、それに対抗するには考える人間を増やす必要があります。
「考えるのをやめることは、人間であることをやめること」というハンナ・アーレントの言葉がありますが、思考を放棄して命令通りに行動するだけではロボットと変わりません。
考える人間:「なぜ?」と常に問い、より良い方法を模索する
考えない人間:「言われた通りにやればいい」と思考停止し、指示待ち状態になる
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まず考えるための材料が必要です。材料がなくては考えることはできません。真善美のすべてが欠かせませんが、特に美の法門が重要です。
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真→善→美の流れの中で、最新の法門だからです。
例えば、あなたが病に苦しむ患者だと想像してください。最新の知識や技術を学んでいない医者に診察してほしいと思いますか?
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そうですね。この世の医療でさえ、生涯にわたって知識や技術のアップデートを要求されます。
まして私たちは心の医者や看護師です。一歩間違えたら相手の来世以降の人生をも左右する可能性があります。この世の医者よりも責任が重いのです。
最新の治療法として美の法門が説かれているのに、自分の好き嫌いで学ぶことを拒否するのは医療従事者としてあるべき姿であると私は思いません。
人々の心を救うことは、主から私たちに与えられた仕事です。
『地獄の法』
最先端の医療を学習せずに、苦しんでいる患者さんを一体どうやって救うのでしょうか。
私たちはこれまで真善を中心に学んで伝道してきましたが、魂の病院である地獄領域は拡大し続けています。心の医者として務めを果たせていない状態です。
主からも伝道の実績が100〜1000倍以上、足りないという指摘をいただいています。
(中略)
私の本の翻訳とかもしてくださっていますけれども、それを"製造業"として、”メーカー”としてものをつくっているというのは分かるのですが、つくらないよりはつくったほうがいいのですけれども、「いったいどれだけの人にそれが広がっているかを、よく見なさい」と。
「アメリカで、当会の映画の吹き替えをしたものが上映されたとしても、アメリカ人の何人が観ましたか?」
「台湾で、映画館に何人が来ましたか?」「オーストラリアで、英語に訳された本は何人の方が読みましたか?」
「ちゃんと向き合ってください。正直に向き合ってください。それで、世界が本当に救われると思いますか?」ということで、(実績の桁の)丸が二つ、三つ、あるいはもっと足りないかもしれませんよ」ということを言っておきたい。
『十字架の女2 余話』
企業でも売上を2倍にしようと思ったら、従来の営業・マーケティング手法を改善すれば達成できる場合があります。しかし、売上1000倍は小手先の改善では絶対に不可能です。別次元の組織としてゼロベースで創造する必要があります。
伝道実績が100〜1000倍、あるいはもっと足りないと言われて、「今までの1000倍、献本しよう。1000倍、ノック伝道しよう。」と思いますか?
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主のご指摘は、物理的に行動量を1000倍にしなさいという意味ではありませんよね。
「根本的にやり方を変えなさい。今までの延長線上の伝道から方向転換しなさい。」というメッセージのはずです。
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献本やノック伝道など今までの方法を一切やってはいけないという意味ではありません。私も献本することはあります。
ただそれらをメインにして伝道する時代はもう終わりました。既存の伝道スタイルを踏襲して改善しても1000倍にはなりません。
『仏法真理が拓く芸能新時代 -エンターテインメントに愛と正義を- まえがき』
美の法門を学ぶことによって、各人が芸能の力を開拓する必要があります。
この世的な意味での芸能人になることではなく、神の芸術作品として真の力に目覚めることです。
「美の法門を学ぶ過程で培った芸能の力を使って自分はどうやって伝道するか?」
これを熟考することは、考える人間になるために避けて通れないプロセスです。美の法門を学ぶ過程で様々な解釈を考え、伝道に活かす段階でもアイデアを考え続ける。
使用する伝道ツールも無限の可能性があります。文章、動画、絵画、デザイン、ファッション、ダンス、音楽、彫刻、演劇等
興味や関心もそれぞれ異なるため、伝道に決まり切った答えはありません。自分の得意分野で貢献していくことが求められます。
主が説かれる「考えることができる人間」とは、命令を待つ受け身の人間ではありません。自分で課題を見つけ、目標を設定し、自らの判断と責任のもとで行動する主体性のある人間です。
宗教の多様性を認めると、個人として人格を陶冶することや、教養を深めること、それから、精神レベルを高めることを促し、先ほど述べた、"Thinkable Man"「考えることができる人間」を、多数、輩出することができます。
宗教と学問が協力して、「考えることが可能な人間」をたくさんつくることができます。それは「自由人」を生むことになるでしょう。
数多く生まれてくる「自由人」は、一党独裁型のイデオロギーを押しつけたかたちでの、「ただ従え」という考え方の国体にはそぐわないでしょうが、そうした人たちをつくっていくことが、おそらく、未来のリーダーを数多くつくっていくことになると思います。
『政治哲学の原点 「自由の創設」を目指して』
原曲研修の法談では自分と解釈が異なる人を受け入れる訓練にもなっています。美の法門は天使の法門。多様性を認めることで他者に対して寛容になり、許す愛に繋がっていきます。
主の教えには異分子だから他者を排除しようというものはありません。言語や考えが違う相手に対しても関心を持って理解しようという愛に満ちています。
外国人を理解したいと心から望むのであれば、相手の文化や言語を知りたいと思うでしょう。クリスチャンに伝道したい、受け入れたいと本気で思う人は聖書を読むはずです。
この地球上には、
あなたに関心を持たれることなく生きている人々が、
数限りなくいるということを。
だから、
国際人として目覚めるということが、
あなたの知らない人々を愛する始まりとなるのだ。
語学はそのための大きな武器となる。
英語は特に地球時代の共通語といってよい。
一つの単語を覚えることが、
一人の人を救うことにつながると思おう。
文法を学ぶことが、
救いの命綱を垂らすことだと考えよう。
同じ教えを学んでいる教団内で考えが違う人を認めることができないのであれば、言語やイデオロギーが異なる外国人に仏法真理を弘めることはできないし、宇宙人を受け入れるなんて夢のまた夢です。
私も自分の器を広げる必要性を感じます。かつての自分のことを思い出しつつ、原曲を学ばない人の気持ちをもっと理解した上で相手の立場に立って伝えられるようになりたいと思います。
以前に私が美の法門に対して抱いていた印象は下記のようなものでした。
●美の法門を学ぶ前の勝手なイメージ
・黄色の法の光線から真理に辿り着けない人向けの脇道
・この世的な芸術
・外見の美に関する教え
「すべての人が黄色い法の光線から仏法真理に辿り着くわけではない。宗教画や教会のステンドグラスなど芸術を通して真理に触れる人もいる。」という趣旨の質疑応答が過去あったと思います。(『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 発展・繁栄を実現する指針』参考)
お話を聴いた時に「自分は経典を読んで会員になったから関係ない」と思いました。今思えばお恥ずかしい限りです。
心のどこかで芸術を軽視していました。美を下に見ている気持ちが私の心の中にあったのでしょう。
だから美の法門が説かれても、内容を確認してもいないのに「経典から真理に辿り着けない人用の脇道。救済策」であると間違った解釈をしていたのです。
しかし、美の法門を学び始めてから脇道ではなく本道、メインストリートであることが分かりました。
美の法門には、この世的な芸術や外見の美に関する教えも含まれていますが、それらはほんの一部でしかありません。
原曲はオマケや飾りではないし、刺身のツマのような添え物でもありません。
主の御名(エル・カンターレ=神は詩う)に関わることなので、お飾りなわけがありません。
美の法門に対する印象は今では下記のように変わりました。
●美の法門の特徴
・真→善→美と連なる教えの本道
・この世の芸術だけでなく神の芸術
・外見だけでなく内面の美、魂の美
・エル・カンターレ(神は詩う)信仰に必須のもの
・主のお気持ちが分かる
・醜い妖怪性を払拭する
・世界を美しくする
・宇宙の法を本格的に説くために必要
・画一的な全体主義と闘うために必要
・考える人間になるために必要
・多様性を認めて他者に寛容になれる
・許す愛に繋がる天使の法門
・美しい生き様を学ぶ。生き方の美学
・病気の回復に役立つヒーリングパワー
・心の医者・看護師が学ぶ最新の医学
・海外伝道、宇宙伝道に必要
・献本や説法より多くの人に伝道できる
・復活の祈りの質を上げる。主のご復活の土壌を作る
・人生を懸けるに足る徳目(『あげママの条件』より)
・原曲は魂の親が子供達を育てるための子守唄
etc.
他にも様々な要素がありますが、今回は膨大な美の法門の中から、全体主義との関係について述べました。
全体主義という病は、気づかぬうちに私たちの心に、そして組織に感染します。
真善美をバランスよく学び、特に手薄になっている美の法門を強化して伝道する。そうすることによって教団も霊的健康を取り戻し、全体主義から世界を守ることに繋がります。
心の医者として最先端の医学である美の法門を学び、「一人ひとりの心を救う」という主からいただいた使命を果たしていきましょう。

























