1.教団にも忍び寄る全体主義という病

 

 

 
 
 
伝道で新しい取り組みをしたかったのですが「言われたこと以外やってはいけない。」と言われました。

「指示されたことだけやっていればいい」という意見には抵抗感があります。

 

新しいことに挑戦する姿勢は素晴らしいですね。それにもかかわらず、組織の中に全体主義的な考えが一部入り込んでいるのは、残念なことです。

私も各方面から似たような話を耳にします。

「時間をかけて作った伝道ツールを内容も見ずに批判された」

「こちらの話を聞こうともせず、土下座を強要された」

「一方的に罵倒され、話し合いすらできなかった」


こうした出来事を耳にするたびに、本当に胸が痛みます。

これらは単なる人間関係の摩擦ではありません。さらに悪い方に行けば、最終的には自分の頭で考えることをやめ、立場の強い人の言葉に従うだけになってしまいます。

「前例にないことはするな」という空気が強まれば、創造性が失われていきます。

個人の創意工夫を否定し、「上から言われたことだけを実行すればいい」とする考えは、主の教えとは相反するものです。

ドラッカーは『経済人の終わり』で、全体主義を病として位置づけました。また、ハンナ・アーレントも『全体主義の起源』で、全体主義的感染という医学的表現を用いています。


私は僧団の誰かを批判したいわけではありません。心の医者として全体主義という精神の病を根絶したいだけです。

教団や社会に存在する病巣が無くなり、主が愛するサンガが健康な姿を取り戻すことを心から願っています。

全体主義は中国や北朝鮮といった国家だけの話ではないのです。組織や家庭、そして私たちの心の中にもウイルスのように感染しうるものです。

全体主義を阻止するためにも、美の法門を早急に弘める必要があります。

 

 

2.美の法門は全体主義の治療薬

 

 

 
 
なぜ美の法門が全体主義を防ぐことに関係するのですか?

 

美の法門には「多様性」が含まれていて、これが全体主義と闘う上で重要なキーワードになります。

 

主が女性職員からの「制服を導入してほしい」という要望を見送られた話がありますよね。

 

 

「制服をつくってくれ」という意見もずいぶん聞かされました。女性のほうからは「制服をつくってほしい」という意見があって、それはJALに勤めていた方のご意見ではありました。「全員、制服を着て、同じように見えるのがやはりかっこいい」というのもありますが、それは、採用のときにそれなりの人たちを選べるからでしょう。その制服を着たらピシッときまって、「かっこいいな」とみんなが憧れるような人を選んでいるから、同じ服を着てもかっこいいわけです。  
 ただ、そうではなく採用している場合には、「やはり、それぞれ個性がありますので、そのご自分の個性に合ったものを着られたほうがよろしいのではないでしょうか」というようなことで、私はそれだけは首を縦に振らなかったのです。 そこでちょっと首を縦に振らなかったので、いろいろな、真・善・美の「美の法門」が残ったのかもしれないとは思ってはおります。

 

『自分を鍛える道』

 

 

もし制服を導入していたら、美の法門が残っていなかった可能性があるということです。

制服の強制は全体主義の象徴。制服そのものに問題はありません。「制服以外の服を着ることは許さない」と強制することが、全体主義につながる危険性があります。

全体主義は単一の価値観を押し付けるため、多様性を認めることは全体主義という病を治す効果的な方法です。異なる意見が共存する社会では、一つの思想による支配が困難になります。

美の法門は同じ考え・行動で私たちを縛るものではありません。

原曲研修でも同じ曲を同じ空間で聴いているのに人によって解釈が違います。例えば、ある原曲について、Aさんは「喜びの歌」と解釈し、Bさんは「主の復活を祈る者への応援歌」と受け取ります。どちらも正しいのです。

もちろん多様性が重要だからと言って「何でもあり」ではありません。妖怪性や地獄的価値観とは断固として闘う必要があります。

しかし、仏法真理の範囲内での表現や創造であれば、各自の個性を活かしていくことが信仰の豊かさとなっていきます。

 


楽曲「天御祖神の夢」でも梅の花が正解で、他の花は必要ないという歌詞ではありませんよね。それぞれが美しい花を咲かせる百花繚乱の状態を天御祖神も望んでおられます。

 

 

3.美の法門はエンタメではない

 

かつての私には、当会の音楽がエンタメのように見えていました。歌詞が仏言であるという意識すらなかったのです。

 

主がつくられた音楽に対して悪い印象は持っていなかったのですが「どうしても必要なもの」という感覚はありませんでした。

しかし、今ではその考えが邪見だったとはっきり分かります。

たとえば、当会の映画制作では主題歌が天上界から降ろされ、その歌に沿ってストーリーが組み立てられます。曲がなければ映画がつくられることもない。

『まずはじめに調べありき』なのです。

主の地上時間の貴重さを考えれば、音楽の重要性は明らかです。

主はエローヒムとして降臨された後、御分身や支援霊を何度も地上に送って準備をされました。1億5千万年もの長い時間をかけて、満を持して地上に下生されたわけです。

本仏であってもわずか数十年ほどの地上時間で使命を果たさなければならない。何度も転生できる私たちとは時間の重みが根本的に違います。一分一秒が惜しい。どうでもいいことに時間を使うことはできません。

それだけ大切な時間の中で、膨大な時間を割いて約450曲もつくられました。作詞・作曲のみならず、歌唱指導までされることもあった。

その事実だけを考えても、音楽が単なるエンターテイメントではないことは明らかです。途方もない時間をかけてでも取り組む必要があるものなのです。

格はいくでは以下のように詩われています。

 

24 妖怪の頭目と疑われ 天照抵抗す 微熱続く

☆おととい、39.1℃、昨日、38.2℃、今日夜37.6℃もう一意気だ。日本神道に「地獄論」がないとの指摘、よほどこたえたか。
2023・2・7


29 『二十二世紀の君』と『人魚の泪』の二曲 歌う

☆仕事再開は、作詞と作曲の原曲づくり。今日は、東京も朝 から雪もよう。
2023・2・10

『短詩型・格はいく集(4)〈不惜身命の姿・特別編〉』


 

「仕事再開は、作詞と作曲の原曲づくり」とあります。原曲づくり(神は詩う)はエル・カンターレとしての『仕事』であり、趣味や娯楽ではありません。

熱があった状態から体調がまだ完全に回復されていなくても、私たちの魂を救うために無理をしてでも創造してくださったものが原曲です。
 

 


 

4.政治にこそ美の法門が必要



幸福実現党の使命には、全体主義を防いで真なる民主主義を実現するというものがあります。
 

全体主義や独裁政治、衆愚政への転落を防ぎ、国民の良識に基づく真なる民主主義を守り抜きます。
 


「2.党の使命」>「三、保守政党としての「真なる民主主義」の実現」

 

美の法門は全体主義という病に侵された社会を癒すための治療薬であるため、幸福実現党の使命を果たす上でも絶対になくてはならないものです。

これまで全体主義と闘うために数多くの武器が与えられました。
 

ジョン・レノンと同じように、主も詩うことで全体主義と闘っておられます。
 



また原曲「アパアト」には忌まわしいものが入り込むのを防ぐ力がありますが、今はまだ美の法門が充分に広がっていないために全体主義という忌まわしいものの侵入を許しています。

外なる全体主義、内なる全体主義、両方と闘っている状態です。


厳しい現状を打開するため、政治活動に従事されている方々にも美の法門に目覚めていただきたいと願っています。

私も政党活動に携わる方々と志は同じです。全体主義を食い止めることは学生時代からの主の悲願ですから、共に主の願いを叶えるために闘える日が来ると信じています。

 

 

 今、必要とされるのは、「複数性を認めながら、自由の解釈を行使できる、考える人間を育てることができるような宗教を、打ち立てられるかどうか」ということであり、行動の面で見れば、「その宗教が政治性を帯びた行動を取ることができるかどうか」ということだと思います。
 心の内なる思想が外面に転化し、アクションとして表れたとき、それが政治行動として出るわけです。
 実際には、「宗教」と「政治」という二つのベクトルを持っているにしても、「宗教」と「政治」には、実は、その本質においては変わらないものがあるのではないかと思うのです。

『政治哲学の原点 「自由の創設」を目指して』

 

 

5.考える人間を輩出するのが主の願い


全体主義は思考停止させて考える力を奪うため、それに対抗するには考える人間を増やす必要があります。

「考えるのをやめることは、人間であることをやめること」というハンナ・アーレントの言葉がありますが、思考を放棄して命令通りに行動するだけではロボットと変わりません。
 

考える人間:「なぜ?」と常に問い、より良い方法を模索する

考えない人間:「言われた通りにやればいい」と思考停止し、指示待ち状態になる

 

 

 

 
 
 
考える人間になるためには、どうすればいいですか?


まず考えるための材料が必要です。材料がなくては考えることはできません。真善美のすべてが欠かせませんが、特に美の法門が重要です。

 

 

 
 
 
それはなぜですか?


真→善→美の流れの中で、最新の法門だからです。

例えば、あなたが病に苦しむ患者だと想像してください。最新の知識や技術を学んでいない医者に診察してほしいと思いますか?

 

 

 
 
 
いいえ。古い知識のままでは自分にとってベストな治療法を提示してくれるとは思えません。


そうですね。この世の医療でさえ、生涯にわたって知識や技術のアップデートを要求されます。

まして私たちは心の医者や看護師です。一歩間違えたら相手の来世以降の人生をも左右する可能性があります。この世の医者よりも責任が重いのです。

最新の治療法として美の法門が説かれているのに、自分の好き嫌いで学ぶことを拒否するのは医療従事者としてあるべき姿であると私は思いません。

人々の心を救うことは、主から私たちに与えられた仕事です。
 

どうか、「一人ひとりの心を救う」という、そういう大きな使命を、各人が果たしてくださることを、心より祈念してやみません。

『地獄の法』



最先端の医療を学習せずに、苦しんでいる患者さんを一体どうやって救うのでしょうか。

私たちはこれまで真善を中心に学んで伝道してきましたが、魂の病院である地獄領域は拡大し続けています。心の医者として務めを果たせていない状態です。

主からも伝道の実績が100〜1000倍以上、足りないという指摘をいただいています。

 

 

たぶん、総合本部の人で読んだ人たちとしては、「あれ?幸福の科学の活躍はまったく何にも反映されていないではないか」というところのショックが大きいと思うのですが、私のほうから言えば、「あなたがたの仕事は、伝道の実績の桁として)"丸"が二個か三個足りないのではないか」ということなんですよね。やっているつもりでいるのだろうけれども、二個か三個、"丸"が足りないのではないか。

(中略)

私の本の翻訳とかもしてくださっていますけれども、それを"製造業"として、”メーカー”としてものをつくっているというのは分かるのですが、つくらないよりはつくったほうがいいのですけれども、「いったいどれだけの人にそれが広がっているかを、よく見なさい」と。
「アメリカで、当会の映画の吹き替えをしたものが上映されたとしても、アメリカ人の何人が観ましたか?」
「台湾で、映画館に何人が来ましたか?」「オーストラリアで、英語に訳された本は何人の方が読みましたか?」
「ちゃんと向き合ってください。正直に向き合ってください。それで、世界が本当に救われると思いますか?」ということで、(実績の桁の)丸が二つ、三つ、あるいはもっと足りないかもしれませんよ」ということを言っておきたい。

『十字架の女2 余話』


 

企業でも売上を2倍にしようと思ったら、従来の営業・マーケティング手法を改善すれば達成できる場合があります。しかし、売上1000倍は小手先の改善では絶対に不可能です。別次元の組織としてゼロベースで創造する必要があります。

伝道実績が100〜1000倍、あるいはもっと足りないと言われて、「今までの1000倍、献本しよう。1000倍、ノック伝道しよう。」と思いますか?


 

 
 
 
思いません。1000倍やっている間に今世の人生が終わります。

 

主のご指摘は、物理的に行動量を1000倍にしなさいという意味ではありませんよね。


「根本的にやり方を変えなさい。今までの延長線上の伝道から方向転換しなさい。」というメッセージのはずです。

 

 
 
 
伝道をどのように変えるべきでしょうか?


献本やノック伝道など今までの方法を一切やってはいけないという意味ではありません。私も献本することはあります。

ただそれらをメインにして伝道する時代はもう終わりました。既存の伝道スタイルを踏襲して改善しても1000倍にはなりません。
 

活字の経典の流布と、伝道師の説法という古典的なやり方だけでは、仏法真理を伝えるのは困難になってきた。もっと感性的で感覚的なものでなければ、大勢の人々に認識されにくくなってきたのである。

『仏法真理が拓く芸能新時代 -エンターテインメントに愛と正義を- まえがき』

 

美の法門を学ぶことによって、各人が芸能の力を開拓する必要があります。

この世的な意味での芸能人になることではなく、神の芸術作品として真の力に目覚めることです。

「美の法門を学ぶ過程で培った芸能の力を使って自分はどうやって伝道するか?」

これを熟考することは、考える人間になるために避けて通れないプロセスです。美の法門を学ぶ過程で様々な解釈を考え、伝道に活かす段階でもアイデアを考え続ける。

使用する伝道ツールも無限の可能性があります。文章、動画、絵画、デザイン、ファッション、ダンス、音楽、彫刻、演劇等

興味や関心もそれぞれ異なるため、伝道に決まり切った答えはありません。自分の得意分野で貢献していくことが求められます。

主が説かれる「考えることができる人間」とは、命令を待つ受け身の人間ではありません。自分で課題を見つけ、目標を設定し、自らの判断と責任のもとで行動する主体性のある人間です。

 

民主主義社会においては、実は、宗教も、いろいろな宗教が発展する可能性を持っています。価値観の多様性を認めれば、宗教の多様性も認めることになるのです。
 宗教の多様性を認めると、個人として人格を陶冶することや、教養を深めること、それから、精神レベルを高めることを促し、先ほど述べた、"Thinkable Man"「考えることができる人間」を、多数、輩出することができます。
 宗教と学問が協力して、「考えることが可能な人間」をたくさんつくることができます。それは「自由人」を生むことになるでしょう。
 数多く生まれてくる「自由人」は、一党独裁型のイデオロギーを押しつけたかたちでの、「ただ従え」という考え方の国体にはそぐわないでしょうが、そうした人たちをつくっていくことが、おそらく、未来のリーダーを数多くつくっていくことになると思います。

『政治哲学の原点 「自由の創設」を目指して』

 

 

6.多様性から許す愛へ

 

原曲研修の法談では自分と解釈が異なる人を受け入れる訓練にもなっています。美の法門は天使の法門。多様性を認めることで他者に対して寛容になり、許す愛に繋がっていきます。

主の教えには異分子だから他者を排除しようというものはありません。言語や考えが違う相手に対しても関心を持って理解しようという愛に満ちています。

外国人を理解したいと心から望むのであれば、相手の文化や言語を知りたいと思うでしょう。クリスチャンに伝道したい、受け入れたいと本気で思う人は聖書を読むはずです。
 

しかし心に刻んでおいてほしい。
この地球上には、
あなたに関心を持たれることなく生きている人々が、
数限りなくいるということを。

だから、
国際人として目覚めるということが、
あなたの知らない人々を愛する始まりとなるのだ。

語学はそのための大きな武器となる。
英語は特に地球時代の共通語といってよい。
一つの単語を覚えることが、
一人の人を救うことにつながると思おう。
文法を学ぶことが、
救いの命綱を垂らすことだと考えよう。

 

 

 



同じ教えを学んでいる教団内で考えが違う人を認めることができないのであれば、言語やイデオロギーが異なる外国人に仏法真理を弘めることはできないし、宇宙人を受け入れるなんて夢のまた夢です。

私も自分の器を広げる必要性を感じます。かつての自分のことを思い出しつつ、原曲を学ばない人の気持ちをもっと理解した上で相手の立場に立って伝えられるようになりたいと思います。

 

以前に私が美の法門に対して抱いていた印象は下記のようなものでした。

 

●美の法門を学ぶ前の勝手なイメージ

・黄色の法の光線から真理に辿り着けない人向けの脇道

・この世的な芸術

・外見の美に関する教え


 

「すべての人が黄色い法の光線から仏法真理に辿り着くわけではない。宗教画や教会のステンドグラスなど芸術を通して真理に触れる人もいる。」という趣旨の質疑応答が過去あったと思います。(『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 発展・繁栄を実現する指針』参考)

 

お話を聴いた時に「自分は経典を読んで会員になったから関係ない」と思いました。今思えばお恥ずかしい限りです。

 

心のどこかで芸術を軽視していました。美を下に見ている気持ちが私の心の中にあったのでしょう。
 

だから美の法門が説かれても、内容を確認してもいないのに「経典から真理に辿り着けない人用の脇道。救済策」であると間違った解釈をしていたのです。

 

しかし、美の法門を学び始めてから脇道ではなく本道、メインストリートであることが分かりました。


美の法門には、この世的な芸術や外見の美に関する教えも含まれていますが、それらはほんの一部でしかありません。

原曲はオマケや飾りではないし、刺身のツマのような添え物でもありません。

主の御名(エル・カンターレ=神は詩う)に関わることなので、お飾りなわけがありません。

美の法門に対する印象は今では下記のように変わりました。
 

●美の法門の特徴

・真→善→美と連なる教えの本道

・この世の芸術だけでなく神の芸術

・外見だけでなく内面の美、魂の美

・エル・カンターレ(神は詩う)信仰に必須のもの 

・主のお気持ちが分かる

・醜い妖怪性を払拭する

・世界を美しくする

・宇宙の法を本格的に説くために必要

・画一的な全体主義と闘うために必要

・考える人間になるために必要

・多様性を認めて他者に寛容になれる

・許す愛に繋がる天使の法門

・美しい生き様を学ぶ。生き方の美学

・病気の回復に役立つヒーリングパワー

 

・心の医者・看護師が学ぶ最新の医学


・海外伝道、宇宙伝道に必要

・献本や説法より多くの人に伝道できる


・復活の祈りの質を上げる。主のご復活の土壌を作る

 

・人生を懸けるに足る徳目(『あげママの条件』より)

 

・原曲は魂の親が子供達を育てるための子守唄


etc.


 

他にも様々な要素がありますが、今回は膨大な美の法門の中から、全体主義との関係について述べました。

全体主義という病は、気づかぬうちに私たちの心に、そして組織に感染します。

真善美をバランスよく学び、特に手薄になっている美の法門を強化して伝道する。そうすることによって教団も霊的健康を取り戻し、全体主義から世界を守ることに繋がります。

心の医者として最先端の医学である美の法門を学び、「一人ひとりの心を救う」という主からいただいた使命を果たしていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.エローヒム信仰で止まっていませんか?



長らくエル・カンターレ信仰もどきをしていた九条です。

 

 
 
 
エル・カンターレ信仰もどきって何?


私が信仰していたのはエル・カンターレではなかったと最近気づいたのです。

まずは下記の図をご覧ください。





私は美の法門をずっと拒否してきた人間です。

自分ではエル・カンターレ信仰をしているつもりでしたが、美の法門を学んでいなかったので客観的に見ればエローヒム信仰止まりです。

エル・カンターレ信仰を語れるのは原曲を聴き、真善を貫いて美の法門まで学んだ者だけ。会員歴が何年であろうが関係ありません。

私は今までエル・カンターレ信仰ではなく、エローヒム信仰だったのか・・・

 


「エル・カンターレ信仰=神は詩う信仰」なので原曲を学ばなければエル・カンターレ信仰ではないということです。

新たな教えを学びたい人は天上界にたくさんいます。彼らを押しのけて生まれてきたのに新しい法門を学ばないなんて、彼らに本当に失礼なことをしたと反省しました。

本仏と共に生まれることを許された自分は私人として生きてはいけない。天上界にいる多くの方々の代表で生まれたという自覚が足りませんでした。

この人生は私だけのものではない。自分のためだけに教学するのではない。アルファ、エローヒムの時代に説かれなかった新しい法門を学習して、帰天後に天上界の仲間に共有する責任があります。


どうか私のような愚かな過ちをせず、一人でも多くの方が原曲を聴いてくださるように心から願っています。


またサンガの集合想念を考えても原曲を真剣に学んでいる人は圧倒的少数なので、美の法門が教団全体で確立されているとは言えません。

このままでは幸福の科学は主エル・カンターレが設立されたにもかかわらず、エル・カンターレ信仰が根付いていない団体ということになってしまいます。

現時点ではエローヒム信仰(真・善)からエル・カンターレ信仰(真・善・美)に脱皮している途中でしょう。

ただし、これはマイナス要因ではなく伸びしろだと思います。サンガの過半数が原曲、美の法門を学ぶようになり、本当のエル・カンターレ信仰に目覚めた時の伝道力、救済力が楽しみです。

 

 

今、現代においては、「エル・カンターレ信仰」というものをキチッと立ててもらいたいと思います。それは、日本だけでなく世界各地にキチッとエル・カンターレ信仰を立てるということです。

「地獄の法」


日本や世界の前に、まずは私自身やサンガにキチッと美を含んだエル・カンターレ信仰を立てる必要がありますね。

 

2.「原曲を聴くのが生理的に無理です!」

 

美の法門は天使が学ぶもの。天使ではない私たちが原曲を聴けば、波長同通の法則により違和感を抱くのは自然な反応です。

秘匿霊言で原曲が流されていたように、自分の中の妖怪性が激しく抵抗することもあります。

 

それは想定内の現象であり、ずっと続くものではありません。自分の妖怪性が弱まるにつれて収まっていきます。

私の場合、最初の原曲研修で心がフリーズし、何も感じることができませんでした。

 

感情面だけでなく論理的思考も完全に停止し、法談では何も語ることができませんでした。


「こんなことをやっていて意味があるのか?」と途中で疑問を抱いたこともありましたが、ブレークスルーは必ず訪れると信じ、原曲コンプリートまでやり続けました。

曲との相性もあるため、まずは10曲ほど様々な原曲を聴いてみることをお勧めします。

 

 

 

 
 
 
天使になってから天使の修行をすればいいのでは?


確かに黙示録にあるように、本来は選ばれた天使のみが学べるものです。

誰でも聴くことが許されているのは大いなる慈悲です。また、天使以外の者にも前倒しで学んでもらわなければならないほど、危機的な状態にあることを示しています。

主のお気持ちを想像してみてください。

エル・カンターレとして法を説かれたにも関わらず、弟子のほとんどは原曲を聴かず、エローヒム信仰(真・善)で留まっている。

それを自分たちはエル・カンターレ信仰だと思い込んでいるなんて、主はどれほど心を痛めておられるでしょうか。


イノベーションには苦痛が伴います。居心地の良いコンフォートゾーンを抜けた場所にしか成長はありません。修行である以上、時には忍辱の心も大切です。

美の法門は私たちにとっては、アンドレ・ジッドの狭き門であり、映画『永遠の法』に登場する七次元菩薩界に入るための狭き門でもあります。




 

 

 

狭き門をくぐらずに、その先の宇宙の法が説かれることはありません。

原曲を聴けば全ての人が天使になれるとは言えませんが、欲界転生を卒業できる可能性は飛躍的に高まります。

私自身、原曲コンプリートして振り返ってみると、以前に比べて明らかに地獄的な思いや妖怪性が弱まっているのを感じます。

反射的に人を批判したり裁いたりする心の中のモンスターが大人しくなりました。

だから現時点で天使でなくても学ぶ意義は大きいのです。

あなたにとって、一体どちらが狭き門でしょうか?


「受け入れやすい法だけ学ぶ」

「受け入れがたい内容も含めて、主の法を素直に学ぶ」

 

仏より流れ出すところの、一切の教えを、学ぼうと誓え。
仏より流れ出すところの、一切の真理を、学び尽くそうとせよ。
そうであってこそ、
あなたがたは無限の力を得ることができるのだ。
遠き道を歩んでゆかんとするならば、
この力を身につけよ。
魂の糧を、一つ残らず、食べ尽くすのだ。
そして、永き道のりを、共に歩いてゆくのだ。

「永遠の仏陀」

 

 

 

3.「原曲研修の法談が苦手です」

 

 



 
 
 
皆さんのような発表ができずに法談で尻込みしてしまいます


あなたにとっては「大したことがない」と感じる気づきでも、他の人にとっては貴重な発見かもしれません。その気づきによって理解が深まる人もいます。

私も最初は周囲のレベルの高さに圧倒されましたが、他人と比較して劣等感を抱くのは間違いだと思うようになりました。

 

スタートした時より自分が一歩でも、半歩でも成長すれば、それで充分です。

ジグソーパズルに不要なピースが一つもないように、学びの場においても、一人ひとりの気づきはすべて意味があります。

法談は与える愛を実践する場でもあります。自分の気づきを他の人と共有することは、与える愛の行為そのものです。

通常の法談では、一緒に参加した人にしか内容が伝わりません。しかし、神詩会では法談の内容をレジュメにまとめているため、あなたの知らない人や、これから原曲を学ぶ人にも伝えることができます。

レジュメを他の人が読むことによって一対多の与える愛になります。

私も話すことは得意ではありませんが、主が過去の間違いや失敗もさらけ出してくださっているのに、人間心で恥ずかしいとか自己保身の気持ちで話すことを躊躇するのは、あるべき姿ではないと考えています。

『サクセス・マインド』で説かれているように、常に最高の自己を世の中に差し出すことが大切です。他の人と比べることではなく、今の自分の最大限を出せれば、それで良いのです。

法談は「三尺三寸箸」の話に似ています。天国で目の前の人にご飯を食べさせ合うように、法談でお互いの気づきを分かち合う皆さんの姿を、私は美しく感じています。

 

 



あなたの気づきは、あなただけのものではありません。「人類の共有財産」であることをどうか忘れないでください。

 

4.「八正道で妖怪性を払拭すればいいのでは?」

 

仏言「妖怪には八正道ができない」に関するご質問ですね。まず例え話をさせてください。





「正露丸は歯の痛みを和らげる」


これは正露丸の特徴の一つを表した表現です。ただし、歯の痛みを和らげるための最善策が正露丸だと述べているわけではありません。

正露丸には局所麻酔作用がある成分が含まれているので歯痛薬として使うこともできます。しかし、正露丸の本来の目的は下痢・腹痛などの緩和。

虫歯の痛みにも副次的に効果はありますが対処療法にしか過ぎません。当然ながら歯の痛みを和らげるための最善策は「歯医者に行くこと」ですよね。

では話を本題に戻します。


「妖怪には八正道ができない」


これは妖怪の特徴の一つを表した表現ですが、妖怪性を払拭するための最善策が八正道だと述べているわけではありません。

また、以下の文脈からも分かるように、妖怪性を払拭するための手段として八正道を勧めているわけでもありません。

 

 

だから、妖怪には八正道ができないんですよ。八正道ができないんですよ。 正見・正思・正語・正命とか、こんなのはとても、とてもできない。これができない。八正道、できないですね。「自分を見つめて、分解しながら点検していく」というようなものは、ちょっとできない。


「『妖怪にならないための言葉』余話 」

 


「八正道で妖怪性を払拭できる」とは説かれていないのです。

 


例えば「新生児は固形物を消化することができない」と言われたら「よし!新生児に固形物を食べさせてみよう」と思いますか?

 

 

 
 
 
思いません


「悪魔には感謝ができない」と言われたら「悪魔を訓練して感謝させよう」と思いますか?

 

 

 
 
 
思わないです


では「妖怪には八正道ができない」と仏言で言われているのに、なぜ妖怪に八正道をさせようとするのですか?

「修行すれば妖怪でも八正道ができるようになる」とは説かれていませんよ。

 

 

 
 
 
深く考えていませんでした・・・



「八正道によって妖怪性を払拭できないだろうか?」と仮説を立てるのは理解できます。

しかし、私たちは学者ではなく修行者、実践家です。どんなに正しそうに見えても実現性が低ければ意味がありません。

 

 

 
 
 
主が説かれた八正道を否定するのですか?


私は八正道を否定していません。八正道は絶対に必要です。ただし、妖怪性の払拭を目的とする場合、最初に八正道からアプローチするのが最適なのかについては検討が必要です。

正露丸の例で言えば、虫歯の痛みに対する最適な治療法は正露丸ではなかったですよね。


心の医者であるならば「八正道によって本当に妖怪性は改善に向かっているのか?」という治療法の検証を怠ってはいけないと思います。

『仮説は実証して初めて真実になる』


八正道を実践して既に妖怪性を払拭できたという方がいれば、その方に私が申し上げることは何もありません。


しかしながら、八正道に取り組んでも妖怪性を払拭できなかったという人の方が圧倒的多数ではないでしょうか。

真説・八正道が説かれて長い年月が経ちました。

それでも妖怪性の問題は解決していない。

「八正道の実践量が足りていなかった」「八正道のやり方が間違っていた」という意見もあるでしょうが、私は他にも足りないピースがあると感じています。

私の周囲でも、八正道によって妖怪性を払拭できた人の話を一度も聞いたことがありません。
 

 
 
 
ではどうすればよいのですか?

 

妖怪の醜さと闘うのであれば、醜さの正反対である美が必要です。

ご提案したいのは、原曲で心を開いてから八正道に取り組む方法です。

 

 


私は過去、泣く反省がほとんどできませんでした。反省しても深く入れないのです。

そんな私でも原曲研修で曲によっては泣くことがあります。原曲・高越山では今までで一番涙を流しました。

 

その状態では反省も非常に入りやすくなります。

ですから、八正道を実践しているのに妖怪性が弱まっている気がしないという方は、原曲→八正道の順で試してみることをお勧めします。

 


 

5. 人事を尽くさず天命を待つな






約4億年もの間、エル・カンターレの御名が明かされることはなかった。

途方もない沈黙の時を経て「エル・カンターレ=神は詩う」という隠された御名の意味が明かされた。

それなのに、神が詩われている原曲を学ぶ者は極めて少ない。少なすぎる。

一番大切なものを明かしてくださったというのに・・・

主は深い悲しみに包まれていらっしゃるでしょう。

お世辞にも弟子の準備が調ったとは言えません。

弟子たちによる復活の祈りが、今日もまた地上から聞こえてくる。弟子は準備を調えることもなく復活をお願いしている。主はどのようなお気持ちで聞いていらっしゃるだろうか。

義務を果たさず要求ばかり。主の深いため息が感じられる。こんな状態で一体どうして主が復活して本当の姿を見せることができようか。

問題なのはサンガでもなく、他の誰かでもありません。

美の伝道師でありながら原曲拝聴者を増やすことができない。

「エル・カンターレ=神は詩う=原曲」の重要性を浸透させることができない。

「この世の命を守ることより大切なものがある」と人々に気づかせることができない。

主よ、申し訳ございません。すべて私の責任です。
 


 

 

ナヴァさんからいただいたまとめを掲載いたします。(ナヴァさんより:経典、御法話をベースにしていますが、あくまで、個人的見解です。)
 

①3つの時代




「エル・カンターレ」とは地球での隠された御名。    

知と美:太陽系の目標(経典「幸福の科学とは何か」参照)

 

未来型人間(経典「ユートピア価値革命」参照)
 

ダイナミックな進化(経典「太陽の法」参照)

 

②3つの心

 

 

魂の3つの心:考える・感じる・行う→宇宙が立体的に見えて来る






3つの心(3つの丹田、7つのチャクラ)を貫いて天・地・人が、真・善・美が、一つになることが「信仰」。ブロックとなっているものを取り除くことが「修行」。

トーラス:私たちと宇宙を繋ぐエネルギーの流れ、形。ヘルメス思想とは循環。循環なき時に人間も宇宙も健康、健全とならない。

 

③3つの階層


美による仏性の共鳴が仮面を割る。主と一体となって得られる神秘力





※偽・悪・醜の吹き溜まりが地獄界。

美醜:天使の修行。祈りの修行。

愛の魔法の実践。醜さを消す。(経典「太陽の法」参照)
つまり、天狗性・妖怪性を消す力ということです。

「神様は、人間の罪を許し、醜さを消すために、愛という魔法の力をお与えになった。」

醜さを消すためには反省だけでなく、他者への愛が鍵となっているということ。ここが特に重要です。

愛の実践に心が向かうためには、「悲しみ」を感じていることが大切になります。
主のお気持ち、主の悲しみ、人びとの悲しみ。それを感じることができるのが美の法門・原曲です。

美の法門は天使の修行。欲界転生からの脱却です。


※仏教における三界とは、欲界・色界・無色界の三つの世界のこと。
欲界は、4次元〜6次元。 

※欲界は、地獄も含みます。
(経典「悟りの挑戦(上巻)」)

色界は、6次元上段界の阿羅漢〜7次元。
無色界は、7次元上段界の梵天〜。
(経典「悟りの挑戦(下巻)」、「沈黙の仏陀」)

※正確には、阿頼耶識(蔵識)は、4次元の一部と、5,6,7次元の領域となる。
(経典「仏陀再誕講義」)

 

④3つの世界



「ダイナミックな進化」という目的の下に3種類の象徴的な宇宙人を招来しました。

第3宇宙(巨大な交響楽の宇宙) (「宇宙人リーディング _アンドロメダ星人からの一喝」参照)

レプタリアンーベガープレアデス (経典「太陽に恋をして ガイアの霊言」参照)

※宇宙人リーディングでは、この第3宇宙の説明に関して、「宇宙全体が有機的に楽譜のようになっていて何かを表している。それがシンフォニーのように巨大な交響楽のようなものを宇宙自体が歴史で奏でている。 」とされることからも、パラレルワールドのことかと思います。

 

⑤3つの人間像


以下は、中畑館長の講話からです。

『大川隆法総裁先生は、1986年に「初転法輪」第一声を発せられました。
その年に今後、50年、法を説くと言っています。

半分に割れば25年で、1986年から25年後は2011年。その2011年に説かれたのが「美について考える」

ここから本格的に、もう一度、美を押し出していきますよ、ということで教えは始まっている。』

もう一つは、これは私(ナヴァ)の考えですが、星ひとみ守護霊の霊言で、紫央さんの功徳で20歳延びて2057年までに変更になったと言っています。

これを同じく半分に割る考えもありますが、「2050までに決着をつける」という仏言を着地点とすると、1990年から30年間が「知」の期間で、2020年ゴールデン・エイジから30年間が「美」の期間で、太陽系の目標、未来型人間を輩出し、黄金の未来を開くということにもなります。

つまり、50年から70年になったということになります。

どちらにしても、『美の法門』は主の黄金の御計画の中で重要な位置を締めているのです。


仏陀型人間(知)+ヘルメス型人間(美)=未来型人間
 

 

⑥3つのイノベーション


【真偽(宗教による)の分別】
(1993年に経典「悟りの挑戦」)

●1994年に「方便の時代は終わった」
これは仏陀への帰依です。

経典「宗教選択の時代」参照。
「借物はもう要らない時代、本物の時代が来た。方便の時代は、もはや終わった」
 

→1995年に阪神・淡路大震災。

レプタリアン問題をステップに仏陀を顕現する。


【善悪(政治による)の分別】
(2009年に幸福実現党の立党)

●2010年に再び「方便の時代は終わった」
これは救世主への信仰です。

経典「救世の法」参照。

「方便の時代は終わりました。戦いの火蓋は切られました。」
 

→2011年に東日本大震災。

プレアデス問題をステップにメシアを顕現する。


【美醜(芸能による)の分別】
(2021年から青春詩集〈アニバーサリーイヤー〉)

●2022年に3度「方便の時代は終わった」
これはエル・カンターレ信仰です。

経典「地獄の法」参照。
「『地獄の法』とは、姿を変えた『救世の法』だ。」

格はいく③神は詩う=美の法門・原曲など。

→2024年1月に能登半島地震。

ベガ問題をステップにエル・カンターレを顕現する。

 

⑦3つの循環

 


心の指針237「善悪の逆転」

だから、人間よ、
真・善・美を求め続けよ。
四正道を求め続けよ。
それが、あなた方の羽となるだろう。


心の指針は、この「善悪の逆転」で最後となりました。
 

 


真・善・美・聖の光を、純粋に感じとることが信仰心です。

●やっていただきたいことは、『エル・カンターレ信仰を打ち立てること』=『真・善・美の世界を打ち立てること』(経典「地獄の法」)

●エル・カンターレ=神は詩う=原曲です。

●美の法門を学ばなければ、『正しき心の探究』にならない。

●それは法帰依になっていないということ。

●それで伝える道(伝道)は行き止まりの道であること。

●真(宗教)、善(政治)、美(芸能)です。

この最後の芸能・芸術=美の法門が、宗教と政治を繋ぐ、祭政一致の鍵なのです。

それは、幸福実現党の惨敗を受けて、先生が、HSUの未来創造学部を設立し、「政治・ジャーナリズム専攻コース」と「芸能・クリエーター部門専攻コース」を併設したことからもわかるでしょう。

聖に到るために、世界も、組織も、人間も、真・善・美を意識して循環させることが大切です。循環こそがヘルメス思想の核心です。



循環はスパイラルに上昇していく

 

⑧3つの神の道

 

 


「⑥3つのイノベーション」の真偽・善悪・美醜の分別と「⑧3つの神の道」の至真・至愛・至聖の相関関係について。

真偽を分別する中に上位概念の「善」が必要となります。

善悪を分別する中に上位概念の「愛(美)」が必要となります。

美醜を分別する中に上位概念の「聖」が必要となります。

このような構図だと思います。これはそのままチャクラ構造とも重なります。


 

 



 

※いつの時代も最後に説かれる法門が弟子には分からない。

例)法華経のUFOフリート(鈴)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が地上を去った後、原曲に出逢うことになる光の仲間たちに、この文章を捧げます。

美の法門を否定していた私がどのような思考プロセスをたどって原曲を学ぶようになったのか。後世のために遺しておく必要があると思いました。

原曲は神様の愛が込められたプレゼントです。  
 

心を込めた贈り物を用意してくださったのに受け取ってもらえなかったら、神様はどれほど悲しまれるでしょう。

 

私の過ちを反面教師として学び、神が詩う人類へのLOVE SONGを聴く人が増えることを願っています。


 

1.美の法門を弾いた私の妖怪性


なぜ私は原曲や美の法門を学ばなかったのか。

「物事の本質を見ていなかった」「現世利益の虜だった」ことが大きな原因だと思います。
 

原曲を初めて聴いた時、英語説法を聴いた時と似たような感覚がしました。英語説法では中身よりも英語の発音に意識が向いたのです。

原曲の場合も内容を汲み取る以前に、この世的な視点で歌が上手いか下手かを無意識に考えました。

映画「美しき誘惑―現代の『画皮』―」から私は何も学んでいなかったわけです。
 

・画皮という妖魔の問題ではなく、外見にとらわれ心の眼で相手を見ない私の問題

 

・英語説法の問題ではなく、英語の発音という表面的な部分しか見ない私の問題

 

・原曲の問題ではなく、この世的な歌唱力ばかり考える私の問題


全て繋がっています。奥にある本質を見ようとせず、上っ面だけで判断するという醜い傾向性が神の美しさを受け入れることを拒否していたのです。
 

 

2.現世利益にまみれた信仰

 

振り返ってみると、私の信仰は長い間、歪んでいました。社会人になってからは、仕事の成功、健康、お金などに心が支配されていたように思います。

慣れない営業職に就き、売上を上げなければ人として扱われない職場。精神的ストレスでトイレに隠れて血を吐いてました。

休日でも営業の本を読んだり、セミナーを受けたり、考えていたのは売上のことばかり。

精舎に行っても頭の中は「明日の売上をどう立てるか?」に執着していたので、心が休まる時はありませんでした。

祈願を重ねても思うような成果は得られず。

天上界を利用しようという醜い気持ちが私の中にありました。利他の心が欠けていたのです。

天上界を都合が良い願いを叶えるための便利な道具のように考え、信仰を現世利益を得るための手段にしていました。

自分にとって損か得かという損得勘定を動機として行動していたように思います。

そんな状態で祈願を受けていたので叶わないのは当たり前ですが、当時はそんなことすら分からず愚かな人生を送っていました。

どんなに仕事が激務だろうと体調が優れなかろうと、そんなものは言い訳でしかありません。私よりも遥かに厳しい状況なのに美しい信仰を貫いている方は数多くいらっしゃいます。

当時を見つめ直すほど、恥ずかしさと後悔の気持ちが湧いてきます。

幸福の科学の会員であるというだけで信仰者ではなかったのです。
 

釈尊「信仰」っていうのはね、会員登録をしただけで「立った」とは言えないんですよ。「信仰」っていうのはね、祈願にお金を払って、やっただけで、証明されたものでもないんですよ。


信仰には、レベルに差があるんですよ。

だから、「本当の信仰を持っているかどうか」が試されることになると思います。
 

『釈尊の未来予言』


世のため人のために生きようとする気持ちより、この世的に満たされたいという思いの方が明らかに勝っていました。

純粋な愛や美しさを軽く見て、目先の利益ばかり追いかけていた自分の浅ましさを痛感しました。

あの世にもって還れるのは信仰心だけ。信仰心が低下しているのに、お金持ちになり、健康になり、人間関係が改善したところで一体どんな意味があるのでしょう。


例えば、成績を上げるために塾に行ったのに、塾に入った後に成績が下がったのであれば本末転倒ですよね。

魂を成長させるために地上に生まれたのに、現世利益の亡者となり魂を退化させていました。三次元の誘惑に負けていたわけです。

「この考えは魂の成長に繋がるか?この行動は信仰心を高めることに繋がるか?」というチェックが抜けて欲望のままに生きていました。

仕事に役立つか、お金儲けに使えるか。そんな欲にまみれた色眼鏡で見ていれば、現世利益の対極にあるような美の法門に関心が向かなかったのは当然です。

仮にこの世の願いが叶わなかったとしても、信仰心が高まったのであれば天上界から見れば成功者なのです。



 

 

3.法が進化しても私は進化していなかった

 

私は長らくIT業界に身を置いてきましたが、ITの世界は日進月歩で技術が進歩しています。

一方、人類は知識が増えて生活スタイルが変わっても、2500年前と比較しても本質的には変わらないようなことで悩んでいます。

機械文明がどれだけ進んでも、それを使う人間が進歩しないと意味がありません。

主の法も真→善→美と進化し続けています。

法が進化していたのに、その流れに付いていけなかった自分。

心のOSが古いままアップデートされていなかったので、深く考えもせず昔の考え方のままで美の法門を弾いていました。

仏の教えを丸ごとインストールするという素直さが欠けていたと思います。

 

現在の延長上に未来は拓けません。「今までうまくいった」「かつては、こうであった」「前例は、こうであった」「昔は、こう言っていた」と、「このようにしていた」「親の代は、こうであった」というようなことを、打ち破っていかなければ駄目なのです。

 

『経営とは、実に厳しいもの。』 



 

4. 疑→半信半疑→信

 

現世利益の虜だった私が内省することになったきっかけは、主のお隠れでした。「このままの自分ではいけない」という思いを強く抱くようになりました。

また新しい取り組みをしない限り、教団も求心力を失っていくだろうという危機感もありました。

何かを変えなければいけない。でもその答えが分からない状況でした。

そんなある日、目にしたのがナヴァさんが発信されていたXの情報。
https://x.com/777_ekam

大変申し訳ありませんが、最初は疑いの心で一杯でした。

「こんな内容、どの経典に書いてあるの?」

「なぜこんな風に断定して言っているんだろう?」

でも疑問を持ちながらも、なぜか気になってXをフォローしました。「それだ!早く気づけ!」と天上界から応援されていたのかもしれません。

Xで情報を追うようになったとはいえ、半信半疑の気持ちはしばらく変わりませんでした。ただ、継続して読んでいくうちに分かったことがあります。

 

1.自分の欲得のための情報発信ではない。相手に気づいてほしくて利他の行動をされている

  

2.実体験に基づく意見が多い。全原曲の拝聴。祈願や秘宝。植福や活動の実践


机上の空論ではない体験談は説得力がありますよね。仏言は重要ですが、仏言だけでは人の心は動きません。


特にサンガの外の人にとって興味があるのは仏言そのものではなく、仏法真理を使って人生の苦難をどう乗り越えたか。
 

「信仰というもので結局、あなたは幸せになったの?本に書いてある一般論ではなく、あなた自身のエピソードを教えて」

私が会員ではなかったら、それを一番聞きたいです。

 

だから自分の経験を踏まえたストーリーが重要だと以前から思っていました。

ご自身の体験に基づく貴重な情報ではありましたが、もし2023年3月2日以前に目にしていても私はおそらくスルーしていた気がします。

主のお隠れによって私の心が内に向いていたからこそ、反応することができたのでしょう。

「主のお隠れ」と「ナヴァさん」という2つのピースが揃って私を美の世界へと導いてくださいました。

主よ、ナヴァさん、本当にありがとうございます。

ナヴァさんが伝えてくださる原曲の解釈は私には難しい。でも、その世界はきっと美しいんだろうな。私も、その世界を覗いてみたい。

私が全原曲をコンプリートしたところで、おそらく同じ世界を見ることはできないだろう。でも、その美しい世界の一部でもいいから見てみたいと思ったのです。  

 

そして自問自答して決断に至ります。

 

「原曲を理解できない理由を並べる前に、私はまだ最大限の努力をしていない。最初から無理だと決めつけているだけではないか。

『やったけど理解できなかった』と『やっていない』は天と地ほど違う。『霊感がない。感性がない』と言い訳するのはもうやめよう。できる限りの行動をしよう。

 

その結果、一切理解できなかったとしても構わない。開示されている全ての原曲を拝聴しよう!」


そして神詩会に集うことになります。神詩会には素晴らしい方々が数多くいらっしゃいます。

「何を学ぶか」が一番重要ですが、「誰と学ぶか」も大切な要素です。

皆さんの気付きのおかげで原曲の理解が進んだり、限定原曲で各精舎に行くときなど、様々な点で助けていただきました。

この場を借りて感謝申し上げます。

 

共に学習する仲間がいるということは、自分が危機にあるときや判断に迷っているときには、非常に頼りになります。そういう意味で、仲間を持っておらず、自分一人で勉強していると、危ないことがあります。

『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 霊現象・霊障への対処法』


 

 

5.美しい世界に対する主の覚悟

 




https://the-liberty.com/article/18311/

この御法話では優しいトーンでお話されていますが、言葉の背後には主の覚悟が秘められています。
 

36  あらゆる抵抗を排して『妖怪にならないための言葉』を書き始める
『短詩型・格はいく集④(不惜身命の姿・特別編)』


この本を校了するにあたり、激しく襲われて、生命の危険を感じたほどだった。
『妖怪にならないための言葉』



生命の危険を感じてでも発刊しなければならない理由。それは「何がなんでも醜い妖怪性を払拭して世界を美しくする」という覚悟があったからに違いありません。

もし「世界を美しくできたらいいな」という軽い願望であったなら、命がけで『妖怪にならないための言葉』を出版する必要はないはずです。

叶えられたら嬉しいというレベルの願望ではなく「どんな犠牲を払っても絶対に世界を美しくする」という不惜身命の思いを私は感じました。

主がそこまでの覚悟を持って取り組まれたのであれば、私たちはどう応えるべきでしょうか。

そこまで主にさせておいて、そのお手伝いができないのであれば、私は仏弟子として失格です。主の願いを我が願いとするのが弟子のあるべき姿です。

とはいえ、経典や御法話で知識だけ増えても世界は美しくなりません。

世界を美しくするためには、美しさの反対にある醜さ、すなわち心の中の妖怪性を払拭しなければなりません。

そのための具体的な方法が美の法門であり、中核をなすのが原曲です。


 

なぜなら、エル・カンターレ=「神は詩う」であり、神が実際に詩われているのが原曲だからです。


美の法門はどれも大切なので原曲だけ学べばいいわけではありませんが、2割8割の法則で美の法門を考えると原曲は間違いなく2割。

エル・カンターレという主の御名をあらわしている原曲は絶対に外してはならないセンターピンに該当します。

以上をまとめます。

なぜするのか?:「世界を美しいものにしたい」という主の命がけの願いを実現するため

どうやってするのか?:美によって醜さ(妖怪性)を払拭する

何をするのか?:原曲を中心に美の法門を学び弘める


原曲を抜きにしては、本当の意味で妖怪性が払拭されることも、世界が美しくなることもありません。

美しい心が宿った神の詩が世界に響き渡る時、地球は美しい星に生まれ変わる。そして「世界を美しいものにしたい」という主の願いが成就されるのです。

 

6.美を学ぶと真善の理解も深まる


原曲中心の情報発信をしていると「美だけ学べばいいの?真善は要らないの?」と思う方がいらっしゃるかもしれません。

答えはNOです。真・善・美は順番に積み上げるものであり、真善を学んだことがない人が美だけ学んでも理解できないのが現実です。



「じゃあ、私は真善を完全には理解できていないから、美の学びは後回しかな」

この考えは間違いです。

美の法門を真剣に探求すると、真善についても改めて学ぶ必要が出てきます。

例えば「この曲の歌詞はあの書籍の内容とつながっているな。経典を読み返してみよう」という具合に。

美という別の角度から学ぶことによって、以前は分からなかった真善の理解が深まることが多々あります。

なぜなら美の法門は単独で存在しているのではなく、他の法門にも関連しているからです。

原曲を中心として美の法門を学ぶ人は少ないため、私には下記のように映っています。



家で例えると、柱(美)が安定していないので上に屋根(宇宙の法)を乗せることができません。

もちろん柱を支える土台(真善)は重要です。土台がないのに柱だけあっても家は建ちませんよね。

真・善・美、どれ一つとして欠けてはならないものです。

ただ、現在は柱が極端に弱い状態にあるため、美を学ぶ人を増やして柱を強くする必要があります。

そうしなければ主が復活されても宇宙の法を説くことができないからです。

決して真善を軽く扱っているわけではなく、今は美に比重をおいて学習した方が良いという点をご理解ください。

 

活字の経典の流布と、伝道師の説法という古典的なやり方だけでは、仏法真理を伝えるのは困難になってきた。もっと感性的で感覚的なものでなければ、大勢の人々に認識されにくくなってきたのである。

『仏法真理が拓く芸能新時代 -エンターテインメントに愛と正義を- まえがき』


 

 

7.仏との誓いを破りました


四弘誓願の中に「法門無量誓願学」があります。法門は無量なれども、学び尽くす。

仏の教えのすべてを学び取ろうと誓ったにも関わらず、美の法門を学ぶことを以前の私は深く考えることもなく拒否していました。

仏との誓いを破っていたことになります。

「好きな教えだけ学べばいい。実生活に役立つ教え、仕事に使える教えだけ学べばいい」とは説かれていません。

原曲を聴かない人=法門無量誓願学という仏との誓いを破っている人

そんな私が改心した後、なぜ原曲を他の人に勧めるようになったのか。その答えも法門無量誓願学の中にあります。
 

「法門無量誓願学」も、自分だけ勉強していればいいというわけではないのです。すべての人が真理を勉強する必要があるわけです。


(中略)
 

 衆生すべてに法門を学んでいただく、こういう誓いでもあるわけです。

『沈黙の仏陀』


自分が教えを学んで終わりではありません。法門無量誓願学のゴールは、すべての人に法を学び尽くしていただくこと。

だから「自分は原曲研修に参加したから大丈夫。全原曲コンプリートしたから充分」ではないのです。

自分が原曲を学ぶのは当たり前。「衆生すべて」と仏言で説かれている以上、他の人にも教えを学んでいただくように努力しなければいけません。


美の法門も衆生すべてに必要な教えであるのに、かつての私のように会員であっても「エル・カンターレ信仰=神は詩う信仰」が立っている人は限られています。

法門無量誓願学の誓いを果たすため、私には自らが美の伝道師として伝えるのみならず、美の伝道師を数多く増やす責任があります。

美の法門を広げ、世界を美しくする責任があります。


人間は神が創造された偉大な芸術作品です。

 

この世の職業が何であれ、どんな人でも本来は神の栄光を地上にあらわすための芸術家であり、芸能活動を担っています。

私が地上を去ったとしても、天においても地においても美の伝道師があふれる状態にしたいのです。

「美の伝道師として生きる人生こそ、最も美しい人生である」と私は信じています。

原曲を学び、美の法門に目覚め、自分の言葉で語れる美の伝道師が増えますように。

主が命がけで実現されようとした美しい世界を、私たちの手で実現しましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前の忘れられない思い出。幸福の科学に入会したばかりで行動力あふれる男性会員がいました。大人しく真面目な人柄に、私は彼の活躍を期待したものです。

ある日、彼から「話がある」と連絡が入りました。そんなことは初めてだったので、いつもとは違う気配を察しました。

彼に会うと瞳は血走っており、不安が胸をよぎります。何か深刻な事情を抱えているのではないかと心配になり、私は耳を傾けました。

彼は一呼吸おいてこう切り出したのです。

「実は、すごく儲かるビジネスがあって・・・」


ネットワークビジネスの勧誘でした。

彼の表情は人が変わったように熱を帯びていることに気づきました。純粋だった彼が、目の奥に何か強い渇望を抱えているようで、不穏な空気がテーブルを包み込みます。

彼は細かな数字や成功事例を次々と羅列し、強く勧めてきました。その真剣さが、かえって背筋を凍らせました。



誠実であった彼がまるで別人のように突き動かされている。何かに取り憑かれていたのかもしれません。

人格まで変えてしまうほどの力。ネットワークビジネスの怖さを肌で感じた体験でした。



教団内におけるネットワークビジネスの勧誘については、以前から指摘されています。

 

 

 

 

 

ネットワークビジネスに限りませんが、自らの言動が正しいのか間違っているのか迷った時は、ウォーレン・バフェットの「新聞テスト」の考え方も役に立ちます。

「自分の決定や行動が翌日の新聞の一面に載ったとき、それを家族や友人、隣人が読んでどう思うかを考えなさい。もしそれが恥ずかしいことなら、その行動は取るべきではない。」


違法行為ではないとしても、仮に下記のように新聞や週刊誌で実名報道されたと想像してみてください。それを家族や知人が読んだ時、自分は一体どんな気持ちになるでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

カントの道徳律、「格率」と一緒で、「あなたがすることをほかの人がまねしてもいいと思うことなら、それをしなさい。あなたがやることをほかの人がまねしたらよくない、ほかの人がそういうことをしたらよくないと思うことはするな」ということです。

 

『なお、一歩を進める』