あくまで私個人の一意見です。

当時はかなり私も若く、言い回しにきつい表現などもあるかと思いますがご了承ください。

「八◯道1万人プロジェクト」に絡めてネットワークビジネスの勧誘が進んでいるそうなのでそれは誤りであるとお伝えしておきます。

勧誘については誤りです。

 

絶対時間の搾取 ―正命― だけでも目を通しておくことをお薦めします。




もう20年も前に作成したものですが、流行り始めているということでどうしても載せて欲しいという声もあり、やむなく載せることとしました。

2004年はちょうど第三の死の時。
ネットワークビジネスが流行しました。
そして、また今回も流行り始めました。

現在は、仮想通貨も同様です。

以前に調査した時、投資している資本家などはダミー会社を設立しますので中々わからないのですが、ネットワークビジネスの上位20社の内、ソルトレイクシティとユタ州のその近辺に本拠地を置く企業はわかっているだけでも半数近かったです。

 

そして、米国において、ネットワークビジネスに関わる人はモルモン教徒に多いというのも事実です。

ソルトレイクシティはモルモン教ですが、モルモンとはマモンのことで、マモンとは拝金主義の悪魔・バアルです。
これは「モルモン教霊査」の延長で大統領候補者の霊言を録った時に明らかになっています。

※「ネクストプレジデントⅡ」で述べられています。

モルモン教の教義の中には、隠された秘史も確かにあることからも、元々は創始者も天使だったのでしょう。
しかし、いつの間にかすり替わっています。

※「イエス・キリストの宇宙人リーディング」の中で米国に現れたことが語られています。


天使という表霊界から仙人・魔法使いという裏霊界、裏霊界から地獄まではとても近いので警鐘とさせていただきます。

 

 

 

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大川隆法総裁先生は、「それが正しいかどうかは、その価値観が世界に広がった時にどういう世界になっているか。それを想像すればいいと思います。(要旨)」と述べられています。

 

ネットワークビジネスは、その活動自体に何ら生産性はなく、上位の数パーセントのみが収益を得られるシステムです。

しかも、そのシステムで成功する人の割合は実は、通常のビジネスで成功する人の割合よりもダントツに低いのです。

また、拝金主義の悪魔が示すように、ご利益信仰との親和性もとても高く、仙人・魔法使いからの転落も早いです。

仙人界、魔法界の修行のようなもので、それが世界に広がった時には、確実に貧困層が増えます。


少し考えて見てください。


ネットワークビジネスは、トップがほんの少数で雇用関係にない販促員の大多数がその時間と労力を使うことで支えられている文鎮型組織です。

(組織図だけはピラミッド型になっているでしょう。しかし、収入格差を見てみてください。文鎮型でしょう?)




ぶら下がりの販促員がいなくなればトップの収入も無くなります。

そのためモチベーションという名の洗脳に容易にすり替わります。

販促員は、時間と労力を吸い取られています。

普通の組織ではその時間と労力を使う中で技術スキルを身に着けます。

ネットワークビジネスの場合は、洗脳手法と念力を身に着けます。

勧誘と人材の維持をするだけのスキルです。

世界に広がれば、大多数が貧困になるということです。



これも姿を変えた全体主義です。

 

 

 

こちらの法談の中にも話題として出てきてますのでご参考まで。

 

その思考パターンは、いずれ、AIや機械化惑星に取り込まれるであろうことがやり取りの中に浮かび上がっています。

 

 

 

 

 

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【まえがき】

この論考は、「ネットワークビジネスと裏世界」というタイトルの通り、『ネットワークビジネス(以下、NB)は、裏世界の原理である』ということを明確に掲げています。

裏世界の原理とは、「すり替え」と「撹乱(かくらん)」です。

この裏原理を、「信仰・愛・悟り・ユートピア建設」による反証という形で章立てし、さらに「十正道」に対応して、NBの十の罪過をあぶり出していきます。

太陽の時代の到来のために、全人類は至高神エル・カンターレの下に帰依し、成功の本道を歩まなければならないのです。

二〇〇四年 九月 ナヴァ 

 

 

 

 

 

 

 

 

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①           神殿の商売 ―正信―

 

 

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「罪」の起源、あるいは悪霊の起源というものを考えたときに、やはり場所を取り違えている、時・所を間違えていることが原因で悪になるという説明をしているわけです。

イエスが神殿で、商売をしている者たちを縄で追い払ったことがありましたが、これなども、もちろん商売そのものが悪いわけではないけれども、その場所が神の宮であるということがどういうことなのかを、わかっていないということ

に対する聖なる怒りであったと思います。

―ですから、幸福の科学などでも同じです。ここは、仏法真理を学ぶところです。しかしこれを考え違いすれば、すぐに悪になります。そして罪を犯すこととなります。たとえばある人がセールスマンだとして、ここに入ってくるとたくさんの人がいる、これはひじょうにいいマーケットがある、ということで物を売りまくったりしたら、これは悪になるのです。そしてその結果は、聖霊を汚す罪になるわけです。           『幸福の科学原論①』P208

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幸福の科学における精舎とは、第一義として、現成の仏陀・大川隆法総裁先生をお守りする結界、しいては日本と世界を護持する結界です。第二義として、信者のための伝道・教学の拠点、霊界との交流基地です。

この精舎は、至高神エル・カンターレの念いの一形態、御分光でもあり、御法体でもあります。

よって、その聖なる領域において利得を貪る行為は、霊域を乱す行為であり、即仏神を汚す行為へと繋がっていきます。

また、ここでいう神殿とは精舎のみではなく、幸福の科学という僧団全体をも指します。

「神殿の商売」はその僧団を撹乱し、基盤を揺るがすことにも繋がり、大きくは「和合僧破壊の大罪」にもあたるものなのです。

信仰者は、まず仏神に対する礼節の心をこそ問わなくてはなりません。

 

経典「信仰と情熱」にはこう説かれています。

「この地上からいつ消えてもかまわないような有象無象の新興宗教と、我われ「幸福の科学」との違いを敢えて言わせていただくならば、この「礼の精神」、ここに始まるところになければならないと、私は思うのです。」

仏神に対する、礼節の心があってこそ、この世界のあらゆる秩序は成り立つことができます。

それは仏神が私たちの魂の御親であり、この大宇宙を統べる法の意識そのものであるからです。この大宇宙には「法」という荘厳なる秩序があります。

その秩序が保たれているために、私たちは魂修行の場が与えられ、ユートピア建設が許されています。

学びの途上に生きる私たちにとって、自らが多くのものを身につけてゆくためには、謙虚な姿勢と節度ある態度がどうしても必要となってくるのです。

この礼節や布施の精神の大切さは、この世界を霊エネルギーの変転する姿として眺めてみるとよくわかってきます。人はこの三次元世界に生れ落ちると、本来の姿である「思考せるエネルギー」としての自分を忘れてしまいます。

時々は、世界をそのエネルギーの駆け回る姿という視点に立ち、イメージしてみるのです。縁起は、霊エネルギーのプロセスを、業は霊エネルギーのバランスをイメージするとよいでしょう。

仏教では布施を三輪清浄という言葉で現します。「施者(与える人)」、「受者(受ける人)」、「施物(与えるもの)」の三輪が清浄であってこそ布施の精神が成立するということです。

なぜなら、この世界のすべては仏神の慈悲の光が在らしめており、その偉大な霊エネルギーが変化・変転・循環して、私たちを生かしてくださっているからです。よって、「この仏神の創られた世界に、いかなる精神性と行動原理を流し入れてゆくのか」ということが世界を護持し、導いていくための大本の精神に繋がっていきます。

豊かさとは愛の満ちる姿です。この霊エネルギーが赤字決算ならば仏神は喜ばれません。

信仰者は、自らの思いと行いに、全人類の未来がかかっていることを知り、地獄と天国、裏世界と表世界を峻別し、礼を基とした真実の信仰を歩まなければならないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

②           経済至上主義のシステム ―正見―

 

 

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世の中の成功のメカニズムを説いているなかにはこういう魔界のものの指導を受けるようなメカニズムもあるし、あるいは仙人天狗系統の指導を受けるようなものもある。

このへんの考えです。

単に欲望に奉仕するだけでなく、あなた自身の霊性が豊かになるための希望でなければならないということです。『繁栄の法則』P150

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NBは、経済至上主義のシステムであり、実態は「個人事業主」という名を借りた仙人養成のシステムです。

これからの時代は、商品を右に左に流すのみの、付加価値を生まない中間業者は、淘汰される運命にあります。それは創造的営みと逆行しており、時代の向うべき方向性と、真理価値に反するからです。

 

 

それでは、まず始めに、よく混同されがちな「ねずみ講」と「マルチ商法」、そして「NB」のシステムの違いに簡単に触れておきましょう。

 

 

 

一般に「ねずみ講」といわれるシステムは、商品を介在せず、金銭の配当のみを目的とした完全なマネーゲームです。商品と称するものがあったとしても、紙切れ一枚の商品と言えないようなものを流通します。

 

 

このシステムは、何人紹介しても、最初に始めた人が一番儲かる仕組みになっており、配当のためには会員を無限に増やさなければなりません。よって、終端において必ず破綻することになります。業者は、それらを知った上での計画倒産を狙うのです。

 

ねずみ講の特徴を挙げると、

1.必ず先に始めた人が儲かる。

2.商品を介在しない。

3.収入のエリアに制限が無い、無限連鎖である。

 

これは、連鎖販売取引に関する法律で禁止されており、違法行為です。

近年では「経済革命倶楽部(KKC)」等が例としてあげられます。

 

 

 

 

次に、「マルチ商法」です。

 

 

 

メーカーは商品のCMをしませんので、個人的に商品のCMをする事になります。連鎖販売取引としては合法ですが、「製品が粗悪」「普通に買うより高い」「弱者を狙う」「クーリングオフに応じない」などの特徴があり、消費者センターに一定量の苦情が溜まった時点で、「悪徳マルチ」と認定され警察に摘発されます。

 

悪徳マルチの特徴は、

1.販売大本の業者は名を伏せ、高額な売り上げを摂取。(子会社、孫会社を多数作り摘発前に逃避)

2.商品が粗悪であったり、必要以上に高額である。

3.お年寄りなど弱者を狙う傾向が強い。

 

マルチ商法においては、連鎖販売取引に適用されないようにした隙間産業であり、業務システム上は合法です。

しかし、クーリングオフに応じないよう電話に出ず、二週間の期間を経過させることや、恐喝、不法侵入扱いなど警察の摘発によっての違法性が取沙汰されています。悪名高い「豊田商事」が例としてあげられます。

 

 

 

 

最後に、「NB」です。

 

 

NBの会社ではCMを一切行わず、口コミのみで商品(NBでは商材という)・サービスを広げます。小売店も広告業者も介在せず、直接販売(ダイレクト・セル)することで大幅な経費をカットします。

そして、その「商材」と「収入システム」に賛同した消費者がそのまま次の販売員(ディストリビューターという)となるのです。販売員は、会社との雇用関係にはなく、契約上の個人事業主という形となり、本人を中心に流通を起こした分だけ、「小売収入」と「育成収入」が入るシステムとなっています。よって、自分が販売に回ることより、多数の人間を使い商品の流れを作ること、そのネットワークシステムを構築することが大きな仕事となるわけです。NBの世界では本人を中心に、熱心な信者が五人揃えば、流通システムは確立すると言われています。自らが富を得て、理想となることにより、熱意あるコピー人間を多数作るわけです。

 

NBの特徴は、

1.法律の抜け道を利用し、販売大本の業者は組織規模が大きくなるまで名を伏せる。

2.商品は健康や環境などを謳った消費材を選ぶことが多い。

3.一つの国が飽和状態になれば、他の国にフロンティアを求める。

 

使っている商材はリピート性の高い消費財が多く、たとえば、健康食品、化粧品、洗剤などです。また、耐久消費財においても、浄水器、寝具、健康・美容機器、24時間風呂などを取り扱っています。NBの主要50社の内、29社がサプリメントを扱っていることから、このような分野が得意なのは仙人系統であることは容易に推測できることでしょう。環境保護を企業倫理として掲げていますが、もともと仙人・天狗系統は環境保護論者が多いのです。

 

また、欧米ではNBはMLM(マルチレベルマーケテイング。「多階層販売方式」の略)と呼ばれその境はありません。日本では、そのMLMが「マルチ商法」や「NB」という別称で呼ばれているのです。マルチ商法のシステムをより合法的に効率のよい還元利率に改良したもの。それがNBです。よって、ここで注意をしなければならないことは、法律そのものも進化の途をたどっているものであり、完成されたものではないということです。MLMの一形態であるNBは、日本国においては合法であっても、他の国においては違法と規定されている国もあるのです。

 

「幸福の科学言論②「天照大神の霊訓」講義」においても、「さまざまな技術的ことはあるでしょうが、根本理念そのものは、もっと高次なものから出てこなければいけないのです。ですから日本国憲法を霊的に見ると、本当に20点か30点です。合格点をはるかに下回っています。」とあります。これが仏の目による現行法の姿なのです。

 

※注)これは霊言ではなく「先生の講義」ですので、エル・カンターレの目を通しての判断です。

このまま使えると思います。

詳しくは「新日本国憲法試案」を参照してください。

 

 

補足として、「NBは個人のフランチャイズ展開」という説明もあるようですが、

本来の組織構成とはそれぞれの個性の特性を活かすものです。仏神を見てわかるように、七色を包含するものなのです。                                    

「個人事業主」という名を借りた、画一的なコピー人間を作ることが愛ではなく、欲望に目が眩んだ人々を量産することに真なる個性尊重の姿はありません。

 

また、NBは組織という体を取っていながらそれぞれが独立しています。この組織は「金銭的対価」という唯一の目的のみで繋がっている集団であり、「組織であって組織でない」これも仙人の特徴です。

正見とは正しい信仰に基づいた価値判断のことです。よって、正見の前に正信が正しく立っていなければ、すべては色眼鏡の世界で逆に見えてしまいます。迷わせることが愛ではないのです。

 

NBとは、仙人・魔法使い養成のための経済至上主義のシステムであることを述べ、正見を終わります。

 

 

 

 

③           口コミに見る、無責任体質 ―正語―

 

 

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「語る」ということを通しても毒を受け、毒を売り、毒を広げるということが多いのです。

人びとの苦しみの大半は、言葉に起因しているとも言えましょう。

他人から発せられた言葉、これが自分を不幸にすることもあれば、自分が発した言葉が他人を不幸にしていくこともあります。

このように、言葉というものは非常に人間の幸・不幸に関係のあるものなのです。

この「言葉の調律」ができれば、ある意味では、この地上は理想社会となっていくことが可能なのです。『釈迦の本心』P51

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時代は情報産業の発展によって、グローバルネットワークが浸透し、地球が狭く、交流が盛んになりました。

この科学万能の社会には、利点はもちろんありますが、情報の氾濫により階層性や、価値判断が希薄になる時代でもあるのです。情報が氾濫する中で、個性が尊重される時代の危険性を私たちはもっと認識しなければなりません。

 

情報が氾濫する危険性は「今後情報の取捨選択が一つの職業になる」という、経典「青春に贈る」の言葉にも読み取れることでしょう。

口コミが一人歩きすることの一つの例として、

「ハーバード大学ビジネススクールでもネットワークビジネスの講義は必須科目で「2010年には全流通の60%がネットワークビジネスに携わる」と言っている。」ということが、このビジネスの正当性の根拠にしていることがあげられますが、ハーバードではこのような必須の講義は事実上ありません。

また、たとえ講義があったとしても経済学者の間ではハーバード大学の研究は現在では、脚光を浴びることに終始しており、一時の流行であることが多く、予想は外れることがいまや前提になっているのです。

この予想に根拠がないことは、1990年代のアメリカにおいて、NBが急成長した時期、スタンフォード研究所のレポートで、「1990年代の終わりころには、大衆が日常消費する商品や、サービスの50~60%がMLMの手法で販売されるようになるだろう」という研究報告がすでに外れていることにも現れていることでしょう。この研究データをそのまま流用しているのではないかと思います。

国内の大学においても、NBを一部講義しているところはありますが、それは新しいビジネスの一形態として、客観的に学問の材料として取り扱っているに過ぎません。主観で「これが正しい。21世紀はこの時代」と学内で講義しているかの様にNBは吹聴しますが、その様なことが全日本教職員組合の下でできるわけがなく、ここでも都合のよいすり替えが起きています。

「口コミが情報を一人歩きさせ、都合のよい一部解釈を正当化する」ことの怖さ、価値基準の希薄さがここにも露呈しているのです。こうした無責任体質が愛の希薄さ、理念の希薄さに繋がっています。

 

一部では、このNBの経済的自由の部分や、一人一人丁寧に伝え、育てる、「コミュニケーションビジネス」であるということをもって、良質のサービスであることと錯覚し、ヘルメス的、ギリシャ的であると考え違いしている方もいるようです。しかし、真なる愛という観点からみて、それは自由のすり替え、吐き違いではないですかと述べておきたいのです。

言葉とは、古来より「言霊」と称するように生命を宿しています。その目的如何に関わらず、良い意味でも悪い意味でも一定の念の縛りを伴うものです。

本来の口コミとは、顧客が話さずにはいられないほどの感動的なサービスを受けた時に、自然と染み渡るように広がるものです。それがヘルメス的、ギリシャ的な本来の姿であり、その感動がリピーターを呼び、伝説のサービスとなります。意図的にその効果を狙い、口コミを活用し、流説・吹聴することではありません。

また、NBでは本当に感動を伝えている方でも「体の弱い私が、これを飲んで治った」「このクリームで肌がきれいになった」など「奇跡」としての感動を伝えています。この点も仙人の所業の証です。愛や自由という行為は必ず責任を伴うものです。

それはサービスという行為においても同じであるのです。

さらに、NBの責任転嫁体質の一つとして、口コミ等で問題が生じた時に、販売員を契約関係の上で独立した個人事業主である点を強調することがあげられます。

これは、母体である主催会社の責任逃れです

。販売ルートも制限され、独自の既存流通にも乗せることができず、価格設定もできないことから、そのシステムの中の販売員であることは明らかでしょう。法律の隙間を利用する体質はここにも現れているのです。

私たちは新しい時代、エル・カンターレ文明を築くためにも、このような情報に惑わされることなく、真なる愛に基づいた、エル・カンターレ信仰を根付かせていかなければなりません。

それが光の使命です。

正しい霊界知識の普及、愛という真理価値あってこそ情報社会の次に来る創造社会、太陽の時代が到来するのです。

 

NBは、口コミと称した不妄語である点を述べて、正語を終わります。

 

 

 

 

④           育成収入と称した、不労所得 ―正業―

 

 

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私自身の性格として、他人の間違いや失敗をあげつらうのがあまり好きではないので、気がついていても言わないことが、現実には多いのです。

「感じとるものは、感じとりなさい」というかたちでやっていたわけです。

ですから、『仏陀再誕』など、仏陀シリーズの著作等を出して、「事実はどうであるかは、読めばおわかりでしょう」ということを、読者に暗にお示ししてはいたわけです。

『宗教選択の時代』 ―方便の時代は終わったー P148

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NBのすり替えの一つとして、「権利収入」があげられます。

権利収入とは、作家や作詞・作曲家、ミュージシャン、マンションや駐車場のオーナーなどの何もしなくても入ってくる収入のことです。NBでは、これを「育成収入」と称しています。

新規参入者を育成することで、そのグループのマージンが返ってくるのです。この創造性なき、不労所得の部分も健全な事業経営とは言えません。

 

NBは、権利収入などの不労所得に見るように、魅惑的な言葉を次から次へと投げかけ、そのための様々な手段を持ちいります。それは一見些細なことや、優しい言葉であったり、至極当然なもっともな言葉であったりもします。

しかし、釈尊が成道のときの魔の囁きはどうだったでしょうか。

「老いた両親や妻子、カピラバーストはどうする。あなたのような修行をしていたら千に一つも生命はない。そうした修行をやめ、衣食住もきっちりし、聖火を祀りなさい」

魔はこのような至極もっともなことを囁きます。

 

私たちは、主と従を誤ってはいけないのです。

愛とは布施の心のことです。布施の心とは金銭の多寡ではなく、その純粋な真心のことです。

この人間としての原点は、決して忘れてはいけません。このような不労所得は、セルフ・ヘルプの精神の逆であり、成功への王道だと錯覚しているだけで、実は失敗へのあぜ道に入っているのです。

 

「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉に見られるように、天国への道は一見茨の道とも思えるような厳しい道であることも多いのです。それは私たちの人生の目的が魂の足腰を鍛え、精神力を鍛えることにあるからです。

この言葉の意味するところは、さまざまな偉人・聖人の伝記の中から感じ取れることでしょう。

 

NBでは、この育成収入を不労所得ではなく、「印税収入」と見ればよいと説明します。印税とは、書籍やCDなどの著作権による収入です。「どのようなトップ・ディストリビューターも自分のネットワークグループを作ることに始めの頃努力をした。その努力の対価、グループ内の販売員の幸福を創造した対価として印税を得ているのだ」という説明です。

果たしてその努力の方向性は正しいのでしょうか。

NBで得られたその経験、そしてそこで掴む物とは一体何なのか、次回転生した時、その人の来世がどのようになるのか考えてみましょう。

 

このシステムの発案者ならば違う環境、違う時代でもその裏世界の知識を活かし、また同じようなシステムを作るでしょう。しかし、敷かれたレールの上を走っている、販売員や目標を達成したトップ・ディストリビューターたちは、次の時代に生まれたときも、また同じようなシステムを探すことしかできなくなります。「成功した」と本人は思っているかもしれませんが、一からビジネスを築き上げていく能力、実務的能力は欠如しているのです。即ち路頭に迷うことになります。潜在意識化では前世での金銭的富を求めているのに得られない苦しみが生じてきます。

 

裏世界の職業観とはそれほど無責任なものなのです。他者がその後どうなるという考えは入っていないのです。そこに愛も自由も幸福もありません。そのような化かし合いの世界に帰ってはいけないのです。

また、一部に聞かれる、将来に向けての「方便」という考え方も捨てなければなりません。

方便とは、他者の愛ゆえに段階的に諭すことです。自己の正当化に使ってはなりません。

それは、政治と癒着した某宗教団体と同じ論理的すり替えとなります。「この世的に、どれほど愚かに見えることがあるとしても、やはり、おまえたちは正直一途に生きなくてはならない。」(永遠の仏陀)これが仏神の答えです。

仏神は「成功の法」発刊により、「真のエリートはどういうものか考えなさい」という公案を投げかけられています。

私たちは、94年の方便の時代を参考に、太陽の時代到来のために、裏世界の原理を見抜かなければならないのです。

 

補足として、すべての権利収入が間違いというわけではありません。良質な書籍やCD等は、立派な創造的営みであり、真理価値を生んでいます。

また、「育成」そのものも、非営利団体(ボーイスカウト等のボランティア団体)に見るように、人類の進歩と調和という二大原理に対する「使命感」を喚起させるものであれば、最大の創造的行為でもあります。要は、霊的人生観に基づいた、正しい意味での「創造性」が真理価値であるわけです。

NBにおいては、そのネットワークシステムの「縛り」の中で、グループ内のマージンを一生涯「吸い続ける」ことが「人=お金」という拝金主義の構図となり、健全性を失っているのです。

 

NBは、すり替えの企業、化かし合いの企業である点を述べて、正業を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

⑤           絶対時間の搾取 ―正命―

 

 

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いま、地上では、「イスラム教」対「仏教」など、宗教同士で争っていますが、実は、当会に入り込み、「砂漠の神のほうが上だ」ということにして、仏教教団系統を自分たちの下に置こうとしていたのです。

当会を押さえ込んだあと、イスラエル系統やアラブ系統から魂を日本に転生させようとしていたということが、かなりはっきりした事実としてあります。

―表の人たちの特徴は、正直で明るいこと、礼節・秩序を重んじること、そして教えも説くことができることです。

裏のほうは、幻術で騙したり、霊力を誇示したりする傾向が非常に強く、協調性が非常に足りません。 『宗教選択の時代』 ―方便の時代は終わったー P171

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NBは、一つの思想と見る方がわかりやすいと言えます。

裏思想と表思想のぶつかり合いで生じるところの歪み。ここが問題になってくるのです。

それは、「絶対時間の搾取」という大罪に問われるのではないでしょうか。

 

その想念帯に刻む魂の記録は、真に黄金色に輝いているでしょうか。常に脚下照顧しなければなりません。

今世、裏世界に染まると、来世以降における裏傾向の修正は難しいことを知らなければいけません。

根本仏・下生の時代に愛に目覚めずして、一体、いかなる時代に愛に目覚めることができるのでしょうか。

人間は等しく、一日24時間という限られた時間枠しか与えられていません。その24時間はどのような人もそれを増やすことも減らすこともできません。

 

本来ならば真理価値の高い仕事や、伝道や教学をベースとした、社会的な愛の自己実現にあてるべき時間を、NBにより、搾取されているという点はどうしても看過できません。

 

人の心は使い分けができないのです。

一度に一つのことしか思えないようにできています。

よって、この「伝道」と「勧誘」の二つを同時に行うには、先に述べたように会内で活動するしか方法はなく、それは序章で述べた、神殿の商売となり最大の罪、仏神を汚す行為となるのです。

 

また、どちらか一つのことをするとなれば、この業務システム上、NBを熱心にするか伝道を熱心にするかしかないのです。

これらから見ても、その思想と思想のぶつかり合いにより、時間搾取が生じ、その歪みは容易に悪に転ずることが分かると思います。

行動様式が似ているもの同士は衝突する宿命にあるのです。

悪の発生原因とは、自由と自由の相克の中に生まれてきます。

それは、人・時・所をわきまえない、智慧なきこと悟りなきことの証です。これを仏神は無明の状態と説かれます。

 

イエス様の言葉を聴いていた人びとにとっても、その一時間は二千年分にも相当したのです。

ならば至高神エル・カンターレの時間を奪うということがどれだけの大罪か。

それは、救世運動の妨げでもあり、正にユートピア価値の逆を行っているのです。

ネットワークとは重々無尽の網目のことです。

 

科学文明の発展によって、この世界に放たれた大きな投網。そこで捕らえるものは一体何なのでしょうか。

それは、個人の欲望に裏打ちされた金銭的対価でしょうか。

それとも、仏神の理想に裏打ちされたユートピア価値でしょうか。

その目的の如何によって、あなた自身の想念帯に刻まれる色と、全世界の運命は変わってゆくのです。

仏・法・僧は三宝と称し、三つの宝です。

経典「三宝帰依とは何か」の中で、「救世運動を阻害するというのは、核爆弾を落とすことよりも悪い罪なのです。」と説かれています。

根本仏・下生の時代に撹乱するという、その罪はとても重いものです。現にこれらの問題は当会の草創期より、繰り返し起こっているのです。

 

NBは、エル・カンターレの絶対時間を搾取する、不偸盗の大罪であることを述べ、正命を終わります。

 

 

 

 

⑥           欲望がマスコミを助長する ―正思―

 

 

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念いの世界は、一念三千であってどの世界にも通じます。

そういうふうに放送電波を出しているのと同じなのです。

それゆえに、まったく同じ周波数があった場合に、その周波数に合う霊が感応してくるということがあるわけです。

こう考えてみると、やはり悪霊のせいにするのではなくて、自分自身の心のあり方というものを、もう一度ふり返って考えてみる必要があるのではないでしょうか。 『幸福への道標』P161

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「善川三郎の霊言―帰天説法③」においても、『「正しいことをする」ということは、大きな評価を受けるのです。それが永遠の評価なのです。だから、「この世的に、得をしたか、損をしたか。認められたか、認められなかったか」ということは別として、正しいことを正しいこととして、やってのける勇気を持ってください。最後は勇気がすべてを解決するものです。』と説かれています。

 

魔は外部にあらず、己心の魔が手引きするのです。実在界に持って帰れるのは心だけです。

よって、その高邁な精神をこそ布施しなければなりません。ここが経済倫理の根本命題でもあるのです。

時代は混迷期であり、世間を見渡しても、「では、どこに正しい企業や政党があるのか」と思いたくもなるでしょう。

芸術作品を見るにつけても、良いものを数多く見た人ほど、駄作を見分けやすくなるという真実もあります。

その正しさが見えにくくなっている現代社会。明るく、ポジティブに活動し、しかも負担の少ない投資で、経済的利益を得られることを知れば「正しいのではないか・・・」と正当化したくなることもわからなくはありません。

 

しかし、よくよく目を凝らして見なくてはなりません。

NBのそのモチベーションの根源は、近い将来の多額な報酬、「見返りを求める心」であり、その潜在的なものは欲望そのものなのではないでしょうか。

表面の涼しげな表情とは裏腹に、心は煩悩の火で真っ赤に燃えています。

原点を思い出してください。

時代はそんな過渡期であるからこそ、正しい霊界の価値秩序を打ち立てるために私たちは生まれてきたのではないでしょうか。

 

「自分は大丈夫。わかっている」という人ほど危ないのです。

なぜなら、当会の信仰を持っていても会内部で販売行為をしている人に必ずしも悪意はないからです。

「自分なりに信仰を持って、信念を持ってやっている」のでしょう。

ネットワークにはもともと境を持ちません。

NBの危険なところは当初、会の外で行っていても、いずれは飽和状態となり、会内の人脈へと移ることがあげられます。

これは想像に難くありません。

また、たとえ会の外で行っていたとしても、世間の目は外も内もありません。

「信者が行っている」という一点で持ってその組織が関わっていると見るのが普通なのです。

「宗教とお金」という話題ほど、マスコミの格好の餌食になるものはないということを心しなければなりません。

近年でも社会的問題になったO教団の信者がNBを教団の資金源にしていたことがニュースで取り上げられました。

これは、欲望に感応する心がマスコミを招き寄せているのです。

 

リエント・アール・クラウド王の時代、強欲なレプタリアン星人が地球を乗っ取ろうと人々に悪しき信仰を植え込み、欲望の下に撹乱しました。

その混乱に乗じて侵略をしようとしたことも波長同通の法則であったわけです。

マスコミを手引きすることも同じといえます。

心が感応し合っているのです。

これを防ぐのは真なる愛です。

 

私たちは、至高神エル・カンターレの下に、本来の愛の行為に目覚めなくてはなりません。

軽はずみな行為が仏神を汚す重い罪となり、僧団を危険に陥れる行為に繋がるということをよくよく心しなければいけません。

実在界に帰った時、誇りを持って「勇ましい高尚なる生涯であった」と言えるかどうかです。

経済倫理もマスコミの問題も、事はその一点に関わってきます。

 

NBは、マスコミを手引きする欲望の所産であることを述べ、正思を終わります。

 

 

 

 

⑦           結果主義による亡国の思想 ―正進―

 

 

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成功哲学を考えていく上で、どうしても忘れてはならない視点があります。それは何かといえば、「人間性の開発」という視点です。

私は、成功理論を、人間性の開発に重きを置いた理論としていく必要があると思います。経営的な手腕や経済的な繁栄だけに目を奪われるのではなく、経済主体にある人が、人間性において煌めきを放つような、魂に高貴さのあるような人になっていくことが望ましいのです。           『成功の法』P269

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NBは一気に階層を飛び越える、頓悟禅のようなものです。

そこには、智慧も悟りもありません。

これからの時代は「成功と悟り」が融合されていく時代です。

真に努力を介在しない、結果主義は国家衰亡の原因であることも知らなければなりません。

誤解のないセルフ・ヘルプの精神が国家を真の繁栄に導きます。

 

NBにおけるこの思想上の問題点は、段階を追わずに、「ビジネスオーナー・投資家層」という、“お金を使いこなす自由な人々”を目指すところにあるかと思います。

「従業員・自営業者層」は、“お金に縛られている不自由な人々”という考えです。

しかし、「大悟の法」における、「仕事能力と悟り」のように、努力を介さない頓悟禅を仏神は戒めており、そこにはすり替えの原理があると説かれています。

仏神の教えは「成功の法」の成功者の村のたとえや、わらしべ長者のたとえに見られるように段階を追って成長していく教えです。この段階があってこそ、さまざまな人の気持ちが理解でき、それぞれの機根に応じた愛、対機説法ができるのです。

それが真なる智慧を得るプロセスであり、それが愛の思想、表の霊格向上のための条件です。

ここで、この結果主義のもたらす弊害として、決して見逃してはならない点を2点ほど述べておきたいと思います。

 

ひとつめは、家庭崩壊の問題です。

この裏思想に触れていると、「従業員・自営業者層」は、“お金に縛られている不自由な人々”という考えから、伴侶や家族を「夢のない人・可愛そうな人」と見下す傾向があるようです。

しかし、翻って見ると、その従業員・自営業者という家族の、経済力の庇護の下、NB活動をしているという矛盾が見受けられます。甘さがあるのです。

偏見による価値観の相違から、一部には離婚問題にまで到っているケースもあります。

「自らの家庭を崩壊させておきながら、いかにこの世的に認められようとも、いかにこの世的に成功しようとも、いかに金銭に余裕をつくろうとも、そうした行為はことごとく地獄へ通じる道であるということを、私は述べておこう。」(仏陀再誕)

家庭というものはユートピアの最小単位です。国を滅ぼすのには核爆弾は必要ありません。この家庭という単位を壊せば国はいともた易く滅びてしまうのです。

 

弊害のふたつめは、国力の低下です。

日本は現在、年金問題等、国の最大の収入源である国民年金の未納者が4割を超えています。

それに輪をかけた、フリーターや主婦層への勧誘。

その誘惑思想を持ち掛け、節税対策として納税額の少ない国に資産を移すことを教育しています。彼ら、彼女らは「将来は南の島のきれいな海辺の家に住んで・・・」と口を揃えて語っています。

日本の税金制度そのものも、官僚主義の未発達なものではありますが、グローバル化を抜け道としたNBのようなやり方をしますと、愛国心のますますの低下を見、国家は確実に衰退していくのです。

日本はこのままでは、デフレスパイラルに陥るとも一部評論家はいいます。

 

デフレスパイラルとは、

『安価な商品→売上幅の減少→給料のカット・従業員の削減→消費者の財布の紐が堅くなる→益々商品を安価にする』

という、らせん状の経済の下降曲線のことをいいます。

消費が伸びないということは、国や企業への精神的な不信感、そして物余り現象があげられます。

日本国民は80年代のバブル景気において、アメリカを追い抜いた後のビジョンがなかったために、潜在意識下で恐怖心を覚えました。結果、庇護される安心感を選び取り、自ら崩壊の道を歩みました。

これは太平洋戦争に対する贖罪教育の悪弊から来ていることもあるのでしょう。

これがデフレの正体です。

この悪しき連鎖を断ち切り、景気を上方修正するためには、仏法真理という希望の思想を掲げ、付加価値の高いものをどんどん生みださなければならないのです。

 

日本は物作りにかけては世界一です。

また、本来、豊臣秀吉に見るように創造性も豊かな人種なのです。もっと自信を持たなければいけません。

NBは、こうした不況下を狙って進出してくるという点も知っておく必要があります。

それは彼らの経営戦略概要にも明白に説かれているのです。

偉大なるローマが繁栄したのは、ローマ市民がローマを愛したからです。

国力が上がるときは常に愛国心に基づいた、個人の努力と熱意がありました。この国をもっともっと愛していかなければなりません。

 

NBは、結果主義がもたらす国家衰亡の思想であることを述べ、正進を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

⑧           パラダイスとユートピアは違う ―正念―

 

 

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もし、自分の外なるもの、自分を超えたものに対してなんらかの貢献をしたいという気持ちが起きてこないのならば、その方は少なくともユートピアを語る資格はないのです。

ユートピアの原点は個人を超えたものへの熱き情熱です。

自分という個を超えたもの、この世界に対してなにかをなそうとする心です。

このほとばしりです、熱意です。これがユートピアへの運動となってゆくのです。『ユートピア価値革命』P30

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時代は創造社会へ向う途上にあり、狭間の時代、感性の時代となっています。

この感性の時代は女性が主役になる時代とも言えるでしょう。

NBに携わる人々の多くが主婦層や若い女性なのもそうした時代の潮流を反映しているかのようです。

そうした感性の時代の落とし穴として、米国のイメージ選挙に見られるように、雰囲気に流される気風があげられます。

この太平洋戦争の敗戦から続く米国の空気支配。時代の通過儀礼を本物と見誤ってはならないのです。

 

このビジネス形態において注意すべき点は、感性でわかっているつもりでいる人ほど「強い念を持つ人に引きずられやすい」ということです。

最初、直感や感性では「正しい経済原理ではないのではないか・・・。」とわかっているつもりでも、「夢」という言葉に接する内にだんだんと染まっていくのです。

よってこの問題は、理性をも働かせて見抜かなくてはいけません。

 

NBは念いの力を力説します。念いのあるところに道は開けるという、ポジティブシンキング(積極思考)を強調し、豊かな暮らしが心のゆとりを生むと説きます。

これはアメリカのニュー・ソート(光明思想)などの成功哲学を利用しているからです。

「夢の実現のためにがんばろう」という合言葉の下に集った仲間たち。

その「夢」の中に染まっていくと仲間の連帯という本来良い面が、あなた自身の鉄鎖となります。

「もう少し様子を見よう」というその気持ちは欲望に端を発していないかもう一度点検する必要があります。

せっかくできたネットワークです。

そのネットワークは自分の「夢」という名の欲望達成のための執着となり、しがらみとなっていないでしょうか。

そのネットワークの解消は自らの収入の解消となるゆえに、なかなか抜けられないという気持ちになってはいないでしょうか。

 

NBの目指すところはユートピア(理想郷)ではありません。似て異なるもの、それはパラダイス(楽園)であることを強く述べておきたいと思います。

「NBは物質的な豊かさをもたらし、仏法真理は精神的な豊かさをもたらす」という勘違いをされている方がいるようにも見えます。

確かにユートピアという言葉は精神的なものを指すことが現代社会においては多いと思います。

しかし、2600年前の釈尊の時代において、または4300年前のヘルメス神の時代においては、このユートピアは地上世界にも実現しています。

主エル・カンターレが下生される時代においてユートピアは実現しているのです。

この点においても、もっともっと私たちは仏法真理における誇りを持ち、真実の意味において信仰心を強く持たなければいけません。

右記の様に精神論と物質論をわける考え方をする人は、このパラダイスを目指しているのではないかということをもう一度深く深く考えなければなりません。

それは仏法真理を利用しようとする心であり、すり替えが生じているのです。

人の心は一念三千です。

「ユートピア」という仏神の願い、理想に対する執着は唯一よいとされていますが、その理想が、「パラダイス」という楽園にすり替わっていないでしょうか。

欲望に感応する心同士が呼び合い、その欲望を美化してないでしょうか。

結果をすぐに求める心は即ちパラダイス思想なのです。

私たちは、愛の名の下に、真なる経済価値を生んでいかなければならないのです。

 

NBは、パラダイスという名の念の呪縛であることを述べ、正念を終わります。

 

 

 

 

⑨           箱庭の中の自由 ―正定―

 

 

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自由という言葉は「何々からの自由」ということではなくて、「何々への自由」ということでなければならないと思いいたるのです。

その「何々への自由」とは、より高次な目標に向けての自由でなければならず、さらに高邁な精神に向けての自由でなければならず、いっそう世界をすばらしくするもののための自由でなければならないのです。            『ユートピア価値革命』P47

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真なる自由は「仏神への自由」です。人は仏神へ到るプロセスにおいてのみ、真なる自由を手に入れます。

フランス革命による、自由と平等の時代「権利の自由(幸福になる権利)」から、

幸福の革命による、智慧と慈悲の時代「義務の自由(幸福になる義務)」へ。

「真なる自由の時代」の幕開けのためには、人類を三次元の鉄鎖から解放するための、霊的人生観の普及が至上命題となっているのです。

 

「自由」という言葉は「夢」という言葉と同じように人類にとって憧れを感じさせます。

その淵源は、やはり実在界においての私たち一人一人の魂の記憶の中にあるのではないでしょうか。

実在界においては、念いそのものが即行動の原理となり、正に「念いのままの世界」です。

念いのままであるがゆえに、天上界の住人であっても地獄的な念いを持ったとき、即座に反省ができないようでは次元の大地が割れ、その心相応の世界に赴くことにもなります。実在界では厳然たる価値秩序が成り立ち、誰もこれを眩ますことはできないのです。

 

この自由という概念は「発展」という概念とも不即不離の関係にあります。

人間各人の仏性の中に、自由という領域がなければ、発展ということもありえません。

それは、宇宙の二大原理における進歩と調和の進歩の原理、この部分に関わってくるからです。

この根源の力は、各人に与えられた「選択の自由」と「創造の自由」に起因します。

様々なことを発見し、選び取っていく選択の自由。

そして、人類の愛の大河の中に、自らの智慧を差し入れていく創造の自由。

その人類の永い永い蓄積の中に今日の発展・繁栄はあります。

 

歴史をふり返りますと、フランス革命に言われた民主主義は、誤った一部貴族と高級聖職者の権力につながれた民衆が、その権力の鎖を断ち切ることにありました。

これが圧制からの自由(権利の自由)です。

これが、「機会の平等」を生む自由であり、自由主義・資本主義の原型となっています。

これは選択の自由を求めた動きとも言えます。

しかし、それが物質的欠乏からの自由という、「結果の平等」を生む自由を求めることになりました。

これが共産主義・社会主義の原型となります。

これは創造の自由を求めた動きとも言えるでしょう。

この2つが現代社会の大きな流れなのです。

 

この民主主義社会は、「感情による支配」に流れやすいということが最大の弱点です。

統制型の一方の極であった共産主義はソビエト連邦の解体と共に崩れ去りました。

今後は、もう一方の極、自由主義も崩れていくといいます。

アメリカだけがどんどん繁栄して、世界がずっと自由主義でいくとは考え難いものです。(「ほんとうの自分を探して」P67)

それは物質的な箱庭の中での自由であり、真なる自由主義ではないからです。

 

今回の、イラク戦争における、アメリカの傲慢さにも見て取れるのではないでしょうか。

時代の大きな転換期ということもありますが、石油資源や軍需利益を見越しての戦争という観もあり、これは、どんなに隠蔽しようとしてもぬぐい切れないでしょう。

欲望が過ぎたものは必ず滅びるのです。

現代社会は大きなイノベーションの中にあり、時代は霊性を基盤とした徳知主義的民主主義に移行していきます。

私たちは、この仏神の計画された、社会システムから正・反・合と、時代の方向性をしっかり見定めなければならないでしょう。

あくまで、最後は心に帰するものであり、執着というしがらみを断ち、解脱するための経済的自由、経済的智慧なのです。

経済的営みは、仏神へ到るためのプロセスなのだということをしっかり押さえておかなければなりません。

真なる自由とは、仏神へと向っていく自由であり、その霊的人生観という基盤あってこそ人類は真の繁栄を見るのです。

 

NBは、時代錯誤な、権利の自由・箱庭の自由を求めていることを述べ、正定を終ります。

 

(補足)― 時代の向うべき方向性 ―

イエスキリスト霊示集P168 新しき潮流 ①人間神の子の思想の普及 ②愛の再興 ③経済原理の再構築

ユートピアの原理P19 ユートピアの指導原理 ①霊性の時代の確立 ②経済原理の変革 ③行動原理の構築と探究

青春に贈るP61~73 情報のリストラと宗教的精神

新・ビジネス革命、幸福の科学興国論、愛、悟り、そして地球、他

 

 

 

 

⑩           偽者の成功 ―正解脱―

 

 

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私にとって、既成の成功理論のどこに納得がいかなかったかというと、「結局、人間の本質を知らないのではないか。世界の本質を知らないのではないか。

何ゆえの成功なのかを知らないのではないか」というところが、非常に気にかかったのです。

また、「それが、いったい、どのような成功なのか。

どのレベルの成功なのか」ということさえも分からない人が多いのではないでしょうか。『成功の法』P263

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この世のみの栄華を求めたものには、必ず反作用が起こります。

現代の日本は、かつての通商国家フェニキアと似ているといいます。

中東を中心にした世界は裏の祟り神に翻弄され続けた歴史です。

ここが混入してくると、人々は何が正しいのか判断が出来なくなり、その混乱に乗じて拝金主義の悪魔バアルが忍び寄るのです。

真なる幸福のためには、愛の神エル・カンターレを信じ、現代のギリシャを目指さなくてはなりません。

 

仏神の願われる成功とはあくまで霊的人生観に立脚したものです。

八正道プラス愛の探究。これが現代人にとって望まれる修行の姿であり、福音です。

結論として、地上を去った実在界にあって、貨幣や地位、身分のかわりに、人間を測りうる尺度となるものは、愛しかないのだということです。

ある人が偉いかどうかは、「どれだけ多くの人を愛したか」「どれだけ多くの人を愛そうと努力したか」「どれだけ多くの人に愛されたか」によって測られます。

仏神の説かれる、最低的文化生活の保障というものは、物質的なものではなく、「愛のある生活」なのです。

たとえ、山のようなお金を貯めたとしても、目的を過てば、人生の終わりに打ち寄せるほんの一瞬の波の下に、儚く消え去ります。

 

こうした人生の真実の中で、仏弟子が注意すべきことは、地獄界というものは、自我・欲望の拡大により生じるものであるがゆえに、裏世界という触媒を経て到ることがとても多いという事実です。

それは太陽の法に説かれる過去の歴史からも明らかです。

また、日々の点検を怠ると指導霊も、「光の天使(表)→仙人・天狗(裏)→地獄霊」とすり替わっていきます。

人の心はどのようなプロセスを経て進歩し、堕落するのか。

ここはしっかりと理解しておくべきではないでしょうか。

中東及び、西洋世界の混乱は、表世界と裏世界との無分別により生じた結果なのです。

 

NBとは、自由主義経済が生んだ時代の副産物であり、これは太陽の時代を切り開く前のアンチテーゼでもあるのでしょう。

太陽の時代の価値秩序は「愛の発展段階説」にあり、それに基づく経済が理念経済であることを、しっかりと確認しておきたいと思います。

こうして洞察していくと、この問題は単に経済倫理のみではなく、思想的にもユダヤ・キリスト教問題の本質へと繋がっていることが見えてきます。

 

キリスト教に潜むユダヤ教の悪因を見抜いたグノーシス派。

それを見抜けず同じ轍を踏んだカトリック。

当会の世界宗教への道、西洋世界の混乱の収拾にも直結しているのです。

グノーシス派は、「イエスの信じた新約の神は、愛の神であり至高の神である。旧約の神は裁きの神であり、低次な異邦の神デミウルゴス(ヤハウェ)である。

 

※注)その後、ヤハウェは宇宙のメシアであるヤイドロンであることがリーディングにより明らかとなっています。

ユダヤ教のヤハウェとは、①民族神的なもの先祖神、②地球神的な要素を持った者、③宇宙から来ているメシア の主に3つの霊存在が玉石混交しているということです。

 

 

 

人間は至高の神を霊知(グノーシス)し、真なる光を取り戻せば、救済を得ることができる。」と喝破しました。

しかし、初期カトリック教会はこれを退け、異端とし、旧約の神と新約の神は同じ神であるとしたため、後の混乱を生じさせます。

私たちは来るべき時代を見つめ、裏世界の映画や、裏世界の経済システムに翻弄されている現代を、四正道や八正道に照らして、本来の姿に戻さなくてはなりません。

その「あるべき姿」を地上に降ろす仕事こそがユートピア価値革命であり、幸福の革命なのです。

 

NBは、偽者の成功、契約の神・祟り神の系統であることを述べ、正解脱を終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【あとがき】

幸福の科学という現代の理想郷の中で行う商売は、「神殿の商売」となり仏神を汚す行為です。(正信)

NBは、仙人養成のシステムであることを見抜き(正見)、

欲望の下での無責任な発言を慎み(正語)、

不労所得という甘い罠に迷わせ、撹乱することを生業としてはなりません。(正業)

それは、エル・カンターレの時間を搾取している大罪に問われます。(正命)

また、その欲望の心はマスコミを手引きし(正思)、

結果をすぐに手に入れたいという心は努力・向上の誤謬であり、愛国心の欠乏しいては国家衰亡の危機に陥れます。(正進)

パラダイスとユートピアは違うのです。(正念)

自由と愛のすり替えをしていませんか、それは箱庭の中の自由ではないのですか。(正定)

真なる自由は仏神への道、実在界の唯一の価値尺度は愛です。

解脱に到るための経済的営み、仏神に奉仕するための富であることが成功の道なのです。(正解脱)

 

仏弟子は「永遠を感じるとき、成功はわれらが手近にある」という経典『成功の法』の言葉と、「愛の発展段階説」が仏神の願う成功であることを胸に刻み、力強く成功の王道、黄金の道を歩んでいかなくてはなりません。

希望のゴールデンエイジ、太陽の時代を切り開くのは私たちひとりひとりの仏神への念い一つなのです。混迷の時代であるからこそ、北極星の如く、心の針を仏に向けなければならないのです。              二〇〇四年 九月 ナヴァ

 

 

 

 

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