「金神の艮の文(トドメノフミ)」を読み解く(下) 〜幸福の科学への伝言〜
〈続きです。〉
叱りて分れる事ならば、きつく叱りてやるなれど、説いて分れる事ならば、つらつら説いてやるなれど、この事だけはどうしても、押しても引いても揺すりても、わかれる道理と違うから、ここ一厘は人任せ、人間任せと申すぞよ。
この事わかれる方々が出る程、道は別れ道、分れと申せど別れ道、わかれる人々増えたならわからん人々増えるぞと、道は二手に別れると、金神言う事、わかれるか。
理屈にて、わかる、わからん別にして、神が有るやら、有らぬやら、これまで続いた無駄話、この一厘にもケリの付く、分れ道ぞと申すぞよ。
→最後は誰でも自分一人。
人間は仏性、神性を宿し、小さな神ゆえに完全な自治権が与えられている。
大神様とて、それは犯せない。
黙示録に同じく道は分かれる。
それは、神の印があるか、ないか、で分かれる。
経たてと緯よことが結ばれん、形を字にして十の字の、その真ん中のど真ん中、ここの話のわかられる、お人と成りて下されや、まことごころが芯に有る、お人となりて下されや。
経と緯との結び目は経から見てもここにして、緯から見てもここにして、どちらもここしかごさんせん。
こことこことの結び目が、こころなりやと申したら、まことごころと申したら、神の心のわかられる人達、わからん人達が二手にお別れする時ぞ。
ここで一断ちいたすぞよ。神から見ればこの話、わかれ話と申すぞよ。
→「火[|]と水[-]が真十字に組み結びた素型[+]を火水、カミと申すのぞ。」「火水伝文」参照のこと。
つまり、先に記した、✡の真ん中にゝ(点。ヨッド=ヤハウェ)、または、◯の真ん中にゝと意味は同じである。
『大神様への』神信心=魂・心があるか、ないか。(これが神の印)
ここの話のわかられぬ者に御用は務まらん、ここらでここにケリ付けて出直す時ぞとなりたので、こことこことのど真ん中、心の事にちと触れて、どちらも心を残さずに、心残りはいたさずに、わかれ話をいたすぞよ。
一厘は人間任せと申すぞよ、神は人間創造つくする時、あれこれ苦心したなれど、それはどうこう言わんから、恩着せがましく言わんから、分りてほしいは唯ただ一厘、こころ一厘、ここ一厘、ここの一厘知る事ぞ。
人が言おうが言うまいが、これしか無いぞと思うもの、人がやろうがやるまいが、わしはこれぞと思うもの、芯から湧くもの出づるもの、溢れ溢れる真のもの、その出所が心ぞよ。
経と緯、こことこことの結び目の芯から出いずる、真心まごころに神の住む人、住めぬ人、別れ行くぞと申すぞよ、分れ行くぞと申すぞよ。
旨むねに一厘有る無しで分れ行くぞと申すぞよ。
中途半端は無くなりて二筋できると思すぞよ。
→心無しでは御用は勤まらない。
これより後は中途半端はなく、道は分かれる。
先に記した善悪の白黒と同じ。
この度だけは何とても、どうでもこうでも二筋の道になるぞと申すぞよ。
まこと、まこと、もこことここ。
中心真ん中、ど真ん中、まことごころと申すもの。
→〇九十(マコト)=真言(マコト、しんごん)
1+2+3+4+5+6+7+8=36⇒3+6=9
「9」は「0」であり、「9」は空(クウ)でもある。
「9」は、「12345678」すべての数を含む。
YouTubeで「テスラコード」を参照のこと。(これは、エニアグラムのこと)
(日本語字幕があります。)
全て解決いたすもの、まこと、まことのここと、ここ、神が宿るか宿らぬか、この事わかりて下されよ、この事わかりて下されよ。
四角四面で真っ直ぐな、カチリ、キチリも誠なら人良し人良し、お人よし、まず人様ぞと考える、柔やわい誠も誠ぞよ。
別々なれば役立たず、どちらの誠も野垂れ死に。
一本通りて柔らかい誠心に神が住み、やがて栄えの道となり、いや増、栄えの道となる。
→これは、ひふみ九九算表を言っているのかもしれない。
四角四面と柔い誠、いや増は、ますます多くなるということで、マスマスだろう。
そして、九九(ここ)。
ゲーテの魔女の九九を解いている時に、たまたま見かけたサイトを見つけましたが、難しいと思うので数学が得意な方はどうぞ。
(この神示は、人間知で降ろせるものでないことがわかるでしょう。)
※ひふみ九九算から読み解く、かごめかごめとカタカムナウタヒ。
※富士と鳴門の仕組みの数理的解釈はこちらから。
http://hifumi99.blog.fc2.com/blog-entry-42.html?sp一本通らずガチガチの誠は誠と言えぬから、神々様は目も呉れず見向きもせぬからさようなら。
さような事なら、さようなら、わからんままにてさようなら、何が何とてわからずにわからんままにてさようなら。
→楽曲「さらば、うぬぼれ天狗」の「さらば」はバイバイと然なればのダブルミーニング。
さようならも同じこと。
左様ならば(そうであるならば)、さようなら。
我身可愛い一念で、まこと、まこととほざいても神から見ればその誠、困った誠と申すぞよ。
困らん誠は独こ楽ま回まわし、中心心棒ドンとすえ、あれこれしたとて心棒は上下一途いちずに貫つらぬいて、何が何とて譲ゆずらねど心棒奥にひた隠し、へらへら人良し、お人良し、心棒強いお人良し、辛抱強いお人良し。
→先に記した、自己愛を偽っての利他愛のことぞ。
心棒無しで、へらへらする人のまこと、まことは口先だけ。
心棒が強い、そんなお人は「良し」、であるぞ。
心に軸となる棒を持ちなさい。
人にはシンボウ第一で金と言う字となるとやら。
どこぞのお方が申された、その言葉こそ金神の金なる世のお指図と金神この度申すぞよ。
→「人」「二」「ハ」「|(芯棒・辛抱と読む)」「一(一番)」。この文字を組み合わせると、「金」の字となる。
なにわ商人の大笹吉五郎の墓に刻まれた言葉である。
これは、金神による金の成るお指図である。
辛抱は仏教の心法が転じたとも言われる。
誠なるかな、誠かな、経緯誠結ばれて、二つ一つに融け合うた誠心となるならば鐘が鳴るなり、金が成る。
金神行くとこ、出る所、鐘鳴りやまずと申すぞよ。
金成り山積みと申すぞよ。
→十字、✡にゝ、◯にゝ、誠があれば、金が成る。
新時代、来たりて御用に使わんと、仕度させたるあれこれがお蔵開いて出て来ても、びっくりせんで下されや。
跳んだあれこれ出て来ても、びっくりせんで下されや。
→されども、新時代に御用に使わんと蔵を開いたら、別のものが飛び出す世の中になっているかもしれんぞ。
パンドラの箱である。
跳んだ事とて思う程、跳んで飛んで飛び回る、羽の生えたる人間や角の生えたる人の出る、跳んだ事とて起こりても腰抜かさんで下されや。
こことこことのこの話、忘れずお仕度下されや、地べたガサゴソ這いまわる、惨い有様見えたとて心残りはいたさずに、天の時ぞと諦めて、キッパリその事諦めて、飛んだり跳ねたりしなされや。
→羽の生えたる天使、角の生えたる悪魔。
人類は2分化される。
だから、準備しなさい。
自分が地べたを這い回るようになっても、それは天の時、その時は自業自得なのだから、キッパリ諦めなさい。
こことこことがあるのなら、まことごころが有るのなら、どれ程贅沢いたしても金神文句は言わんから、飛んだり跳ねたりしなされや。
→それはそれとし、誠心があれば財力は金神の御心である。
それで贅沢したとて、地べたを這い回ることにはならない。
「まことごころ」があるならば。
弥勒みろくの御世なる金神の世の隅々のあちこちで、飛んだり跳ねたりしなされや。
こことこことが有るのなら、誠心が有るのなら、やりたい放題し放題、ご遠慮一切いらんぞよ、ご遠慮一切いらんぞよ。
→日月神示で、九は光(コウ)である。
九は、おそらく空(クウ)でもある。(テスラ・コード参照)
九九(ここ)は、空+光で世界を照らす光明か。
真実を照らす光、創造の光でもあるだろう。
誠心は、自分に正直になること、欲得のために正直になるのでなく、神信心の下に正直になること。
そうであるなら金は悪でなく、ご遠慮はいらんぞ。
「国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ。」紫恩の巻・第十帖
「残る十二巻と一巻は人民では判らんぞ、無の巻物ぞ、空に書いてあるぞ。扶桑の巻・第十二帖」
おそらく、そこに九は空とある。(開示された中には無い)
日月神示は発表出来ない巻が十三あると岡本天明氏は述べている。
この大地馳駆し固めし親神おやがみのこれまで隠れし賤しずの家は金銀財の溢れ出る鐘の鳴る家と早変り。
人の立分け終る頃、大地二手に張り裂けん、時、近づきて気付けども、足腰立たず目も見えず、どちが前やら後やら、阿鼻叫喚に耳塞ぎ、振り向かぬこそ大峠、地べたガサゴソ這う様を振り向かぬこそ大峠、今は暗、善悪正邪は入り乱れ混ぜ混ぜづくめの大晦日、三千年の大晦日。
→賤の家は身分卑しい者の住む家。
隠れいし賤の家は、東北でもあって、ここから資源なり、食糧なりが溢れる。
これが金銀財宝の鐘の鳴る家になる。
神一厘の仕組み、魂の錬金術のこと。
今はまさに大晦日で終末ぞ。
晦日暗ぞと申す事、鐘ぞ鳴るぞと申す事、シカリとわかりて下されよ、百と八つの梵鐘の訳わかる時来たりなば、目睫の寸前、真近と申すぞよ。
神の情なさけのわかる人、何もわからずこれまでの煩悩共々滅ぶ者、誰が目にとてわかる時、目睫なりぞと申すぞよ。
この暗抜ければ往環道おうかんどう、上下一本貫いた、世界、一列いちれつ、一平ひとたいら、何とて見え透くミロクの世。
→十字架の真ん中、ミロクの世。
ミロクの世は369の世。
テスラコードのエネルギー力学ぞ。
道教の陰・陽・冲気でもあろう。
「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負い陽を抱き、沖気以て和を為す。」(老子)
世の正月ぞと申すぞよ、代の正月ぞと申すぞよ。
元旦や昨日の鬼が礼に来る。
金神に豆をぶつけて栄えたる天あまの邪じゃ鬼くとて礼に来る、昔の鬼が礼に来る、今の鬼とて礼に出る。
その時鬼族無くなりて世界国家といたすぞよ。
この事わかりて下されよ、重々わかりて下されよ。
→元旦はその終末が去った世になるということ。
先に記した、意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)の節分の豆。
鬼は外、お多福は内としたところ、天邪鬼な人間は、その豆を金神(国常立)にまでぶつけよって栄えて来た。
天邪鬼は鬼と付くものの妖怪である。
世の正月ともなれば、天邪鬼も礼に来る。
昔の鬼は神とも羅刹とも含まれる両義的な者、今の鬼は邪悪な者。
人びとのイメージじゃ。
そんな鬼たちも礼に来るぞ。
すべては神仕組み、そういうことだったかと礼を取り、礼を取るからに鬼はなく、鬼は礼を取らぬから鬼と言う。
そんな鬼族も消えて、世界国家といたすぞよ。
鬼の金棒捨てなされ、心に金棒握りしめ、にらみきかしておるうちは、いつまでたてどもわかられぬ、わからぬ棒にわかられぬ。
いままでやりきたあれこれが、根棒みたく固まりて、心の棒となりたるを知らぬ存ぜぬわかられぬ。
→鬼が鬼たる由縁は、棍棒に象徴されるのぞ。
そは強い強い信念の象徴。
強い意志の力。
すり替えれば、凝り固まった自我ぞ。
悪鬼と身を変えやりた事、羅刹らせつとなりてやりた事。
折角尊きお手柄が、金棒握りておるうちは、何が何とてわからずに、悪鬼羅刹の姿から解脱できぬと申すぞよ。
→信念も人時所を誤れば悪となる。
世は諸行無常、諸法無我。
移ろいゆくものなり。
凝り固まった信念は、時代と共に悪となる。
鬼の頭かしらをかたどりた、屋根に頂く鬼瓦、あのもの凄きつらがまえ、月の守護ぞと申すぞよ。
これまで出たりた神信心、どことも月の守護にて上より睨にらむは月の神、鬼瓦なりぞと申すぞよ。
→鬼瓦は鬼の頭(かしら)を象っている。
鬼の頭領は月の守護、月の神であるぞ。
この樹登らば鬼女となるべし夕もみじ。
神信心をしたならば鬼女となるぞと申すぞよ、これまで出たる神信心、どことも鬼女ぞと申すぞよ。
→鬼女紅葉伝説。
この時に神信心したのは、第六天魔王=パピヤス・マーラ=お多福=天照女神に対してである。
つまり、天照女神に願掛けすると反作用で鬼となる。
この女神のご利益信仰は、他から奪い、他に与え、どこかで不幸のしわ寄せは必ず出る。
これまで出たる神信心は、一厘隠しであるために、どこもかしこも本来の天御祖神信仰ではなかった。
鬼女紅葉伝説
胎たい臓界ぞうかいと申された三千年のこれまでは、鬼女の身内、腹の内、お復のややこを守らんと、鬼女と身を変え突き進む、哀れ悲しき鬼女なりが神信心ぞと申すぞよ、那美なみの身内と申と申すぞよ。
→金剛蔵王大権現は、金剛界と胎蔵界の権現で、内、胎蔵界を司るのが鬼女であり、月読命であろうよ。
イスラエル王国建国から三千年、お腹(魂修行の環境)の子どもたちを守らんと、鬼女ともなって突き進んだ。
伊邪那美は元妻のきょう子氏である。
申年、申の方位は「病気や厄が去っていく」こと。
鬼女となることで、身内から伊邪那美が申(去る)という暗示ぞ。
子供可愛い一念が、女の業ぞと申す事、宿業なりぞと思す事、世の誰なりとわかるとて、これまで来たる宗教が、それぞれ業で戦いて競うて来たぞと申す事、知る時なりぞと申すぞよ。
身の内孕はらみし次世代をりっぱに世に出し送り出しその日その時来るまでは、何が何とてふんばりて鬼が邪にとてならいでか、この事おわかり下されよ、この事おわかり下されよ。
神信心のお方達、ここをわかりて下されよ。
→女の業はマハーパジャパティ。
釈尊の業は義母の業でもある。
五人の子どもはここでの業。
女の悟りの道を開きて、ヤショーダラーの回心を残したは宿業。
子どもたちは教団、そして、世界すべての人の業。
立派に育てるはガイアの業。
業にも善いと、悪いとがあるぞ。
何が何とてふんばりて鬼が邪となることもあろう。
この事をわかってあげなさい。
神信心のお方たち、ここをわかって判断を下しなさい。
今までした事、やりた事、鬼女の御用と申す事、どれ程尊き教えとて、一厘隠してやるかぎり、拡め拡めてやるほどに、真の救いはできぬから、ツキ、ツキ進みて突き進み振り向く時ぞ来たならばひっくり返ると申すぞよ。
今までした事やりた事、良いや悪いやそれ以前、あきれかえると申すぞよ。
神信心の方々や宗教界が真っ二つ、別れ別れとなる事のその根本はここなりと金神初めて明かすぞよ。
→今までして来た鬼女の御用は、尊き教えであっても、妖怪・お多福という一厘を隠してやらざるを得ず、広め広めてやるほどに、真の救済は叶わぬ。
月なだけに突き進んで、振り返る時が来たその時は、教団や世界がひっくり返るぞ。
良いや悪い以前の教団や世界のエライ(酷い)内情がわかって呆れ返るぞ。
神信心の方々が真っ二つになるきっかけはここなりと金神初めて明かすぞよ。
(マイトレーヤーは同時代に同時に複数分霊を降ろすこともある。明治期がそうであった。おそらくトランプもそうで、もう一方のそちらの側面からも見ると「宗教界が真っ二つ」の意味がよくわかる。イスラエル(米国)VSイランがそれである。)
羊水、臓盤、お臍の緒、どれとて大事な腹の内。
子に栄養ぞ与えんと、御自身喰らうもこれ大事。
何より御自身大事ぞと喰らい喰らいて突き進む、自己愛大事と申すぞよ。
自己愛は悪の権化であるなれど、ここのわからぬ利他愛に真の利他愛わかられぬ。
→利自即利他。
それはガイアに対してすらも同じ、宇宙の根本の原理ということぞ。
ましてや、我は如何なりぞと、思えなければ、それは天狗の自己愛ぞ。
真なる自己愛は仏性を愛することぞ。
次世代生まれた暁は、それまで大事なあれこれも不浄なりぞと申されて、これより用無し役目無し。鬼女のお面も御用済み、お面取れるか取られぬか、御面な去れぞと申せるか、御免なされぞと申せるか天下御免の別れ道、なに程、どれ程あれこれが隅々充分できたとて、鬼女の役目はここ止り、ここ一厘にて厘止り、ここ一厘にて輪止り。
あとは子達があれこれをそれぞれ銘々楽しむを、高いとこから眺めては楽しみたいが親心、親神なりぞと申す事、重々わかりて下されや。
→ここは思うところあり、割愛する。
人間である以上、お面は誰にでもある。
筆者である私にもある。
人類は、エデンの園の頃からそれはある。
陰気暮らしは月の守護、鬼瓦なりぞと申すぞよ。
陽気暮らしの世となりて月様高みに行かれたら、お多福飾りて下しゃんせ。
→陽気ぐらしは天理教。
親神様の恵みに感謝して、自然の恵みに感謝して、人間互いに尊重し、救け合って暮らしなさいという教えである。
お月様が元の元の元なる親神様のそばに行くことになったら、お多福を立ててくだしゃんせ。
それは神一厘の仕組みゆえぞ。(ただし、それは主のお隠れ前のこと)
世界一列皆我子、鬼の頭と成り果てて、心痛めて身を痛め、取りい出したる我子なら分けも隔てもいたさぬと月様申して下さるぞ。
神信心の方々はどうぞお覚悟下されや。
鐘の鳴る時来たなれば、上に行くもの、落ちるもの、双方お覚悟されたしと、金神覚悟で申すぞよ。
金神とてもこの度は、覚悟の上で申すぞよ。
覚悟、覚悟と申すぞよ。
→世界のすべての人びとは皆我が子。
分け隔てはいたさぬ。
「ガイアは決して眠らない。しかし、人びとよ、安らかに眠るがよい。時には母ともなりたいのだ。」楽曲「ガイアのテーマ」
しかし、鐘の鳴る時が来れば、上に下にと別れることを覚悟されたし。
信心個々ぞと言うたぞよ、銘々一人は一の種。
尊き尊き一の種、人が飯喰い用を足し、それにてその身立ち行くか、立ち行く道理ぞあるまいに、人のお徳にしがみつきどこどこまでも参ります。
小判鮫でもあるまいに、そんな信心増すばかり、後から後から沸いて出る。
己れの救済乞い願い何が何とてする者が千人万人沸いたとて楽園世界ぞ出来まいに、わしは人様救いたい、何が何とて救いたい、そういう者ぞおるだけで、そこは極楽突き抜けた天国なりぞと申すぞよ。
→勤勉に日々の営みをする人の、そんな人徳にしがみついてどこまでもいく。
世の生産は人任せに、小判鮫のように寄生する、そんな見せかけ口先だけの信心は増すばかりで、後から後から沸いて出る。
これも、ネットワークビジネスみたいなものである。
生産は人任せの寄生虫。
限られた枠の中での人と時間の奪い合い。
人様救いたいという、そういう者がいるだけでそこは天国ぞ。
峠、峠、大峠、近み来たのが見えんかな、見えぬ者にはもう見えぬ、捨て去る古着、いちいち洗い干して乾かす者は無い、何が何とてわからずに、消えて行くのぞ、いと哀れ。
→峠、峠と続いて来て、大峠が近くに来てるのが見えんのか。
今見えないなら、見えぬ者にはもうこれからも見えないぞ。
捨て去るこの身体、幽体、いちいち洗って干して乾かす者はないだろうよ。
そうではなく、身体、幽体の古着は脱いで、真中の御魂、霊を磨きなされ。
準備期間は1ヶ年、午年迎えて1ヶ年。
それより早よても遅うてもこの救済はまる潰れ。
金神この事三千年、大神様は幾万年。
仕組みの準備をされたゆえ潰す訳には参らじぞ。
→準備期間は午年迎えて1ヶ年。
2026年、2038年。
2050年には決着を付けると大神様は告げられた。(この午年は2026年か、2038年のどちらかになる。)
金神(国常立神)はこの事三千年。
大神様(天御祖神)は三万年。
神仕組みの準備をされたゆえ、潰す訳には参らんぞ。
午うま年、青菜跳ね上がり未ひつじに米は当りだす、それが合図の時なりと明あけの烏からすが鳴いたれば辛酉かのととりまであとわずか、飛んで火に入る夏虫とミロクの民は真っ二つ、きっちり、すっきり立分れ、彼岸の岸ぞ舟が行く。
これよりは電光石火で参るぞよ、神の裁きに待った無し、目にも止らぬ早技で、善、悪、正、邪ぞ別けに出る。
一目瞭然、千里眼、見抜き見透し、まるわかり。
邪心よこしまごころの人間は唯ただの一目で判わかるぞよ。
中心なりぞと申すぞよ、中心なりぞと申すぞよ。
→午年には青菜が高騰し、翌年の未年には米が当たりだす。(古事記では青菜は菘菜(あをな)でこれは蕪のこと。カブ=株、米はアメリカを言う可能性もある)
辛酉まであとわずか、辛酉は60年に一度で次は2041年。
火に入る虫とミロクの民と真っ二つになるぞ。
あの世の彼岸の岸に舟がいく。
そこからは電光石火ぞ。神の裁きにまったなし、善悪正邪を分けていく。
邪心の人間は一目でわかるぞよ。
だから、中心なりぞ、まこと、真心というのぞ。
百花爛漫咲き誇るキンピカピカのお人とて、悪業三昧垢塗あかまみれババチイ、ババチイお人ととて、神の目で見りゃ同じ事、双方まったく同じ事。
→一見、豊かで綺麗な身なりをしている人も、誰の目からも悪党で悪行三昧垢まみれの人も、神の目から見たら一目瞭然で、変わりはない。
なぜに、いかにてその様は、さような姿となられたか、一目見た時わからいで、判らんような事なれば、神ぞと申して偉そうに人様裁ける訳ぞ無し。
閻えん魔ま、焔摩 えんまは千里眼、この世の閻魔は千里眼。
神々様とてよく見えぬ、人に宿りし一厘ぞ、手に取る如くに判わかるゆえ、この世の閻魔と申すぞよ。
→いかに左様な姿になったか、一目、見ただけでわからないようなら、神ぞと申して偉そうに裁けるわけがないであろう。
閻魔の目は千里眼。
神々でもよく見えぬ、人に宿りし一厘を、手に取るようにわかるゆえに、この世の閻魔と申すぞよ。
月の時代の終る頃、月下美人ぞ咲くと知れ。
この世の閻魔と出たるなら月下美人か不美人か、人それぞれぞと申すぞよ。
金神閻魔の長なれど、この世の閻魔は恐いぞよ。
この世の悪罪、悪業は全て見透し見抜くから、この世の閻魔と申すぞよ。
→月下美人は夜に咲く。
白い梅=月の精=月の神=月下美人=この世の閻魔。(金神=閻魔の長とは異なる閻魔)
この世の閻魔はこの世の悪罪、悪業を全て見抜く。
※月の時代と太陽の時代は、アステカ暦や風水で言われているようである。
ここ一厘は情なさけぞよ、こころ一厘情なさけぞよ。
情無ければこの閻魔、なにほどあれこれできたとて情無き事する者に、一切情かけぬぞよ、情無きほどかけぬぞよ。
ここをわかりて下されよ、こころわかりて下されよ。
人の身のこことこことが結ばれる、ここが情の出所ぞ、ここに情が無いなれば情無いとはこの事ぞ神のお情わかられる、お人となりて下されや。
無理難題のその頃は肉身の情ぞ振り捨てて、たとえ火の中、水の中、悲願成就のその日まで、お情無用で参り来た。
月、月、ツキにて突き進む、情は悪ぞと説いて来た、子年ねどしまでお情無用の御時世ぞ。
→月の神は、無理難題の中、肉身の情も振り捨てて、大神様の悲願成就のその日まで、情け無用で突き進んで来た。
白黒ハッキリ付けて来た。
子年までは情け無用のご時世であるぞ。
(子年は、2020年、2032年、2044年である。パングルに変身したのは2021年なのでそれ以降のことか。)
善悪正邪は入り乱れ混ぜ混ぜづくめの月の下。
どうぞ凍こごえて下さるな、どうぞ凍えて下さるな。
月は皓々照らせども、心は荒すさんでいくばかり、情凍えていくばかり。
→経典「パングルへの変身」の帯カバーに書いてあるように、『「清濁併せ呑む」だけでは聖なるものを護れない。「白黒ハッキリさせる」強さとは。』の通り。そのような殺伐とした世の中や教団の中で、心は荒んでいくばかり。情けは凍えていくばかり。
日月ひつきなりぞと申すぞよ、これより時節入れ替り、日月なりぞと申すぞよ。
日月一つに結ばれん、ここ一厘ぞ情なり、明めいの時代となりたれば充分御用に使わんと、腐らんように雪霜をかけて被せて隠し来た、悪一厘は情なりここ一厘は情なさけなり。
ここ一厘シカリと掴みて下されや、シカリと掴みて下されや。
→これからは月の時代も終わり、月と太陽は一つに結ばれんとする。
この結ばれるための神仕組み、神一厘であった。
真実の明るい時代となりたければ、十分に御用に使わんと、この悪の中に隠したる一厘(天照女神の正体は妖怪・お多福であること)を、腐らないように雪霜をかけて隠して来た。
天照女神として立てて来た。
悪一厘は情けなり。
このことをしっかり掴みて下されや。
情無き閻魔が情に目が眩みトンマなエンマと見える程、閻魔の眼ぞ曇らせる、お人となりて下されや、歓喜に裁きの無い如く、情にお裁きござらぬぞ、今までした事、やりた事、良いや悪いや思うより、これまでやりきた様々の奥に脈打つ神の愛お情わかりて下されや。
神のお情わかる人、わかる心のお人なら、どちらが神ぞと思う程、りっぱな御用に立てるのぞ、神のご守護をするような、たいした御用に立てるのぞ、この事隠して言わなんだ、ここは金神情ぞとこの度初めて申すのぞ。
わあわあ、閻魔が取り乱し、情無い事、情無い。
閻魔の眼ぞ曇らせる、お人となりて下されよ。
→情け容赦ない閻魔が情けに目が眩むほどのお人となりなさい。
さすれば、歓喜の中に裁きがないように、情けの中に裁きがないように、これまでしてきた、良いや悪いやのその奥に神の愛を見つけることが出来る。
その神のお情けをわかりて下されや。
神の情けのわかる人は、どちらが神かと思うほど、立派な御用に立てる。
救われた実感のある者が救うことが出来るのぞ。
そのこと気付かぬことに忍びなく、金神情けとこの度それを明かすぞよ。
月下美人か、不美人か、月下美人か不美人か。
泣かぬ閻魔ぞ泣いたなら、利他の情と申すぞよ。
自己の情でこの閻魔、泣きも笑いもいたさぬと、金神情で申すぞよ、情、情と申すぞよ。
悪ぞ善、善ぞ悪、悪ぞ善ぞと申すぞよ。
悪無いなれは善なりといくらえばりて申しても、証明でけぬと申すぞよ。
→月の神の下に美人か(情けある者)、不美人か(情けの無い者)、情なく、泣かぬこの世の閻魔が泣いたなら、それが利他の情、利他の愛と言うものぞ。
自分への情け(自己憐憫など)で、この閻魔、泣きも笑いもしやしないが、金神は情けが大事ぞと言い、これを今、教えているのが情けぞ、と言うぞ。
映画「神秘の法」のように、愛によりて、「善は悪となり、悪は善となる。」のだぞ。
悪が無いから善なりと、天照女神の国家神道のように、光一元、悪は無し、と幾ら威張って言っても、証明は出来ぬと申すぞよ。
影を売って、光一元は欲望一元。
善悪正邪ぞ練ねり混ぜて捏こねて捏ねて捏ねたおし、スパリと解決いたすぞよ、桃の実出るぞと申すぞよ、桃の実の玉出たりなば全て決着いたすぞよ。
筆先ここまで出たるなら、み魂次第と申すぞよ。
もうこれ以上は銘々の感性次第と申すぞよ。
→善悪正邪を清濁併せ呑んで、練りて、混ぜて、捏ねたおし、それらの混沌をスパリと解決いたすぞ。
桃の神が出たならば、全ては決着いたすぞ。
筆先、ここまで出たるなら、後は、御魂次第と申すぞよ。
あとは、銘々の感性次第と申すぞよ。
難しい事言う神と、わからん事ぞ言う神と、眉背けんで下されや、これまでした事、やりた事、善や悪やとこだわりてその先行けん事ならば残念無念と申すぞよ。
神のお心こころとす、おこころ貰もろろうて下されや、他ほかはなんにもいらんから、お心貰ろうて下されや、それさえシカリと貰うたら、その他たはあとから着いて来る、いくらいらんと申しても、あとから、あとから着いて来る、なんぼなりとも着いて来る。
逃げても逃げても着いて来る。
こころ、こころぞ、心ぞよ、まことごころと申すぞよ、誠心と申すぞよ。
白紙になりて下されや、桃の実の玉出るまでに、白紙となりて下されや。
→難しいこと、わからんこと言う神じゃなと、眉間を寄せて、背中を背けんで下されや。
これまでして来たこと(業)は、善だ、悪だとこだわって右往左往し、先に進めないなら残念無念と申すぞよ。
神のお心をお心として、その真心をもらって下されや。
それさえしっかりともらったら、後から必要なことは着いて来る。
進むべき道も開いていく。
白紙になりて下されや。
桃の神が出て来るまでに、御魂は白紙になりて下されや。
(桃の実の玉は種だろう。桃太郎のモデルの一人、吉備津彦の姉の倭迹迹日百襲姫。箸塚古墳からは3個の桃の種、纒向遺跡の中枢部からは2800個もの大量の桃の種がまとめて発掘されている。魔釣りの魔除けであろう。)
今までやりきた様々は全て夢ぞと申すぞよ。
理想世界ぞ生む為の悪夢なりぞと申すぞよ。
寝る子は育つと申すぞよ、練る子は育つと申すぞよ。
練って練って練り上げて二つが一つと成り成りて桃の実出動したなれば、夢から醒めると申すぞよ。
雲散うんさん霧消むしょうと申すぞよ、雲散夢消と申すぞよ。
→今までやってきたことは、すべて、泡沫の幻ぞ。
大神様の望む、理想世界を生むための悪夢なりぞ。
寝る子は育ち、よく練る子は育つのぞ。
雲散霧消と申すぞよ、雲散夢消、雲は散り、悪い夢は消えると申すぞよ。
温ぬくめる事しか能の無いお日様なりぞと申す方。
冷やすしか無いお月様、どちらの主あるじも不完全。
貴き方とて不完全、一厘欠けては不完全。
無限絶対なる方が完全無欠のままなれば、何も無いぞと申すぞよ、はなから何も無いままで無限になんにも無いままぞ、無無無ぞ無の世界、元は無ぞと申すぞよ、無が元ぞと申すぞよ。
二極一体成り成りて二つ一つに融け合うて完全無欠に帰る時、桃成る時機ぞと申すぞよ。
元どうり戻る時節と申すぞよ。
→温めて、甘言するしか能のないお日様なりぞと申す、天照女神。
それに対するために、冷やすしか無かったお月様である、月読命。
どちらを主としても不完全である。
貴き方とて、一厘欠けていては不完全ぞ。
無限絶対なる方が完全無欠ならば、何も無い。
無限に何も無い。
元は無ぞ、無が元ぞ。
二極が一体となって、一つに融け合って完全無欠に帰る時に、それが桃が成る時機ぞ。
元通りに戻る時節、千年王国に進む時ぞ。
※この言葉から、大神様の別称としての元無極體主王大御神(もとふみくらいみぬしおおかみ)は、「無」が入るのが正しく、トドメノフミの方が誤字か、或いは、「黒い太陽」の出現により、「無無無ぞ無の世界」を意識させるために意図的に欠如させたと思われる。
この黒い太陽は、シュタイナーのいう666、アスラの長たる暗黒太陽のソラトだろう。
お多福の本体、併行宇宙にある妖怪の頭目と思われる。
※大川隆法総裁先生の宇宙人リーディングでは、マゼラン星雲のゼータ星の主神解明の流れの中で、「エローヒムの双子の兄弟みたいな者ではないか」と、宇宙の神のヤヌス的側面、愛の神(創造)と厳しさの神(破壊)と力を二つの極に分けていることが語られている。(「宇宙のグラディエーター」参照のこと)
それが裏宇宙の主なる神とは、まだはっきりされていないものの、レプタリアンは元々は裏宇宙の存在で、ゼータ星は主星ではなく、拠点の一つとされている。
当然、主なる神は二つの宇宙を両天秤に見ていて、裏宇宙をも支配している。
それは、90年代に、元妻のきょう子氏と先生と指揮系統が二つに割れていたが、あれは、裏宇宙と表宇宙を示唆していて、実験していたということである。
その、きょう子氏が、自称アフロディーテ(美)、自称文殊(知)で、偽物の美と知であったことは、ユートピア価値革命に説かれた「未来型人間」の真逆ということで、これは、よくよく知った方が良いだろう。
宇宙は果てしない。
※「二極一体成り成りて二つ一つに融け合うて完全無欠に帰る時、桃成る時機ぞと申すぞよ。」
桃の神が一体どういう存在なのか、ここに秘密がある。
天の御柱を回すタービンに見えると以前に綴ったのは、あながち外れていないように思う。
おそらく、表宇宙創造の時の種。
カミガタなりぞと申すぞよ、神型なりぞと申すぞよ、解けた世界ぞ結ばれんカミの型ぞと申すぞよ。
日月、日月と筆に出す、日月桃ぞと申す事、どうぞわかりて下されよ、これぞおわかりくれたなら、善ぞ悪ぞとそしり合う時期は終りと申すぞよ。
善と悪とは同じ事、大神様には同じ事。
善悪正邪は入り乱れ、これまでやりたる様々は、人間世界に神型ぞ造らせ賜うた大手柄、尊き手柄と申すぞよ、あっ晴れなりぞと申すぞよ。
→カミガタなりぞと申すぞよ、神型なりぞと申すぞよ、解けた世界ぞ結ばれん、火水の型(ヒミツのカタ)ぞと申すぞよ。
日月神示を降ろしたのは、天日津久の神、桃の神と申すこと、どうかわかりて下されよ、これがわかるようになったなら、その時は、善だ、悪だと、誹り合う時期は終わったということぞ。
善と悪とは、大神様には同じこと。
善悪正邪と入り乱れて、これまでやりたる様々は、人間世界に神の型を造らせて、尊き手柄とさせるためぞ。
富士は晴れたり日本晴れということぞ。
二二は晴れたり、成る十の清らかなる、22本のパスに10のセフィラ、一厘のダアトでセフィロトをこの世に完成させて、晴れやかに、清らかに、天に映すことぞ。
「As above, so below」、「上なる如く、下もまた然り」、ヘルメス・トリスメギストスの大神様であるぞ。
意い富お加か牟む豆づ美みの発動と重ね重ねて申された、祈ねぎ奉たてまつり申されたその夢叶う時なりと金神シカリと申すぞよ。
→意富加牟豆美(オオカムヅミ)、桃の神の発動と申された、その夢叶う時なりと金神しかと申すぞよ。
楽曲「天御祖神の夢」にあるように、「かすみたなびく、このまほろばの国に、梅の花、桜の花、桃の花を咲かせてみよう。この大和の国を桃源郷にしてみせん」、であるぞ。
梅の花は申したぞ。
桜の花は木花開耶姫ぞ。
桃の花はオオカムヅミぞ。
これぞ、これさえ出たるなら水の泡ぞと申すぞよ。
これまでやりたる様々な善や悪やとののしりて、出たりたゴモクやカスやらが水の泡ぞと申すぞよ。
阿波の鳴戸の渦巻きでかき消し行くぞと申すぞよ。
→桃の神が出たらすべては水の泡、これまでやりたる様々な善や悪や罵りて出たる(悪い言霊は呪いとなりて駆け巡る)、ゴモク(京都弁でのゴミのこと)や、カスやらが水の泡ぞ。
阿波の鳴門の渦巻きでかき消して浄化されていくぞと申すぞよ。
今、この時点で申したら本末転倒いたすから、嬉しき事は干ト伏せて桃源とうげん郷きょうはこことここ、ここにできると申すぞよ。
トンネル出口ぞ見えたなら、お楽しみぞと申すぞよ。
→桃源郷の一つは日本に出来る。
それは、小説「十字架の女③」で、アンドロメダのマザーには大和という国があって、四国と相似と明かされているためである。
ノストラダムス 百詩篇 第4巻29
Le sol cache eclipse par Mercure
Ne sera mis que pour le ciel second.
De Vulcan Hermes sera faite pasture:
Sol sera veu pur rutilant & blond.
(ナヴァ翻訳)
日の国(日本)はケリューケイオンの杖によって隠され、
第二の天(宇宙空間)に置かれることになる。
ヘルメス神が炎でメタモルフォーゼすると、
日の国(日本)は、汚れなき黄金色に輝くだろう。
暗ぞ抜けたら桃源郷、天なるお方がしたためた、シナリオどうりに参るぞよ、ウキウキいたして下しゃんせ、ワクワクいたして下しゃんせ。
桃源郷はこことここ、ここにできると申すぞよ。
ここまで来たならここ次第、銘々次第と申すぞよ。
金神言う事、見せる事、個々次第ぞと申すぞよ。
ここ次第ぞと申すぞよ、こころ次第と申すぞよ。
→暗闇の時代を抜けたら桃源郷。
天なるお方(大神様)のシナリオ通りに進む。
ここまで来たなら、ここ次第(トドメノフミを見ている人)。
金神(国常立)の言うこと、見せること、個人、個人次第と申すぞよ。
真心次第と申すぞよ。
紅白の梅咲き揃うは午うまの春、桃はその後ごと申すぞよ。
神のお扉開くまでに立分けお済ませ下されよ。
この世の閻魔と出る時節、一切衆生は知らぬ事。
神々様とて知らぬ事。
旨むねに一厘有る無しをシカリと見抜いて下されよ。
→大本神諭に「梅で開いて松で治める」とあって、出口王仁三郎は、「梅は教え、松は政治を意味する」と言っている。
紅梅は天照、白梅は月読。
紅と白の其々の考え方。
ここで言う、午(うま)の年の春は、2026年とは限らず、2050年の決着を付ける年の可能性もある。
隠された年号も、すべてが同じ年号とは限らない。
神の扉は、大神様(天御祖神)の大岩戸開き。
犬が西向きゃ尾は東、東西終わりが見えたなら、お東様のお出ましぞ、岩戸開きにお出ましぞ。
→東洋文明と西洋文明、その行き詰まり、終わりが見えたらお東様(太陽)=真なるアマテルのお出ましぞ。
籠の上なるこの竹は幽界なりぞと申すぞよ。
籠の下なるこの龍を金龍なりぞと申すぞよ。
鶴と亀との泣き別れ、神々様とて知らぬ事、この事金龍説いたなら、神のお扉真っ二つ。
→籠神社のこと。
「籠」という字の上の部位の竹冠は幽界を表し、下の部位の龍は金龍を表す。(彦火明命が竹で編んだ籠船に乗り、海神の宮(龍宮、常世とも)に行ったという籠船伝承と関係していると思われる。)
鶴と亀はかごめかごめ。
元歌の歌詞からこの部分だけ変わっている。
右と左に泣き別れ、兎、家鴨あひるの別れ道、この事、金龍説いたなら、神のお扉真っ二つ。
上へ下へと生き別れ、その真ん中のど真ん中、証が出たなら角つのが出る、上と下とに角が出る。
→賀茂神社と白兎神社のことと思われるが、阿波と鳥取と候補がある。
総本宮の高鴨神社と比肩して、賀茂神社を飼いならされた家の鴨(アヒル)と言って揶揄しているのかもしれない。
おそらく、ここも籠神社と関係する。
上と下の角は漢字か図形か。
(※籠神社の部分は海部家系図と丹後伝承からの考察が必要と思われるため暫し参究を要する。割愛する。)
おてんとうさまが昇りたら、金龍上のぼりてミロクの世、金神の世となる嬉しさや、嬉し嬉しの様なれば、こんなお人をお道具に金神これより仕度する。
表の蔭より現われて、これより密かに仕度する。
→おてんとうさまは、籠神社に伝承されている男神の天照、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊のことか。
金神の隠れ忍ぶる賤しずの家は艮うしとらなりぞと申すぞよ。
→天照女神=お多福から始まる記紀による歴史改ざんによって、東北に押し込まれたスサノオの出雲系のこと。
あんなお人となるまでは、いま一苦労ぞあるなれど、これぞ嬉しき苦労ぞと、神のお扉開くまでに立分けお済ませ下されよ。
証、いちいち出したるを、重々わかりて下されよ。
一 出したるを十わかるイヅのみ魂であるがゆえ裁きのお役目託すぞよ、金神シカリと託すぞよ。
→イヅ=一十はヒトでもあり、一から十まで国や人民に尽くす存在である。
未熟な者を一七=ヒナという。
また、イヅの御魂はヰツヲハシリのことかもしれない。
トヨケの孫のヲバシリは馬の名手で、イフキドヌシやスサノオなど、その教え子の数は、85万3018人にも及ぶ。
その馬術あってこその、ハタレの乱の勝利でもあった。
(その馬術すらも祖父トヨケから授かっている)
ホツマツタヱではヰツヲハシリはアジスキタカヒコネに転生した。
ヲバシリの再来ということでフタアレ(再生れ)の尊名をニニキネから賜り、二荒神となる。
日光の祭神でもある。
この二荒の漢字は相応しくないと、後に空海が日光とした。
先生の日光の旅もこの神社を参拝しているため、そこに必ず意味はある。
アジスキタカヒコネは、高鴨神社の主祭神でもある。
京都の賀茂神社が総本宮と思われがちだが、こちらが全国にある鴨(賀茂・加茂)社の総本宮である。
アジスキタカヒコネは迦毛(かも)大御神で、出雲の神社神主が、最近になって口伝で出雲から四国に逃げたと伝わっていると漏らしている。
古事記に、「大御神」と記されているのは三柱のみ、天照女神が最多で、イザナギが数回、迦毛大御神が1回、記されている。
改ざんの歴史の記紀に、記さないわけにはいかなかったということは、当時の権威であっただろう。
東郷平八郎の過去世のオシホミミは、ヰツヲハシリの祠、箱根神社で最後、神上がりしている。
オシホミミの別称は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。
東郷神社の勝守(直筆の「勝」を記した御守り)は有名である。
ヲバシリとオシホミミの関係も深いと思われる。
一点一角狂い無い閻魔とお出まし下れよ。
神のお扉押し開く、岩戸開きの時期となり、開かずの扉ぞ開け賜う、お東様が出られたら、いかなる悪罪、悪業も全て手柄とされるから、シカリとお裁き下られよ、シカリとお裁き下されよ。
→日月神示の五つの岩戸と大岩戸開きのことである。
シカリはシッカリ、シカリは然り=その通り。
シカリと金神(国常立・ヤハウェ)からお裁きが下り(天の火・インドラの矢)、シカリと大神様(天御祖神)のお裁きが下される(最後の審判)ぞ。
トドメぞよ。
それを以て、「金神の艮の文(トドメノフミ)」というのぞ。
(終わり)
*・。*・。*・。*・。*・。*・。
以下、年号をまとめておきます。
(2050年ぐらいまでには決着は付く。「『地獄の法』講義」仏言)
子年 2020年、2032年、2048年
午年 2026年、2038年、2050年
未年 2027年、2039年
申は方角 西南西
*・。*・。*・。*・。*・。*・。
日月神示より、美の法門と歌の部分を貼っておきます。
これを知ったのは、私も2024年半ばのことです。
啓示されているのを知らずにすすめていました。
●「神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜である。」地震の巻・第十八帖
●「光は神から人民に与へられてゐる。光に向かふから照らされる。光はゝ、真、善、美、愛となり、又そのうらの◯、疑、悪、醜、憎となり現はれるぞ。御用の善となり、御用の悪となる。」春の巻・第四十一帖
※霊的世界はゝ(真ん中の点)、物質世界は◯(器である丸)。
●「始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団(つどひ)とせよ。此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ。」雨の巻・第十三帖
●「奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。」黄金の巻・第四十四帖
●「美の門から神を知るのが、誰にでも判る一番の道であるぞ。芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。この道理判るであらうが。審判の廷(サバキのニワ)に出たならば、世界は一人の王となるぞ。御出まし近うなったぞ。」黄金の巻・第七十七帖
●「元の光の神々ゑらぎ、更に進む世、和合まずなりて百(もも)の世極みなる。」キの巻・第十六帖
※この百が、モモとも読み、「百=桃の神」です。
百の手前が九十九、つぎもも(次、百)がツクモになったともされます。
あまり意識していませんでしたが、私は9月9日、朝の9時ピッタリに九十九里浜の畔(HSUの隣町)で生まれていますので、百(桃の神)とはご縁があるのでしょう。
また、「えらぐ(ゑらく)」は、喜びながら笑うという意味です。
「笑」は、竹の葉が風になびく様子。
巫女が手をかざして歌舞する形。
神々は巫女が歌い舞うことで喜びます。
「えらぎ遊ぶ」を漢字にすると歓喜咲楽で、古事記の天岩戸開きの場面に出て来る言葉です。
●日月神示の「五つの岩戸閉め、開き」と「元の元の元の大神の大岩戸開き」を簡単に言うと、これは、ユダヤ渡来の民により、大和の民の真なる歴史(ホツマツタヱ)が隠されたことを言っています。
これは、隠された阿波国の歴史を紐解かないと見えて来ません。
また、阿波国だけで完結しようとするとそれもわからなくなるでしょう。
ホツマツタヱは日本全国の歴史で、その大和の国は、中国すら開拓したことが綴られています。
●真・善・美については、経典「地獄の法」にも説かれています。
また、海外御巡錫の時にも説かれています。
御法話『Faith and Love』
創造主には、三つの徳目があります。
ひとつは「真」です。
つぎは「善」です。
そして三番目は「美」です。
創造主自身が、「美」を求めているのです。
インド御巡錫の第一声、首都デリーでの御講演、最後の質疑応答でのお言葉です。
※太陽系の目標である「知と美」。
地球の目的である「知と美の融合(未来型人間)」。
これについては、別の記事に繰り返し、綴ってあります。
幸福の科学は、これを基軸にすることが大切ではないでしょうか。
気付いた方だけでも、自主的に実践することをおすすめします。
この「美」が、上丹田(善)と下丹田(真)を連結させる中丹田(美)です。
これは、〈智〉〈勇〉〈仁〉に対応しています。
日月神示、火水伝文、トドメノフミにいう御魂磨きはここに焦点があたっています。
こちらが今回の読み解きの補足になると思います。
*・。*・。*・。*・。*・。*・。
おわりに
トドメノフミは、大本教の教祖・出口王仁三郎氏に降りると約束されていた、「とどめの神示」でしょう。
国家による弾圧でそれも叶わず、出口なお氏の大本神諭は日ユ同祖論止まりとなっています。
その後、言霊学を研究していた岡本天明氏が大本教から独立、天日津久神社参拝時に啓示を受け、自動書記がはじまります。
八通りに読めるとされた日月神示は、その本質が読み解かれることのないままに月日は流れ、その解説としての火水伝文が啓示され、最後のトドメノフミが啓示されています。
作者は不明ですが、天理教関係者ではないかと推測されています。
今回、参拝後、突然に、トドメノフミを読み解きはじめましたが、ふと、5月27日が浮かび調べたところ、日本海海戦でバルチック艦隊を撃破して勝利した日でした。
2009年、幸福実現党立党直後、横須賀で「法戦の時は来たれり」を説かれることを知らずに、その日(6月9日)、私は弟橘姫の走水神社と戦艦三笠の甲板の上にいました。
東郷平八郎総帥が立って、勝利するまで微塵も動かず、乾いていたという足跡です。
後から同じ日に、大川隆法総裁先生も立っていたことを聞きました。
そして、「ただいま、0歳、心の対話」をめくると、翌日の5月28日が大川隆一さんの誕生日でした。
不思議な縁に導かれて、私たちは今、ここにいます。
私たち(信者のみでなくすべての人びと)は、元の元の元の大神様の歴史の観測者です。
また、単に観測に終わることなく、実践者となることが、今、最も求められています。
すべては神仕組みで、すべては一つ、Onenessです。
共に、真摯に御魂磨きを進めていきましょう。
最後に、私が日月神示を意識し始めたのは2023年の大川隆法総裁先生がお隠れになってからです。
日月神示、火水伝文、トドメノフミを通しで読んだのは2025年の暮れから2026年の正月です。
ホツマツタヱ、阿波史も同様です。
浅学な点はご容赦願いたいと思います。
2026年5月28日 希望を祈りながら。ご令孫、大川隆一さんの誕生日に寄せて 飯島 努(ナヴァ)
*・。*・。*・。*・。*・。*・。
以下に全文あり。
日月神示(「完訳 日月神示 中矢 伸一 (校訂)」をおすすめします)
https://hifumi.nakamuramakoto.net/
火水伝文(発刊された書籍の方には、新しい視点が少し入っています)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=331853&id=11648942
金神の艮の文(トドメノフミ)(こちらはWEB上のみ)
http://yogenkensyou.blog.fc2.com/blog-entry-865.html
※大日月地神示、よひとやむみな、九十九神示は、悪に都合のよい、すり替えの文言がありましたので、偽神だと思います。
*・。*・。*・。*・。*・。*・。
「隠されたホツマツタヱ ー幸福の科学と日月の暗号ー」も、まだ綴っていませんが、今後、何があるかわかりませんので、要点を一つ残しておきます。
阿波一国に囚われているとわからなくなるでしょう。
経典「聖徳太子、推古天皇が語る古代日本の真実」で、「富士山系の日本神道のルーツが完全に消えている」、「神武天皇の前に、富士山系の王朝がまだある」と語られていますが、これは、富士山麓の天香香背男命=天津甕星の王朝のことかと思います。
阿波の八倉比売(捏造した天照女神。妖怪辞典の徳島に分類されているお多福のことと思われる。)の当時までは富士山系の王朝が正統な皇統だったのでしょう。
神武天皇の前とされているので、八倉比売の夫とされている天背男命は改ざんで、それ以前の皇統を冠するための忌部家系図の捏造だと思います。
香香=輝きを名前から消しています。
これから、この富士山を中心に巡りますが、天津甕星は、スサノオ=出雲系の子孫であろうことは出雲の神社を調べれば痕跡があります。
そして、富士山麓を統治していたという文言も見つけました。
日月神示の第5の岩戸閉じは、真正スサノオが隠されたということです。
最後の5番目に持って来ているのは、隠された時系列になっているからかもしれません。
ということは皇統の子孫を隠し、乗っ取ったということが見えて来ます。
このあたり、歴史を深めたい方は、「安房國忌部家系」(国立国会図書館所蔵のものが、Kindle110円で入手出来ます)と合わせて、参究してみることをおすすめします。
日月神示には、「スサノオに総ての罪をきせてネの国に追ひやった」「天ヶ下、大国土を守り育て給う神である」として、このことをよく理解出来ねば、今度の大峠は越せないとあります。
そして、この五つの岩戸閉じには、月読命は記されていないのです。
逆に、この五つの岩戸閉じの背後には、すべて天照女神=お多福がいます。
これがトドメノフミに啓示された二つの梅の花の秘密でしょう。
3番目の岩戸閉じの神武天皇だけは、火水伝文によると、スメラの霊統、その御霊は正統な大和の民であると記されています。
(ただし、ホツマツタヱ〈天の巻・地の巻〉縄文時代と〈人の巻〉古墳時代は、時代が相当に離れているものを無理矢理に繋げています。この間にウガヤフキアエズ王朝74代があるはずで、もし、霊体は同一としても、別の神武天皇です。)
その他は、古事記・日本書紀の編纂の時に、ホツマツタヱの神々の神名をこじつけたということになります。
「同じ名の神 二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、神示よめば見分けられるように、よく細かに解(と)いてあるのざぞ。」風の巻・第一帖
記紀の神とホツマツタヱの神は別です。
ホツマツタヱも明らかに削除されていますので、それは、富士王朝もそうですが、月読神社も全国にあったとされているにもかかわらず、歴史書に記されていないのはおかしいからです。
万葉集で、「天照す」という言葉とセットなのは月でしたので、この頃は、天照といえば月で、月読命だったのだと思います。
また、スサノオ=出雲系についても同様で、隆一さんの過去世の一つ、嵯峨天皇は、「素尊(素戔嗚尊)は則ち皇国の本主なり。故に日本の総社と崇め給いし」と詔して、津島神社に神階正一位と日本総社の号を贈っています。
空海も、四国にホツマツタヱを隠していて、この空海と嵯峨天皇は、大沢池に満月の夜に舟を浮かべて、蜜月していた仲でした。
お二人は歴史の真実を知っていたのでしょう。
古代中国の史書『旧唐書』と『新唐書』には、「倭国には二つの国があり、狭く倭国と称する国ともう一つ、日本国と互いに争っていた。」と記されています。
日本国は日の本、つまり、東北の日高見国です。
ざっくりとでは、倭国(ツキヨミ系)と日本(スサノオ系)と言えるかもしれません。
この二国の証拠として、大祓詞には「大倭日高見国を安国と定めまつり」と残っています。
ここにウガヤフキアエズ王朝が入りますが、宮下文書によると、初代ウガヤフキアエズは富士高天原から九州に遷都したとあって、これが富士王朝であったのかもしれません。(精査中です)
元々のホツマツタヱの都は日高見、富士山、伊勢、琵琶湖、阿波、九州など各地にありましたので、ウガヤフキアエズ王朝がそれを継承し、富士山の噴火によって日本列島は分断されて、倭国と日本国に分かれた、そのように見るのが自然かと思います。
〈文字数制限のため、トドメノフミ(中)の下部に続く…〉
大川隆法総裁先生の仏言と日月神示を基軸としなければ、歴史の真実にたどり着くのは難しいでしょう。
至高なる神の言霊から、すべては終わり、すべては始まっていきます。

© Yuka Tsukamoto Art.
*・。*・。*・。*・。*・。*・。
●お知らせ。
未来館で夜開催の原曲研修「小さなメルヘン」は、最後に礼拝堂で拝聴出来ます。
夜の回は、基本、最後に礼拝堂拝聴と思いますので各自ご確認ください。
私は今回は、芸能系エル・カンターレ祈願と知性開発祈願を合わせて受けます。(仙台か千葉で理数系の学力向上祈願も)
●瞑想を深めるために家を丸ごと徹底清掃と断捨離しました。
2023年3月2日の先生お隠れ後に受けた、祈願御札と御守り、金龍は阿波の太龍寺御守りです。(まとめて山積みにしていたので反省。以前のものは都度返納しています。)
他、毎年の秘法四種や悪霊調伏祈願など別の部屋に諸々ありますが、清掃はバイブレーションが一気に変わりますのでおすすめします。
瞑想を次元構造で見ると自身の出来ているものがとても低いので、これから平静心を常として巻き返します。
出来る身の回りのことから、一つずつやっていきましょう。
惰性に流されませんように。
(この惰性=「流される」習慣、ヒプノティック・リズムも美の法門です。戒・定・慧の「戒」と別の記事にしてあります。)
希望を胸にシカリと進みましょう。
これからは、隆一さんを支える層の小さいお子様たちを護るために、お布施など出来ればと思っています。
ほか、飛行機が飛ぶなら年内にエジプトのオシリス神殿に行きます。
神聖幾何学や数秘の世界を、体感から得られるようになりたいものです。
以上です。


