(映画「影を売る女」前後に受講者は増えた方が良いので、この記事の転送はご自由にどうぞ。)



法談はしないよと言ったのですけど捕まって、仕方なく話したら録音されて、そうなると文字起こしになって、届いたので載せておきます。

役に立つ方もいるでしょう。

終われないので、精舎でたまたまお会いしても「人違いです」とそろそろ逃げ始めるかもしれません。


※信者でない方も参考になると思います。


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渋谷精舎限定の研修です。


~心の中のシャドウ(影)を善転させる~

『家庭のコンプレックス発見』研修<仏陀霊指導> 【全5回】


『家庭のコンプレックス発見』研修 学歴・金銭・家庭崩壊編


『家庭のコンプレックス発見』研修 身体・異性編(こちらはあまり開催されていません。一人からオーダーが出来ます。)


各回に対して、公案が2つ。

その一つは必ず、両親、兄弟、祖父母など家族の影響はないかを点検、探究する内容です。

1回ごとの奉納目安は原曲研修と同じです。(3回まとめての時は、✕3の奉納です。)


主のお言葉


「自分の育った家庭環境のシャドウの影響まで含めて、深く自己点検をしていくのが目的である。」



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2026年8月2日


渋谷精舎 『家庭のコンプレックス発見研修〜 身体・異性編』法談



※これ写メしていいよと言ったところ、説明してと法談になりました。

肝心の公案内容や講義には触れていません。

説明になかった部分、あくまで個人的に感じた総論です。

少し触れてる箇所もありますが、一般的な心理学の説明でもあります。

ちなみに、この研修の「コンプレックス」は、ユングだけでなく、アドラー心理学も入っていると思います。





N 家庭のコンプレックス研修、以前出た◯◯さん、時間が短いからさーっとすぐ通っちゃって深められなかったって。

確かにそうだと思う。出てみたら意外と早いね。

2時間なのにね。原曲の方がもっと長く感じるもんね。

それはちょっと不思議だったけど。ご法話を聞いてるからというのもあるんだと思うんだけど。


まず、わかりづらいのはね、多分ね、コンプレックスっていうのが、日本語ってそうなんだけど、翻訳がちょっとおかしいっていうか、(概念が)限定されちゃってね、心理学とか哲学とかっていうのは翻訳だと分かりづらくなっちゃうんですよ。

で、「劣等感」と翻訳されちゃってると。劣等感だけじゃなくて、コンプレックスって、「パラレルワールド考」の追記にも書いたけど、その心の葛藤の部分、その複雑に入り組んだ観念とか感情の複合体なのね。

それが、要は、図に、ブログにも書いてあるけども、表面意識に自我というのがあって、で、無意識層に個人的無意識と集合的無意識っていうのがあって、その集合的無意識の中にも、個人的無意識の中にも、シャドウっていうのがあるんですよ。

その無意識層(潜在意識)と表面意識層(顕在意識)の無意識層側の境の部分に、コンプレックスというモジャモジャがあってね。

それが無意識のいろんな要素に複雑に絡まっちゃってて、その一つにシャドウがあったりするわけね。


で、家庭環境で培われる中に結構そういうコンプレックスとシャドウの原因があるっていう根本的な部分で、先生はこの研修作ってくれてる。

一番気づかなきゃいけない部分、私たちは家庭ユートピアを作らなきゃいけないっていうのがあって。

で、講師の方もちらっと言ってたけど、家庭という雛形において、愛っていう部分が1つのテーマ、基幹の学びになってる。

このコンプレックス研修は、先生はコンプレックスっていうのは、いわゆる、人生の課題だっていう風におっしゃってるけども、①から⑤まであるじゃないですか。

①が身体で、②が学歴で、③が金銭で、④が異性で、⑤が家庭崩壊ってなってるけど、この中で身体、異性が1番わかりづらく、しかも参加者が少ないらしい。


学歴、金銭、家庭崩壊の3つが人気があって、その研修が多いんですよ。

で、身体と異性っていうのはあまり人気がなくて来ないから精舎カレンダーに載らない。

でも、当会は人気がないところの方がほんとは肝の場合があって、なぜ人気がないかっていうと霊的だからわかりづらい。

人気があるのは、研修で講師がいい気分にさせてくれるとかね。

それだと、ほんとは根本的解決になってないんだよね。

例えば学歴、金銭、家庭崩壊っていうのはこの世的にもわかるじゃないですか。

幸福の科学で講義しなくてもわかるぐらいなんですよ。ある意味。

だけど、身体、異性っていうのはわかりづらくて。


異性はちょっとね。これ、ほんとはもっと深いのね。アニマとアニムスとか、多分キリスト教的な、その教会とキリストの結婚とか、そっちの方まで集合無意識的には行くぐらい深いところがあるんだけど、ここは話さないけど。


身体の部分ね、この身体って先天的なんですよ。

他の4つは後天的なんですよ。後天的な要素で作られていくんですよ。

例えば、身体っていうのが、誕生、生まれた時、おぎゃーってした時に、もううちらがどうにもできない状況で、身体って遺伝的に作られちゃってるじゃないですか。

例えば障害があったり、目が見えなかったりとか、耳が聞こえないとか、私なんか右耳聞こえないからね、そういう部分はもう先天的にできちゃうんですよ。

後天的に体鍛えたりとか何かするっていうことはできるけど、先天的な要素が強いんですよね。


で、ここっていうのはなんで重要かっていうと、要は過去世とかに関係してくるからです。

そうでないと原因が求められないじゃないですか。だって、他の学歴とか金銭とかだと、自分が勉強してなかったとか、お金貯めなかったとかね。

異性だって、異性に対してこういう言葉を使ってしまったとか、こういう態度で接したから結婚できなかったとか、不和になっちゃったとか。

家庭環境、家族関係もそうでしょう。

だけど、身体の部分はもう過去世の影響っていうのがもろに出ている部分で、ここの部分をきちっとそういうことなんだっていう風にまず受け止められるかどうかで、この研修がほんとに深まるかどうか決まっちゃうんですよね。

実はね。


100パーセント自分の責任だっていう前提でないと、コンプレックスって解消できない。

だから、先生も言ってるじゃない、ご法話で。環境のせいにするな、そんなんしてたら解決できないんだよって。


ここ、2005年に渋谷精舎ができて、その落慶の前日にこの研修が降ろされたっていうね。

で、しかもここ渋谷精舎は、青年、学生とかが集まる拠点として作られたのね。

でも、それ(コンプレックス研修)が必要だっていうのは、なかなかわからないだろうと。

ユングとか勉強しなきゃいけないから、心理学とか。

心理学だと、結構、色々書籍は残されてるから、学ぼうと思えば学べるんだよね、教典以外のところでも。

だから、それだけの期間を置いて、気づくかなと先生は実験していると思うんですけど、もう20年経っちゃってるっていう。


だけど、やっと、映画「二十歳に還りたい。」で、主人公の一徳が、シャドウに悩まされた人生だったっていうところで、シャドウが出てきて、その前の映画「レット・イット・ビー」とか、その前のシリーズとかでもやっとユングとかその辺がちらっと言葉として出てきて、その後にも何回か映画やって、ユング、ユングって言ってるんだけど、みんなわからない。

わからないのは、勉強してないから。見えて来ない。

先生の法は隠されていて、全体的な知識がないとわからないからね。

 

それで、やっとドラゴン・ハートで心理学がいっぱい散りばめられたの。

私が読み解いてブログに載せてあるけども。で、次に「影を売る女」。

ただ、映画に関してはどの順番で出るかっていうのがわからないところがあって、あと残り10本ぐらいはあるらしいんだよね。

その原案的なところ、A4で何枚かバーって先生が書いたものがあって、その中で、今回はこれ、今回はこれって抜き出す形だから、繋がりが直にあるかどうかっていうのはなかなかわからないけども、ただ、原曲研修出てもらえばわかるけど、一日が一生、一生が一日なのよって「影を売る女」の歌詞にあるように、「二十歳に還りたい」も、あれは日が沈むまでの一瞬の一日の出来事じゃないですか。繋がりは完全にあるよね。


で、一番先生が言いたいことは、そこの部分だと思うんですよ。

そういう根本的な自分自身の傾向性とか魂の人生の課題、「コンプレックス=人生の課題」って先生言ってるわけだから、人生の課題に気づかなければ一生も一日になっちゃうんですよ。


いくら何やったって、楽しく生きようが、勉強しようが、人生の目的自体がそうだから。

だから、その人生の目的に気づかないと一瞬なんですよ。

人生の意味がなくなっちゃう、価値がなくなっちゃう。

幸福の科学っていうのは、正しき心の探究をして、で、エル・カンターレ信仰に至るまでの間に自分自身でいろんな課題をクリアしていくっていうことを学ぶ団体なんだけど、その根本のところがこの研修にもある。

 

あとはブログにも書いたようにホツマツタエでも言ってる。

「アラコ(荒岳の松)」の教えっていうのが書いてあって、それはアマテルが言ってんのね。

要は家庭環境、子供の成育の時にこうこうこういう風にしなさいよ、こういう風にしないと捻じけた魂になっちゃいますよ。

その捻じけた魂っていうのが「ハタレ」って意味なんですよ。

「ハタレ」って魂が捻じけちゃってんですよね。



A 「はたれ」ばっかりかも、今。


 

N うーん、まあ、自分の中のハタレを見つけるということね。

だから、その「ハタレ」に、ならないように、「ハタレ」を直すような研修っていうのが、この渋谷精舎の最初のオープン前に降ろされてるっていうのは、要は学生、青年に捻じけてほしくないから。

だけど、そこはまだきちっとカチっとわからないまんまずっと来ちゃってるから、多分、教団、精舎側もわかってない、リニューアルできてないからわかってないです。

だんだんこれが「影を売る女」を通じてわかってくれればいいんだけど、あんまり「影を売る女バージョン」とか考えてなさそうなんで。



C うん、そうでしたね。



N どうもわかってないな。

もちろん、影はシャドウだけでなくて、先生の言葉はダブルミーニングなので何重、何層にもなっていますよ。

なので、映画タイトルを冠することを許されてないのだろうね。

でも、「影を売る」の一つの考え方として、明らかにシャドウは含まれていて、はっきり打ち出せなくともニュアンスとしてアプローチすることは必要と思うんですよね。

一日は一生で一生は一日という、ここがわからないと人生は一瞬なんだよ、幻なんだよという部分がわからないと、原曲「影を売る女」も意味がわからないでしょうし、ぼやけたままで何も学べないんだよね。

神道はそうやって曖昧にするんでね。

「それぞれの考え方があっていい」で終わるとそれこそ神道の悪いところから抜け出せないんですよ。

天御祖神は善悪きっちりしますからね。

それもあって、ホツマツタエとも繋がってますよ。

家庭のコンプレックスは地の巻にあるアラコの教えです。

で、そういう、これまでの映画とも繋がってますよっていう部分で、私、まず受けないと伝えられないから、受けてみたところです。

はじめの「身体」は霊的人生観を知り、過去世を受け入れないとわからない部分で、そこから、②、③、④、⑤と繋がっているということね。

これを知るだけでも違うと思いますよ。


だから、親の価値観からの精神的独立っていう部分が人間の成長にとって、すごく根本的な部分だから、まず自立していくためには、コンプレックスがあって、そのコンプレックスのもっと奥にあるシャドウに気づいて、そのシャドウを結局気づかないまま封印していると、社会生活の中でペルソナっていう仮面になるんですよ。

シャドウって見つけづらいじゃないですか。

シャドウ、シャドウって言われたって。

うん、影って言われたって、何が影なのって。だけど、表層意識に近い潜在意識のところにコンプレックスがあるって考えてください。


それを劣等感と言ってもいいですよ。そうすると、その部分が一番見えやすいのね。

そこを見つけると、5つだから、その身体と学歴、金銭、異性、家庭崩壊っていう部分は一番コンプレックスを見つけやすくて、そこを見つけた後に、その奥にあるシャドウっていうもの、自分の育った家庭環境の中にあるシャドウの影響というものが見えて来る。

コンプレックスは表面意識に少し顔を出すところなので、この5つのコンプレックスはシャドウを見つけるためのきっかけなんですよ。

本来はシャドウのとこまで見なきゃいけない。

シャドウが見れると、その封印されてた部分を、社会生活の中でいい子ちゃんの顔をするっていう部分で出てきている表面意識の部分、ペルソナも気づいて来るということです。

そこに気づくと、そのペルソナを割れるんですよ。

そこを割らないと統合っていうことにはならないです。



統合っていうのは、いわゆる潜在意識下に封印されてるシャドウ、自分の影の見たくない部分を抱きしめてあげることです。

私は光だけなんだっていうんじゃなくて、影もあるんだって。

で、それで両方を抱きしめて初めてペルソナも割れて次の人間の成長になるし、それの個々人の人間の成長が集まって社会の発展になるって。

だから、ユングは潜在意識の研究してるけど、晩年すごく言ったのは、意識層、表面意識のことです。


表面意識で人間は統合していく、色々考えて見つめて統合していくっていうのがすごく大切なんだよってことを言ってた。

そこまで、この研修は言ってますよ、先生。

そうすると、家庭崩壊も免れることになって、家庭崩壊を免れないと、家庭ユートピアと真逆じゃない。

家庭ユートピを作るための幸福の科学であって、で、たまたま私、この2つの研修の後に、ユートピア活動推進館の、「理想政治の原点」研修 聖徳太子霊支援の研修を、申し込んできたのね、これもユングと対で受けなさいと降りてきたから、もうすぐに受けちゃおうと思って、ちょうどその先祖供養大祭があるから、沖縄正心館の「戦争と平和のための祈り」を毎年受けてるんだけど、それと、先祖供養と愛念供養と生誕館に書いて送って。

先祖供養そのものが家庭因縁でもあるからね、で、それを挟んで、ちょうど、この家庭っていうキーワードで、理想政治の原点という、要は、経典「仏陀再誕」を読めばわかるけど、家庭のユートピアから政治のユートピアなんだよね。

なんか、全部繋がってて、だから、インスピレーションがかなり来てるんだなと思って素直に受けてます。


そういう部分で、2028年、幸福実現党で出馬するっていう話が、本当かどうかわかんないけど、っていう流れにはなってるらしいのね。

政治っていう部分もね、最近、その神詩会のスタッフさんと話しをした時に、要は真・善・美として、美はもちろん大切なんだけど、美が深まっていかないのは、その前の土台の部分、善の部分がはっきりわかってなかったからではないかと、気づき始めたそうなんですね。

善がはっきりわかってないっていうのは、その前の真の部分がわかってなかったからです。

まずは今、最新の先生の伝えたいこととして美の法門があるのでそれを学ぶのは大事ですけど、成功者の村の喩えのように、その前の村の学びを飛ばしてるからわからないこともあるんですよね。

これは気づいた時点で学び直せばいいんです。


真っていうのは、基本的には宗教的な部分です。

ベースとしてね、仏教理論を考えればいい。

で、善っていう部分は、善悪はやっぱり幸福実現党とか、政治思想の部分。それと、経済思想の部分ももちろんあります。

政治思想の部分は、今、先生の東京大学2年生の頃を中心にした原曲とかが出てますよね。

アニバーサリーイヤーの年で。

「風車」とか「小さなメルヘン」とか。これらは高校時代の最後に書いたものだけど、「夜」とか「未来」とか。

で、その流れの中で先生、政治思想も書いてんだよね。


「H・アレントの価値世界について」っていうのはその時に書いたんですよ。

大学の教育学部の時に。色々と童話を書いてるじゃないですか。

梅の精の話しとか、夢の国にてとかいろいろあるじゃないですか。

それと同時に、あの時にちょうど先生は「H・アレントの価値世界について」を書いてて、それが要は政治思想の原点なんですよね。

だから、先生は原曲の原点も書いてる時に、政治の原点も同時に書いてる。

知と美の未来型人間を、大学2年の頃にそこで種まきしちゃってて、だから、本来、2028年に出馬するんだったらばブログにも書いたんだけど、その「H・アレントの価値世界について」を、幸福実現党が党員にレクチャーできるぐらいになってないといけないと思いますよ。

で、しかも、その政治思想を海外に広げたいっていうなら、そうした先生のご意向もありますけど、インドとか、そういうところにも世界同時革命で広げるならば、ハンナ・アレントの講義しなさいよと、それができてないのよね。

だから、流れにほんとに乗るんだったらば、このアニバーサリーイヤーで、もう一方の極として政治思想の原点が説かれてるんで初めてないといけない。


私だけ話してもあれなんで、今回その身体と異性、あんまり精舎カレンダーに載ってなかったから私がオーダーしたんですけど、次の学歴・金銭・家庭崩壊の方が多分わかりやすいとは思います。

今回この2つ受けてどうですか。

気づいたこととか、わかりにくかったこととか。



A やっぱり身体は分かりづらかったよね。

異性のほうは、ほら、みんないろんな経験とかあったりとか、掘り下げたりとかできるけど。



N 経験として、なかなかね、身体っていうのはわかりづらいかも。



A よっぽど、障害があるとか、そうであればだけど、そうでもなければ、だんだん年取っていくと、身体コンプレックスとかあんま関係なくなってるから、若いうちはね、あるけどね。



N だから、一番ここの部分は、霊的に、今世だけじゃなくて、過去世から繋がってるんだよっていうところをポイントとして押さえていないと深めづらいし、どうしてこの身体なんだろうと、考えていけばわかる。

っていうのは、その身体機能っていうのは傾向性が出るから、足が速いとかさ、スポーツ万能だったら、その繋がりがある。

例えば、過去世は狩人だったとか、そういう傾向性っていうのが、この身体機能を引き継ぐんですよ、遺伝的に。

そうすると、自分はこういうことしたのかもしれない、ああしたかもしれないっていうような部分がその成長過程の中に繋がってくるんで、ただ身体がこうだ、ああだっていう風に書き出すだけだとわかんないけど、そこが繋がってくるんだよ。

例えばの例ね。うん。そこがわからないと考えようがないんです。



A なるほど。箱根精舎で山歩きする研修をやってて、あるところに差し掛かったら走り出したくなったことがあったんですよ、突然。

なんでかなと思ってたら、ちょうど職員さんが、ここ、修験者が修行した場所ですって。だから梵字が刻まれてるでしょって。なるほどって、もうその時確信した。修験道やってる。



N そういうのあるよね。



A だから、やっばり筋肉質だったりとかする。



N そういう身体的な傾向として出るんですよ。

だから、本を執筆したりね、書道の書を書いたりなんかする人だったら、内向的で、家にこもったりなんかして、やたらと習字の、こういう墨の字が好きだなとか、そういうね、身体って言ったって、そういう風な心の傾向の部分も含めてだから。

五感作用のことね。

ほんとはそこまで考えなきゃいけないんだけど、だってないでしょ、この中には。

学歴とか、金銭とか、異性とか、そういう家庭崩壊とかの中に、そういう書が好きだなとかね、なんかスポーツが好きだなとかなくて、それはここの身体のところに含まれてるんですよ。

次の学歴の部分に、少し何を学ぶかというところで傾向が含まれているけど、身体の部分からそれを感じていればより深まると思います。

だから、そこの部分が仏教的な要素が含まれていて、仏陀霊指導なのに、根本のところが、多分、最初にソフトを作った人もわかっていないのだろうなっていうのは、もうこれ受ける前に、ここ、身体ってちょっとこれ先天的な意味があるだろうなと思って来てみたんだけど、やっぱりソフトに入ってませんでした。

ほんとはここが肝なんだと思います。



C その資料と解説だけだと、こんなね、先天的なとこまで絶対行かない。



N 行かないでしょうね。実際にこの部分は見つけづらいと思いますよ。



D 自分の過去世のとこがわかるってこと。



N うん。過去世の傾向性を継いでいるっていう身体的な部分と心の部分を含めてですよ。

身体の部分は、心の状態、魂の傾向性が現れるのでそこまでを含めての話しです。



D シャドウとの関係とか。



N それがシャドウになる可能性がある。

シャドウっていうのはもう例えば色々複雑なんだけど、今世1回の部分でのシャドウっていう風に見るとすれば、生まれて成長して、色々作っていく時に社会性が生まれるじゃないですか。

社会的に例えばいい顔しなきゃいけないわけですよ。

なので、それでペルソナを作るわけですよね。

本来はこういう風にしたいのにっていうことが、欲望が果たせない、それやると社会性っていうのが保てないじゃないですか。

そこで、ウッ…て堪えるわけですよね。

それで、止めたものが蓄積されて、シャドウになってるわけですよ。

で、それを堪えて、止めたものを、じゃあ、この上司とかこの人にはこういう顔、同僚の何々ちゃんにはこういう顔して接しないとうまくいかないなっていう社会性の中で仮面を作るんですよ。

それだけでも2つの仮面でしょ。


なので、今世1回にしてみればそうなんだけど、その仮面が、例えば家庭環境の中とか、自分の結婚生活の中とかでも出てくるし、出てくるんだけど、一番もっと原点を今世1回だけで見るならば、最初にオギャーとして生まれた時のこの身体に持っている先天的なもの、ここから始まっています。

過去世の続きね。

例えば体が強かったらさ、喧嘩売られたってさ、なんだこの野郎っていうのができるじゃないですか。

なんか例え悪い(笑)できるけど、虚弱体質だったらば、もうすいません、すいませんっていう、そういう性格になっちゃうでしょ。

その身体っていう部分が、心の傾向性を生んでいくんですよ。

それに気づくために、もう人生修行として組み込まれてるね。

その遺伝的なものが。

例えば、自分がすごく筋骨隆々で恵まれてて、他の人をやっちゃったみたいな部分だと、そういうカルマを解消するために、虚弱体質になってやられるっていうカルマを解消するための体を作るっていうようなこととかもあって、そういうことに、この身体を自分自身で見つめられればね、そういう観点で見つめられれば、霊的な部分がわかるんですよ。

全てこの世に偶然はない、だけどこの世だけだっていうことになっちゃうと、この身体の部分ってわかんないですよ、コンプレックスが。

過去世から持ち越したカルマなり、いい方もね、悪い方もあって今の私っていう存在がおぎゃあとして生まれた。

で、ここからの傾向性が連続している。

その中で、後天的にどういう風に努力しなきゃいけなかったっていう反省ができるわけですよ。

これでわかりますかね、少しは。



A 今、戒としてやってるのがラジオ体操なんです。



N もう修験道みたいな(笑)



A でもそれを選ぶあたりが、そもそも戒として何しようかっていう時に、普通ラジオ体操って選ばない。



N 選ばないね。



A ラジオ体操1、2とみんなの体操。毎朝、もう半年以上やってて、やっぱそういうとこにちらっと出てくる。



N 出てくる、出てくる。

 

だから、人によってそういう風に判断することっていうのは違ってて、それが意外と精神っていうのは体に引きずられてる部分もあるからね。

そういうところを見つめられると、もうちょっと深まって、このコンプレックスとかっていうのがわかってくる。

コンプレックスの下にあるシャドウとかがわかってくる。



D 悪くないシャドウっていうか、過去のシャドウっていっても悪くない方の、なんていうの、過去の自分の蓄積みたいなのもそれでわかるっていうか。



N そうですね、シャドウっていうのは、悪いってわけではなく、抑圧された感情って意味なんですよ、シャドウだから。

だから、悪いって言えば悪いですよ。

要は、果たせなかった自分の願望を抑圧されちゃってる部分がシャドウだったんで、それをずっと抑圧してると悪くなるわけですよ、絶対。

だって、ほんとはこうしたかったのに、ああしたかったのにできないっていう部分、なんでっていう部分を封印してるわけだから。

それがどんどん、どんどん溜まっていくわけですよね。

で、そのシャドウっていうのを一番見つけやすいのは、例えば対人関係の中で、ある人にとっては、この人の行動的なところは悪くないんだけど、私にとっては、この人の行動的なところとかがすごく煙たく感じたりとかっていうのは、自分がそうなりたかったという部分が反応したりするわけですよ。

その反応をよく見なさいっていう風なことは、ユング自身が言ってます。

だから、立ち向かうものの心は鏡なりって唯識の教えの中にあるけど、よく鏡としてこの世の中の現象を見なさい。あとは、人の言葉とかを聞きなさいと言っている。

シャドウっていうのは、基本的にはそういう暴れちゃうようなところだから。

だけど、ユングはそこときちっと対面して見つめなさいって言ってるわけですよ。

要は、抑圧してるって何かっていうと、結局果たせてないわけでしょ。

でも、果たしたいことでしょ。理想でもあるわけですよ。

ある意味、自分がなりたい自分だったりなんかする。

じゃあ、抑圧するんじゃなくて、じゃあどうすればいいのかっていうと、そういう部分の願望があるっていうことをまず認めるんですよ。

受容するって言ってるけど。で、そのためにはどうすればいいのかっていうことを努力していくわけですよ。

で、近づいていくと、そのシャドウがシャドウじゃなくなるわけですよ。

それを統合って言ってるわけですよ。

本来なりたかった自分だから。だから、先生も言ってるけど、嫉妬する人っていうのが自分の理想だったりするっていうのも、それはシャドウが反応してるってことなんですよ。

先生、シャドウって言ってないけど。

 

だから、それを嫉妬しちゃいけませんよって。

そうなるために自分は努力しなさいっていうことをやっていくと、シャドウはどんどん消えていくのね。

で、それを統合して抱きしめたと。要は成長したってことです。

統合っていうのは魂が成長したって意味です。

するとペルソナが、それを隠しているペルソナがパリっと取れるわけですよ。

だって必要ないじゃん。もう理想になっちゃったんだから。



C 仏法真理的に言うと、その魂の糧にするとか、そういうのがそれなんですか。



N そう、魂の糧にするっていうような部分でもあるし、糧というか、もう受容しちゃうの。

そういう自分もいるんだっていうことをまず受け入れてあげないとまずダメで、完全に反対にいるものっていう考え方、光と闇って言っちゃうと、もう完全に真逆だっていう風に考えちゃうかもしれないけど、ユングの言うシャドウっていうのはそうじゃなくて、要は自分の一部なんですよ。

なりたかった自分。じゃあ、なればっていう話なんですよ。



B そのなりたかった自分が自分の欲望を抑えてるとして、その欲望自体が悪い欲望だったりする場合はあるじゃないですか。

悪いから、うん、それはもうやめようとか。うん、それはどうなる。



N 私もね、ユング全部読んでるわけじゃないからわかんないけど、悪い欲望もあるだろうね。



B 善と悪で、善を取って、本当はこれちょっとやりたかったけど、悪いことだからやめようってなった時に、それはどこに行ったのかな。



N ただ、現象っていうのは、この世的には価値中立なんだよね。

その悪い善いっていうのは、社会生活の中でどう発揮したかによって悪っていうのになるっていう部分があるので、抑圧したものっていうのが、目的自体は悪いかもしんないけど、目的変えればいい方向にもなるし。

反対にね、今悪い方って言ってるけど、良い方だって、良い方っていうか、良いも悪いもその根にあっても抑圧してるのは欲望だからね。

シャドウは善悪の価値とは別です。

欲望です。

その欲望の中で、それをどういう風に発揮するのかっていう話なんで、結局、統合って良い方にしか発揮できないようになってるんですよ。

そうしないと統合にならないですよ。


簡単に図にすると、


自我(ペルソナ)ーシャドウが統合されるのは△。

自我(ペルソナ)ーシャドウが衝突するのは▽。

後者はますます底に底に抑圧されているだけです。


※「悪いことだからやめようはどうなるの?」は、ヨガ動画と天台智顗の「止観」を合わせて考えればわかります。

正しく悪を止めていればシャドウになっていません。



B 悪いままだった。



N 破壊になっちゃうものね、だって。

だから、要はこの世の王になって破壊しまくるぞっていう風な部分。

それってじゃあ統合されたのかって。そうじゃなくて、シャドウに呑まれてる。

逆もあるわけです。それのね、これ力関係のバランスがあってね。

で、それのいい例がオタフクですね。しかもたくさんのお面を作っちゃって、願望だらけなわけですよね。



C その願望が結構叶ってますよね。普通だったらその願望叶わないであーってなるのが、全部結構自分の思う通りになってるところがまずいってことですか。



N うん、それもそうだし、叶うっていう部分を仮面とするならみんな叶ってるんですよ。

だってシャドーにはペルソナが絶対ついてるから。

ただ、自分自身のその欲望の種類、量に合わせたペルソナっていうのをみんな人間作ってるんですよ。

そのペルソナをどう扱うかっていう技術的なものっていうのはまた別問題だけど。

だからオタフクはそれがすごい強いんです。


だけど普通の人間は良心があるから、そんな分厚い膠(ニカワ)の仮面をいくつも作れないんですよ。

良心の呵責があるから。普通、こういう極悪な仮面が出ても、これはちょっと違うんじゃないかと止まる。自分の価値基準の中で言い訳をして、ここまではと良心の呵責で思い止まる。

あの男が憎かったからとかっていうのあるかもしれないけど、湧き上がるものはある程度は仕方なくて。

ただ、あの存在は全部を正当化する(笑)

それがベガの怖さ。


ベカって善悪がない。

新しい自分を作るっていうこと自体が存在意義であって、それを正当化しちゃうから。

 

でも、本当の意味で願望は叶ってないですよ。欲しいのは主の愛でそれを独占したいんでしょう。

この世界の存在すべてが主の愛で、分光してるんですから、隣人愛とか思いやりとか、結び付いていく力学に気づかないと叶いません。

すべてが統合して帰一していくしかないですから。



A 本体の星、あるじゃないですか。そこもその傾向。

その、第3がその感じ?



N ベガの第3惑星がそうだっていうか、ベガ自体はもともとその、善悪観念っていうのがあんまないと思うんですよ。

今までのリーディングとか見てるとね、鏡に映せばいいんだからって。

だから、自分が変わるんじゃなくて、相手を変えようっていう考え方の発想に行っちゃった星系なんで、全体的にね。それがいい面もあったけど。

だから、要は、3次元に降りて、いろんな人と接触してるとわかるんですよ、自他の違いが。

だけど、ベガってリーディングを見てる限りでは、ベガ星全般が天国しかないっていう風に錯覚してるところある。

いろんな人との対面がないんだよ。

自分を変えるっていう考え方じゃなくて、相手を変えればいいっていう考え方だから、変わりようがなくなっちゃったんだよね、反対に。自分が変われなくなっちゃったんですよ。

自分がブレたら相手もブレるということね。

ある意味、そういう悲しい星。

プレアデスもそうだし。

プレアデスも、結局、愛とか、美とか、すごいきらびやかな世界だから、そんなシャドウとか、醜いものなんてあっちゃいけないって言って、押し殺しちゃってるから、それがシャドウになってる星。


だから、あんな天使だってリーディングとかで言ってても、リーディングのいくつかにあったよね。

だから、ほら、画皮なんですよ。皮一枚の表面的な美しさ。

自分の自己都合でしか言わないから。

自分たちは天使で、神でね、美しいから。

あとはみな下僕、そういう風になっちゃったんだよね。

結局、片方だけに寄っちゃうと、光であっても成長できなくなると悪くなっちゃう。

だから、光も闇も両方とも見て学んでいかなきゃいけないんだよっていうことは、ほんと、この宇宙の仕組みで、光だけじゃなくて闇の方も見ていって、で、抱きしめていかないと、ベガとかプレアデスみたいに自己都合になっちゃう。

全部でないけど、一部の屈折してしまったベガとプレアデスね。


そういう風に本当はしなきゃいけないんだけど、日本人は特におめでたい種族で、結局光一元で光ばっかりを見るっていうことをやってきちゃったから、地獄なんかないっていう風に言っちゃってるわけでしょ。

でも、実態はもう低位霊界に帰っただけだよという話しになっちゃってるんです。

例として言えば、天理教のおぢばみたいな、おぢばってほんと地場なんで、そこのところに、低位霊界にただ帰るだけっていう、そういう霊界思想になっちゃってるね。

ほとんど浮遊霊と変わんないですよもう。

先生も言ってたじゃないですか。神道は霊界がすごくこの世的だって。

もともとは結構高い思想、高天原とかあった。

でもそれはオタフクが作ったものじゃなくて、ホツマツタエのアマテルが広めたものだよね。

おそらく空海の過去世だと私は思ってるけどね。

でも、オタフクとか、妖怪とかっていうのは、もうこの世とほとんど変わんないですよね霊界価値が。

不死でいたいぐらい、あの人たちはね。

そこの部分がもうわからなくなっちゃってる。

化かせばいいっていう世界になっちゃってる。

でも自分の闇を認めなければ容易にそうなるよね。



E シャドウの統合についてお聞きしたいんですけど、まずはこの自分のシャドウを知って統合することと。

で、そのあと統合すれば、他者のちょっと気に入らないなとか、その心の投影っていうのが起きなくなって、そういう段階が来ます。

その次の段階ってあるんですか。



N 他の嫌いなところがなくなるってことは、この世に生まれる以上あり得ないよ。

ユングも言ってるんですよ、なくならないって。統合して、成長して、また新たな課題として出てくるんです。

だから、先生が「十字架の女」で言ってるみたいに、善悪の中で永遠に学び続ける仕組みを作ったってことを先生最後言ってるけど、そのままそうであって、絶対生きている限りはシャドウってできるんですよ。

だからシャドウ、社会性の中でさ、色んな個性があるわけでしょう。

いろんな個性がね。エニアグラム的には1から9まで個性があるわけですよ。

1から9まで雛形、パターンがあって、その1から9を基軸としながらも、色々複合して、もっと複雑な個性ができてるっていうのがエニアグラムなんだけど、その中のいろんなパターンを全部学んでいくっていうことが人生だってグルジェフが言ってんのね。だから衝突しなさいって言ってるんですよ。

グルジェフのエニアグラムでは、わざと個性と個性の衝突を奨励したんですよ。

 

グルジェフの、そういうワークグループがフランスにあったんだけど、そこで、自給自足生活をしてやってたんだけど、例えば、電話番にした人なんて、すごい口が悪いような偏屈な人をわざわざ採用して、問題を起こさせて衝突させる。

で、その衝突を見たり、どう対処するかっていうことを学ばせるっていうことをわざわざしたっていうのは、いずれは衝突しなきゃいけないものだから。

元々は大宇宙の意識は1つだったものが、わざわざ離れ、分かれたわけですよね。

個性化して、それを最後、いろんな個性を学びつつ統合していくっていうのが神の願いであり、自分たちの成長です。

だから、1のパターンの傾向性があったらば、次は2のパターンを学ばなきゃいけないし、それで気持ちがわかっていくわけです。

だんだんそういう形でシャドウを統合する。

1の傾向性のシャドウを統合したら、次は2の傾向性のシャドウを統合しなきゃいけない。

エニアグラムでは、自分の中の基軸のパターンは生涯一つですけどね。

その生まれ持った先天的なパターンから、他のパターンを統合していく。

統合のことを回帰的進化といいます。

分離のことを進展的退化といいます。

進展的退化として分離した私たちが、回帰的進化として統合していくのが宇宙です。

個性に関しては、先ほどの「身体」でも元々の魂の傾向性を知るということに繋がるし、先生も「モーセ霊訓集」講義で、宇宙のある一点でステンドグラスが割れたように、神の光が分光した時に、既に七色光線の色彩や個性があると言っています。

 

絶対なくならないですよ。で、なくならないことが、結局この世でこういう風にいろんなことを楽しめる仕組みにもなっているわけじゃないですか。

何にもなかったら何も変化ないし、経験もないわけだから、あの世にいるのと同じじゃないですか。

低位霊界の例えば精霊界にずっといて、あ、蝶々が飛んでいる、妖精が飛んでいる。

わーいって言って何も成長がないという世界を先生は望まれてなくって。


 

A ゆり星人みたいに滅ぼされる。


 

N 滅ぼされちゃう。

絶対シャドウはできるんですよ。


 

E 自分の中が統合できても、やっぱり他者がいる限り投影はできると。


 

N そうそうそう、またシャドウができて、またその人に対してペルソナを作るから。

で、じゃあなんでそういう風になってんのかっていうことを学んで、また統合するわけです。

その統合プロセスを何回も繰り返すんですよ。


 

E 自分の中で統合するだけじゃなくて、他者に影響を与えつつ、この善と悪のぶつかり合いで、美に止揚していくために。

だから、その天使になるためには、やっぱり、うん、技術がいるなっていつも思うんです。


 

N 技術とか知恵だよね、知恵は絶対。

愛には絶対知恵が必要で、それはもう、例えばこういう幸福の科学なんかも、私もすごい揉みに揉まれたからね、愛だけでも絶対ダメなの。

絶対知恵がないとダメだっていう風な部分があって、それ先生言ってるもんね。

愛が経験を媒介として本物になっていくっていう部分。

それは、6次元っていうのは知恵の段階だから、知恵をここで学んで、経験を積んで初めて、その愛が本来の輝きを増すっていう部分で、そういう個人自体が霊的に進化していくってことと、そのシャドウの投影っていうのは、ただ、シャドウの投影っていうのも一つの過程だから、宇宙というのは収縮して拡張してっていうのを何度も繰り返していて、個人でも起きてるわけなんで、それをどう理解していくか。


 

E この真・善・美の善の時代が長く続いていて、その間に最低限6次元に上がっていなきゃいけなかったってことですかね。

真・善・美で自分の魂、どのぐらい成長していかなきゃいかなかったのかって思った時に、最低限6次元、人との交渉術だとか、関係構築とかっていう、リーダーになる器作りっていうのを、地獄に落ちながらもやっていくべきだったなってちょっと最近思ってるんですけど。


 

N シャドウの統合っていうのは、さっき言ったみたいに、何度も何度もしなきゃいけないっていうのはあるけど、一つは、シャドウをきちっと統合したっていう時点は、大体菩薩とか天使になってる人たちはそうだろうね。

自分の醜いところとかも、例えばパウロだって、自分が迫害をした側だったのに、その迫害したってことを全部正直に話して、人びとのために救済にあてたわけですよ。

それって、自分の醜い部分を統合したんですよ。

それはだから原曲研修の名古屋の「使徒」、あれはそういう部分があって、イエスの使徒の中ではパウロはちょっと違うんですよね。

ブログのどこかにチラッと書いたと思うけど、あれも説明しないとわからないかも。

それっていうのは、自分自身の醜さも全部回心の中で人びとのために捧げちゃってるっていう風な、ちょっと突き抜けてるんだよね、他の十二弟子とは違って。

そういうとこが繋がってて、あるんだけど、シャドウは一人に一つというわけではないけど、自分自身の一番大きいシャドウを統合するっていうことは、今言ったパウロの回心みたいな形で菩薩になると思います。

もっと上になると、そのシャドウっていうのは、梵天とか如来とかなってくると、もっといっぱいのシャドウを統合していかなきゃいけないのは想像が付きます。

それはそうでしょ。梵天は諸葛亮孔明がそうですけど、あの智略は人間心理を知り尽くしているということですよ。自らの多くの、複数のシャドウを統合していかなければ、他の人の心を知り得ない。

他の中に自分のシャドウは投影されてますからね。

個人的無意識を知り尽くして、集合的無意識に差し掛かってるということです。

如来なんて、文明の柱になるくらいで、それは人類の集合的無意識にタッチしていなければ柱になんかなれませんし、それは主なる神の創造力の一部になっているということです。

 

また、ちょっとペラペラ広がり過ぎたかもですけど、「家庭のコンプレックス」研修①〜⑤で、まだ①と④しか受講してませんけど、これは、研修で語られてない部分の総論になると思います。

 

要は、「身体コンプレックス」は先天的な部分で、過去世から継承されていて、そうした霊性をまず受け入れないと、②〜⑤は深まらないと思いますし、先生はシャドウを見つけるところまで言ってますので、家庭に帰って観察して、日々の反省・瞑想の中で初めて完結する研修だと思います。

仏教的に言えば、煩悩即菩提です。

先生も、唯一良い執着は「理想」と言っています。

これが統合の方向性でしょう。


残りの4つは研修を受講して感じてみてください。



影を売ることの一つの説明は、成長を売る(捨てる)、進化の可能性を売る(捨てる)ということです。

それは、悪魔(裏宇宙)に呑まれたことになります。

影がなくなるのは、影と一体化したからです。

影自身に影はありません。

人生の目的である魂修行を捨てて、この世で生きる意味を見失ったということです。


ほか、せっかくですので、映画「影を売る女」の四つの参考作品。


「影をなくした男」が、真偽とは何か。

「ファウスト」が、善悪とは何か。

「ドリアン・グレイの肖像」が、美醜とは何か。

「アニメ『ピーター・パン』の影」は、「大人になること」やそれに伴う責任への恐れの象徴。

ここは末那識です。


以前、そのように綴りましたが、これは末那識から無垢識に至るまでの同心円の魂構造に対応していると思います。

自我の元となる潜在意識の末那識(本能)→真→善→美と次元は上昇し、魂の中核に導かれていきます。

空海はユングで、唯識派でも生まれていますが、始祖の弥勒でしょう。

先生は、その唯識思想を基軸に「影」とは何かを深く考えさせる構想だったのでは、そう考えます。

しかし、今回は参考霊言を収録していません。

弥勒、空海、ユング、ホツマツタヱも感じるので、まずは、上の四書を読んで考えることをおすすめします。



 

(終わり)


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こちらも参考に。



「ユングとシャドウワーク」と「オリオン大戦と光と闇のフォース」のリンクも大切です。

 

 


グルジェフの「人間機械」の部分は重要です。




映画「二十歳に還りたい。」の、『左右を含めた蔵書が「コンプレックス」』の意味が、今、読み返すと少しわかると思います。




他、おすすめ研修です。

 

・母への反省(エル・カンターレ)は、母というのは心理学的には存在基盤です。

(これは、原曲と公案がセットになった唯一の研修で、長女が楽曲「四国の母-数え90歳を祝して-」を歌えなかったため、学ばせるために特別に降ろされた研修です。お多福問題とも関係しているということです。)

 

・劣等感克服座禅・十則〈支援霊無門慧開〉

(劣等感克服祈願〈支援霊ヘルメス神〉が研修奉納の中に含まれています。)




 

以上です。