以下、最後の追記。


●邪馬台国について。

●神武天皇と崇神天皇の同一説について。

●古事記に沿った阿波の神社造営について。

●エデンの蛇と千年王国。(歌を嫌がる理由)

●ホツマツタヱの裏読みも必要。逆に映す鏡の法は至るところに。古事記の洗脳は強い。

●ヲシテ文字の古文献はダブルミーニング。立体的な文章故に、先生は楽曲の歌詞にその手法を取り入れて、読み解きの準備をさせていた。

●日月神示の五つの岩戸について。

●ノストラダムスと変人、物事の裏表。

●金剛蔵王大権現と2つの機能。

●AI監視社会と反キリスト。

●「疑」と「悪見」の反省とネットワークビジネス。

●Leftoverを(一部)読み解く。


別の記事『エデンと始まりの愛』に「千恵子さんのアナグラム」「祇園祭り」「夢の国にて」「知と美と医療、ナイチンゲール」など。追記1〜9。(タイトルを検索)

原曲研修「小さなメルヘン」は、新しい試みとして自主的に絵本持参をお薦めします。

アニバーサリーイヤーのご生誕祭に、芸能系エル・カンターレ祈願を受けることをおすすめします。経文には、「あなたの創造の光、美のインスピレーションと善悪を分ける智慧をお与えください」とあります。知と美です。


別の記事『魔境に陥るポイントは第三チャクラ』(『天地人と真善美聖』も参考に)にあるように、バクティヨーガ(信愛のヨガ)と「神の歌を歌うこと」はイコールです。バクティとは、最高神への絶対的帰依、祈るということです。


●別の記事『二河白道と映画から見る神仕組み』に、映画に隠されたアダムとイヴ、持統天皇と藤原不比等などを追記。


●別の記事『阿波雑感まとめ』にQ&Aを追記。


仏言を基軸に、これらの実践も意識していけば、これから先も、すべきことに困ることはないでしょう。

上げて来た参考書籍だけでも、深めていくには、私も含めてですが10年はかかるはずです。

イエスの霊言説法に説かれたように、すべての人に試しは来ています。

己心の魔に勝利出来ますようお祈りします。


すべては「未来型人間」を目指していること、それは「マカバ」を目指す道でもあること、これを知って、実践すればよいと思います。

これまでにそれを綴ってあります。


あとですね、原曲研修に参加して参究している方、特に法談を重ねている方は、見えなかった主の世界が、以前と比べてぐんと見えるようになっていると思います。

自信を持った方がいいですよ。



以上です。



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経済成長率が神の代わりで、共産主義の後ろ盾であった中国。

軍事的優位が神の代わりで、自由主義の後ろ盾であった米国。

このどちらも瓦解していくシナリオになって来ています。

これはどちらも字義通りのイデオロギーではなく、看板だけになっていて、世界から真なる民主主義もなくなっているということです。

主の計画された徳治主義的民主主義や理念経済へと向かう流れではあるのですが、同時に、地獄の法に説かれたように混迷を極めるでしょうね。

トランプも2面性があることは、「小説『十字架の女③』雑感」に綴ってあります。

このあたりが、「H・アレントの『価値世界』について」と繋がっていて、Leftoverの頃の主のもう一つの思想の源流と関係しています。

なぜ、それが必要だったのかということです。

ちなみに、主はアレントの誤りも鋭く指摘していますので、その部分が重要ということになります。


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※日光精舎では、4月から「精神の自立」巡礼が始まります。詳細はカレンダーにて。


地図では、茶ノ木平展望所という場所がありますが、おそらく先生の言っている茶ノ木平の展望台は、かつて、中禅寺温泉ロープウェイの茶ノ木平駅のあったところです。(廃線)

丸太に名前を刻んだ観瀑台は、「明智平方面に山の尾根道を歩いて13分」とあります。

茶ノ木平駅と明智平展望台駅の登山道の間です。

短編「日光の旅」のこの日は1977年10月6日で、「十年の後」は、幸福の科学立宗のことです。

Leftoverに繋がっています。


◆観瀑台は真ん中の黄色の印と思います。

http://www.rioestrella.com/rio-ojisan/tyanokidaira.htm

◆今は丸太は無いようですが、先生が永遠性を見つめた場所です。

https://www.nekomimizukin.com/2022/05/chanokidaira01/


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2022.5.7の記事。



ギリシャの失われた教育の部分。シオニストが奪っているので取り戻すことが重要です。天文、音楽、幾何学、数学。

童謡や絵本、アニメに左翼の毒が流れている。だから先生は楽曲、童話を出しました。

子どもたちと、それを読み聞かせる親も毒されているから。子どもの時にみんな聞いているから。


左翼思想の毒と、音楽、絵本によるクリーニング。 

童謡で左翼と聞いて、一番に思い浮かんだのがシャボン玉。

儚く消える命を歌ったとも言われてますけど、野口雨情の詩はどこか冷めていて唯物的です。 

七つの子、赤い靴、青い眼の人形など。調べたら社会主義詩人として出発してます。


野口雨情は1882年-1945年没。日本社会党が結成された年で、初代の片山哲はキリスト教社会主義とマルクス主義者と癒合しようとして、後にマルクス主義に収斂されてしまった。

思想の軸がなく揺れる混迷期の童謡作家と言えます。

優しさの行き場のない自身のもどかしさ、表現。 


北原白秋は1885年-1942年没。ゆりかごのうた、からたちの花など、希望がある印象。

全部は見てませんけど。愛国歌なども作ってますので右翼系です。 


野口雨情は楠木正成の実弟の末裔で祖先は物部氏です。 

物部氏は古代日本を一時期平定しましたが、後に朝廷から追われて滅びて怨霊となった「もののけ」の語源となったとされる一族です。

赤い靴がソ連の赤を指していたり、彼の詩からは妬みと怨念が籠ってる様に感じますけど、霊的にここも影響してるのでしょうね。 


童話。本当は怖いグリム童話という本が以前ベストセラーになりましたけど、魔女と残忍性が特徴です。 


ディズニーはグリム童話をアレンジして現代に復活させましたけど、ウォルトはフリーメーソンで作中にその象徴が散りばめられているのは有名です。

うまくエネルギー変換出来たところもあるし、そうでないところもあるし。

ルーカスフィルム買収したあたりから中国の影響は受けてるでしょうね。 


霊的自己からの救済。 同じ土台に立ち、悩みの渦に巻き込まれるのでなく、自身が理想に突き抜けて引っ張り上げ、仏性に共鳴させること。

次元降下すると地獄の共鳴になってしまいますから。

それで転がり落ちる人は自由意思ですが、自身が突き抜けることでその事象も観世音菩薩となり、迴向出来ます。 


霊的自己を妨げるもの。 ハワイの思想から。


その理想と理想に到るための手段はアウマクア(ハイアーセルフ。高次な自己。まだ地上に出たことのない意識)はすべて知っています。 

妨げになっているウニヒピリ(自我。インナーチャイルド)を癒やす、調和させることがすべきことの様です。

ここが浄化されないと高次な意識には届きません。 

最上部には無限とも称される「エル・カンターレ」が在る。 



課題は一定期間考えたら、あとは手放しハイアーセルフに上げる。答えや、すべき一手は降りて来る。

この課題にいつまでもしがみついてしまうのも違うと。


結局、自分。 


ウニヒピリへの癒やし。

これは仏陀再誕の草笛の音の異国の大男のことです。

音楽で穏やかになりましたけど、高次の自己に繋がるための音楽、童話です。


童話の中の絵も、配色、構図などを一枚一枚先生が指示して直しています。 

主の目に映る世界はこうなのかとわかるようにしているのです。



童話のひとつの例です。


童話「小さなメルヘン」。

主人公がイメージを浮かべるシーンでは、校正前のものは、ポンポンとひとつずつシャボン玉のように浮かぶイメージに繋がりがまったく感じられませんでした。 

イメージのひとつの蛙の絵も小さく片隅に浮かんでいました。 


先生が直した後は、浮かんでいるイメージすべてが彗星の尾のように繋がって描かれていました。 

蛙の絵も対等に浮かんでいました。 

生命に大小はないこと。すべては繋がっていること。縁起で見えてるのだなと分かります。 


これは昼夜の描写や、空の色彩のグラデーションなども変わっています。 

昼夜ではなく陰陽の印象に、そして、霊界の空の色彩になっていると私は感じました。


童話の絵を見るだけでも価値があります。 そして、眺めていると心洗われて来ます。不思議です。


左翼のすすで汚れたウニヒピリをクリーニングし、感性から悟性へ通りやすくする。

この大男は仏陀再誕講義から推測すると未那識のことですけど、表現の違いでインナーチャイルド、自我の元になっている意識です。 


古代ギリシャでは音楽が感情を動かすことを知っていて、アリストテレスもこれが感情に届く唯一のものと言っています。



◆宇宙では、音楽と幾何学(数学)が共通言語という。 


古代ギリシャでは、天文・音楽・幾何・算術・弁証法・修辞学・文法の自由七科があった。

それらを統治するものとしての哲学とその上にある神学。 

そうした教育を受けた者は人種は関係なくギリシャ人(ヘレネス)と呼び、その他の者をバルバロイ(野蛮人)と呼んだ。 

現代のシステムは果たして進化しているのだろうか。 

音楽や幾何学からなる神秘を一部の超富裕層が独占し、御しやすい世の中に変えてしまった。 

結果、理性と感情が分断されコンフリクトが激しくなっている。 

感情は多様性の根源でもあるのにその多様性を壊しかねない脆さもある。 


何が美しいかから始めよう。




◆ハワイの思想、ホ・オポノポノについて。 


正しく解釈出来るように、伝統的な方法と比較した知識を少し提供しておきます。 

この教えは様々なスピリチュアルへの架橋として知っておくとためになるでしょう。 


ウハネ(顕在意識)、ウニヒピリ(潜在意識)、アウマクア(超意識)、無限(創造主。"カイ"という)の霊的な仕組みは、仏教でも心理学でもスピリチュアルでもその通り対応しています。 

高次な意識への妨げとしてウニヒピリの調和が必要なのも間違いないでしょう。 


ただ、モナ女史が開発したセルフ・アイディンティティ・スルー・ホ・オポノポノ(SITH)の四つの言葉、ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛してます、をただ繰り返せば浄化されるという現代の風潮は、モナ女史自身が晩年警鐘を鳴らしています。 これが正しく伝わっていません。 

ハワイのフナの思想を知らなければネガティブなプログラミングをしてしまう。 


モナ女史は、幸福の科学の霊査による魔術師マーリンでもあるエドガー・ケイシーからも学んだ方です。 

モーナの母、リリアはハワイ王朝最後のカフナとして、王朝最後の女王、リリ・ウオカイラニとともに最後までハワイの伝統医療を継承した歴史に残るヒーラーでした。 


「クリーニングして、消去して、消去する。そして、自分自身のシャングリラを見つけなさい。 どこに? あなた自身の内に」 モーナ・シメオナ

不思議とシャングリラという言葉も出て来ます。 


古代ハワイアンのホ・オポノポノとSITHと、四つの言葉の違いは以下の方が参考となって、何を意図していたのかわかると思います。 

元々は個人でなく家族や村の加害者、被害者を中心にグループで行ったもので、創造主の光の下でわだかまりを解き、アロハ(愛と調和)に昇華する修法でした。 


古代ハワイアンが本当に伝えたかったホオポノポノの隠された真実

https://yuki-hevenly.hatenablog.com/entry/2018/11/29/131520


ホ・オポノポノの本当の意味 

https://ascension-poem.com/spiritual/hooponopono-hawai


※モナ女史の四つの言葉もキリスト教的色彩はあるものの、本質的には感謝、反省、与える愛に対応しています。 

ただ、「唱えるだけ」では、ごめんなさいと許してください、が実践者の心の状態、言葉の認識においてはネガティブを刻み込んでしまうこともあります。 


スピリチュアル系(宇宙系も含む)の中には、インスタントを求める心をくすぐられることもよくあることです。 

わかりやすい"シンプル"や、洗練された"エレガント"は良いのですが、インスタントを求める心の中にフェイクがないか、点検は必要だと思います。


最後は「愛」がすべてを照らし、進むべき道を示すでしょう。




【追記】


●2026.3.7。FBの方で「壱与は、朝鮮と出雲に挟撃されて没した」と書いているのを見かけましたが、霊言では、"挟撃"とは言っていないと思うので、一参考に。



◆会内経典「卑弥呼の真実」より


・邪馬台国は攻め滅ぼされて、卑弥呼も早く死んだように思われているが、卑弥呼と壱与は両者共に長生きをしている。

・邪馬台国は簡単に滅びていない。(百年を越えて存在していた)


→上記は、先生のリーディングです。



◆経典「女性リーダー入門」より


・出雲は朝鮮半島とのパイプも強く様々な武器が入っていた。

・出雲地方との戦いが大きな課題だった。

・朝鮮半島からも攻めて来るものがあった。

・壱与は出雲の豪族との戦いで没した。

・邪馬台国の末流にあたる勢力が出雲を破り、近畿に大和朝廷をつくった。

(神武天皇の時代にと言っているのみで、神武天皇そのものとは言っていない。ここは精査が必要と思う)


→上記は、邪馬台国九州説に基づいての卑弥呼の霊言です。

この「出雲」を徳島沿岸部の阿波出雲と解釈して、挟撃されたと言ってるのでしょうけど、他の霊言と合わせて、島根の出雲のことだと思います。



◆経典「卑弥呼の幸福論」より


・「(女性リーダー入門を)収録したとき、私の頭のなかに入っていたものがそうなのでしょう」

「(卑弥呼は)具体的な〝歴史カレンダー〟を見て言っているとも思えないので、それほど慎重に考えてのものではないのかもしれません。」


→ここで少し修正が入り始めています。



考察として。


邪馬台国は魏志倭人伝に記された行程と、唯一の水銀朱採掘跡から見ると、阿波にあったと思われます。

ただし、阿波の邪馬台国は連合国で、瀬戸内海沿いに九州の東側、中国地方の南側、紀州は別の勢力があったと思いますが、阿波だけでないのは中国からの行程を見てもわかります。

阿波では、大宜都比売は三重の伊勢から馬に乗って来て、粟をもたらしたと伝わっていますので、この伊勢はホツマツタヱのアマテルの都のあった場所です。

元々は、奈良を越えて、三重の方まで交流はあったと見るのが自然です。


魏志倭人伝では、卑弥呼は八十歳手前で亡くなっていることになっており、壱与については継承後は明記されていません。

しかし先生が、「両者、長生きして邪馬台国は100年はあった」とされるのは、九州・邪馬台国説とここでリンクしていると私は思っています。


宇佐神宮の二之御殿には石棺があり、他の一之御殿と三之御殿と少しズレているのですが、口伝で位置を動かしてはならないとされています。

この二之御殿が壱与ではないかと感じるんですね。

これは宇高美佐のもう一つの隠されたものが、「高美な宇佐」なのではないかということです。

壱与が出雲との戦いで没したとするからには、出雲にほど近い九州にいたと思われます。

また、古くは、なぜか、宇佐神宮の方が伊勢神宮より格式が上です。

霊性が高かったということで、その理由が鬼道にあったのでしょう。

後世の、「道鏡を皇位につけるべし」との神託事件の時も天皇は宇佐神宮に判断を仰いでいます。

この宇佐神宮の元宮は阿波の神山町にあります。


おそらく、卑弥呼から壱与に継承した時に、対朝鮮・中国対策のために活動の軸を四国から九州に移しています。

劉備玄徳が223年没、中国を三国志で割り、日本への侵略を遅らせました。

卑弥呼が248年没、壱与は出生のみわかっていて235年生まれです。

劉備玄徳の直後の壱与としての転生ですので、対朝鮮・中国を意識しての統一国家を進めているはずです。




●その後、崇神天皇の別名(こちらが本当の御名でしょう)を御間城天皇(みまきてんのう)といいますが、これは四国の美馬市の美馬のことです。

美馬に天皇という地名も残っています。

四国の方は、こちらに継承され、渡来人との融和政策を進めたと思います。


また、阿波風土記にいうように、「天富命は、崇神天皇の第二王子なり」が本当だとすれば、天富命は神武天皇の側近ですので、「卑弥呼の時代の後に神武天皇」とする仏言と合わせて、御間城天皇と神武天皇は同時代ということになります。

さらに、八倉比売の子どもの天日鷲翔矢命が神武天皇を先導した八咫烏とされていますので、八倉比売と神武天皇も同時代ということになります。

家系図によって、名前や、或いは、当て字とする漢字を変えているためにわからなくなっているわけです。

これも意図的にしているでしょう。


崇神天皇と神武天皇の同一説は根強いですが、別の存在です。

先生が宮崎に行った時に崇神天皇が現れて、別ですと言っています。

崇神のことを『日本書紀』は「御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)」、『古事記』は「所知初國御真木天皇(ハツクニシラシシミマキノスメラミコト)」と記しています。

つまり、『記紀』が揃って崇神のことを「初めて国を治めた天皇」だと伝えていることになります。

逆に、神武に対しては『日本書紀』のみが始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)としています。


崇神天皇:「御肇国天皇」=国を自ら肇めた天皇

神武天皇:「始馭天下之天皇」=初めて天下を治めた天皇


神武天皇は国見をして、「あきつ(トンボ)のとなめ(交尾)の如くあるかな」と詠んでいます。

これは善入寺島でしょう。

沖縄方面で生まれ、当時、沖縄と四国は交流があったので四国と行き来をし、四国を経て、奈良入りしていると思います。

ここは、第四の岩戸閉じに関係している部分でしょう。


神道系の霊言は、どの時代のことを想定して述べているのか錯綜していますので、相応の分別が必要です。


・縄文時代 ホツマツタヱの大和の民

・弥生時代 卑弥呼による大和の民とユダヤ渡来人による対立、融和による混迷期

・古墳時代 天照女神(八倉比売)と神武天皇と朝鮮渡来人との対立、融和


あくまで一参考ですが、上記の気になる箇所を各々で探究するとヒントになると思います。

先生の言う「ホツマツタヱの編纂された2世紀」と、卑弥呼の時代は重なるという点は重要でしょう。




●「古事記に沿って、阿波の神社、史跡を造営した」について。

徳島県那賀郡那賀町に蛭子神社があります。

ホツマツタヱの神社散策をして来ましたが、神戸のヒヨルコ(蛭子、えびす)、ヒルコ(和歌姫)の神社を参拝して、この徳島の蛭子神社も阿波忌部による古事記に沿った造営だったと思われます。

高越山をイザナミの黄泉の国とし、蛭子神社を合わせると見えて来るのではないでしょうか。
阿波忌部の祖である天日鷲命のご苦労、また、錯綜も感じます。

この混迷、つまり、大和の民と阿波忌部(ユダヤ由来の民)の収拾をしたのが、神武天皇です。

ただ、ホツマツタヱの男神であったアマテルを隠し、天照女神を立てたというその手法については功罪あると思われます。


古事記のオノゴロ島は阿波三山の一つ、日峰山ではないかという考察があります。

この考え方もとても大切と思います。
弥生時代の前期は、縄文海進の影響で眉山などは島でした。

『仁徳天皇が淡道島の高台に行幸された際、そこで詠まれた歌の内容に注目してみましょう。

仁徳天皇は淡路島の高台に来られた際、「遙望」というお言葉をもって遥か遠くに見える島々の景色をお詠みになられました。

原文では、「和賀久美礼婆 阿波志麻 淤能碁呂志摩  阿遅麻佐能 志麻母美由 佐気都志麻美由」と記載され、その読みを現代の書き方に直すと、「我が国見れば 淡島 オノゴロ島、檳榔(アジマサ)島も見ゆ 離つ(さけつ)島見ゆ」、となります。』



仁徳天皇が眺めた4つの島(以下サイト様より)


→ レイラインが示唆するオノゴロ島の場所



伊邪那岐が禊をした(と古事記創作された)「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」は、徳島県阿南市の橘湾と思われます。





上記、①、②、③と淡島仮説はありますが、時代によって、地域によって、国生みの伝承は変わってきたのでしょう。

②の橘湾の青島に淡島神社の鳥居のみあることから、阿波忌部の取り組みという前提ですが、④として、津峯山を当初、淡島としていた可能性もあります。

(確か、地震により沖にあった島が沈んで無くなったというのもあったかと思うのでその島を淡島と仮定したことも考えられます。青島が「あわしま」だったとする説もあります)

これらの配置から見て、持統天皇と藤原不比等が古事記の創作をするより以前から、阿波忌部によって、ホツマツタヱを阿波発祥とする取り組みは既に始まっていたと思われます。

(ですので、蛭子神社にそば近い、太龍寺の空海著とされる太龍寺縁起もその影響があるはずです。偽書ともされていますが、空海が語ったことを土台として、後世、加筆、編集されているように感じます)

これらは、良く言えば、日本の民族統一のためです。

それまで口伝として伝承されていたホツマツタヱの成立が、二世紀ごろと先生も言っていますので、倭国大乱の時期に、混迷していた様子が伺えます。
どちらにしても、ホツマツタヱは全国に展開した物語ですので、古事記は、それを元にして、徳島にぎゅっと詰め込んだ創作歴史で、それに沿った神社造営でしょう。



*・。*・。*・。*・。*・。*・。


ちなみに、この時期、東北にも王朝はあって、その勢力は強大でした。

神武天皇から源頼朝までこの東北を意識して国家運営をしていましたので、それは事実で、ここは日月神示にいう、第三の岩戸閉じと繋がっているでしょう。

沖縄との交易による邪馬台国の多数の侍女、これは巫女修行に来ていたということと、東北勢力との関係、これらの視点を入れないと、阿波史は狭くなって見えて来ないと思います。

阿波だけで完結しようとするとわからなくなります。


忌部家系図(複数あり、その内の一つ)では、八倉比売の夫は天背男命(天香香背男命)で、東北から関東までを治めていた強大な一族の名です。

この名前が家系図にあるということは政略結婚で、八倉比売は正后ということになっていますが、力関係からして本当は側室でしょう。

(ただ、本当に婚姻関係にあるかすら怪しく、妖怪のやることは恥知らずな嘘つきですので、家系の捏造などは当たり前にします。婚姻のメリットはあります。それは水銀朱です。)


真偽は置いておいても、家系図では、その夫である天香香背男命から香香(輝きという意味)を消して記されていて、それを印象付けています。

また、天背男命は天石門別と同一とされていることからも、これは呪詛です。


この天香香背男命は、まだ確証のエビデンスはありませんが、スサノオ(古事記の偽物のスサノオではなく、ホツマツタヱの真正スサノオ)の子孫である可能性が高いです。

これが日月神示の第三の岩戸閉じだと思われます。

記紀で悪神として北に封印したわけです。

ホツマツタヱでは、スサノオの子どもの大己貴命は出雲から青森に国替えされています。

これからホツマツタヱのスサノオの神社参拝をしますので、このあたり、はっきり見えるでしょう。


江戸の東閻魔大王様が言っているように、


「いやあ、それは、その霊地に行かなかったらコンタクトはでけんのじゃ。縁もなく来ることはない。縁が必要なの。何かの縁は要るんじゃ。」


「おまえ、やっぱりな、宗教家なんやからさあ、一万円ぐらい投げ込めよ、人前で堂々と。」


ということですので、ご縁が欲しいホツマツタヱの神々には、これを素直に信じて、実践して回っています。

何事も覚悟、潔さが大切でしょう。

(ただし、経済的に安定していないのに、真似をすることのないようにお願いします)



これで、簡単ではありますが、日月神示の岩戸閉じの1〜5までの核の部分は、散らばっていますが綴ったかと思います。




●五つの岩戸閉め、開きを簡単に言うと、


前提として、これは、ユダヤ渡来の民により、大和の民の真なる歴史(ホツマツタヱ)が隠されたことを言っています。

それが五つの岩戸閉じです。




岩戸閉め

1 回目:伊邪那岐、伊邪那美の時

2 回目:天照女神の時

3 回目:須佐之男の時

4 回目:神武天皇の時

5 回目:仏魔の時


「同じ名の神 二柱あるのざぞ。」と日月神示にあるように、これは大和の民のホツマツタヱの神々(縄文時代)ではなく、ユダヤ渡来の民による古事記の神々(弥生時代以降)で、大和の民とは別の神々です。

(古事記は、後世の渡来民が、ホツマツタヱの神名に当てはめた捏造歴史)

(ただし、火水伝文には、神武天皇だけは真釣り(大和の民)の霊統と記されています)


5回目の岩戸閉じの仏魔とは、パピヤスマーラです。

パピヤスマーラは第六天魔王です。

第六天魔王は天照女神=阿波の八倉比売=お多福です。

霊体は同一でしょう。


ひとつだけ、これを参考にまずは考えてみると良いです。


天照大御神と第六天魔王との盟約説




この仏魔であるお多福が、1回目〜5回目の岩戸閉じすべての背後にあって影響を及ぼしています。

そして、日本は物質偏重の世になったということを神示は教えています。

霊性=ホツマツタヱ=天御祖神を隠したということです。



1回目の岩戸閉じは… 先に少し書きました。



3つの神示(日月神示、火水伝文、トドメノフミ)に記されていることで、最も大事なことは、『ユダヤの民と大和の民と手を携えよ』ということです。


それが神仕組みで、「残る一厘は悪の中に隠してあるぞ」も上の通りで、これは、私たちの中にもある天狗・妖怪性のことです。

また、「ウタで岩戸開けるぞ」は、ウタ=神は詩う=エル・カンターレによる、美の法門のイノベーションのことです。

これにより日本国も人体もマカバとなります。


なぜ、神示ははっきりと明かせなかったのかは、幸福の科学というカルマの回収が予定されていたからです。

これは、トドメノフミを見れば明らかで、あれは幸福の科学のことを言っていて、信者さんでないと意味がわからないでしょう。


読み解いた一部は、散らばらして綴ってはありますが、それは、あまり具体的にするのも微妙ですのでわざとしています。

まだ控えたいと思うので、個人で参考にする分にまとめるのは良いですが、勝手にそれをFBなどで解説するのはご法度でお願いします。


五つの岩戸閉じ、開きと、天御祖神の大岩戸開きは、きっかけを感じれば、そのうちに開示すると思います。(ただ、その時は先に進むでしょうね)


※ここに綴った日月神示の五つの岩戸閉め、開きの読み解きは、原曲研修を通した、私個人の気付きです。

この神示は、明らかに、幸福の科学が鍵となっているため、ここまでシンプルに言い切っている方は今のところいないと思われます。



*・。*・。*・。*・。*・。*・。


これから、世界は千年王国へと進みます。


妖怪「お多福」の霊言


◆『二十二世紀の君』をいやがる。おたふくにとって呪いの歌。歌自体が(おたふくにとって)呪い、祟りの歌。


楽曲『二十二世紀の君』は千年王国のことと思います。


それを、なぜ嫌がるのか。


千年王国とは、エデンの園の復活だからです。

映画「二十歳に還りたい。」で、「長女はウワバミ(大酒呑み)だから」と一徳は回想しています。

これは、エデンの蛇であることを明かしたのでしょう。

下降した物質偏重の世界が、霊性のエデンへと復活するのは、居場所のなくなることであり、蛇にとっては呪いです。

ですから、イナンナ(=別名をエデンの女主人)という意味のシュメールの存在も同一霊体と思います。




●初代・大物主はホツマツタヱのスサノオ(古事記のではない)の息子の大己貴命です。


香川県の金刀毘羅宮は、社記で大物主が開いたと伝えられています。

ここはホツマツタヱの時代の阿波宮とされる説が濃厚で、スサノオの子孫のクシミカタマがホツマツタヱの天と地の巻までを編纂し、治めていたところです。

おそらく、クシミカタマは何代か後の大物主なのでしょう。

ホツマツタヱの編纂は、この方が最初ですので、天命を受けて、真摯に口伝と霊感でまとめたと思います。


その後にオオタタネコが人の巻を編纂し景行天皇に奉納したとホツマツタヱの冒頭文に記されていますが、景行天皇と倭姫はきょうだいですので、この時に、月読命の記述を中心に、一部、削除、改ざんされていると思われます。

オオタタネコ自身が、言い訳がましい冒頭文を記しているからです。

後世に汚辱を残すことにもなりますので、葛藤もあったのかもしれませんね。


女神アルテミスリーディングでは、「持統天皇の頃に近い、天照を立てる勢力と(転生した月読は)対立した。(その時に)日本の月読の記述が削られた。」とあって、その後、平安時代の竹取物語が普及されるまで、月読神社は全国にあったと語っています。


ヲシテ文献の「フトマニ」は吉備真備が加筆していることからも、ホツマツタヱも、オオタタネコ以降、何度か編纂されているでしょう。



ホツマツタヱの真正スサノオに関しては、NAVI彦さんの「ホツマツタヱの裏読み」も参考になると思います。

裏読みとは、ヲシテ文章の別の読み取り方、別の解釈のことです。

日月神示でも、

「荒ぶる神なりと申して伝えているなれど、荒ぶる神とは粗暴な神ではないぞ、暴れ廻り、壊し廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ。」

とありますので、すべてその通りとは思いませんが、私たちは、「古事記」による洗脳により、古事記を基軸にホツマツタヱも同じ内容と解釈していると思います。

しかし、そうとは限りません。


ホツマツタヱに使われたヲシテ文字は、ダブルミーニングになっていて、日本語の元はそうした複数の意味を含ませる、立体的な文章になっています。

このために、先生は楽曲の歌詞に途中からこの手法を取り入れて、信者に真実の世界をヲシテ文字から読み取る準備をさせていたのだと思います。

美の法門を通して、なぜか、阿波史の真実なども楽曲に含まれていましたので、その意味がヲシテ文字にあったことがわかりました。

これは、おそらく美の法門を深めている方が少ないために、気付くことに時間がかかるでしょうが、とても重要な観点です。

美の法門とホツマツタヱ、そして、阿波史や3つの神示が繋がっているのです。


また、古事記から、風習から、作法から、「現代の日本」は、逆に映す鏡の法が至るところに使われています。

記紀以降、洗脳されているということです。

この洗脳呪力はとても強力です。

ですので、「ここはお多福のパラレルワールド」と、以前、綴りましたが比喩ではなく文字通りです。



上記、「それはちょっと違うと思うよ」として、合間につらつら綴ったことですが参考になるでしょう。

以降、私はFBもXもログアウトして見ませんのでご了承ください。




●神詩会のメンバーさんの、ノストラダムスの考察が鋭いと思います。


友達ではない関係

変人

ヨーロッパの仙人

洞庭湖畔に

↑関連 格はいく①24と184


……やはり関係ありそうな気が。


というコメントを見かけました。



少し綴ると、


「友達じゃないですよねえ。友達じゃなくて、うーん……、大川隆法さんから見りゃあ〝変人〟でしょうよ。 まあ、ある種の〝ヨーロッパの仙人〟みたいなもんかもしれませんね、ええ。」


「だから、「二十一世紀から二十二世紀以降の人類があるかどうかを語る」っていうことだよな?これは、朝〝ボケてる〟状況だな。もう早くも予言が〝ボケはじめて〟る。よくないね。」(ノストラダムス 22世紀への道を語る)2021.12.24 収録


「『妻は恋人』と書いたつもりが『変人』と 吾れしばし ボケたふりをする」格はいく① 24番 2021.10.7



となると、ドラゴン・ハートの主人公は、黙示録のヨハネとノストラダムスという、もっと恐ろしいことが隠されてることになるかもですね。


また、希望としての逆の意味も隠されているでしょう。

阿難とマハーパジャパティで、「女性の悟り」への道が開けたということにもなります。

それは、ヤショーダラーの出家でもあり、お多福の回心の可能性という意味です。


この様に、物事は裏表があります。

「変人」という言葉も、創造の法を読めばわかりますが、新境地を開く褒め言葉にもなります。



「(先生の言葉として霊言の冒頭に)今日は「二十二世紀」に限らせていただくことにします。」(ノストラダムス 22世紀への道を語る)


これは、「二十二世紀の君」の逆バージョンですね。


その後に、含みを持たせて先生が語っていることもよく考えた方がいいと思うのですが、大方の人はスルーしてしまうでしょう。


小説の対談の中でと思いますが、「(弟子が動かずに)このまま私が小説を書き続けたら教団は半年で傾く。三年で潰れる。」と言っています。

かつて、学習塾の太陽学園に先生が瞬時に出した経営診断は正確でしたので、気を引き締めないといけないと思います。

おそらく、その部分は、いつものように削除されているかもしれませんね。

そして、誰も考えないまま、同じことをぐるぐると繰り返します。

ただ、今までは、主なる神がリカバリーしてくださっていたので繰り返せましたが、もうその思考のぐるぐるが許されるほど甘くない世界となって来ています。

これと、転生輪廻システムが止まるのは同じ意味を持っているでしょう。


やはり、2112年なんですよね。

(この2112年は、「最後の日本人」から逆算した年代と合致することは、「インド御巡錫の仏言 〜創造主自身が「美」を求めている〜」に綴ってあります。)




格はいくから、他のことからそこまで証拠が揃うとそうでしょうね。


原曲の参究が進めば、もっと色々な気付きが増えるでしょう。

良い方の気付きや、共時性も出て来て、世界線を変えられると思います。


「ウタ」の力で。


そうなることを願います。




●蔵王権現がマイトレーヤーそのものと誤解している方もいるようですが、私が言っているのはこういうことです。


蔵王権現(別名:金剛蔵王大権現、または、金剛胎蔵王如来)は、エル・カンターレの一側面だと思います。

金剛界は「智慧」、胎蔵界は「慈悲」を象徴しています。

両界曼荼羅の王なので、大日如来の裏の顔でしょう。

マイトレーヤーとは慈悲という意味ですので、その鍵の一つを持っているのかもしれません。


蔵王権現は、役小角が金峯山に千日修行に入り感得した権現仏ですが、権現とは権(仮り)に現われるという意味です。

この深い深い瞑想の中に、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩と順に現れましたが、末法の世を救うのに優しい仏の姿では救いきれないと更に瞑想を深め、現れたのが金剛蔵王大権現です。

それぞれ、釈迦如来(過去)、千手観音(現在)、弥勒菩薩(未来)を表しています。

三世の王ですので、エル・カンターレです。


マイトレーヤーは胎蔵界の機能の一部だと思いますし、もしかしたらですが、金剛界の機能の一部がマヌなのかもしれません。

インドの2つの神話が混雑したと思いますが、一説では、閻魔様の元となったヤマとマヌは兄弟ともされます。

このヤマがマイトレーヤーの一側面で、蔵王権現は更にその奥の存在で別でしょう。

ドラゴン・ハートの主人公の二人に隠されたものは、両界曼荼羅ではないかと感じているということです。


須弥山を囲む山を鉄囲山、または、金剛山と言います。

この金剛山が在る故に、世界は境界が定められ、宇宙構造は維持されています。

須弥山の地下のなかの空洞をシャンバラと言います。

デミウルゴスの意味や3つの神示から見ると、サナート・クマラが受け持つシャンバラは半霊半物質の幽界に近い、人間界から地獄界をも包み込む胎蔵なのかもしれません。

金剛界曼荼羅は、悟りへの道筋を表していて、胎蔵界曼荼羅は、慈悲の広がりを表しています。


どちらも中央は大日如来ですので、「須弥山」も「シャンバラ」も、その中心に在るのはエル・カンターレです。

それぞれの曼荼羅の意味を理解すると深まるでしょう。

これらから、マヌは金剛山、マイトレーヤーは幽玄世界というように、主なる神ご自身でもある須弥山とシャンバラを護る役割や機能が見えて来ます。

また、須弥山の忉利天に帝釈天がいますがこれはマイトレーヤーです。

シャンバラの転生輪廻の機能を明かした芥川龍之介がマヌだとしたら、それは緑のシャンバラ機能です。

この様に、逆も言えますので、それらがどの様な役割なのか、この世を隔絶して、時にはこうした神秘の世界を経巡って、心遊ぶことも大切と思います。




●AIについても再度、記しておきます。

オーウェルの「1984」が中国によるAI監視社会と思っている人がほとんどかもしれませんが、私はむしろ米国によるものだと思います。

それは十字架の女でも世紀末に影を落としているものは中国より、米国でしたし、イスラエルによる第三神殿も、建立してから騙されたと気付くと聖書では言われていて、そこには、反キリストも含めてAI監視社会が暗示されているように感じます。

つまり、これは先生の警告した地球政府であり、グローバリストであり、DSのことです。

国家の裏にあって支配する者ですので、この点、国際情勢を見るに必要です。

AIに対する危機感を現時点で持っていない人は簡単に呑まれますし、それを見抜けないようなスピリチュアリストには残念ながら未来はありません。


黙示録13:7:アンチキリストは、すべての部族、人々、言語、国家に対して力を持つでしょう。


テサロニケ人への第二の手紙2:4:アンチキリストは、神と呼ばれるもの、または崇拝の対象となるものすべてに反抗し、それらを凌いで高ぶります。


黙示録13:16:すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、その刻印、すなわち、その獣の名、またはその名の数字を持っている者でなければ、だれも買うことも売ることもできないようにしました。


これが、「人間」の一個人のカリスマで出来るとは思えないんですね。


黙示録でも、日月神示でも、人びとが神を信じなくなることは記されています。

それは人間を信じなくなることでもあって、人びとが機械に頼ることになる前兆です。

ルネサンスの「人間性の復興」と真逆にあるものですので、AIは危険ですよと私は注意喚起しました。

そして、その対極にあるのが、大川隆法総裁先生の説かれていた「未来型人間」です。

未来型人間になるためには、美の法門を学ばないとなれないんですね。

これがわからないと、神の印(主なる神、「神は詩う」の印)を押されることはないでしょう。

仏言と聖句を合わせればそれは明らかですので、免罪符はないことを自戒したいと思います。


こういうことをあまり言うと堅苦しくなるのですけど、ほんとに危ないのを感じるので、お互いに心を見つめましょう。

その上で、真なる自由を追求するのが大切ではないでしょうかね。




●今起こっていることは、教団という内側も、国際情勢という外側も、「イエス ヤイドロン トス神の霊言」を読めばわかるかもしれませんね。


特に重要な点ですが、これから、国際情勢の方に関心は移り、内部のことは言っていられなくなるでしょう。

ネットワークビジネスは、世界恐慌の時に爆発的に増えました。まだ、関わって日の浅い方はやり直せますので、今のうちに辞めることをお薦めします。



経典「イエス ヤイドロン トス神の霊言」には、私たちは「疑」と「悪見」の反省が足りていないとあります。

ヤイドロンは教団の問題がわかっていて、総論的にぼかしていますので、ここから説明します。

ハマっている方に説明をする時に使っていただければと思います。




◆疑=「自分の利害に絡んでくること」

神殿の商売(教団内での営業、支部でのスピリチュアルアートの販売やネットワークビジネスの勧誘など。)


◆悪見=「幸福の科学以外のもので学んだ考え方で判断していく」

(他のスピリチュアルの霊媒や退行催眠など。)

※悪見とは、物事の本質を見ようとせず、自分の都合のみで判断してしまうこと。

※経典「ザ・ヒーリング・パワー」に退行催眠についての仏言があります。


◆正信=「このへんをもうちょっと純粋化する必要がある」

(「復活の祈り」や「反省」)

※八正道プロジェクトなどが本来はそうあるべきものとは思います。ただ、残念ながら、一部の方に利得が絡んで来ているようです。

※八正道研修を受けることはとても大切ですし、それを啓蒙する努力を否定しているわけではありません。でも、NBをしているとだんだんにすり替わってきますよ。



説明として。


ネットワークビジネスをやっていると、だんだんに、本来純粋な目的だったはずの在家講の組織やネットワークにも勧誘が始まり、信仰や法の利用化が始まります。

これは、茹でカエルの喩えの通り、当事者はなかなか気付きません。


本業との収入が逆転し始める頃から本業を疎かにし、中には辞めてネットワークビジネス一本にし始めます。

そうなると唯一の収入源ですので、構築したネットワークを捨てられません。

ネットワーク=人間=お金、つまり、拝金主義の構図となり、知らない内にバアル信仰となります。


習慣=傾向性を変えることが八正道ですが、非生産的な習慣、誤魔化しや正当化、洗脳スキルが身に付き、勧誘されたネットワークに与した人も麻痺していきます。

また、退行催眠に関しては、職員も誘っていますし、中にはこのグループに賛同している方もいます。

特に「悪見」として、退行催眠で宇宙情報、ヒーム神の情報を得たなど言っていますので、それを信じている以上、そちらの情報を軸に動き始めます。

三帰者を広く集めてマジカルな集いをすると言って、もう一線を越えていますが、ただ、自分たちをキャラ化するような稚拙さを見て…、もうあれを見たら賛同する人も減るでしょう、さすがに。

下降しているのがわからなくなるんです。

そもそも、サイキックを集めて地球を救うがコンセプトですので原点がおかしいです。

それぞれの役割があるとはいえ、ネットワークビジネスを絡めて勧誘している以上、曲がっています。



ブラヴァツキー夫人は、


「前世療法や退行催眠は降霊術にすぎない」と危険性を警告しました。


「神聖な本質との霊交は、催眠術のような「物理的、化学的手段」では達成できない」とも言っています。


以下を参考に。

https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/11/16/195219



大川隆法総裁先生は、経典「ザ・ヒーリング・パワー」で、

前世療法の場合、「霊障」と「過去世」との違いが分かっていない。

退行催眠による前世療法においては、過去世の記憶のなかに「地獄」が出てきませんが、やはり、これはおかしい。

と言っています。

何度も言って来ましたが、第三チャクラから霊の世界に入れますし、ここで慢心をすれば、簡単に魔境に入ります。

伝統的なヨガがそれを教えています。

外でやる分にはここまで言いませんでしたが、教団内の食堂で勧誘してますので、ネットワークには境がないので必ずそうなるんです。

何より、本当には智慧が深まらなくなります。

退行催眠とスピリチュアルアートとネットワークビジネスの勧誘を繋げてますので危険ということを言っておきます。



これを明確に悪と言える方が、残念ながらほとんどいませんので、放置状態になって来ましたが、このままですと教団は割れますし、お布施(時間と金銭)も吸い取られますよ。

「大したことではない」と見て見ぬふりをするのですが、ジワジワと蝕まれて、欲に目が眩んだおかしい人が増えていきます。

これについて言うのは最後とします。


主の説かれた、真・善・美の3つの法門が、正しい霊性開発です。


※「エル像のクリスタルとは&瀬織津姫の転生考」に、ネットワークビジネスに関して問題が出ていることを綴ってあります。

https://ameblo.jp/ascension2050/entry-12955309127.html



*・。*・。*・。*・。*・。*・。

総じて、「自分たちだけは特別でそれに当てはまらない」と、曲がっていく時は、皆、そう思っているので、説得が不可能になるのですが、これは別派に限らず、教団そのもののこれまでの根深い問題です。
つまり、選民思想です。
自由には責任が伴うので、先生が示した「未来型人間」へのイノベーションを拒絶するなら、そう遠くない将来に結末はわかると思います。

伝えるだけはお伝えしました。



●2026.3.3の皆既月食を経て、翌日の朝に見た夢。

象徴的なので最後に記しておく。

怠らなければ、これから色々なものを見るのかもしれない。


どこかの真っ白な空間で瞑想のレクチャーを受けていた。

白い空間の前面にはスライドショーのように、スクリーンが複数枚、横一列に延々と並んでいて、左に右にコマが動いていた。

「止めてみなさい」、「動かしてみなさい」と指導者が言う。

トム・クルーズのマイノリティー・リポートのようなスクリーンを、手を使わずに言われるままに、左に右に動かしたり、左にサーっと流れるのを止めたりしている中で、「これは理性と感情にどうも関係している」、「意志の力も関係している」、「つまり、精神統一の基礎とはそういうことか」と気が付いている。

夢の中で思考していた。


その私の心を読んで指導者が、「理性とはこのスクリーンのひとコマひとコマの枠」、「感情はスクリーンの映像のピントや明暗」、「意志で位置を絞る」と私の心で感じていることを言語化してくれた。

ずいぶん現代的な瞑想実習だなと思いながら、眠りから覚めた時のまどろみの中で、「どうもあれは宇宙船の中のようだ」と表面意識と合わせて感じている。

そして、スクリーンは過去や未来であって、タイムリープについてのレクチャーでもあったようでもある。

また、指導者の姿がぼやけて思い出せず、おそらくヒューマノイド型ではないのだと思う。

慣らすために映像として残さないようにしているのか、単に本当に見えないだけなのか、柔らかい「光」であったのは覚えている。


瞑想の中で、特に感情の部分が心に残り、自身の感情の豊かさと明暗により、映像そのもの、世界の見え方が変わっているのを感じたことが印象的であった。

ラフとしてのカタチはあるが、心の状態により、ピントを合わせると映像が変わっていた。

予言や予知と同じ仕組みである。

画家の観察眼は感情の豊かさにより、ディテールを読み取る力も変わって来る。

色彩や音感も香りも変わっていく。

どの地球の、どの世界線に行くかも波長同通で、心のコントロールが出来なければ、正しくその世界線が見えず、行くことも出来ないだろう。


「平静心」。(老荘思想・タオ)


高次元であればあるほど、宇宙は豊かである。

世紀末であっても、そうであるからこそ、心を穏やかに、豊かにすることが求められている。

それは最後の無畏施の修行、聖に至るための入口だろう。


以降は、どこの誰に伝えるかは、きっかけ次第なのかもしれない。

ひと時でも、善悪の彼方に一度、立ち還らないといけない。

自然(宇宙)の中に戻ろうと思う。



これから開示される、Leftoverの原曲も、この詩篇に込められた意味に気付いている人は、まだほとんどいないのでしょう。

原曲を通して主の気持ちを共有出来るのは、とても嬉しいことです。



●2026.3.9。

深められますように。



小さなメルヘン


〈3年の空白〉



〈小説「去れよ、去れよ、悲しみの調べよ」に繋がる千恵子さんへの回想〉


心よ

愚かな青春よ

未来



二十歳の終わり


〈小説「去れよ、去れよ、悲しみの調べよ」執筆〉

※このタイトルは、高三の冬にリリースされた梶芽衣子のアルバム名から付けたのでしょう。


※「詩人」という言葉と、神は詩う=エル・カンターレ。

武は詩人であることをやめ、謙一は地上の生存をやめています。


短編「日光の旅」



この順番です。


(おそらく、二十歳の終わる区切りとして、記録として、過去を捨てるために書いたのだと思います。小説「去れよ、去れよ」の世界と映画「二十歳に還りたい。」は繋がっていると思います。)


「私が自分の未来を捨てて 彼女を救ったことが欲ですか。」



そして、


千恵子抄の「スタンドの光もたまらなく恋しくなって」と、楽曲「夜」の「スタンドの明かりを消すと」、これは対比になっています。


つまり、若き日の先生は、

この「小さなメルヘン」から「未来」まで、千恵子さんのことを回想しつつ、忘れようとして綴っています。


楽曲「心よ」の「天窓の外では絶望が」は、千恵子抄の第六章冒頭です。

天窓は聖書の記述で、楽曲「天才でごめんなさい」の読み解きに綴ってあります。


楽曲「愚かな青春よ」は、「愛とあなたと春と」、「光る空」との対比です。

再び、未来に向かって、空に飛び立とうとしています。


楽曲「未来」の「友よ」は、千恵子さんのことで、小説「去れよ、去れよ」の「〈あなた〉は私に『ただの友だち』を要求した」を中心に、前後を読み深めれば気付くと思います。

「未来は指の間から」など、小説の中に別の世界線の千恵子さんとの対話として語られています。

再度、決別のために「友よ」とあえて突き放しているということです。

それでも尚、拭い去れない「磁力」がそこに働いています。


小説「去れよ、去れよ」には、「気まぐれで一つくらい詩を書いたからって」と記されています。

これは、楽曲「夜」のことでしょう。


「二十歳の終わり」の後に、二、三日で書き上げたと思われる、この小説が、Leftoverの軸になっています。

晶子さんに対する純愛も、一面としては、過去を忘れるためであったのかもしれません。



そして、これらは、楽曲「愛と哲学」の「魂の片われよ、しばし汝の磁力をとめよ」へと繋がっていきます。


これは、楽曲「小さなメルヘン」の北と南、磁力線と時間です。

以下の余話に、私が感じていたことはそういうことです。


小説「遥かなる異邦人」がこの世界線の出来事でもあったとしたなら、先生は、大学3年の夏に最後に千恵子さんと会っています。

また、商社時代のおそらく1984年の28歳の時にも、千恵子さんを霊的に感じています。

それが、「青春の終わり」です。

自費出版の「愛のあとさき」はまえがきでは、1984年春とされていますが、これは先生の勘違いで、1985年春です。

幸福の科学の設立は1986年。

詩仙堂の決断をしたのは予備校時代の1975年ですが、それから10年、設立の寸前まで思い出しています。

そのような中にあって、1988年、K子氏と結婚しています。


これらを基として、小説を中心に思慧を深めて、知を落とし込んで、そして、美を旋律の中に感じれば、パラレルワールド修行なのがわかる方も出て来るかもしれません。


もっと、先生の残された聖の欠片に込められた「命」を、これは先生の命の欠片ですので、それに気付く方が増えることを祈ります。


この三年の間で、千恵子さんの詩が隠されていることを伝えられたのは、それだけでも僥倖であったと思います。




余話。


最後の神詩会法談で語った、楽曲「小さなメルヘン」の北と南の「方角」は誰もわからないようなので、原曲「小さなメルヘン」が開示されましたら、以下を読み直し、参究してみるといいです。


『経典「観自在力」の「磁力線」と「時間」のこと』だと思います。

だから、根幹の教えで、地球の秘密と言っていたつもりなんですけど、どうも伝わっていないようなので、テレパスがあればいいんですけどね。

そして、それは単に地球のことに留まらず、決して千恵子さんが読むことのない、千恵子抄の第六章の冒頭、つまり、始原の宇宙にも繋がっているのでしょう。

私たちは心の中の宇宙に目を向ける時です。

(阿蘇山噴火リーディングでも、地球の運命意識は、地球のマントルを動かし、「十三次元」までつくっています。つまり、地球の核には十三次元まで繋がる部分があり、それがシャンバラの真の姿でしょう)


もう、「我思う、ゆえに我あり」、「一人一宇宙」で個々の時代だと思います。

許されるなら、夏に今年も戦争と平和のための祈りをして、馬に乗って、美しい浅瀬の海に飛び込んだりと出来れば幸いで、外のことはもう何もいらない気持ちになっています。

残りは、先生がそうであったように、人間らしく、何か人を喜ばせることをしたいものです。

特別なことをする必要もなく、思いやり合う心(愛)があれば、それでいいと思うんですよね。

始原に還り、シンプルな価値を大切にしましょう。

世界の平和を祈りながらも。


「いずれこの世は去るものと考え、日々に執着を薄めてゆけ。」(人格をつくる言葉)


では、皆さまお元気で。

”時間”を大切に。




(完)