Color copy [Music 2] (portrait) | Individualism 22

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youno senichi artisan blog
誰にも見てもらえない絵を描いています。

音楽の話。

楽器は三味線しか弾けない。大好きな叔父が師匠だったから学生のころ少しだけ習った。誰かに見せたいのだけれど、僕の三味線は皮張でなく、薄木板の上にダイノック張。だから見た目は黒いんだ。大きな音は出ないけど練習には都合いい。動物愛護には嫌悪しかない僕だが、犬も猫も好きだから少し抵抗があった。湿度管理も不要。つまりメンテナスフリー三味線。おすすめだ。

亜亜、話が逸れた。音楽と演奏の話。バイオリニスト妃毬ちゃんの話。

ヨーロッパでのコンクールの動画。当時8歳。彼女が弾いたのはチゴイネルワイゼン。最初はへぇー上手いねという印象。ところが三人の審査員が大絶賛するものだから他の大人のプロと聴き比べ。なるほど確かに違う。

曲には楽譜があり、楽譜は一秒をいくつかに区切り、どのタイミングでどの音をどのくらいの大きさで出すかを記す設計図みたいなもの。正確に奏でるだけなら機械が最高の演者ということになる。多分、そうじゃないんだね。音楽のことは(も)解らないんだけれど、解らないから文学的虚飾表現で感動を表すしかないのだけれど、演奏中の彼女はほぼサラサーティに観えた。彼が曲に込めた想いや作曲時の苦悩や当時の空気までが再現されたかのように観えた。つまりはそういうことなんだな。名曲とは演者の努力や姿勢や才能によりはじめて再現されうる芸術作品ということだ。

叔父もよく言っていた。「三味線の曲は間がすべて」

間違えず上手く弾くなんてところの遥かな先のその先に。いつの時代の誰の作品なんてこともどうでもいいのかも。曲と真摯に向き合えばおのずから解るのかも。

魔。兎に角。

もう一度、三味線はじめてみよう。