振り返り その3 - 転職活動から2社目へ | NULL Canvas

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前回1社の会社を辞めるところで終わったのでその続き

 

当時29歳だった自分はともかく転職市場へ

転職活動はおろか就活自体ロクに経験の無い自分はとりあえず1社目の時に使ったCareerCrossと、その他にリクナビとかDodaを使って転職活動を始めた。

 

とりあえず履歴書をアップデートして、転職エージェントに合ってどんな仕事を紹介してもらえるかといったところだったのだが現実は予想に反して非常に厳しいものだったのを今でもよく覚えている。

 

当時辞める理由も特になく、もっと高度な事がしたいといったある意味世間知らずな頭で転職活動をしたもんだから恐らくエージェントにも足元を見られていたんじゃないかと思う。エンジニアとしての技術スキルはあまり身についておらず、唯一の武器は英語が得意、それくらいだった。

 

仕事自体の斡旋はしていただけるが、その時はある程度名前のある会社、トレンドマイクロとか、ANA関連のシステム会社とか、後は中堅のSierを紹介されていた記憶があり一先ず手当たり次第に受けていたと思う。だが結果が伴わず大体1次面接で落とされていた。

 

唯一面接を通り条件提示いただいた会社(KSKという会社)については会社自体悪くなさそうだったがいかんせん条件が厳しかった。そもそも当時の私の年収は500萬(年俸)をもらっていて(中身が薄いのに貰いすぎ)そこからどの程度まで落とすといった話ではあったが提示されたのは400万程度(ボーナス込み)、月の手取りが10万以上減ってしまう想定。なので30目前にして月の手取り30から10万円台への大幅ダウンを呑まなくてはいけない状況だった。

 

別に贅沢がしたい訳じゃないが非常に難しい決断だった。

ただそれとは別途もう1社内定に至った会社があり、後にそちらの会社に進むことになるのだがそちらは規模的には1社目よりも更に小さい50名程の会社。ただエンジニアの育成には力を入れているという話を面接でも伺い、その当時面接してもらった部長の人柄とその話に心を打たれて入社を決意したのを覚えている。

 

KSKについては日系の会社で歴史も古く、みんなで並んで頑張ろうといったいかにもな社風に映った。だが、同時の自分にはそういった仲間といった言葉を交わせる同僚エンジニアはおらず、孤独を感じていたためその入社用のイメージビデオか何かを見た時に涙腺が緩んだのも事実だった。自前の研修センターもあったりしてそこで技術研修など受けられたりと、私の理想がある程度用意されているように思えた。しかし、ここでもう1社の面接を受け、詳細には覚えていないのだが口頭で技術質疑と、実技試験を行い、その後フィードバックを貰ってエンジニアである為の姿勢であったり、根本的な心構えについて話を聞いているうちに自分の何がいけなかったかを気づかされ目がぱっと覚めた。いつも自分の成長を他力本願にしていた自分の間違い、簡単な事で当たり前であったがそれに気づけず、そしてそれに気づかせてくれたこの会社へ行ってこの人の下で働いてみたいと思った、目標が出来た瞬間だった。

 

年収は少し下がった、確か50万程度だったが少ない下げ幅で良いと思える会社への転職に至れた。

そしてその旨を上司へ話、退職し転職に至った。やはり私の辞め方に不満があったのか当時の先輩メンバーは迷惑そうな顔でこちらを見ていたのが今でも印象に残っていて、後味の良くないものだった。

 

だが私はその事や悔しさを胸に次は使われるだけのエンジニアではなく自立した、技術力で勝負出来るエンジニアになる事を目標に2社目へと進む事になる…