振り返り その2 帰国後1社目 | NULL Canvas

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今回は書きかけていた帰国後から1社目での経験だったり、その時印象に覚えている事について書きたいと思う。

 

そもそも帰国するきっかけとなった1社目、今振り返ると外国人が始めたベンチャー企業でオフィスは港区、三田の辺りの雑居ビルの1フロアに入っていて、華やかなIT企業とはかけ離れたものだった。

 

私はインフラ系エンジニアなんですが、この会社が得意としていたのは俗にいうSESで人を自社で雇いつつもお客さん先に常駐させてお金をいただくという嫌われがちな業態で稼いでいたんじゃないかと思います。その証拠に自社オフィスに行っても人は10数人しかいない。会社全体で5,60人程度だったことから考えても半数以上が外に出されていたんじゃないかと思う。

 

私自身当時26,7で学校出たばっかりで全然わかってないかつ、責任感もあまりなかったので回される仕事はろくでもないものばかりでした。中でもひどかったのは南府中のBCPサイトに飛ばされて毎日古いPCのイメージングとか何百台とかやっていた。仕事自体は楽だったのであまり疑問も持たなかったけど今考えるとエンジニアとして大事な時間を浪費するハメになったなーと感じる。

そのほかにもPC交換の保守業務だったり、エンジニアとしてとしての成長はあまり出来なかったと思う。決してそういったエンジニアとして成長出来る仕事がなかった訳ではないが、少なかった。尚且つ私自身の考えが甘く、貪欲ではなく、考えが幼かった。働く事も大事だがまだ青春を楽しみたいといった部分がより強くて業務外の方ばかり充実させようとしていた。

 

海外で学校を卒業して、英語をしゃべるエンジニアとかなんとかいってかっこばかりの中身が伴わないエンジニアだったと深く反省してしています。

 

そんな会社で2年を過ぎてようやく自分の愚かさに気づき始めておかしいぞと思い始めても既に遅し。自分の評価なんて大した事ないし、昇給なんて一度もなく、いつになったらもっとエンジニアらしい仕事が出来るのか、教えてもらえるのかと随分他責な自分がそこにいて、それが間違った姿勢であった事を気づかされるのにそこからそれ程時間はかからなかった。

 

結果、若干メンタルがやられてしまい、その会社にそれ以上い続けるのは無理であり転職をしました。

ですが、その程度の経験しかない29歳のエンジニアに対する評価はとても厳しいものでした。

 

その2へ続く