続き
そんな風にして、とにもかくにも、魂は、ある
この持論の核を成す頑固な思い込み定義が二つ
ひとつめは、「在る」物は、必ず、物理的に「存在する」という定義
物理的に、という言葉があいまいなら、物質として、存在する、ということ
もうひとつは小さいものは、見つけにくい、というシンプルな定義。肉眼で見えないものも、虫眼鏡では見える。虫眼鏡では見えなかったものが、光学顕微鏡では見える。光学顕微鏡で見つからなかったものは、電子顕微鏡なら、見つかるわけで、見つけるための手段が良いものになれば、見えるものはだんだん小さくなってゆく。小さくて小さくて、今は存在すら感じられないものも、やがて、見つけるための手段が良いものになる=科学技術が向上する、と、みえるようになってゆく。とにかく、小さいものは見つけにくい。
話を戻します。
では、心はあるのか? 心は、魂とは違うのか?
心はある、心と魂は、つながっているけど、違うもの
心は、ちいさきもので構成される魂と、原子でできた肉体を、つなぐように、存在している、と考えます。
魂―心―体、というように、つながっている。
小さきものと、体の間を、粒なんだけど、波のような性質を持って、つなげているのが、心ではないか、と考えてみます。
波です。もしかしたら、この波、見える人には見える、オーラ、というやつかもしれません。ちなみに、私にはまったく見えません。
光は、光子という粒で、同時に波として存在するそうです。人間の目に見える範囲の波、可視光線は、4000オングストロームから7000オングストロームだったと思う。それ以上長いと、赤外線で、それより短いと、紫外線 つまり、総称すると、電磁波、かな
どのくらい短い電磁波が、今の科学で認識できるのか知らないけれど、電磁波も、短すぎて認識できないものはあると思われる。ひとまず、心を構成する電磁波は、今の科学では測定できないくらい、短い、と仮定します。
この、心を構成する電磁波、「小さき波」という名前にさせてください
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