土曜日に、PTAの行事で作ってきた、
多肉の寄せ植え。
「私は絶対、多肉には興味なかろう」と思ってたのに
いつものお米も、別に高級米ではなく
普通のお米なのですが、
この時期は新米になってるので嬉しい。
さっそく買ってきて、残りの不味いお米を捨てようと出してみると、
もう少ししか残ってなかった。
あんなに毎日毎回「不味い不味い」と思いながらも
結局、ほとんど食べてしまっていた。
どんだけ貧乏性なんだ?!
そして炊いた新米は、
炊き上げて炊飯器を開けたとこから
ツヤッツヤで全然違った。
うう、美味しい。
「今日も不味いご飯だろな」と思いながら炊飯器を開けない、というのは
なんという安堵感だろう。
ご飯が美味しい、という豊かさ。
栄養価的には、味がどうであれ
変わらなかったかもしれない。
でも、「今日もご飯が不味い」と諦めながら食事を迎えるのと
「新米の美味しいご飯がある」と気持ちほっこりしながら
食卓に向かうのとでは、
どれだけ心持ちが違っただろう。
諦める、というのは
もういらない、と感じているものを
もったいなくて捨てないことだ。
これは自分にはいらない、
これは嫌い、
でも捨てるのは罪悪感あるしもったいないから
このいらないものが、自然になくなるまで待とう。
そうやって、
欲しいものを、諦める。
そして、たいがいの「いらないもの」は
捨てるまではなくならない。
不味いお米そのものには罪はない。
だからと言って、不味いお米に付き合う義理はない。
毎食毎食「不味い不味い」と思うよりは
サッサと美味しいお米に鞍替えすりゃよかったのだ。
PTAの行事は、正直義理だったので
興味はないけど作った多肉の寄せ植えが
いらんもんになったらもったいないなぁ、
どうやって捨てよう、と思ってたけど、
不覚にも可愛いので
これは台所に居残っている。


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