土曜日に、PTAの行事で作ってきた、

多肉の寄せ植え。



「私は絶対、多肉には興味なかろう」と思ってたのに
不覚にも可愛い。
植えた時は、ちょっとクタッとして
家に持ち帰ってもよそよそしかった多肉が、
水をあげて1日たつとピンと張って
「どうもー!お世話になる多肉でーす!」感を出したのが
えらく可愛いな、と思った。
生き物の世話は基本好き。


で、多肉の居場所が台所。
熱や湿気が大丈夫だろうか、とは思うが
こういうのは常に目に入るところに置いといてなんぼ、だと思うので。


そんな多肉のいる台所のお話。
実はここ最近、お米が美味しくなかった。
私の体調で米の味がどうの、ではなく
実際にお米が不味かった。


うちではいつも2キロずつの小ロットでお米を買うのですが、
先日、近所のドラックストアで
安いお米があったので、買ってみたのです。
安いといってもいつものお米の半額とかでもなく
7割くらいの価格だったし、
主食たる米の品質なのだから、さすがにひどいものはないだろう、と踏んで
購入したのです。

が。

炊いて、炊飯器を開けたとたん
あまりにもツヤがなくてパッサパサなのにビックリした。
不自然な甘い匂い、濁ったような色合い。
まさか米にそんなに差があるか?と思ったけど、
食べたらやっぱりパサパサで不味かった。 

でも、食べられないことはないし、もったいないし、と
そのお米を炊き続けていました。
JKも「ご飯がおかしい」と言ってたけど
お米が不味い、という発想はやはりなかったらしく、
「炊飯器が壊れたんじゃない?」と言ってました。


で、今日。
まだ不味いお米は残っているけど、もう耐えられない。
いつも食べてるレベルのお米を買いに行こう、
そして残りの不味いお米は廃棄しよう、と決心。

 

 いつものお米も、別に高級米ではなく

普通のお米なのですが、

この時期は新米になってるので嬉しい。

さっそく買ってきて、残りの不味いお米を捨てようと出してみると、

もう少ししか残ってなかった。

あんなに毎日毎回「不味い不味い」と思いながらも

結局、ほとんど食べてしまっていた。

どんだけ貧乏性なんだ?!



そして炊いた新米は、

炊き上げて炊飯器を開けたとこから

ツヤッツヤで全然違った。

うう、美味しい。

「今日も不味いご飯だろな」と思いながら炊飯器を開けない、というのは

なんという安堵感だろう。

ご飯が美味しい、という豊かさ。



栄養価的には、味がどうであれ

変わらなかったかもしれない。

でも、「今日もご飯が不味い」と諦めながら食事を迎えるのと

「新米の美味しいご飯がある」と気持ちほっこりしながら

食卓に向かうのとでは、

どれだけ心持ちが違っただろう。



諦める、というのは

もういらない、と感じているものを

もったいなくて捨てないことだ。

これは自分にはいらない、

これは嫌い、

でも捨てるのは罪悪感あるしもったいないから

このいらないものが、自然になくなるまで待とう。

そうやって、

欲しいものを、諦める。


そして、たいがいの「いらないもの」は

捨てるまではなくならない。



不味いお米そのものには罪はない。

だからと言って、不味いお米に付き合う義理はない。

毎食毎食「不味い不味い」と思うよりは

サッサと美味しいお米に鞍替えすりゃよかったのだ。




PTAの行事は、正直義理だったので

興味はないけど作った多肉の寄せ植えが

いらんもんになったらもったいないなぁ、

どうやって捨てよう、と思ってたけど、

不覚にも可愛いので

これは台所に居残っている。


 

はにわ 山口かおり worksはにわ

丸コラム・文章を書いています。

 30種類以上の仕事経験や、占い(数秘鑑定)・ブログ管理作業等の起業経験をもとにした

 社会観察や解説記事を書いています。


丸古墳・古代イベントの情報発信をしています。

 古墳とアートのフェス「come come*はにコット」実行委員 hphttp://hanicotto.com/

 「はにコットエエトコ発信隊長」としてSNSにて発信中!

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