松原靖樹さんの『千式コラム』(前編) (後編)を読んで、千里の道の始まりに臨む~

 

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「気力」=心を使って外に働きかけていく強さであると、前回までのところで読みました。


ここの箇所は『気力の使い方について Q&A』です。


Q :気迫の持ち方とは?
A :気迫は受けて立つことを指す。まず逃げない。正面を向く。不利でも嫌でもまっすぐ受け止める。
    (0041)


Q:気の集中の仕方とは?
A気を一点に向けるには感覚を排除する。(0042)

Q:気配りのやり方は?
Aちょっとずつ、しかし必ずその人(もの)のことを思い出す。そして必要なら必ず行動する。(0043)

Q:気力から見る大人とは?
A大人になるということは気をうまく扱えるようになり、周囲に配れるようになるということだ。(0044)

Q:気分のいいときにだけ行動すればいいのか?
A気が重くても行動する。
   重くても軽くてもうまくできる自分を作れば、気を自在に扱うことができるようになる。(0045)

Q:いつでも気を使い続ける必要があるのか?
A気を使わない休息期間が必要になる。休む。また、普段から気を使わなくていいところに
   使わないようにしなければならない。(0046)

Q:人の気持ちが分かるようになるには?
A相手を一人の人間として「自分も相手のように生まれ、育ったらそうなるかもしれない」という
   前提で相手そのものになりきる。(0047)


Q:気力の強いというのはどんな状態か?
A気力が強いというのは、気迫や気配り、気遣いなどができるということで、外の世界で
   現実に対応して自分をうまく運ぶことができる。(0048)


Q:気力が強ければ何でもいいのか?
A現実に基づかない「気力の押し切り」はただの自己中でしかない。
   強さが必ずしも正しいとは限らない。(0049)

Q:気力で大切なのが強さではないなら、何が大切なのか?
A気は必ず相手との関係で必要な分量を必要なだけ向ける。適切にやる。(0050)


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【千式コラム】気力②(0041~0050)

星 【千式】気迫 0041

気迫がない者は人間として浅い。いざというときにやらない自分であることを言っているようなものだ。そんな人間に魅力はない。
気迫は受けて立つことを指す。まず逃げない。正面を向く。不利でも嫌でもまっすぐ受け止める。「受ける」ということは内容をコントロールできないということだ。怖くても苦しくても受ける。その姿勢が気迫を生む。
気を大きく使い消耗しようとも必ずやり遂げる。それが気迫となる。気迫がある人は無条件に信頼できる。


星 【千式】気を集中する 0042

人は得意なものなら自動的に集中できる。だがその場合でも気を一点に向け、他の無駄を一切排除している。気をそのように使う訓練をすることで集中力を高めることはできる。これをやっていない者は漫然と人生を生きているという意味でいざという時に頼りにならない。
気を一点に向けるには感覚を排除する。目視できる物事なら音が消え、匂いがなくなり、暑い寒いを感じなくなり、対象物以外が見えなくなる。脳もそれに従って考える。聞くなら目をつむる。他は同じ状態になる。


星 【千式】気を配る 0043

気配りできる人は魅力がある。好かれ愛される。気を一点に集める集中とは違い、散漫にちょっとずつ使う。目の前に人がいると分かりやすいが、普段から自分の周囲の大切な人、こと、を少しずつ思い出す。街に出て何かを見れば、あの人に必要かどうかを思い出す。本を読んだらこの情報をあの人に伝えるかどうか思い出す。ちょっとずつ、しかし必ずその人(もの)のことを思い出す。そして必要なら必ず行動する。

反応を期待してやるのは気配りではない。ただの自我だ。行動が同じでも自我は軽蔑に値する。


星 【千式】自己中はシネ 0044

自我に忙しければ気を人には割けない。気力を全て自分のために使う。自己中心的という。むろん尊敬はされない。軽蔑される。例えば気力が弱くて自分にしか気を使えない場合も軽蔑される。大人になるということは気をうまく扱えるようになり、周囲に配れるようになるということだ。
気が大きくなっても自分にしか使わないのなら、そういう人はいなくても誰も困らないし、むしろいてくれないほうがいい。


星 【千式】気が軽い重い 0045

気が軽い経験がある。気が重い経験がある。気は質量的に大きくなったり小さくなったりする。気が軽いことが何か知れば自分を生かせる。気が重いことが何かを知って避けるのもいいが、それでは気力は上がらない。
気が重くても行動する。それで初めて重いものに対する気の使い方を知ることができる。繰り返せばうまい使い方を知ることができるようになる。
重くても軽くてもうまくできる自分を作れば、気を自在に扱うことができるようになる。気分に流されず、やるべきことをやる自分であれば思い通りに生きやすい。


星 【千式】休息を持つ 0046

インターバルなしに気を使い続けると気が消耗する一方になる。そして気を張り詰めたまま解けなくなる。これを気を張るという。気の扱いがヘタクソで、気を張っている人を人は避ける。
気を使わない休息期間が必要になる。休む。また、普段から気を使わなくていいところに使わないようにしなければならない。できなければやはりヘタクソだ。
何事もヘタクソを良しとしたり、頼ったり、敬うことはない。気力の扱いが下手なら恥ずべきことであり軽蔑の対象でしかない。例えば、何事にも頑張る姿はいずれ人をうんざりさせる。
そういうのは結局自分で自分をダメにしているので軽蔑される。もちろん人生思い通りにならない。


星 【千式】合気 0047

人の気持ちや状態がわからない。この時点でもう人間として劣っている。気を自己中心的に使っている者はこれがわからない。わかろうともしない。
気を合わせることは訓練で誰でもできる。相手の状態、顔つき、手振り、口癖を真似て、相手の背景や心理も再現する。相手を一人の人間として「自分も相手のように生まれ、育ったらそうなるかもしれない」という前提で相手そのものになりきる。気を合わせる。
人の気持ちがわかるというのはこの延長線上にある。

自分の気の扱いしか知らなければ、それがどんなに上手くても結局は自己中でしかない。


星 【千式】気力が強い弱い 0048

気力は体力を動かす。つまり行動によって現実を創る。何もしなけば何も生まれない。何かをさせるのが気力になる。気力が強いというのは、気迫や気配り、気遣いなどができるということで、外の世界で現実に対応して自分をうまく運ぶことができる。弱ければ現実に負け自分をうまく運べない。そんなのは人として尊敬できない。
現実の積み重ねが人生になるので気力は人生を創る。気が強い弱いは、直接人生思い通り、そうではないを左右する。


星 【千式】気が強いが・・・ 0049

現実に基づかない「気力の押し切り」はただの自己中でしかない。気を自分のために使いたいだけだ。強引に物事を成しても成功とは呼べない。人生に反した現実を創っている。
だがそういう人は信奉される。教祖化する。気が強いことに群がる信者に信奉される人を信じてはならない。

気の強さは生命力に比例する。だが強さが必ずしも正しいとは限らない。


星 【千式】気の向き 0050

気には向ける方向がある。方向によって強さや質も変わる。それができる人が気を使える人になる。強さで押し切るのは余計な御世話でしかない。
気は必ず相手との関係で必要な分量を必要なだけ向ける。適切にやる。ただし、ここが正念場であるというときは集中して出す。
気力の強さで相手を思い通りにすることはできない。やると気の向きが支配になる。相手の尊厳を尊重しないことになる。そういうのは人の気を乱す。あるいは弱いまま維持させる。そういうのは世の中にいらない。気が弱くてもきっぱり拒否しなければならない。


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千里の道はここから始まる~松原靖樹講演会~
日時:1月26日(火)14:00~16:00
場所:目黒柿の木坂パーシモンホール
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