フェルメールの絵画盗難事件を3回企画でお話したいと思います

第1回目の今夜は、フェルメールの作品が盗難に遭った最初の作品
アムステルダム国立美術館所蔵の『恋文』 46.6×39.1cm のお話です

1971年9月、この作品はベルギーの首都ブリュッセルのパレ・デ・ボザールで開催されていた
「レンブラントと彼の時代」展の会場から盗まれました。
犯人の手口は、昼間の内に会場に隠れておいて夜になって絵を壁から外し、
ナイフでカンバス部分を切り取り、それを丸めてポケットに入れて
結びつないだカーテンを伝い、2階から降りて逃走したというもの。
警備の不十分を突いた、実に手荒い犯行でした。
会場に取り残された木枠の写真がこちらです

事件から10日後にブリュッセルの新聞社に1本の電話がかかります。
フランドル地方の伝説上の職人で、リヒャルト・シュトラウスの交響詩
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』のタイトルにもなった義賊ティルの名を語る人物は
東パキスタン難民に対する2億ベルギーフランの援助と、
アムステルダム国立美術館とパレ・デ・ボザールが国際的な反飢餓キャンペーンを行うことを要求。
要求に従わなければ、フェルメールを二度と見ることはないだろうと脅迫します。
しかしこの犯人、ガソリンスタンドの公衆電話を使って脅迫電話をしているところを
GSのオーナーに不審に思われ通報されたことからあっけなく逮捕されます。
犯人は21歳のホテルのウエイターでした。
間抜けなことに、彼は乗っていたバイクに「ティル」というシールを貼っていたのでした。
貧しい境遇に生まれ育った犯人は、東西パキスタンの戦争で
インドに700万人を超す東パキスタン人の難民が逃れている窮状を知るとともに、
フェルメールの希少性を新聞で知り、義援金を要求するために犯行を思いついたと供述したという。
『恋文』は彼の自室のベッドの下から枕カバーに包まれた状態で発見されたものの、
盗難の際にナイフで切り取られ、逃亡の際に丸めて持ち出されたことにより
絵の具がカンバスから剥落し、絵柄が消えてしまうという深刻なダメージを受けた状態でした。

アムステルダム国立美術館は国際的なメンバーによる委員会を設置して修復の方法を検討しました。
その一方、オランダ国内では、名画に対して行われた犯罪はそのまま保存すべきで
それを修復で隠蔽するのは好ましくないとの意見も出されましたが、委員会は完全修復を決定。
修復が完了したのは1972年の8月。事件から1年が経っていました。
私は2000年に国立西洋美術館で開催された「レンブラント、フェルメールとその時代展」に
7月13日にこの作品に逢いに行っていますが、それまで観て来たフェルメールの作品と比べると
なんとなく違和感を覚えた作品として印象に残っている作品でした。
うまく言葉では説明できない感覚で、絵の前に立った人だけが感じられる感覚…としか説明できないのですが…。
さて、アムステルダム国立美術館は現在改築工事が行われています。
当初は2008年に完了する予定でしたが、リニューアルオープンは2012年の見込みだとか。。。
現在、日本に来ている「青衣の女」は出稼ぎ中と言ったところですが、
アムステルダム国立美術館は、その他「牛乳を注ぐ女」と「小路」の
計4点のフェルメールを所蔵しています。
現在は膨大なコレクションの中から一部をフィリップス・ウィングに展示しているとのことで、
これが17世紀の代表作品をコンパクトに見られると好評なのだそうですが
「青衣の女」と「牛乳を注ぐ女」「小路」は同じ壁に3つ並んで飾られているのに、
「恋文」だけは少し離れた場所に、デ・ホーホとヤン・ステーンに挟まれて展示されているのだそうです。
その理由が修復されてフェルメールの作品としての価値が落ちているからなのか、
それとも私が感じた違和感がそのような展示の仕方になっているのかは謎ですね。
お盆特別企画なので、13・14・15日で3つのお話を完結させたいと思っていますが、
明日、頭の回転が悪かったらこのお話はお盆過ぎても続いちゃうかもしれません
