イギリスとアイルランドが舞台の2つのお話です。
1974年2月23日の夜、

『ギターを弾く女』 53×46.3cm 1枚だけが盗まれるという事件が発生。

こちらがその舞台となったケンウッド・ハウス
トリビア的な話になりますが、ケンウッド・ハウスはギネスビールの創設者の曾孫にあたる、
アイヴィ伯爵が1924年に購入した18世紀の邸宅でした。現在は英国遺産財団が管理しています。

事件発生からしばらく経って、ロンドンのラジオ局にアイルランド訛りの男性から電話が入ります。
彼の要求は、ロンドンで自動車爆破テロを起こし無期懲役刑でロンドン刑務所に収監されている
IRAのテロリスト・プライス姉妹と他メンバー2人を祖国のアイルランドの刑務所に送り返せというものでした。
その男のグループから、カンバスの破片ほか犯人しか知りえない情報が書かれた手紙が送られてきたことで
犯人はこのグループによる犯行と断定されました。
70年代のイギリスはIRA過激派による無差別テロが増大していた時期でした。
またプライス姉妹含めの4人は祖国のアイルランド刑務所で刑期を送ることを希望し、
ハンガーストライキをしていたことも大きな社会問題になっていた最中の事件でした。
しかしイギリス政府は、人質がフェルメールの絵画であろうとも、
テロリストの返還の要求には従えるものではなく、国民の気持ちも同じでした。
また、当のIRAは絵を盗んだのは自分たちではないと否定し続けていました。
人権擁護団体の労働党政権に対する働きかけで、送還の検討がなされている中で
政府の態度を硬化させるような馬鹿なことはしないと主張していました。
更にプライス姉妹は、ハンガーストライキをする結果として北アイルランドに帰りたいのだと言い、
この絵をケンウッド・ハウスを訪ねて観たことのある美大生の姉ドルゥースは、
絵を無傷で返すようにと犯人グループに訴えたのでした。
その後犯人は脅迫を更にエスカレートさせ、タイムズ紙に脅迫状を送りつけます。
「聖パトリック記念日の3月17日に絵を燃やす」という内容のでした。
タイムズ紙はこの脅迫状を3月13日の一面に掲載すると同時に、
この脅迫状の内容をプライス姉妹の母に電話で伝えた時の話を掲載します。
「この絵を持っている人たちに個人的にお願いします。
もしも娘の力になりたいのなら、絵を傷つけずに返すべきです。
お願いだから、彼女たちのためにそうして下さい」という話を。。。
その後、17日当日になっても絵が燃やされたらしい気配はなく、
犯人からの連絡は途絶えてしまいます。
それから約5週間経ったの4月26日の夜、

『手紙を書く女と召使い』 72.2×59.7cm ほか18点の絵画強奪事件が発生。

こちらが事件の現場となったラスボロー・ハウス
人里離れた郊外の丘陵地帯に建つ18世紀に建てられた貴族・バイト卿の邸宅です。

『手紙を書く女と召使い』の盗難事件については
今年2月22日の記事で概要を書きましたので

ご興味のあるからはそちらもお読み頂ければと存じます

この『手紙を書く女と召使』は、更に1986年にも2回目の盗難に遭い、
1993年に幸運にも再び戻り、ダブリンのアイルランド・ナショナル・ギャラリーに寄贈されました。
その後も懲りていないと言うより他ないのですが、2001年9月と2002年6月にも強盗に入られます。
その後ようやくセキュリティーを強化し、他に預けていた絵も戻り、
丘陵地帯の田園風景に囲まれた平穏な邸宅美術館になっているそうです。
2回の盗難に遭った事もあり、貸し出しされることはないだろうと言われていたこの絵は、
2008年の「フェルメール展」に続いて、現在「「フェルメールからのラブレター展」で再来日しています

このラスボロー・ハウスの事件の犯人が逮捕された翌々日、
ロンドンのスコットランド・ヤードに1本の電話がかかります。
「市内の聖バーソロミュード教会の墓地に『ギターを弾く女』が置いてあるというものでした。
警察官が駆けつけると、新聞紙にくるまれた絵が墓石に立てかけられており保存状態も良好でした。
この絵を盗んだ犯人は捕まらないままでした。
IRAの分派の犯行ではないかと言われていますが、
私はこの犯人に冷酷なテロリストのイメージよりもむしろ
人間臭さみたいなものを感じずにはいられません。
『手紙を書く女と召使』の窃盗犯が逮捕された翌々日に絵が返されたこと。
教会の墓地に置いておかれたこと。新聞紙にくるまれていたことなどがその理由ですが
個人的な素人の推測に過ぎません。
ケンウッド・ハウスに戻った『ギターを弾く女』は、
貸し出しの予定が一切ないことも添えておきましょう。
昨日の「恋文」も、今夜の2つの作品も政治的動機を持つ盗難事件でした。
とにかく美術館のセキュリティーの強化は、世界中の美術館に切にお願いしたい。
フェルメールに限らず美術品は美術的にも金銭的にも、重要かつ貴重な人類の宝であり、
金銭的価値では決して計ることの出来ない心のよりどころのようなものだと思う私。。。
そもそも絵画を人質に政治的目的達成を目指したり、金銭を要求すること自体が的外れだと思う。
実際に政府も要求をのむことはなく、絵画の持ち主も美術館も金銭を支払うことはしなかったし、
誰しもが絵を守るために、犯人の要求をのむべきだとは考えなかったことが犯行を失敗に終わらせたのだろう。
例え絵画が破壊行為に遭ったとしても、その絵がこの世にあったことは現実で
その絵を観たことがある人の想い出までは持っていくことは出来ない。
世の中には絵画よりも、もっともっと大切なことがたくさんあるのだから

今夜はフェルメールの2枚の絵のお話で、長い長い記事になってしまいました。
最後までお読み頂いた皆様、ありがとうございました

