統一原理の生活化 -5ページ目

統一原理の生活化

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堕落性を脱ぐ方法


「信仰基台の条件は、失敗せず守る事は出来る。だけど、堕落性は気をつけても、すぐに出てしまう。努力しても乗り越えられない」と言う方へ、必読の内容です。じっくりお読み下さい。


信仰路程の概観


復帰原理の最初のページ「概観」は、頭によく入れておくべき所です。信仰路程の全体が示されていますから。


簡単に内容を見てみます。まず、堕落人間がメシヤを迎える為には「サタン分立路程」を歩みます。内容は「信仰基台」と「実体基台」を立てて「メシヤのための基台」を造る事です。

 

そこで自犯罪、遺伝的罪、連帯罪を清算していきます。この期間は「一人」で行く道です。そして復帰の道ですから「探して」行く道です。とくに「行義」と「信義」が強調されます。復帰原理が重要になります。


サタン分立路程の後、メシヤを迎え祝福を通して、原罪を清算します。それからの道は「二人(又は家族)」で行く道です。アダムも歩んだ事がない道なので、メシヤの跡を「辿る」道です。ですから「侍義」が強調されます。創造原理が重要になります。


復帰の道を通過して、長成期完成級までを「復帰した型を備えた基台」の上で、メシヤを迎えます。ここで見落としてならないのは「型」を備えるという事です。


本来なら三種の罪を完全に清算し、メシヤを迎えて原罪を清算するべきですが、一定の型を備えればいいのです。ですから信仰基台、実体基台の中身は「条件」となっています。


ところで、実体基台の「堕落性を脱ぐ為の蕩減条件」という言葉は、文章的に表現がおかしいのです。蕩減条件は「罪」の赦しの条件であり、堕落性は「性質」ですから、意味が違います。本当は「罪を清算する為の蕩減条件」と言う表現が、正しい文章です。


しかし間違いでは、ないのです。これは「一定の条件を立てる事で、堕落性を脱いだ、という立場に立てる」という事です。


実際は、訓読するなどの信仰基台を立てる事でも、堕落性は脱げます。また清平でも可能です。アベル・カインの関係で、堕落性を脱いでいく事もあります。しかし「型」としては、実体基台で脱ぐ事になっています。


ですから、堕落性は一度の勝利で完全に脱げる訳ではありません。完全に血気や殺気などがなくならなくても、一度、それを乗り越えた事で「条件が成立する」という訳です。


例えばヤコブ路程で「エサウと一体化」した条件が立ち、メシヤを迎える基台が成立しました。しかしその後、二人は一緒に過ごしていません。


お父様は「ヤコブ家庭とエサウ家庭が一つになってエジプトに行くべきだった」と語られています。そのように完全な一体化ではありませんでした。



堕落性と条件


では堕落性は実際に、条件で脱げるでしょうか?


一例で説明します。文句を言う夫に対して、妻が血気怒気で皿を投げたくなった時、心は怒っていても「はいお茶よ、呑んでください」と言って渡します。


そうすると、それが「蕩減条件」となり、怒気の情が消えるのです。体験すると実感します。昔、ある女性にこの話をしたら、10年後に「あの時の意味がわかりました」と言って来られました。


ですから無理に堕落性を脱ごうとせず、行動を変える事を繰り返すと、堕落性が消えていくのです。


感謝できない時に、感謝の形、行動をとると感謝の心が自然に湧いてくるのです。ポイントは、堕落性が出ても「抑えるだけ」ではなく「あえて言葉や行動」をする事です。


心は怒っていても、段階として①頭の中で感謝と念ずる②言葉で感謝と言う③行動で笑顔やハグをする…の段階があります。最初から③の行動が出来れば一番良いのです。


怒りの情を抑えようとしても①も出来ずに「このバカ男!」と言いそうな時は、すぐにその場から逃げるしかありません。


しかし、これは一時退避であって「消極的条件」にしかなりませんので、その場で克服する努力が大事です。またその場で我慢して「抑えるだけ」ではなく、①②③のような「積極的条件」が大事です。


この情は血気怒気だけでなく、愛の減少感のような嫉妬心や不平不満、傲慢、浮気心などの、他の堕落性でも同じです。例えば嫉妬の状況の時は、相手に「○○さんは偉い」「○○さんは素晴らしい」「おめでとう」などのアベル的な思いを、実践する事です。


その時の動機は「神を愛する」と言う心で、結果的に「自分の心を否定する」事が、蕩減になるのです。


そのように形(条件)を立てると、心(堕落性)が変わるのです。情はすぐに変わりませんが、行動や言葉はできます。先に形を作り心を変えると言う、形状の性相化の方法です。


これを日々の生活の中で考えてみます。文句を言う夫の状態を見た時、その「場面」は偶然ではありません。一つ一つの出来事には、意味があります。私が超えないといけない、過去の蕩減の為に与えられた神の導きだと考えるのです。


私たちに起こる事は自分、家系、国家などの蕩減です。ご父母様は世界に起こる事は、直後無関係でも「私の責任だ」と考えられます。


ですから、人間的に見れば嫌な事ですが、神の愛の導きですから、感謝するのです。嫌な事が沢山起きるほど、復帰の「チャンス」が沢山あるのですから、嬉しい事なのです。


「条件」ですから、心は怒気の情でも、頭で感謝と思うのです。最初に、怒気の思いが出てもいいのです。その後、すぐに「感謝です」と自分に言い聞かせると、いいのです。お父様でも、すぐに感謝出来ない時もあります。


お父様は魚釣りの時、あまりにも臭い魚に、悪い思いを持たれたのですが「自分は蕩減しないといけない」と思い直したら、魚の臭みが愛に変わったと言われました。


突然、その現場になると、すぐにアベル的な言葉が言えない事もあります。その為に常に「感謝、感謝」とクセのように、言い続ける事も一つの方法です。


どんな種類の堕落性が起きた時でも、単純に「感謝」と言うだけでも、言わないより良いでしょう。色々な宗教の教えがありますが、どの宗教も基本は「感謝する」と教えているのは、その為です。


そのポイントがわからないから、何度も堕落性を繰り返し「努力しても、なかなか堕落性が消えて行ない」と、落ち込んでしまうのです。


私達の本当の悩みは、伝道できない事ではなく、伝道出来ても、無くならない自分の堕落性で苦しむ事です。 そして絶対善霊が協助しても、人格完成を遠く感じる事なのです。


 「水晶のような澄み切った心を持ちましょう」と言われても、素直に返事ができない時もあります。是非この内容を、実践してみましょう。




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総裁選が終わった。まさかの石破氏が総裁に。南北統一に向けての日韓米の一体化が重要。高市首相とトランプ大統領になる最大チャンスだった。


岸田首相は高市氏を落とす為に嫌いな石破をあえて当選させた。国民の事は全く考えず私利私欲か、それともグローバリストとしての戦略か?


教会解散の為、法律を無視し、また今回のことで岸田首相は日本史に残る独裁者として刻まれるだろう。


ところで、今回の事で神は何を考えているのか?石破政権になり、とことんリベラルになり、与党と野党の違いが見えなくなる。それを通して保守派が自民党に見切りをつけ分裂させるだろう。まさに善悪分別の祭壇とたり再出発となる。


石破政権は長くもたない。高市氏が三度目の総裁選に出て勝利する為に徹底的に自民党内を大掃除する神の戦略である。


今回の総裁選で河野氏、小泉氏が急落した。これも大掃除の一つ。来年7月は安倍晋三元首相の殉国から3年となる。殉国を条件として霊界から協助する。入宮式をなし全面的な霊肉界動員となる。


エバ国が女性首相となり最後の使命を果たして行く。私は高市氏紹介の自民党員てもあるが、これ以上、腐り切った自民党を捨て日本保守党や参政党、憂国連合などの保守大同団結をなし新しい政党へと生まれ変わって行くだろう。


伝説のホームレスの話をある方からうかがいました。何でも無一文なのに、毎日お寿司を食べていて、海外旅行もしょっちゅうしているというのです。この前はハワイ、先ごろは台湾、近いうちにスリランカに行く予定とも言っているように、幸せそうに世界を飛び回っているのです。

でもこの人はお金を持っていません。別にマイレージを貯めて、飛行機に乗っているというわけでもありません。お金は持っていないけれど、お金には困っていないのです。

このホームレスの人は、何でも屋で、自分の一日を50円で売ります。朝8時から夜8時まで働いて日当50円です。ちなみにこの人は30代の男性です。

例えば、あるお姉さんがこの人に庭の草むしり一日50円で頼みます。朝8時にやってくると、一生懸命に庭の雑草をむしります。とにかく無心に草むしりをします。それでお昼になったら、日当50円で頼んでいるけれど、さすがに申し訳ないと思って、お昼ごはんくらいご馳走します。

お代わりするかも知れませんが、あまり悪い気はしないでしょう。お昼ごはん食べたら、また草むしりを一生懸命やって、陽が落ちて暗くなってもむしって、むしって、夜8時になりました。

「じゃあ、ありがとう」と言って、50円渡して帰ってもらうというのは、なかなかできないと思います。たぶん、晩ごはんをごちそうして、「ちょっと飲みませんか」ぐらい言うかもしれません。

昼と夜ご飯をごちそうになって、飲み代までだしてもらう。そのうえ「今日は本当にありがとう」と感謝される。つまり、この人はお金を稼いでいるのではなく、信用を稼いているのです。

この人は5年前から、自分の一日を50円で他人に売り続けました。そして、毎日毎日、赤の他人から「ありがとう」「ありがとう」と感謝される日々なのです。

一日を50円で売り始めて、半年後に結婚することになりました。しかし、この人は一か月めいっぱい働いても1500円しか貯まりません。

しかし、この人は、奥さんになる人のために結婚式もあげたい、新婚旅行にも連れていきたいと思いました。しかし、ちゃんとすれば、200万か300万円くらいのまとまったお金が必要になります。

そこでクラウドファンディングで、一口4000円で結婚式に参加できます、と募集したら、何と2週間で250万円集まったというのです。誰が2週間で250万円の支援をしたかというと、この5年間に一日50円で仕事を頼んだ人たちです。

つまり、この人はお金を持っていないけれど、信用という点では、他の誰もが足元にもおよばないくらいの大金持ちだったのです。

この人が毎日やっていたことは、50円を稼いでいたわけではなく、信用を稼いでいたのです。信用によってたくさんの人とつながっています。
 
その後も20回も30回もクラウドファンディングを行っていますが、すべて成功しているといいます。
 
この人は、クラウドファンディングによって集金をしているわけではありません。彼はただ自分の信用をお金に換えているだけなのです。
 
一方、むちゃな金貸しで一大資産を築き、お金を女性のために何十億円も使い、最後は殺されてしまった人もいます。
 
一体、お金とは何なのか。というよりも、お金を持つことの意味とは何なのか、という課題をつきつける話ではないかと思います。