恩讐をを愛する | 統一原理の生活化

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「恩讐をを愛する」と言う言葉は真の愛をテーマにする食口には、大きな課題である。

信仰生活で、このテーマにぶつかる事がある。愛そうと努力をしても、どうしても愛せない人や出来事がある。頭ではわかるが、とても無理と思うのが本音かも知れない。

どうすれば乗り越えられるのか?全ての解決は、み言の中にあると言われている。創造原理では、愛と美の中に「主体が対象に授ける情的な力を愛」とある。

愛とはエネルギーであり、具体的な行動である。愛と心情は違う。恩讐をを恨みがあり、その心が消えないとしても、相手に言葉や行動で喜ぶことをする。これが愛である。

お父様も恩讐を愛してこられた。ただお父様も完全に怒る思いが全くないとは言えない。お父様は怒る思いや恨む気持ちがあっても愛する事で乗り越えてこられた。

ダンベリーの時、裁判を勝利する事を信じて、卓球をしながら裁判結果を待っておられた。しかし敗訴の伝えを聞かれると、アメリカは何をするのかと、激しい怒りをぶつけられた。それでもアメリカを怨むと天運が去ると思いアメリカに対する怒りを乗り越えられた。

その心情を勝利されて「愛天日」を定められた。そのような思いを何度も通過されたのがお父様である。

その事を思うと、私たちは相手に対して怨む気持ちはあっても愛を行う事が重要であり、蕩減復帰の観点から見ても、怨む心がある相手に愛を投入すると、自分の中から怨む心が消えていくようになる。

このような観点から、心から愛する思いがなくても愛の行動をとる事で真の愛の人になっていくのである。