私たちは「為に生きる」を原理の根本に挙げている。為に生きるのも、より公的なものの為に生きると説く。個人と家庭を超えて社会、民族、国家、世界の為に生きる事を是としている。
私も家庭を犠牲にしてでも世界復帰を優先してきた。その為に子供を犠牲にしたり、家庭経済を圧迫してきた。家庭を犠牲にし、公的に生きると家庭は神から守られると思っていた。
しかし病気になり、動く事ができず、公的に生きる事自体ができなくなった。自分にとって公的に生きるとは何になるのか?
それは自分より家族の為に生きる事だ。当たり前といえばそうかもしれない。しかし私の観念の中に「家庭が公的なもの」だと思っていなかった。
初期の頃は開拓伝道で赤ちゃんを放って家を出ていた。しかし統一教会から家庭連合に変わり、そこが本質的な変化だと思う。今、教会が打たれているのは、そこの根本的な転換の為だと思う。
お父様は聖和の以前から「私の願わない教会になってしまった」「教会を壊して一から作り直したい」と言われた事がある。
真意は不明だが、教会が変革するための国家的迫害を受けている意味があるのだろう。
私は障害で教会に聞く事も大変だ。その為、公的に活動が出来ず負債があった。しかし家庭が最も大事な公的な場だとかると分かると負債がなくなった。天国は正にそこから始まるのだと思う。