⑺「完成人間」は不完全 | 統一原理の生活化

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「個性完成」



完成した人間と言うと、完璧な人間で面白くない…と言う人がいます。非の打ち所がなく、人間味がないんじゃないかと。


でも完成と完全は意味が違います。不完全さの「形」が明確になったときが完成…なのです。


人や万物など、どんなものでも独自で存在できるものはありません。授受作用しながら、そこに喜びを感じるようになっています。ですから、あえて自存自立できないように創られています。


完成した人間は、自分の才能と不足な点がわかります。また相手の才能と不足な点もわかります。


そこで相手の不足を補い、自分の不足を補ってもらうことができるのです。完成した人間は結婚で悩むことはありません。


今は、色んな人と付き合ってみて、合う、合わないなどを繰り返します。しかし、完成した人間は、自分の不足を埋めてくれるのが、その人だとわかり、その人の不足を埋めてあげるのが自分だとわかります。


ですから、合った瞬間に「この人が理想の相手だ」とわかるのです。どんな相手が良いかがわからないのは、自分がどんな人間かわかっていないからです。


自分のどの部分が不完全なのかがわかったとき完成人間となり、そこで初めて、結婚という段階に入るのです。



補足:たとえメシヤでも完全ではありません。全知全能は神様だけです。でも愛において、神様の愛の基準と完成人間の愛の基準は一致します。

完成とは愛の完成をいうのです。


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