死の恐怖を感じた帰り道 | 13歳でがん告知 ✩.*˚愛娘は今日も笑顔です✩.*˚

13歳でがん告知 ✩.*˚愛娘は今日も笑顔です✩.*˚

現在看護学生1年、当時13歳の娘が受けたがん告知。
希少がんが故に確立された治療法がないらしい腺様嚢胞癌とやら……
過去から現在に至るまでの記憶を留める為。
同じ境遇の方が少ないので、そういった方に少しでも情報が伝われば…という思いで始めてみたいと思います。

全て終わって病院を出る頃にはしっかりと雪が降っていました。

それでも道路に積もることはなく、とりあえずお昼を食べて帰ろうと食事処に寄りました。

注文をして待っている間にもしんしんと雪は降り積もり、一気に外は白くなっていきました。

そんな時、会社の人からのLINEで高速が通行止めになっていると知りましたガーン


さて、どうしよう……

翌日は末娘の年度末最後の参観日。

行くと約束したし…午前中は仕事にも行かなきゃだし、何としても帰らなければと下道で帰ることを決断。

これが間違いでした


13時前に出発し、下道を走るも早々に渋滞。

既に通行止めになった高速から降りてきた車でほとんど動きません驚き

それでも何とかナビを頼りに車を走らせましたが、雪はどんどん降り積もり視界も悪くなっていきました。

それなのに峠の様なところを通ることに……

途中行き交う車やトラックが坂道を登れなくなり立ち往生。更なる足止めをくらいました。

そしてしまいには大型トラックがバックのまま坂道を下るという大変な事態に。


本来高速を使って帰っていたら遅くとも夕方には自宅に着くはずだったのに、とうに夕方は過ぎ辺りは暗く、ますます視界が悪くなりました。

先程の峠はなんとか越え、しばらくするとさらに山道。

ナビを見るとかなり続く山道らしく、スタッドレスタイヤをはいているとはいえ2WDでは不安しかありませんでした。

そんな私の不安が娘にも伝染してしまい、だいぶ登った辺りで『引き返そうよ。もう進めないよ』と『ここまで来てそんなの無理だょ。引き返したところ周りに何にもないしどうするの』と私自身パニックになっていたこともあり、少し言い合いになってしまいました。


それでもと必死にハンドルを握り慎重に歩を進めていましたが、下りの終盤で恐れていた事態に。エンジンブレーキを使ってゆっくり下っていたのですが車体が滑りだして制御不能に。

なんとか必死にハンドルをきり体制を立て直し、対向車がなかったおかげで事なきを得ましたが、あわや最悪の事態になる所でした。


病気の事ではほとんど涙を見せない娘ですが、よっぽど怖かったのでしょう。

私が彼女を泣かせてしまいました。

病気は今すぐ死ぬ訳じゃないって思えたけど、今回はこれで死んじゃうのかと思ったと。

本当に申し訳無いことをしました。


やっとのこと山道を抜けそこそこ平坦な道に出ましたが、吹雪の様に降る雪。

ワイパーに雪が着雪して凍り、全くかいてくれないのでより一層視界は悪く。

道路は雪が踏み固められて凍りガタガタ、私の疲れもピークを過ぎていました。

助手席では娘が父親とLINEでどの道を行った方がいいとかのやり取りをしてくれて、あと少し頑張らなければと再度気合いを入れ直しました。


その後も至る所で立ち往生する車を見ては不安になりながらも、やっとのこと運転したことのある道にたどり着きました。

それでも普段とは全く様子が違いスピードは最小限にゆっくりゆっくり進み、ある場所まで来ると雪はあるものの嘘みたいに走りやすくなり、なんとか無事家にたどり着きました。

7時間半の長旅となりましたが、生きて帰れて良かったです。