◎和歌に見られる鎮守の森
「杜」「社」「森」「神社」は、すべてモリと読むことができます。日本最古の歌集『万葉集』にも、モリが十五例詠まれています。単に木が茂った場所をさすのは一例のみで、残り十四例はすべて神域をさします。モリという言葉と信仰との密接な関係がうかがえます。代表的な歌として、
「木綿(ゆう)かけて、斎(いわ)ふこの社(もり)、越えぬべく、思ほゆるかも、恋の繁(しげ)きに」(『万葉集』巻第七)
があります。現代語にすると「神域の木綿を懸けて清め祭っている社(やしろ)、この神域さへも、ほんにまったく踏み越えて入り込んでしまいそうな気がする。恋のあまりな激しさに。」〔伊藤博訳〕)となります。燃える恋と、厳かな神域のありようが対比的に描かれた歌といえます。また、「山科(やましな)の、石田(いわた)の社(もり)に、幣(ぬさ)置かば、けだし我妹(わぎも)に、直(ただ)に逢はむかも」(『万葉集』巻第九)も、恋と社を詠んだ歌です。
【参考文献】
上田篤編『鎮守の森』(鹿島出版会、昭和五十九年)
櫻井治男「神木・神樹」(國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂、平成六年)
現代神道研究集成編集委員会編『現代神道研究集成』第十巻(神社新報社、平成十二年)
岡久生「もり」(『万葉ことば事典』大和書房、平成十三年)
上田正昭・上田篤編『鎮守の森は甦る―社叢学事始―』(思文閣出版、平成十三年)
財団法人神道文化会編『自然と神道文化2―樹・火・土―』(弘文堂、平成二十一年)
伊藤博訳注『新版万葉集』二(角川ソフィア文庫、平成二十一年)
〔万葉集〕
①泣沢の 神社(もり)に神酒据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ(②・二〇二)
②木綿かけて 祭る三諸(みもろ)の 神さびて 斎ふにはあらず 人目多みこそ(⑦・一三七七)
③木綿かけて 斎ふこの神社(もり) 越えぬべく 思ほゆるかも 恋の繁きに(⑦・一三七八)
〔出雲国風土記〕(秋鹿郡)
足高野山 郡家の正西一十廿歩なり。高さ一百八十丈、周り六里なり。土こえ、百姓のゆたかなる園なり。
樹林なし。但、上頭(みね)に樹林あり。此は則ち神の社(もり)なり。
④ちはやぶる 神の社(やしろ)し なかりせば 春日の野辺に 粟蒔かましを(③・四〇四)
⑤ちはやぶる 神の社(やしろ)に 我が掛けし 幣は賜らむ 妹に逢はなくに(④・五五八)
*他に「雲梯の神社」「岩瀬の社」「浮田の社」「石田の社」「妻の社」「三笠の社」「龍田の社」
〔出雲国風土記〕(意宇郡・屋代郷)
天乃夫比命の御伴に天降り来坐しし伊支等が遠つ神、天津子命の詔ひしく、
「吾が静まり坐さむと志(おも)ふ社」
と詔ひき。故、社と云ふ。〈神亀三年、字を屋代と改む。〉
◎「やしろ」は、神を祭るための「屋(や)」を建てる「代(しろ)」特別区画のこと。
*漢字の意味
「社」 土地の主 主神「句龍」 この神を組合(結社)ごとに聖地を選んで祭る。
『新撰字鏡』 社 也志呂 そこにふさわしい「社樹」を植えた。 →「会社」「社会」
槐(えんじゅ) 櫟(くぬぎ) 楡(にれ)
「杜」 甘棠(やまなし)
塞ぐ
『新撰字鏡』 杜 毛利、又、佐加木