神体山、磐座、神籬 | laphroaig-10さんのブログ

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◎神体山、磐座、神籬


現在、神様がおられる場所として思い起こされるのは、数々の建物が建つ神社です。しかし、古代においては建物のない自然の中でお祭りが行われていたと考えられます。磐座(いわくら)・磐境(いわさか)とよばれる神秘的な岩石や、神籬(ひもろぎ)とよばれる神秘的な樹木によりついた神様を、人々はお祀りしていたようです。山も神様がよりつく対象となったり、神様が降り立たれる場となります。この様な山を、神体山(しんたいざん)といます。例えば富士山では、山自体が古来から信仰されており、八合目以上は富士山本宮浅間神社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)の境内地となっています。他に、森も神様がいる場所と考えられていました。神の鎮まる、山や森のことを古代の人は「神奈備」(かんなび)とよびました。『万葉集』では、現在三輪大社(みわたいしゃ)(奈良県桜井市)の鎮座する三輪山をさす「三諸」(みもろ)という語にかかって用いられました。



●神籬の基本的資料と語源説


イ、神代紀下、天孫降臨。一書第二

高産霊尊因勅曰。吾則起樹天津神籬及天津磐境。当為吾孫斎矣。
汝天児屋命。太玉命宜持天津神籬。降於葦原中国。亦為吾孫奉斎焉。

*天上界から神の降臨する森の垣。ヒは「霊ひ」、モロは森。キは「垣かき」のカの脱か。「神籬」は訓字とみられる。                                 (西宮一民先生A説・新編日本古典文学全集本頭注、一三七頁)

ロ、古語拾遺

天津神籬〔神籬、古語、比茂侶伎。〕

*天津は天上界の。ヒモロキはヒモロオキの約か。ヒモロは神霊の依ります森。実際には、神の依ります森の表象たる榊を立ててユフ(木綿)を垂らして設置したのでオキ(置)を接尾したものと思う。

(西宮一民先生B説・岩波文庫本脚注)

◎私は西宮先生A説の方を支持します。


【参考文献】

「磐座」「磐境」「神籬」(宮地直一・佐伯有義監修『神道大辞典』平凡社、昭和十二年)

景山春樹『神体山』(学生社、昭和四十六年)

坪井洋文「神籬」、河野省三「神奈備(神名火・甘南備)」(國學院大學日本文化研究所編『神道要語集』祭祀篇一、神道文化会、昭和四十九年)

大場磐雄「神体山」(國學院大學日本文化研究所編『神道要語集』祭祀篇二、昭和五十一年)

椙山林継「磐境」(國學院大學日本文化研究所編『神道要語集』祭祀篇三、昭和六十二年)

椙山林継「神籬」「神体山」「神奈備」(國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂、平成六年)