こんばんは
よしだあきこです。
今日から姉妹の3学期が始まり
年度末3か月がスタートです。
本日「110番の日」は
父の命日なり
父が亡くなり25年が経ちます。
当時私は22歳。
若いからこそ、当時できたこと
今だからわかること、
振り返ると感慨深いです。
今日はオフとぶつかったのもあり
年末に行けなかったので
両親のお墓参りに行ってきました
大体うちから20キロくらい離れた場所に
両親の眠る霊園があります。
25年前と比べて
お墓の数もぐんと増えて
どんどんスペースが広がっています
お墓について、掃除をして
お花とお線香を手向ける。
と、お線香の火がつかないなんつう
アクシデントもありつつ
手を合わせて帰宅しました。
神様には願いを、仏さまには安心を。
私の中の座右の銘です(ちょっと大げさ)
家に戻ると1通のはがきが届いていました。
時期的に寒中見舞いかなと
よく見ると、寒中見舞いではありましたが
内容に、絶句。
母の友人が亡くなったという知らせ、つまり訃報でした。
母が亡くなったのは平成5年で
当時は法事の連続でオーエルやっていた
私はとにかく無力な中
周りのサポートのおかげで乗り切ってましたが
その一人でもある、母の友人Sさん。
母の高校時代の友人で
母が入院する寸前に行った同窓会で
久しぶりに再会して住所の交換をしていたようでした。
入院中、母はSさんに何度も手紙を下書きしては
破いていた姿を知っていた私は
母が亡くなってすぐに、手紙をだしたんです。
迷惑かなとは思い
迷いながらも、出すことを決意し
その後、Sさんは私のもとへすぐ来てくれて
(しかも快く)
初対面ながら、色々話をさせて頂きました。
その後、私とSさんの付き合いは
ずーっと続き
年賀状と暑中見舞いを通して
お互いの近況を報告しあってきました。
数えるほどではありますが
直接会ったり
電話で話したりもありました。
ご主人を亡くされ
「喪主の大変さをこの年で知りました」
と私の当時の大変さを改めて
労ってくださる言葉をもらったり
息子さんやお孫さんと旅行に行った話など
思えば、私の母の同級生の方なのに
私と懇意にしてくださり
丁寧なはがきを年に2回くださっていたSさん。
昨年の7月に亡くなったと
息子さんからの寒中見舞いには
書かれていました。
ご本人の意向で
闘病中のときは連絡をしなかったそうです。
我が家も昨年は喪中で
バタバタしてましたが
新年に頂いた年賀状に
「今年こそお会いしたいですね」
との文字があり
改めて、会いにいけばよかったと
悔やまれてなりません。
両親の死を体験しているからこそ
私の中に「命の有限さ」というものが
自然と染み込んでいると自負していましたが
月日とともに、人の感覚は薄れますね
それもわかっていたのに
本当に残念でなりません。
自分の人生を振り返ったとき
後悔ってほとんどない自分に
ここで1つペナルティがついた気分ですが
だからこそ、今できることを
しっかりやろうと初心に戻れたかもしれません
父の命日に
届いた1通のはがき。
すでにSさんと母は再会しているのかな
私とSさんのお付き合いは
終わってしまいましたが
頂いたはがきは大切にとっておこうと思います。
後でやろう
いつか会おう
そのうち
そのうち。
タイミングはあれど
「今」を大切にしよう。
合掌。