おはようございます
よしだあきこです。
5月下旬から
かなりの忙しい日々ですが
いいのか悪いのか
忙しいことに慣れてしまっているので(苦笑)
休むことを常に意識しながら動いています。
5月30日に義父が亡くなり
こちらの記事をさらっと書きました。
お付き合いありがとうございます。
ま、しばらくはこんな感じの記事が続くと思います。
私自身、平成4年に父を
平成5年に母をガンで見送っています。
父の時は母がいたのもあり
自分は大したサポートしていなかったなぁと
何年たってもその後悔はぬぐえませんが![]()
人ってそんなに上手にたちまわれるものでもないので
今は、後悔の気持ちはそのままで(笑)
何かの折に自分にできることがあれば
還元しようと思って、生きています。
母が亡くなったとき
私は喪主でした。24歳の時です。
次女である私が喪主になったのには
事情がありました。
10歳上の姉はすでに結婚をしていたので。
しかも父が亡くなった時
姉夫婦は海外に暮らしていたため
一時帰国という形で葬儀に出席していました。
ま、これもタイミング。
その後、帰国が決まり
母が入院をしていたときには
姉と交代でお見舞いに行っていました。
今当時を振り返って思うのは
父と母が続けて亡くなったことで
とにかく法事、法事、法事で
3~4年は奔走していた気がします![]()
ま、だからこそ
今客観的に、旦那の実家を眺めることができるのかな(笑)
しかも、父も母も亡くなって
翌日には通夜、その翌日には告別式という
パターンだったので、なおさら
知識も何もないまま
膨大にやらなければならないことを
こなしていたからかもしれません。
次から次へと波が来ていた感じ![]()
義父の場合は違います。
5月30日に亡くなったのですが
通夜は今夜4日。
告別式は明日5日となりました。
でもね、余裕があるのかと思いきや
(もちろん、空き時間は多少はありますよ)
これがまた、忙しい![]()
義父は以前から
「葬儀は簡素にしてほしい」
と思いを語っていました。
が、実際は
ヨシダを守って40年強
代々続くこの家の当主が亡くなったのですから
簡素なわけはありません![]()
通夜も葬儀も自宅で十分行えるスペースがありますが
さすがにそれは避けて
別の場所で営むことに、しました。
それでも、毎日手をあわせに
弔問客が、すでに50名弱![]()
合間に、枕経と納棺式も行いました。
こういう経験も何度もあることではないので
貴重な体験をさせてもらいました。
個人的にお経は好きなのと
仏教の話って面白いので
今を味わっています![]()
因みに枕経とは
文字通り、
亡くなった人の枕もとであげるお経のこと。
本来は死にいく人が不安にならないように
案内として枕もとでお経をあげるのですが
亡くなって最初にあげるお経というのが
今の習わしです。
ヨシダは真言宗なので
枕飾として、不動明王の掛け軸を
かけることに。
因みに屏風をさかさまにおき
「逆さごと」を行います。
葬儀屋さんが準備してくれる場合もありますが
今回は、菩提寺の住職が
持ち込んでくれました![]()
こういうしきたりも
今では簡略化されたり、地域性もあるので
同じことって本当にないな~と
心底感じます。
当日は15歳未満の子供は参加できないと
住職に言われまして
我が家の姉妹には
急きょ退座してもらいました![]()
理由は
「魔がさす」
から、だそうです![]()
子供の騒ぎ声などは
お経の妨げになるというので
「お経がきちんと通らない」
つまりは
「魔がさす」という意味だとか![]()
いやはや、言葉って本当に深い![]()
魔って魔王の意味なんだね![]()
枕経が終わり
次は納棺式でした。
数年前、話題になった映画
「おくりびと」
加えて、この本も![]()
以前読みました。
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個人的には
死後硬直する部分のマッサージのくだりが
とても感動しました。
実際復元している最中をみることはできませんが
終わって、みんなで義父に会いにいくと
見事に顔色など
今すぐ起き上がってきそうな雰囲気に。
義母曰く
組んでいる手に触れたら
ふわふわしていたそうです。
技術のなせる業ですよね![]()
この2つの儀式。
葬儀を斎場ですぐ執り行う場合は
かなり簡略化されるのですが
義父の場合は
亡くなってから通夜までの日数もあるため
自宅でしっかり?執り行われました。
白装束をまとった義父は
立派な棺に納められ
今日の午後には自宅を出発して
斎場へ向かいます。
義父が天寿を全うするために
お手伝いを、しっかりしてこようと思います![]()
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