今日から旧盆にて
お墓参りに行く方も多いでしょうか。
我が家もこれから行きます。
セラピストのよしだあきこです
私の両親はどちらも東京生まれではなかったため
「盆」というと、8月13日~だという認識が
自分の中に浸透しています。
小さい頃は、盆といえば、たくさんの親戚と会って
いとこと海へ行ったり、花火をしたりして
「夏休みの思い出の1ページ」として
心に刻まれていました。
20代に両親が相次いで亡くなり
「盆」を自分が取り仕切る立場になり
仏様について考えたり、お彼岸とは?
先祖を迎えて見送るということは・・・と
仏教について深く考えた時期もありました。
なので、その後は盆といえば
切ない時期と言いますか・・・
当時旅行会社勤めをしていた私にとって
仕事では、お客様の「旅行の手配」を淡々とこなしていましたが
プライベートで、この時期に自分が出かけるなんていうことは
罪悪感のかたまり、そのものでした。
(思い込み含め)
狭いアパートに、提灯や灯篭をだして
一人黙々と盆準備をしていました。
当時ペキニーズを飼っていた私は
犬がお供え物に触れないように配慮し
さして人もお参りには来ないにせよ
来客を迎え入れる準備に勤しんでいました。
結婚してもそれは変わらず
いつもこの時期はなんだか切ない感覚。
子供がうまれて、せわしくなり
切ない感覚は抜けきれないにせよ
この頃ではお墓の掃除も子供たちがしてくれるようになり
子供の成長とあわせて
直接的には会うことが叶わなかった
孫と祖父母の対面が微笑ましく感じるようになりました
両親の仏壇は姉との話し合いで
私が所持しているため、自宅には仏壇があります。
(普段はシステム収納されていて表にはでていませんが)
この時期、お花やお供え物で華やかになりますが
普段から、特に長女がことあるごとに
仏壇に手を合わせてくれます。
手を合わせること。
見えない相手に思いを馳せること。
なんとなく伝わっているのかなと思っています
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子供たちもまた一段と手を合わせることが増えました。
いのちについて、自分について、
立ち止まって考えることが今後増えることでしょう。
ここ数日はそんな日を私も過ごしたいなと思います
実際は、ばたばただと思いますけど・・・ね