こんにちわ、蒼です。
心も体も仕事も緊張と弛緩のメリハリが大切。
いつも張っていてもよくないし、いつも緩みっぱなしもよくない。
こんにちわ、蒼です。
今月20日に唐津神社で二十日恵比寿がありました♪
約200年以上の歴史を持つこの二十日恵比寿は、
唐津くんちの一番曳山(やま)である赤獅子の町「刀町」が執り行っています。
町内のみで行っていたものを、近年になって一般にも開帳したそうです。
僕が子供の頃にはもうすでにあった記憶があるので、
一般開帳になって3、40年と言ったところでしょうか。
福笹がもらえる福引や福袋、無料のぜんざいも振舞われていました(⌒¬⌒*)
子供の頃からあるものなので何の疑問もなかったんですが、
そもそも二十日恵比寿ってなんじゃらほい?と思い調べてみました♪
すると実は、二十日恵比寿は神無月のお話に行き着くんですΣ(・ω・ノ)ノ!
いにしえの神無月(旧暦の10月)、全て(八百万)の神様たちが
出雲へ行って話し合いをしていました♪
しかし、出雲へ行かない神様もいたんです。
それが恵比寿様です(*^▽^*)
恵比寿様は元来大漁の神様だったんですが、豊作の神様になったり、
商売の神様、家を守る神様とマルチな才能を
発揮されてらっしゃる神様だったんです(o^-')b
なので庶民の人気も高い高い('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
しかし家を守らなくちゃいけないので、
出雲へ行けなかったんでしょうね(ノ_・。)
それじゃあ恵比寿様が不憫でかわいそうだってことで、
恵比寿様を慰めるべく盛大にお祝いをする習慣になったそうです。
なんとも粋な計らいじゃありませんか!
日本人って昔からこんなに粋で、
神様にも優しい民族だったんですね('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
こんなに素敵なお祭りは後世にも是非伝えていきたいものですね♪
唐津のゆるキャラ「唐ワンくん」と神主さんと通りすがりの方の
不思議な3ショット( ´艸`)
今月20日に唐津神社で二十日恵比寿がありました♪
約200年以上の歴史を持つこの二十日恵比寿は、
唐津くんちの一番曳山(やま)である赤獅子の町「刀町」が執り行っています。
町内のみで行っていたものを、近年になって一般にも開帳したそうです。
僕が子供の頃にはもうすでにあった記憶があるので、
一般開帳になって3、40年と言ったところでしょうか。
福笹がもらえる福引や福袋、無料のぜんざいも振舞われていました(⌒¬⌒*)
子供の頃からあるものなので何の疑問もなかったんですが、
そもそも二十日恵比寿ってなんじゃらほい?と思い調べてみました♪
すると実は、二十日恵比寿は神無月のお話に行き着くんですΣ(・ω・ノ)ノ!
いにしえの神無月(旧暦の10月)、全て(八百万)の神様たちが
出雲へ行って話し合いをしていました♪
しかし、出雲へ行かない神様もいたんです。
それが恵比寿様です(*^▽^*)
恵比寿様は元来大漁の神様だったんですが、豊作の神様になったり、
商売の神様、家を守る神様とマルチな才能を
発揮されてらっしゃる神様だったんです(o^-')b
なので庶民の人気も高い高い('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
しかし家を守らなくちゃいけないので、
出雲へ行けなかったんでしょうね(ノ_・。)
それじゃあ恵比寿様が不憫でかわいそうだってことで、
恵比寿様を慰めるべく盛大にお祝いをする習慣になったそうです。
なんとも粋な計らいじゃありませんか!
日本人って昔からこんなに粋で、
神様にも優しい民族だったんですね('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
こんなに素敵なお祭りは後世にも是非伝えていきたいものですね♪
唐津のゆるキャラ「唐ワンくん」と神主さんと通りすがりの方の
不思議な3ショット( ´艸`)
生き方や信念、価値観などを「心掛け」といったりする。
日々の心掛けこそが大事なのかもしれない。
その心掛けの積み重なり次第でその人の人生が
「良く」もなり「悪く」もなるのではないだろうか。
ひとつひとつの積み重ねはとてもとても小さい。
小さいからこそなかなか人は気づきにくいのだ。
しかしそれこそがとても大事なのだ。
自分の人生を振り返ってみると、
心掛けのひとつひとつが大事だったのがよくわかる。
過去を振り返ってみるとよくわかるのは、
積み重なりが大きくなっているからだ。
これは結果論である。
ではどうすればよいか?
たぶんきっとそれは日々の心掛けができていたかどうか、
一日の終わり、一年の終わりという節目節目でチェックするしか
方法はないのかもしれない。
今日一日を振り返り、悪い心掛けはなかったか、
また悪い心掛けをしてしまったならば、
明日はしないように自分が自分に注意する。
毎日日記をつけ始めて1年以上が過ぎたが、
自分の心の定点観測をするのに日記はもってこいだと思うのである。
了
日々の心掛けこそが大事なのかもしれない。
その心掛けの積み重なり次第でその人の人生が
「良く」もなり「悪く」もなるのではないだろうか。
ひとつひとつの積み重ねはとてもとても小さい。
小さいからこそなかなか人は気づきにくいのだ。
しかしそれこそがとても大事なのだ。
自分の人生を振り返ってみると、
心掛けのひとつひとつが大事だったのがよくわかる。
過去を振り返ってみるとよくわかるのは、
積み重なりが大きくなっているからだ。
これは結果論である。
ではどうすればよいか?
たぶんきっとそれは日々の心掛けができていたかどうか、
一日の終わり、一年の終わりという節目節目でチェックするしか
方法はないのかもしれない。
今日一日を振り返り、悪い心掛けはなかったか、
また悪い心掛けをしてしまったならば、
明日はしないように自分が自分に注意する。
毎日日記をつけ始めて1年以上が過ぎたが、
自分の心の定点観測をするのに日記はもってこいだと思うのである。
了
では何故人によってこうも色々な人生があるのか?
一見、人によっては間違ったことをしているように見える人も
見受けられる。
また自分は不幸だと思っている人も少なくはない。
思うに、ひとつひとつの決断に不正解はない。
しかし人には自分の生き方、考え方、
信念、価値観という大きな枠組みがある。
その枠組みの中で様々な決断をしていくと、
ある種の方向性や流れができてくるように思う。
お天道様に顔向けができないような生き方はしてはいけないと
思っている人はそういう決断をしていく。
また人を出し抜いてでも人より得をしようと思っている人は、
そういう決断をしていく。
その積み重なりなのではないかと思う。
その積み重なり次第で、人は「何故こんな目に遭わなくては
いけないのか」と悲嘆に明け暮れる人生を
送らねばならなくなったりする。
一見、人によっては間違ったことをしているように見える人も
見受けられる。
また自分は不幸だと思っている人も少なくはない。
思うに、ひとつひとつの決断に不正解はない。
しかし人には自分の生き方、考え方、
信念、価値観という大きな枠組みがある。
その枠組みの中で様々な決断をしていくと、
ある種の方向性や流れができてくるように思う。
お天道様に顔向けができないような生き方はしてはいけないと
思っている人はそういう決断をしていく。
また人を出し抜いてでも人より得をしようと思っている人は、
そういう決断をしていく。
その積み重なりなのではないかと思う。
その積み重なり次第で、人は「何故こんな目に遭わなくては
いけないのか」と悲嘆に明け暮れる人生を
送らねばならなくなったりする。
私達は日々いろんなことを選択して生きている。
大きな選択では結婚や就職などであろう。
その選択において自分が決定した選択肢以外のシナリオを
私達は見ることができない。
もし今の職場ではなくて、別のところで働いていれば…
と考えたことがない人はほとんどいないと思う。
もし自分の人生で選ばなかった別のシナリオをきちんと
見ることができたなら、こんなに楽なことはないだろう。
しかしそれはできないのだ。
ある人は言った。
「正解のある選択肢の中から答えを選ぶことが判断である」と。
これは選んだ結果が正しいなら正解、
間違いなら不正解とわかりやすい。
そしてある人はこうも言った。
「正解のない選択肢の中から答えを選ぶことが決断である」と。
私達は別のシナリオを見ることができない時点で、
自分の選んだ選択が正しかったのか
はたまた間違っていたのかはわからないのである。
つまり、人生とは決断の連続であり、
自分の選んだ道に不正解はないと言える。
逆に言い換えると、選んだ道こそが
すべて正しい選択であるとも言えるのだ。
大きな選択では結婚や就職などであろう。
その選択において自分が決定した選択肢以外のシナリオを
私達は見ることができない。
もし今の職場ではなくて、別のところで働いていれば…
と考えたことがない人はほとんどいないと思う。
もし自分の人生で選ばなかった別のシナリオをきちんと
見ることができたなら、こんなに楽なことはないだろう。
しかしそれはできないのだ。
ある人は言った。
「正解のある選択肢の中から答えを選ぶことが判断である」と。
これは選んだ結果が正しいなら正解、
間違いなら不正解とわかりやすい。
そしてある人はこうも言った。
「正解のない選択肢の中から答えを選ぶことが決断である」と。
私達は別のシナリオを見ることができない時点で、
自分の選んだ選択が正しかったのか
はたまた間違っていたのかはわからないのである。
つまり、人生とは決断の連続であり、
自分の選んだ道に不正解はないと言える。
逆に言い換えると、選んだ道こそが
すべて正しい選択であるとも言えるのだ。

