てっぺいしゃんのエックハルトを読む会は

説教12『神のために神を捨て去るということについて』。

 

 

 

この説教は、『天使のトリヴィア』の時に

レジリエンスの解説の一環で

一部が引用されてる。

 

これが初めてわたしが

マイスター・エックハルトに出会ったときいのる

 

 

このときてっぺいしゃんの翻訳で読んだ。

平易な訳を付けてくれてたから

分かったつもりになれたんだなぁ。

 

 

 

 

さて、今回の説教12は

聖母マリアの生誕祝日にされたもので

エックハルト晩年の説教。

 

 

すごく広がりがあるから、

とそれをイメージしやすいように、

とカラー図版を

たくさん使った資料が配られた。

 

 

 

カラフルな宗教画や

その頃の貿易ルート、

禅、シャガール、デリタを

カラフルな絵で見ながら

解説を聞いているうちに

意識が変性するような

ぼわんとした感覚になっていった。

 

 

で、繰り返し出てくる

BE = 在る だから

全てが在るし

神とその一点で等しい、を

シャワーのように浴びて

穏やかな休日の昼下がりのように

静かに幸せな氣持ちになったsecret

 

前はこういう件を聴くと

神の愛に胸がキューンとなって

泣きたくなったものだが。

 

 

てっぺいしゃんの狙い通り、

みんな、

言葉を聴き、

イメージが膨らむ図版に見惚れ、

エックハルトの語る世界を

感覚で掴むことができたように思う。

 

 

 

極めて心地よい講座だったなぁ。。。。

 

 

 

 

今回個人的にウケたのが、

使われた図版の『十字架を運ぶキリスト』に

ヴェロニカが描かれていたこと。

 

 

わたしの堅信名なのだー。

大人になってから洗礼を受ける人は

洗礼の時に

洗礼名と堅信名と両方いっぺんに選ぶ。

 

洗礼名は

女性はやっぱりマリアでしょう

と司祭様が仰ったのでマリアに。

 

堅信名は聖人辞典から好きなのを選びなさい

と言われるのだけれど、

かなりな数があるわけで

決められなくて困った。

 

確かテレジアとか勧められたのだけれど

そんなに信仰厚いのは荷が重いと言ったら、

「ではヴェロニカは?十字架を背負うキリストが

倒れた時に、汗を拭えるよう布を差し出した

というだけで聖人に列せられた女性」

と言われて

安心してヴェロニカにした。

 

 

 

そうしたらさ、

彼女が差し出した布でイエスが顔を拭くと

布にイエスの顔が浮かび上がった

という逸話が付いてた。

 

 

 

うーーーーーーん。

 

 

神父様はここまで説明してくれなかったから

その当時は知らなかったのよね…

 

 

わたしはそのオマケの話ではなく

ヴェロニカの勇気にあやかりたいと思ったのだ。

 

なんてことを思い出したりもした。

 

教会に行かなくなってから

何年も経ってから

マイスター・エックハルトで

もう一度神に触れるとは。

 

 

 

 

もう一つ印象に残ったのが

ジャック・デリダの『自伝的動物』

 

ジャック・デリダ

まなざし論とか脱構築を唱えた哲学者。

飼っている雌猫と見つめ合って

人間社会の規範の外から

裸の目でこちらを見る猫のまなざしに晒され、

アダムとイヴのように恥じる。。。

 

動物は生来的に裸で、ただ存在する。

その裸のまなざしを受けて

より根源的なただ在るわたしを思い出す。。。

 

という解説をきいたのちに、

シャガールの「村と私」を眺めると、

緑の男を見る牡牛の目線に

吸い込まれる。

 

 

ジャック・デリダを調べたらKIN18だった。

猫が似合うし、映し出す感じが現れてるなぁ

というところも密かに楽しむ。

 

大学生の頃、一時期動物行動学に

興味を持って、

コンラート・ロレンツの「ソロモンの指環」

愛読書だった。

猫も飼ってて、

見つめ合うこともよくあるけれど、

形而上学的な考察には至らなかったなぁ。。。

 

 

 

 

説教12は今までとちょっと違った趣だった。

 

 

7月8日にもう一度同じ説教12開催があるよ。

 

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