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熱血講師 ショーン 近藤 Leadership & Language Boot Camp

日本人精神を復古させ、日本人が真のリーダーシップを発揮し、世のため人のため活躍出来るよう、語学教育とリーダーシップ研修を通して皆様と大きな力を作り上げていく熱血講師 ショーン・近藤の公式ブログです!

ヤンゴンでの旅程初日は、先ず日本人墓地での慰霊です。先の大戦で亡くなった日本兵をはじめとするミャンマーで亡くなられた日本人の方々の墓地へ先ずお参りに行くことから旅を始めようと考えていました。

今現在でもヤンゴン(旧首都)は、ジャングルが多く残っている都市です。また、一歩ヤンゴンの市街地に出たら、戦前の日本のような街並みと、多くの露店、そして田園風景が広がっています。これを、大東亜戦争時代に戻ったらどんな風景が広がっていたことか。こんなジャングルと広がる田園風景と農村の中を帝国陸軍は、ビルマの独立とインパール作戦を視野に入れた戦線拡大でこの地に展開したのでしょう。日本から遠く離れたこの地で多くの日本兵は命を落としたのです。このかの地で命を落とされた我々の偉大なる先人達、英霊の御霊に祈りを捧げなければならないと思っていました。

 

ミャンマーへの渡航前、私は靖国神社に詣で、お札を購入しておりました。彼らは、国家存亡の危機の中、命を捧げ、大陸に渡ったのです。勿論、死を覚悟の遠征です。特攻隊と同様に多くの兵士は悪化する戦況の中、死を覚悟せざるを得なかったのではないでしょうか。亡くなられた残存兵の小野田少尉が語っていました。「私達は、靖国で再び会おうと約束して散っていったんだ。」命を賭して戦いに臨み、心は、かの大和の国にある靖国に置いて行ったのでしょう。靖国に眠る英霊の御霊の意を乗せたお札を墓地に捧げることが彼らの慰霊になると考えての行動です。

 

ミャンマーでの作戦を振り返ってみますと、本当に帝国はビルマの真の独立を考えてここまで侵略戦争を拡大していったのか?という疑問にたどり着くと思います。そこには疑念があることは否めません。しかし、かの大東亜戦争は、もともと人種戦争であり、英米の対日工作に抗しなければ帝国は亡国にならざるを得ない状況に追い込まれていたのです。西欧列強とアメリカは、最終的にアジアの植民地支配を画策しておりました。多くのアジアの国々は西欧列強の植民地支配下に置かれ、いよいよ中国の支配に乗り出していました。

 

この辺の事情は、多くのページを割き日本及びアジアの近代史をきちんと学ばなければなりません。日本は、現代の歴史観が教えている通り、アジアの暴君で多くの国々を侵略していったのでしょうか?それは、真逆です。大航海時代に遡り多くの西欧諸国がアフリカやアジアで行ってきたことをよく学べば見えてくることがあります。ヨーロッパやアメリカの白人は、黒人や黄色人種は、白人とは異なり、脳の構造も違う。白人が優性であり、白人以外の人種は劣性で、白人が主人で、その他の人種は彼らに仕えることが当たり前と考えていたのです。それを正当と考え、次々と多くの国々を侵略し、植民地支配し、多くを搾取し、自国の繁栄を第一に考えてきたという経緯を知らなければなりません。

 

読者の皆様には、日清戦争、日露戦争、日中戦争、そして大東亜戦争の流れを今一度振り返っていただきたいと思います。中国の真の独立のための援助、中国大陸及び朝鮮半島の近代化の手伝いなど率先して行っていました。日本はアジア安定のために立ち上がり、隣国との協同が欠かせないと考え、動いておりました。それを裏付ける資料として、既に亡くなった中国や朝鮮半島の方々の親日や日本への感謝の証言が多く残っています。これらの事実を今一度皆様に認識した頂き、命を賭して戦った英霊に感謝の気持ちを持っていただきたいのです。

 

私は、感謝の気持ちと戦友の祈りがこめられたお札を日本人墓地に捧げてきました。私が墓地に参拝したのは11月中旬の朝の9時半ごろでしたが、既に気温は余裕で35度を超えていたと思います。当時の日本兵の苦労が窺い知れます。軍服に背嚢、武器弾薬を装備しての炎天下の行軍を余儀なくされていたでしょうから、それは想像を絶するものであったのではないかと思います。現役自衛官当時に行軍訓練を幾度か経験しておりますが、比にはならないでしょう。

 

この日本人墓地には、管理人らしきおばさんがいます。彼女は線香を売っていました。線香を購入し、また日々管理していただいている感謝の気持ちを込めてチップを置いてきました。英霊の墓地を後にし、いよいよミャンマーの人々との交流開始です!

 

 

ミャンマーに到着した翌日の朝、昨晩ちょっと飲んだ日本酒を抜こうと考えて、ルーティンでこなしている早朝ワークアウトに行くことにしました。朝食前に一汗かいて、気持よく朝食を体に入れて一日、気力体力充実させるという計画です。

 

宿泊しているスーパーホテルの近くにはインヤー湖があります。社長曰く、湖の畔は公園になっていて早朝、多くのミャンマー人や外国人がジョギングやワークアウトをしているとのこと。早速、ホテルのフロントでいき方を教えてもらい出発!

 

なんと、ホテルの前の歩道は、湖にたどり着くまでにはかなり怪しい状態になっており、バンピーサイドウォ-ク状態で歩くのでさえ困難な感じでした。そこを、なんとか超えて無事、インレー湖到着。ホテルから約1キロの道のりです。

そこには驚きの光景が私を待っていたのです。なんと、野良犬の多いこと。勿論、野犬に噛まれたら狂犬病に感染する恐れもありますから非常に恐ろしいわけです。そこで、多くのミャンマーの人々に交じりながら恐る恐るジョギングをしていたわけです。社長に聞いたら、やはり富裕層が多く、彼らは車で来て、ジョギングして帰宅する、といった感じだそうです。確かに皆さん、車で湖に来られていました。

 

さて、もう一点。これは、やはり、貧困の現実であります。ストリートチルドレンの多さはすさまじいのです。皆、肥料が入っているような少し大きめのビニール袋の中で寝起きしているのです。そんな子供達が徒党を組んで、彼らなりに組織を作り、何とかサバイバルしている光景を目の当たりにし、心が痛くなりました。勿論、彼らは、生きるのに精一杯です。こちらが持つ感情なんてお構いなしです。それどころではない。日々、生きていくための食べ物探しで一杯一杯なんですよね。彼らは、湖畔の公園で寝て、食料を見つけに周辺をさまよい、それで一日一日の命を繋いでいく。教育も何も受けることが出来ない。また、行政も彼らに手を差し伸べることもないのでしょう。勿論、親の存在は不明。また、周辺には数えきれないくらいの野犬が一日中うろうろしているわけですから危険極まりない環境です。唯一救いであるのは、敬虔な仏教信者の多くいる国ですので、その辺から救いの手があるのではないか、と推察できることです。朝から、まんじりともしない気持ちでワークアウトをそこそここなし、ホテルに戻りました。朝の気温は、そんなに高くはありません。人によっては、涼しいとか肌寒いと感じるかもしれません。「このくらいの気温なら大丈夫じゃない?」なんて思っていたら、それは大きな間違いでした。朝食は、一階のレストランで、和食を楽しみ、社長のピックアップの時間までホテルの屋上にある洗濯機で朝のワークアウトで着用したシャツ・パンツを洗濯していたときです。日が昇るにつれて気温がグングン急上昇です。

 

 

イヤー、暑い!灼熱です。日差しの強さに、「こりゃ、一日の移動は、エアコンなしでは無理だ!」と感じてきました。

 

 

11月中旬ですが、「そんなの関係ねェ!」状態です。早速、民族衣装のロンジーに着替えて出発準備完了です!当初の目的、「ミャンマーを肌で感じ、人々と交流し、理解する!」を完遂するために、ヤンゴン市内を駆け巡る行程がいよいよ幕を開けようとしていました。

 

 

 

さて、今回もミャンマーの旅のお話の続きです。

 

現在、ミャンマーでは、ロヒンギャ難民が隣国へ流出し、大きな騒動となっております。人口の90%を占める仏教徒は、ロヒンギャという少数イスラム教徒部族に対して決して良い印象を持っておりません。また、軍は、ロヒンギャの起こした事件をテロ行為と見なして軍事作戦を行っております。国家顧問のスーチー女史は、軍との対立を望んではおりませんし、彼女を盛り立てている多くの国民の支援を失うことも恐れています。まさに板挟み状態で苦しんでいる状況です。従って、状況の打開のために国連の介入に関しても前向きなステイトメントを発していますし、また、このような人種と宗教に端を発する差別に対し、ローマ法王をはじめ宗教界も大きな懸念を示しています。

 

私個人としては、様々な問題が山積しているにせよ、平和裏に物事を解決していただきたいと思っています。同じ人間であり、そのような状況に置かれている人々が、宗教観の違いや考え方の違い、彼らの部族の渡来の歴史など多くの問題が、絡まった毛糸のように問題が複雑化し、人々の怒りが暴力行為と言う最悪の表現で実行されたのは非常に悲しむべきことです。ミャンマーは米国同様、多数の民族で成り立っている国家です。長年に渡る英国の支配の下、英国はお家芸である民族分断統治を行い、「ビルマ人対少数民族」という構図を作り、根付かせてきました。世界の視点からは、「軍事政権対アウンサンスーチー」がミャンマー民主化のサブジェクトでした。多くの人々は、この「ビルマ人対少数民族」という長年の問題には注意を払ってきませんでした。しかし、スーチー女史率いる国民民主連盟が政権を握った後、様々な問題が明るみに出てきたのです。その一つがこのロヒンギャでしょう。その他にもカチン州やシャン州でも武装勢力と政府軍の戦闘など問題が山積しています。

これらの問題解決には相当の時間が必要でしょうし、またこの問題が悪化すれば、ミャンマーの国レベルでの様々な分野における発展にも大きく影響するでしょう。本当に彼らの「これからの国造り」に賭ける想いを活かし、国や国民の成長を考えると、このような問題は大きな障害となると考えています。なるべく早い時期にミャンマーに渡り、リーダーシップに関する教育と語学教育について提供し、俯瞰で物事を見、国を纏め上げる若い力を育成したいと考えております。

 

さて、お話を戻していきましょう。夕刻、バンコクを離陸したタイ航空の航空機は2時間30分という短いフライトスケジュールを順調にこなし、ヤンゴンの国際空港に向け航行しておりました。この時、飛行機の窓から外を眺めて想ったことは、「本当に光がない」ということでした。漆黒の闇の中を航行していたわけではありませんが、あまりに電気の力を感じることの無いフライトでしたから、「暗いなぁ」というのが率直な想いでした。またその暗さから一抹の不安を抱きながらも何とか無事に着陸。「良かった。」なんか、ミャンマーに来るときは昼間に来た方が良いな、と正直思いました。さて、入国審査です。これは、先ほど一緒に同乗してきた旅客がメインですから、すぐ終わるかと思いきや、全く列が進みません。そうです。ミャンマーの入国審査は、コンピュータではなく手書きによるものなのです。「遅い。」遅いけれどもミャンマーでは文句を言ったら大変なことになるし、審査官が脅してくるケースもあると聞いていたので、素直に待っておりました。列に並ぶこと30分。ようやく、審査をパスして晴れてミャンマーに入国です。日本で約束していたミャンマー人の社長が出迎えてくれました。空港内は快適でしたが、一歩外に出ると、夜なのに灼熱の暑さです。社長は、車も用意しておいてくれており、早速ホテルに向かうことに。しかし、ミャンマーの現地通貨を持っていない為、一旦スーパーの両替所に行きました。更にスーパーで民族衣装であるロンジーとシャツを購入。また、現地の人々が愛用するサンダルも併せてゲット。ようやくホテルに到着です。ホテルは、日本人が経営するスーパーホテル。温泉付きで快適です。夜も遅くになってきたため、一階のレストランで和食を注文し、ルームサービスをオーダーです。ヤンゴンの夜、一人寂しく、ミャンマー人の作ってくれた和食と日本酒を飲み就寝。翌日からの精力的な行動計画を実行するために英気を養ったのです。次の日からのお話は、続きの中で。お楽しみに!