さて、前回はフィリピンの声について紹介いたしました。今回は、ミャンマーです。
ミャンマーは、旧称ビルマです。未だに英語ではビルマ(発音はバーマ)を使う方が多いかもしれません。
実際、ミャンマーにおける日本の進攻についてミャンマーの人々は同感じていたのでしょうか。
ビルマは、1824年から約60年間、英国と戦争をした結果、敗戦し、英国の植民地とされてきました。マレーシアのところで紹介したように、英国は、自国の力の及ぶインド人と華僑をビルマに入植させます。従って、マレー人のようにビルマ人も職を奪われ、ほぼ奴隷のような扱いを受け、貧困の中生きていくしかありませんでした。そのような時、日本の日露戦争での勝利はアジア各国に大きな影響を与えておりました。勿論、ビルマの独立運動家達も例に漏れず、触発され、更なる独立に向けた動きを活発化させようとしていました。その筆頭が現在の国家最高顧問であるアウンサンスーチー氏の父、タキン党のアウンサン書記長でした。
当時、日本は中国大陸で中国共産党及び蒋介石率いる中国国民党軍との戦いを繰り返しておりました。中国の軍事組織を陰ながら応援していたのが米国、英国、そしてソ連です。日本は、中国のほとんどの港湾を掌握していたため、蒋介石は、支援を陸路からのみ受けるほか軍事行動を継続させることが出来ませんでした。その陸路が、援蒋ルートです。日本は、中国国内の中国軍事勢力を抑え込むためには、この援蒋ルートを封鎖するしかありません。この任務を任されたのが、鈴木大佐です。彼は、ビルマに送られ、活動を開始します。先ず、大佐は、タキン党に接触。そしてアウンサンら30名余りを国外に脱出させ、軍事訓練を施します。この軍事訓練を経て、鈴木大佐及びアウンサン以下のビルマ人はビルマ独立義勇軍を結成します。
鈴木大佐は、日本政府に対し、ビルマ独立義勇軍中心の臨時政府の樹立を含むビルマ独立を進言しておりました。これに、アウンサン以下、ビルマ人たちは独立が一歩近づいたと期待に胸を膨らませていました。
しかし、日本政府は、英国の影響やビルマ独立義勇軍の組織構成の年齢を考慮して、ビルマの独立延期を決定していました。この決定に、ビルマ人たちは落胆し、そして、彼らの心は日本から離れていってしまったのです。日本は、この状況に焦りを感じ、1943年にビルマの独立を認めます。初代首相には、アウンサンではなく英国占領時に首相を務めていたバ・モウをすえました。この政権は、間違いなく日本の傀儡政権であったため、アウンサンは不満を持ち続けることになります。
この頃、インドも英国からの独立を考えておりました。独立運動が活発に行われており、独立活動家が日本に亡命したり、また日本が支援したりと、関係が密接になっていました。そこでインドに隣接するビルマを日本が奪取したことも彼らの独立への運動が更に加速する要因となったのです。ここで、一計を案じたインド人は、日本軍にビルマからインドに進攻してもらい、インドから英国軍を追い出してもらおうと画策し始めたのです。この考えに乗った日本はインパール作戦を策案します。しかし、このインパール作戦は日本軍の補給がうまくいかなかったことから10万の兵のうち、7万の兵が餓死等により戦死してしまい、十分な兵力を維持できないまま、作戦を決行した結果、失敗に終わります。様々な状況における相次ぐ敗走の中、英国軍は勢力を取り戻し、ビルマに再侵攻します。日本軍の力を見限ったアウンサンらは、クーデターを起こし、英国に寝返ったのです。
このビルマの裏切りは、日本の敗戦を見越した上で、自国が生き延びるためには仕方のない決断であったのでしょう。
しかし、初代首相であったバ・モウは次のように述べています。
「真実のビルマの独立宣言は、1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真実のビルマの解放者はアトリー氏とその率いる労働党政府だけではなく、東條大将と大日本帝国政府であった」
このように、多くのアジアの国々は、日本の占領や日本の戦いについて様々な受け止め方をしています。しかし、総括すれば、日本の戦いは、アジアの国々の真の独立ということにおいて、ある意味、少なからず影響を与え、それぞれの民族の動機付けにはなったと言えるのではないか、と思うのです。
アプローチやプロセスは、それは正解だと言えるものではなかったかもしれません。しかし、与えられた環境・資源・条件・状況の中で日本軍は最善を尽くしたのであろうと推察できます。日本軍は武士道精神を根幹とした日本人精神をもって、進軍していったに違いありません。それぞれの国の人々の、このような率直な言葉を聞いても、尚、皆さんは、まだ自虐史観を持ちますか?
日本人の欧米の搾取行動に対抗する姿を、どのように感じましたか?
今が、平和だから良いのではないのです。
日本人の真の勇気と他国との協同によるアジア共栄の為の努力を、私達は今見習うべきではないでしょうか。