日米共同空域統制調整会議の通訳へ | 熱血講師 ショーン 近藤 Leadership & Language Boot Camp

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日米共同空域統制調整会議の通訳へ

さて日米共同指揮所演習YSの機能別訓練も終わり、総合訓練に移行しようとしていた頃、私が所属するA2C2(空域統制調整所)セクションでは、人間関係が悪化し始めていました。

まずもって問題なのが、航空部隊だけでこの部署を運用しているわけではなく、特科(野戦砲部隊)幹部及び高射特科(ミサイル部隊)幹部及び航空自衛隊幹部という様々な職種の人間で構成されている部署であったため、実施業務内容の理解に各人毎に差があり、円滑な業務がなされていなかったことが挙げられます。

特科幹部は、基本、特科陣地からの射撃によって、如何に自衛隊の陸上部隊の作戦に寄与するかを考えているためあまり空域に関する統制や調整を考慮して普段から訓練をしているわけではありませんし、またその当該統制・調整に関する知識もそんなに豊富なわけではありません。

高射特科部隊も同様です。

また、我々が考慮しなければならない事項の一つには地対艦ミサイル部隊のミサイル飛翔経路及び射撃時間も空域調整・統制の重要な要素になってきます。

このようにこの分野に明るくない幹部と共に調整等を実施しなければならないので、航空幹部である私の管制隊長は、日々イライラしておりました。

また、航空自衛隊から来たLO(連絡幹部)もよくわかっていなかった部分があったため、結構怒鳴りあう場面が生起していました。

この戦々恐々の中、遂に日米共同空域統制調整会議が行われることとなったのです。

この場には、自衛隊側から15名程度の幕僚、そして米側からは20名程度の幕僚(スタッフ)が集まることになっておりました。

この会議の通訳はどうなるんだろう?と内心ワクワクした自分がいたことは確かです。

私も、懇親会の調整通訳としてその場を乗り切ったことから、鼻くそみたいな自信を持っていました。

「間違いない。自分に通訳の話が来るぞ。多分、管制隊長は俺を指名してくるだろう。」と確信していました。

それが、当たったのです。

会議前日にそれは伝えられました。

先発投手のアナウンスのようなものです。

一気に緊張が増してきました。

武者ぶるいまではいきませんでしたが、可能な限り準備をしようと考え始めました。

そこで、どのような内容が会議で話し合われるかを理解しなければならないと考え、隊長に聞くことにしました。

ところが、隊長は忙しく、あっちに行って調整、こっちに行って調整となかなかA2C2に戻ってきません。

空いている時間にアタックしようとしてもA2C2長と話してなかなか独り占めできない状態が続いていました。

とりあえず、恒常業務をしながらチャンスをうかがっていると隊長が、「調子どう?」と話しかけてきてくれました。

すかさず、「隊長、明日の調整会議、どういった内容が調整されるのか教えてくれませんか?通訳の準備がしたいので。」と言うと、「え~、ま、明日になったらわかるよ。まだ、俺も様々な部署と調整しなきゃならないんだ。多分自衛隊側が設定したSAAFRを使用して米側も航空機を飛ばしてもらいたいとか、射撃を規制する時間についての調整や、空自機の飛行経路情報の共有とかがメインになると思う。あと、原発絡みかな。」と仰られました。

「なんと、全て英語にできないものばかりなり。」と心でつぶやくと、「何かそのような単語が載っている辞典か冊子」がないか探し始めている自分がいました。

「げげげ、これは、思ったより強烈な通訳になりそうな気がする。非常にまずい。」と思い始めていました。

案の定、最悪のパターンにはまるのです。

さて、会議の当日がやってまいりました。

結局、そのような単語について英訳及び通訳の準備もままならないままその会議に突入する羽目になったのです。

会議の時間が刻々と迫ってくる中、会議室の会場準備が始まりました。

参加者のための椅子が並べられるとかなりの数の椅子が展開され圧倒されはじめました。

「こんなに人来るの?大丈夫かな。」と不安ばかり。

「隊長、大丈夫ですかね?通訳が俺で。」と言うと、「大丈夫だよ。この前も上手くいったじゃん。」と他人事。

「とりあえず、会議の議事進行は俺がするけど、冒頭の挨拶はA2C2長がするから。そっから通訳だから宜しく。」と軽~く言われました。

自分はこの時、事の重大さに気づかずポワ~ンとしていましたが、会議参集者が集まる頃、私の緊張は、あっという間に最高潮に達したのです。

続く